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エピローグ

 この日、世界に新しい夫婦が誕生した。

 当世紀のはやりにそって新郎と新婦の極身近なものだけが集まった結婚式だったけれど、この日新しい夫婦を祝うために集まった人数は少し多い。式そのものは、その日の午前中に16世紀風の教会で極質素に進められた。
 パイプオルガンの厳かな音色が静かに響く中、重厚な造りの扉を開けて父親にエスコートされた花嫁が姿を現すと、花嫁のことを良く知るものもあまり知らないものも一様に感歎の溜め息を漏らす。レースをふんだんに使った純白のウェディングドレスの華やかさに負けないくらい花嫁自身も輝いていた。
 バージンロードの真ん中で待つ新郎に父親から花嫁が託され、新郎と新婦が残りを神父の前までゆっくり静々と歩いていく。神父の前に2人が立つと、少しざわついていた教会の中が一瞬静まり返る。神父が、2人に祝福を与え、厳かだけれど昔からちっともかわならない神父のセリフ、婚姻の誓いの言葉が読み上げられる。
「・・・誓いますか?」
 もちろん、否の訳がない。新郎が、力強く、そして新婦がやや恥じらいながら「イエス」と答えて、指輪の交換、そして誓いのキス。
 とたんに溢れる花嫁の笑顔と涙。ステンドグラスから差し込む朝の陽光が、その涙をきらきらと輝かせ新婦の溢れんばかりの笑顔を彩り、出席者達の感動を誘わずにはおかなかった。
 式が1通り終わって教会の外に出た新郎と新婦に浴びせられるライスシャワーや花びらは花嫁の笑顔ををよりいっそう引き立てる。
 最期に新婦、コニー・アクセルが投げたブーケをアイラ准尉が受けとったあとに、出席者達にはやされてコニーと新郎のデュロクが、キスをして式は最高潮を迎えた。
 そう、出席者達は、新郎と新婦の両親以外は、ほとんどが、『ナイル』の乗組員だった。
 全てが終わると教会に隣接するテラスで軽い食事が振る舞われ、短かったけれど濃密なときを過ごした者たち同志が楽しいときを過ごした。
 華やかだけれど決して動きやすいとはいえないウェディングドレスからややフォーマルな青を基調にしたカクテルドレスに着替えたコニーは、照れ臭さを隠せないデュロクを連れて今日の日を祝ってくれるために駆けつけてくれた仲間達に礼をいってまわった。
 最初にコニー達が、挨拶したのは『ナイル』にいたときに2人して全くもって頭が上がらず、『ナイル』の艦隊カップルの1号でもあるレイチェル少尉だった。
 戦時中には、ノーマルスーツと制服しか見たことの無かったレイチェル少尉も、背中の大きく空いて胸元も露なドレスを着ていてその華やかさは、レイチェル少尉の派手な顔立ちやモデルも顔負けのスタイルとあいまってまるで女優が混じっているようだった。レイチェル少尉がいるだけで、あたりは一際華やかな雰囲気になっている。コニーは、それがちょっと悔しかったけれど、こればかりは生まれ持ったものだからしかたがなかった。
 けれど、そんなレイチェル少尉でさえ、2年近い歳月は、変えてしまっていた。もちろん、それは、悪いほうにではない。けれど、1年戦争の時には決してみられなかったレイチェル少尉の一面だったのかもしれなかった。
「少尉、遠いところをどうもすみません、ありがとうございます」
 コニーは、すっかり変わってしまったレイチェル少尉を見つめていった。もちろん、根本が変わったわけではない。
「ほんとに!サイド7で式を挙げるって聞いたときは、ほんとに頭に来たのよ。でも、こうして他のみんなにも逢えるからね、大目に見てあげるわ」
 その言い回しは、2年前と少しも変わっていなかったけれど、声には昔ほどトゲは含まれていなかった。その言い回しにコニーは、懐かしくレイチェル少尉と編隊を組んで戦ったことを思い出せた。
 でも、その当時のレイチェル少尉とはまったく変わってしまっていることも確かだった。その変化をもたらしたもっとも大きな原因の1つは、レイチェル少尉が抱いている小さな命なのは間違いがなかった。レイチェル少尉は、優秀なパイロットから、優しい母親になっていたのだ。もっとも、母親と呼ばれる人物にしては着ているものが派手だったけれど、それはレイチェル少尉らしいところでもあった。
「赤ちゃん、見せてもらえますか?」
 コニーは、レイチェル少尉の方に顔をうずめている赤ちゃんの顔を見たくて頼んだ。ちっちゃな赤ちゃんは、レイチェル少尉の腕にしっかりとだかれてこんなに騒々しいのにすやすやと眠っていた。
「眠っているけどね」
 にっこりと笑ってレイチェル少尉は、少し抱き直して赤ちゃんの顔をコニーの方に向けてくれた。
「わぁっ、ちっちゃくって可愛いですね!」
 コニーは、白くてふわふわしたベビー服を着せられてケープに包まれ、レイチェルの腕に抱かれた赤ちゃんを覗き込んで微笑んだ。頬はミルクのように白くほんのりとピンクに染まっている。将来は、母親に負けないくらい美人になりそうだった。
「当たり前でしょう?誰の子供だと思ってるの?」
 全然変わっていない口ぶりも、しかし、当時と違って優しさが含まれていて、ああこの人は母親になったんだとコニーは、改めて思った。実際に、レイチェル少尉の表情が優しさで溢れているのは、誰から見てもわかるに違いない。1年戦争を一緒に戦ったときに感じていた冷たさやきついといった印象は、完全にどこかに消えていた。
 あたしもこんなふうになるんだろうか?コニーは、そうなるといいなと思った。
「おいおい、俺の子供でもあるんだぜ」
 少し低い位置から声を掛けるのはマクレガー大尉だった。
 そのマクレガー大尉を見るコニーの顔がほんの少し曇る。
 この人が、結局、1年戦争の傷を一番酷く負ったのだとコニーは、改めて思った。もちろん、戦死してしまった者たちもいたが、マクレガー大尉のことを思うとき、どっちが本当にいいのかわからなくなることもある。
 マクレガー大尉は、ア・バオア・クー戦時に搭乗していたジムに大口径のバズーカ砲の直撃をくらった。その時の衝撃で脊髄に損傷を負ってしまい命だけは取り留めたものの、大尉は、一生自分では歩けない身体になってしまったのだ。
 マクレガー大尉が重傷を負った、それはリ曹長の戦死とともにあの日、『ナイル』に帰艦したコニー達に知らされた衝撃の1つだった。
 もちろん、誰もがあの戦争ではいろいろな意味で傷を負った。
 けれど、身近な人間、戦争では所属していた部隊の人間がそうだ、の中ではやはり大尉が一番の戦争被害者だろうとコニーは、思うのだ。
『ナイル』の医務室で変わり果てた大尉の姿を見たときの驚き、その大尉に泣き縋ったレイチェル少尉、そのどれもがともすると昨日のようにも思える。
「あんたに似なかったらからこんなに可愛いのよ、ねえ?」
 ちょっと意地悪な顔になって、最期の同意はまだ何も言葉を理解できない自分の娘に話しかける。
「おいおい・・・まあいいか。ハルゼイ艦長が、来られなかったのは残念だが・・・」
 ハルゼイ艦長は、終戦後すぐに木星船団を構成する商船の船長になって今は、木星へと向かっている最中だった。今頃は、艦長の打った祝電が地球圏に向かっているころだ。「みんなが集まる機会を作ってくれたことを感謝するよ、アクセル曹長、ん?もうルリエル夫人と呼んだほうがいいのかな?」
 大尉は、少しいたずらっぽい笑みを浮かべていった。
 大尉の笑顔は、コニーを安心させた。確かに、体が不自由になったということは悲劇に違いなかったけれど、大尉の笑顔は本物だった。素敵な奥さん?と可愛い娘に囲まれて幸せに違いないのだ。人の幸福は、決して1つの物差しだけでは測れないということなのだろう、とコニーは思った。
「ルリエル夫人・・・って何だか笑えちゃいますね」
 マクレガー大尉に言われてコニーもにっこりと少しはにかんで笑った。確かに、その通りなのだけれど改めていわれると面映ゆかった。
「少尉の時にも驚きましたが、こっちのカップルも驚きですよ」
 カクテルの入ったグラスを片手に会話に割り込んできたのは、ホンバート曹長だった。
 曹長は、他の『ナイル』の仲間の多くと同じように、軍に残っていて、今ではモビルスーツ部隊の指揮官になっている。終戦からは、まだ2年あまりしか経っていなかったが、その面構えは小さな部隊とはいえ確かに指揮官に相応しいものになっている。
「本当、この2人が結婚しちゃうなんて、驚き以外の何ものでもないわ」
 レイチェルがいった。「それにあんたが、小隊指揮官だというのもね!」
「少尉・・・」
 ホンバート曹長も、『ナイル』時代にはレイチェル少尉には言いくるめられっぱなしだった。モビルスーツ部隊の指揮官になって階級も当時からずっと繰り上がって中尉に任官していてもそれは変わらないようだった。
 ここでは、軍を既に除隊したものも、軍に残ってその後昇進したものも、みんな昔の名前と階級で呼び合っていた。そうするのが自然だったし、戦争が終結して『ナイル』という艦自体が除籍になってしまって以降、ほとんどの乗組員が、バラバラになってしまっていたから余計だった。
「そういえば、中佐は?」
 レイチェル少尉が、今更気がついたかのようにいった。あるいは、本当に失念していたかのかもしれないけれど。
「中佐は・・・」
 答えたのは、戦争中、通信士を務め、幾度となく帰艦してくるコニー達を優しい笑顔で迎えてくれたシェリル・ラインバック伍長だった。その優しい笑顔は、いくぶん大人びて見えたけれど変わってはなく、コニーを安心させる。
 淡い黄色のドレスにポニーテールに結わえられた金髪がとっても似合うラインバック伍長は、当時よりもずっと女らしくなって周囲の目をともすると花嫁以上に惹くほど魅力的な大人の女性になっていた。
 艦橋職員の多くのものが、それぞればらばらに配置転換を受けた中で伍長は、トレイル中佐と同じ艦に再配置されていたのだ。
「大佐は・・・、いえ、中佐は、急な招集で艦隊司令部に出頭することになったんです。とっても残念がってましたよ、曹長に逢いたかった、って」
 あの中佐が、そんなことをいうなんて何となく信じられなかったけれど、きっとそうなんだろうと思う。コニーだって、決して中佐にはいい想い出があるわけではなかったけれど、トレイル中佐がこの場にいないことが何となく物足りなく思えるのも本当だった。
「今は、何を指揮してるんですか?」
 戦後は、『ナイル』がすぐに正式な艦隊から予備艦へと回されて、確か中佐は、どこかの哨戒艇の艇長になったと聞かされていた。『ナイル』は、それほど大きく損傷したわけでもなかったのだが、実験艦であったということや、その後に建造されたモビルスーツ母艦との規格が大幅に異なっていることなどから除籍されたのだ。
『ナイル』ほどの戦果をあげた艦が、除籍になったことは、通常ならば信じられないことだったし、本来ならクルーごと新鋭艦を任されたってなんの不思議もないぐらいなのだ。ただ、やはり1隻だけ異なる規格の艦を艦隊編成に加えることは容易ではなかったのかもしれない。
 それが決まったときに誰より熱く抗議したのが、中佐だっけ、と、コニーは思い出し、ますます中佐が、出席できなかったことを残念に思った。
「サラミス改級のミネアポリスよ」
「中佐が、艦長ねえ。時代も変わったもんね」
 レイチェル少尉が、首を少しひねりながらいったが、コニーには、きっと中佐なら最初は煙たがられるかもしれないけれど、部下に慕われるいい艦長になっているに違いないと思えた。
「巡洋艦の艦長なの?」
『ナイル』の主任オペレーターを務め中佐とは艦橋でずっと顔を合わせていたダイアナ・ササキ曹長も驚きを隠せない様子だった。ササキ曹長は、レイチェル少尉やコニーと同じように終戦後に退役してしまっていた。
「なかなかの艦長ぶりなんですよ。でもおかしいんですよ・・・」
 少し吹き出しそうにながらラインバック伍長は続けていった。「なんか、ハルゼイ艦長に似てるんです」
 にっこりと魅力的な笑顔を振りまきながら話すラインバック伍長を見てコニーは、そのことを確信した。
 ラインバック伍長が、いうのにレイチェル少尉が「こんなとこでおべっかいっても誰も聞いてないわよ」とかいうのをくすくす笑いながら聞いていると後ろから声がかかった。
「曹長、おめでとうございます」
 声を掛けてくれたのは幾人かの若い男性で、にっこり笑って祝ってくれてるのだけれど、コニーには一瞬それが誰なのかわからなかった。頭の中で制服を着せて、パイロットスーツを着せる。最後に作業用スーツを着せるとコニーの顔に満面の笑顔が広がった。
「曹長!それにみんな!ああ、みんな元気なのね!!」
「今、思い出すのに時間かかったじゃないですか!寂しいですよ、忘れてるなんて」
「ごめん、作業用のノーマルスーツしか見たことが無かったんだもの。スーツが似合ってるわ、みんなね」
 機付の整備兵達も2人欠けてはいたが、班長のダリアス・コンジ曹長を筆頭に顔を揃えてくれていたのだ。
「曹長も、とっても綺麗ですよ!」
「デュロク曹長とお似合いですよ!」
 ダリアス曹長達が、デュロクにお世辞を言うのを聞きながらコニーは、1人1人を見つめた。
 そして、最後にダリアス曹長に視線を戻した。
 レイチェル少尉達が、肩を並べて戦場を駆け抜けた仲間ならば、ダリアス曹長達は、それを陰で支えてくれた仲間だった。ある意味では、戦場で友に戦った小隊の仲間よりもずっと大事な仲間だ。
 彼らが、いてくれたからこそコニーは、ジムを戦場に繰り出せ、そして、無事に帰還することができたのだ。それは、大袈裟でも何でもなかった。パイロットは、よく自分1人で頑張ったかのようにいうものが多かった〔実際、パイロットが書く自伝的な戦記物は大半がそうだ〕が、コニーは、それは大きな間違いだということを知っていた。モビルスーツという精密な戦闘機械は、彼ら整備兵達の力なしにはその実際の能力の半分も出せはしなかったし、もっといえば、艦の全員のサポートが無ければただの人形に過ぎないのだ。
 それに、コニーにとっては、特にダリアス曹長は、特別だった。
 初出撃の時、恐怖と不安で嘔吐しそうになるぐらい精神が乱れているときに曹長の必死のアドバイスが無かったら、コニーはきっと星々の海に飲み込まれていたに違いなかった。
 コニーのジムの整備班は、コニーのジムだけではなく、コニー自身の心の整備まで請け負ってくれる、本当に優秀な整備兵達だったのだ。もちろん、それは、レイチェル少尉や、ホンバート曹長、マクレガー大尉、ラス准尉、そしてもちろんデュロクの機体を担当した整備兵達も同じようにパイロットのことを気づかう優秀な整備兵達だった。だからこそ『ナイル』が、いや74戦隊が短い期間だったとはいえ戦争を生き抜くことができたのだと思えた。
 
 皆の表情から溢れる笑顔、それはあの時『ナイル』で見たものとは全く違う種類の笑顔だった。今日は生き残れても明日にはどうなるかわからない、そういった命の保証のない状況下での笑顔は、やはりどこか無理があったに違いない。今日は、誰もが最上の笑顔で自分達を祝ってくれていることにコニーは、感動せずにいられなかった。そして、皆の最上の笑顔をこうして見られたことを幸せに思った。
 けれど、この日、誰が最上の笑顔をしていたのか?コニー自身は、答えられないかもしれなかったが、コニー以外の全ての出席者にとっては、それを答えるのはそれほど難しいことではなかった。
 
0082 多くの人が平和を信じている・・・