- 「大尉!離陸命令は出ているんですっ!急いで下さい!!」
- エレカで乗りつけた整備士官のグレンドル少尉の声を背に聞きながら、カイゼル・リンクス大尉は、半壊した格納庫に収まった自分の愛機と、部下達の搭乗機を溜め息交じりに眺めた。
- いずれも、傷つき実戦を何度も潜り抜けたことを感じさせる機体だ。何機かは、すでに起動することすら叶わない。
- 今、仮に戦闘になれば自分のグフを含めても実戦に投入できるのは4機か5機でしかないはずだった。連邦軍によって実施された資源産出地帯に対する反抗作戦に呼応するために出撃したときには、グフだけでも9機、総計29機にものぼる戦力を有した機動66大隊の成れの果てがこの格納庫の中にあるのだった。
- 呼応したといえば、聞こえはいいが、実際にリンクス大尉の部隊が、いわゆる『オデッサ作戦』と呼ばれる戦いに関与できたことは何もなかった。雌雄を決める戦闘そのものは、66大隊が戦線に到着する前に始まり、そして、終結してしまったからだ。けれど、66大隊が、その後に続いた一連の戦闘に於いて無関係でいられたかどうかは全く別問題だった。主戦場で雌雄を付けた有力な連邦軍部隊の幾つかは直ちに残敵の掃討作戦に移行してきたからだ。
- 連邦軍の掃討戦部隊に対して、集結しそこなったジオンの各部隊は、致命的な出血を強いられ続けた。何しろ、各種兵科を有機的に連携させた大部隊の連邦軍が敵である。補給も満足に受けることの出来ないジオン各部隊は、各地で敗退を続けた。オデッサでの戦いの推移すら知らされることのない部隊も散見されるジオンにとって、突然仕掛けられる戦力豊富な連邦軍の容赦のない攻撃を防げる道理などあろうはずがなかった。
- 66大隊もその例に漏れなかった。
- 機動第66大隊は、ウクライナ地方の東端にあるボルゴグラードで、来るはずもない司令部からの命令待ちをしているときに最初の連邦軍部隊との交戦を余儀なくされた。
- モビルスーツを含む連邦軍掃討部隊との交戦は、最初のただの1回で66大隊の戦力をモビルスーツに限っても半減させてしまうほど強力かつ容赦のないものだった。航空支援をしっかりと受け、地上部隊とも完全に連携して攻撃してくる連邦軍に対して、66大隊は、為す術もなかったというほかなかった。
- リンクス大尉以下のモビルスーツ部隊の捨て身の防戦がなければ全滅していてもおかしくない戦闘だった。しかし、その戦闘以降、66大隊のとれる行動は、敗走を繰り返す以外になかった。
- 南東400キロのここアストラハン基地に逃げ帰るころには、部隊は、完全に敗残兵レベルにまでその戦力を失っていた。たった1週間あまりの戦いでだった。29機のモビルスーツの8割が失われた。
- 「ファットアンクルは呼べないのか?」
- リンクス大尉は、振り返っていった。ファットアンクルさえあれば、たとえ1機でも、3機を後送できるのだ。
- 「無理ですね!半径3000キロ以内でファットアンクルを飛ばせる基地は皆無です。仮に飛ばせたとしても、ここはもう半分は連邦軍の制空圏内ですからね!大尉!!」
- 実際に、グレンドル少尉の言うことは正しかった。
- 連邦軍が、オデッサ作戦を実施してから2週間と経っていないのに、ジオン軍はヨーロッパロシアのほとんどの地区から戦力という戦力を失ってしまっていた。
- カスピ海に面するこのアストラハン基地も、2日前までは、基地としての体裁をなんとか保ってはいたのだ。基地付けの防衛モビルスーツ部隊も、その装備機種が05という点を勘案しなければ6機配備されていたし、ドップ制空戦闘機も20機は飛べたのだ。けれど2日前、リンクス大尉の66大隊が敗退してくる前日に受けた連邦軍航空部隊の3次にわたる空襲でアストラハンは、ジオン軍の基地としての機能をほとんど失ってしまったのだ。
- 戻りさえすれば多少の戦力としてきたい出来ると考えていた05は、全機撃破され、ドップも飛べるものは1機も残らない状態だった。ガウの緊急着陸も考慮されて拡張されていた滑走路はVTOL機の離着陸にさえ事欠くほどに破壊され尽くしていた。
- そこまで破壊されていてもアストラハン基地は防衛されねばならない・・・何しろ、ここを抑えられると連邦軍の航空部隊がさらに進出し、後退を続けるジオン軍の各部隊は、さらなる圧迫を受けることになるからだ。
- しかし、現実に受けた命令は違っていた。いや、少なくともアストラハン基地を死守せねばならないという点には間違いがなかったが、リンクス大尉にとっては違ったのだ。
- 『戦闘可能なモビルスーツパイロットをタシケントに移送せよ』
- そういう命令が出されたのだ。
- もちろん、リンクス大尉は、反対した。
- モビルスーツ以外に連邦に対する有効な戦力がなくなった66大隊と基地守備隊の戦力を考えれば当然だった。しかし、司令官は、実直でありすぎた。司令部からの命令を忠実に守ることにしたのだ。それでも、負傷したという名目でパイロットを4名残すことは忘れなかった。
- その中に是非にも混ぜて欲しいとリンクス大尉は、直談判したのだが、総司令部は、後退戦闘の中でさえ連邦軍のモビルスーツを3機も撃破したリンクス大尉を名指しで後送するように命じていたのだ。
- 「君は、エースだからなあ・・・向こうでも欲しがっているのだよ、大尉。タシケントでは、反抗作戦用に新型モビルスーツで部隊を再編するとも聞いている。私としても、君を失うのは痛いが、その新型機で連邦軍を押し返してくれたまえ!」
- 司令官は、最後にそう言ってリンクス大尉を説得した。
-
- 「大尉!」
- 「分かっているよ、少尉」
- なかなか動こうとしないリンクス大尉に、グレンドル少尉が呆れたように言い、ようやくリンクス大尉は、残して行くモビルスーツに背を向けた。
- 激しい戦闘の中で、次々に部下を失いながらも生き延びてこれたのは、グフの性能によるところが多かった。ザクより多少ではあったが厚い装甲、何よりもシールドが装備されていることが大きかった。そして高初速になったMMP−85の性能によってリンクス大尉は、3機もの連邦軍モビルスーツを撃破できたのだ。
- その愛機を残し、リンクス大尉は、グレンドル少尉の乗って来たエレカに足を向けた。明日からは、ここに残ることになった別のパイロットの愛機としてリンクス大尉のグフは、活躍するだろう。だが、それはいつまで?考えることは、辛かった。
- 「出しますよ?」
- ようやくにも座席に着いたリンクス大尉にややイラ付きながら言うとグレンドル少尉は、返事を聞く前にエレカを乱暴に発進させた。
- 「すまなかった、少尉」
- 「ええ、まあ。感傷に浸られたい気持ちはわかりますが、いつ空襲があってもおかしくない状態ですからね・・・ようやく片づいた滑走路です。そういった努力を無にして欲しくないもんです」
- ここに残されるのだということから来る苛立ちも混ざっているのだろうとリンクス大尉は、顔色の優れないグレンドル少尉の顔をちらりと見て思った。無理もない、残るということは、半分は死を意味するのだから。
- 滑走路に目をやり、その光景を見てリンクス大尉は、深い溜め息をついた。
- 空軍基地としての役割を果たすべき建造物はことごとく破壊し尽くされていた。滑走路は、所々が深く抉られていた。他に見えるものといえば地上撃破されて焼け焦げ、崩れ折れたドップの残骸くらいな物だった。
- そういった穴や残骸を避けながらエレカは、滑走路上を走っていった。
-
- タシケントへの足は、民間機を接収しジオンのマークを書き込んだ小型の双発ジェットだった。ジェットを操縦するパイロットの他には、14人しか乗ることの出来ない小型機で、その座席は、モビルスーツパイロット5名のほかには後送される重傷兵で占められた。
- もちろん、リンクス大尉が、最後の搭乗者だった。
- リンクス大尉が、席に着くよりも前に、ジェット機は、滑走をはじめた。そして、ベルトを締めるころにはジェット機は十分な加速を得て、離陸をしていた。
- タシケントまでは2000キロあまり・・・2時間もあれば着く。
- 急激に上昇して行くジェット機の座席でリンクス大尉は、2度と戻ってくることのないこの地が目に入ってこないように目を閉じた。命令とはいえ、この地を後にする後ろめたさに耐えられないせいでもあった。
- 誰もが同じ気持ちなのか、機体の風切り音がごうごうとする以外は機内は静まり返っていた。
- 10分あまりを掛けて5000フィートの巡航高度に達するとジェット機は、エンジン出力を絞ったらしく、風切り音も気にならなくなった。
-
- 「こちら02、2時の方向、同高度・・・何かが飛んでいます、中尉」
- 「01、確認した02、接近し、機種を確認する、ロケット弾及び機関砲の安全装置外せ!」
- 「了解、01。安全装置外します」
- 「続け!02」
- つまらない哨戒飛行が、少し緊張感を伴う物になった瞬間だった。
- しかし、未確認機は、単機であり、形状からしても軍用機ではありえないようだった。
- 未確認機は、案の定民間機であり、あっというまにその距離を縮めることが出来た。自分は右に、僚機は左に占位する。未確認機に抵抗する素振りは見られなかった。それはそうだろうと自答する。非武装なのだから。
- 「こちら02、民間機ですが、ジオンマークが入っています、中尉」
- 「確かか?02」
- こちらからは、光線の加減か、またはこちらの見えるところには描いていないのかジオンマークは、確認できなかった。
- 「間違いありません、ジオンマークです」
- 嘘は言わない男だった。
- 「了解した、02.これより投降勧告を行う、同周波数で確認せよ!」
- 「了解、01」
- 僚機の返答を確認すると無線を周波数を南極条約で決められたものに合わせ、南極条約に則った文言で呼びかける。何かあっても、問題はないように。
- 「こちらは、連邦軍第812哨戒飛行中隊所属グレッグ・ヘンリー少尉・・・」
-
- 「大尉・・・連邦軍です」
- その一言で、機内は、小さなパニックに陥る。
- 「落ち着け、敵に撃墜の意志はない・・・」
- 窓から接近してくる連邦軍機の機動を見てリンクス大尉は、落ち着いた、それでいて良く聞こえるように大きめの声で言った。それで、少し、機内は落ち着く。
- 「セイバーですね・・・逃げ切れませんね・・・」
- 「ああ・・・」
- モビルスーツパイロットの1人が言うのに首肯きながらリンクス大尉は、生返事をした。グフにさえ乗っていれば恐くもなんともない敵だったが、今はどんな手の施しようもなかった。
- モビルスーツのコクピットに収まっているときには全く感じなかった恐怖が不意に込み上げてきて、冷たい何かが背中を伝うのが感じられた。
- 「南極条約・・・守ってくれるんですかね・・・」
- 「そのつもりがなければ、とっくに墜とされているさ・・・」
- そんな会話が聞こえてくる。
- 確かに、敵にはそのつもりがないように見えた。証人などいないのだ。その気になっていれば、撃墜していたに違いないと思う。
- 「離れて・・・行く・・・」
- その言葉通り、セイバーフィッシュは、機体を翻すと離れていった。安堵の溜め息があちこちで漏れる。
- リンクス大尉も、いつの間にか力が入っていた肩から力を抜いた。
-
- 「応答無し・・・これより、敵を撃墜する」
- 「こちら02、了解。敵からの応答無しを確認しました、中尉!」
- 僚機の返答を聞くと同時に、操縦桿を振って機体を民間機・・・いや、今はもう敵性機だ、から離れる機動をとる。
- 南極条約に則った呼びかけは、きちんと規定通り2回行った。全くもって、問題はない。にもかかわらず、敵は、それを無視した。そして、自分たちが制圧する空域への飛行を継続した。明らかに、それは敵対行為だった。
- 何か重要な物資か人物を移送しているのだろう・・・ならば、それがジオンの制圧している地域へ届くのを阻止せねばならなかった。
- 高度を上げつつ旋回し、敵の5時方向に付く。自分の後方20に僚機が付くのを待って行動に移した。
- 「これより敵を撃墜する!」
- 「ラジャ!01!」
-
- 不幸があったとすれば、ジオンのパイロットが操縦しか出来ないという点だったろう。彼は、連邦からの入電を知ることもなかったし、飛ぶこと以外の判断は、慣れない民間機を操縦することで手いっぱいの彼には無理だった。
- つまり、彼は、何もしないことで敵対行動をしてしまったのだ。
-
- 「おいおい・・・連邦の野郎・・・」
- 反対側の窓から連邦機の飛行を見守っていた兵士が、不意に力のない言葉を口走った。
- リンクス大尉は、それを聞いた瞬間、最悪なことが起ころうとしていることに気が付いた。
- 「畜生!」
- 誰かが、叫んだ。
-
- レチクルに入った民間機に対してなんの躊躇もなく30ミリ機関砲弾が吐き出された。回避もしない民間機の機体があっというまに穴だらけになっていく。命中するたびに何かがキラキラと陽光を浴びて飛び散っていく。機体の中央部分から機首に向って無数の30ミリ徹甲榴弾が大きな穴を穿っていく。続いて僚機が、同様の攻撃を行う。既に構造的な限界に達していた民間機は、僚機の銃撃を受けると同時に空気抵抗のせいで粉々に吹っ飛んだ。霧状に吹きだした燃料に引火したのは、そのコンマ1秒後だった。
- 紅蓮の炎が民間機が位置していたところで急激に広がる。
- 民間機を構成したものが炎の尾を引き、全周囲に散っていく。
-
- 「畜生!」
- 誰が叫んだのか、それを確認するよりも早く破局はやってきた。
- 何が起ころうとしているのかは理解しているつもりだったが、それを受け入れられるかどうかは全くの別問題だった。
- 不意に、前の座席に座っていた兵士が朱に染まり絶叫がまた別なところから沸き上がる、シートがずたずたに裂け、間断のない衝撃が、辺りを圧する。受け入れるよりも先に地獄は、一方的に襲い掛かってきた。
- 敵からの銃撃を受け、その銃弾が機内に次から次へと飛び込んできているのは理解できていた。
- しかし、目の前で起こっている地獄、兵士の体が寸断され、頭が一瞬で消失していく・・・それは、まるで映画の中で起こっているような印象だった、を現実のこととして受け入れることなど出来はしなかった。スローモーションの中で起こって行く出来事とでも表現したら良いのだろうか?死んでいく兵士の中には、当然のようにモビルスーツに乗ってさえいれば一騎当千のベテランモビルスーツパイロット達も含まれていた。そのベテランパイロット達が、なんの抵抗も出来ずに死んでいく。
- 何たる悲劇!リンクス大尉は、醒めた感情の中で思った。
- もちろん、全ては一瞬で起こっていた。
- けれど、リンクス大尉にとっては、全てが認識できているように感じられたのだ。いや、実際に全てを認知していたのかも知れない、自分以外のことは。
- リンクス大尉自身も飛び込んできた30ミリ機関砲弾によって左腕の肘から先を吹き飛ばされていたのだ。
- 何かをしなければならない・・・立ち上がろうとしてリンクス大尉は、床へと転んだ。左腕で支えようとしたのに、何も掴めなかったからだ。床に転がったリンクス大尉は、誰かの千切れた手が目の前に転がっているのを見つけた。
- その瞬間、何か凄い衝撃が襲い掛かり、リンクス大尉は、青空を見たような気がした。
- (見覚えのある指輪しているな・・・)
- それが、リンクス大尉の最後の思考だった。
-
- 「スプラッシュ!」
- 僚機のパイロットが、やや興奮した口調で伝えてきた。もちろん、確認できていることだった。
- 「01、敵の撃墜を確認、帰投する」
- もちろん、自分達が、モビルスーツ5機を撃破したに等しい戦果を上げたなどということは知る由もなかった。
|