- くすくすと笑う声が聞こえる・・・その声は、幼い少女達の声だったり、艶のある成熟した女性達の声だったり、しわがれた老女達の声だったりしたが、終始一貫しているのはそいつらが全部女性であり、俺、このマックス・ユリウス・マッシュ少尉のことを笑って見つめているということなのだ。
- いやいや、それは、正しくない表現かもしれない。なにしろ俺は、誰1人として、その声の主を見たことがないのだから笑って見つめているかさえ解らないのだ。おかしな話だった。声は、いつだって極近いところから聞こえてきているのに、俺は、一度だってその声の主を見ることができていないのだ。
- いや、そもそも、一体いつからこの声が聞こえ始めたのかさえ判然としない。そして、何回、聞いたのかも。何百回も聞いた気もするし、初めてのような気もする。
- 「ねえねえ、教えてあげる?」
- 「どうしよっか・・・うふふふ・・・」
- 「やめる?教えてあげる?・・・あははは・・・」
- 遠くで、そして、近くで、囁くように、風がそよぐように、小川がせせらぐように聞こえてくる声は、絶対に俺をからかっているに違いない。けれど、その声の方を振り向こうとする努力は一度も報われたことはなかったし、怒鳴ろうとする努力も実ったことはなかった。
- そして、聞こえているはずなのに何を言っているのかが、全く理解できない。1人が話したことを聞いても、もう1人の声を聞いたときには、もう最初の声が何を話していたのかを忘れてしまっているのだ。いつまでたっても、俺は、その声達が話す全てを理解できない。
- そして、俺は、その笑う様な話し声のことすら忘れる・・・また、次の囁き声が俺の耳元に届くまで・・・。
- (おい、しっかりしろ!頭脳明晰で判断力に優れている俺は、一体どうしちまったんだ!!)
- 自分で自分を叱咤する。
- そして、俺は、繰り返す。
- いや、繰り返しているような気がする・・・憶えているところからの回想を始めるのだ・・・。一体、俺が何故、こんな不思議な環境に置かれることになったのかを・・・。
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- 0079年12月17日・ソロモン空域
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- その日、噂が現実になったことを俺達は、酷く冷静に受け止めることができた。もちろん、全員がそうできたわけではなかったが、少なくとも俺の属するソロモン第285モビルスーツ大隊では、そうだった。
- 噂とは、連邦軍の宇宙反攻最初の目標が、ソロモンであるということだった。中には、連邦軍の主力艦隊が、ソロモンを蛙飛びにして、グラナダやア・バオア・クー、さらには本国を直接叩くのだということをまことしやかに言うやつもいたが、そのオッズは、決して高くなかった。
- 確かに、ソロモンは、最前線でありながら、ジオン軍の他の拠点に較べるとその戦力が充実しているとは言い難かった。それでも、連邦軍が、ソロモンを無視することが可能かといえば、その答えはノーでしかありえなかった。開戦時と同程度の戦力を揃えられるならいざ知らず、現状の連邦軍は、2正面作戦、少なくとも宇宙での、を実施する体力はなかった。
- であれば、まずセオリー通りに、前線拠点であるソロモンを最初に叩くことは自明の理とでも言えることだった。
- 噂は、ドレン哨戒艦隊の全滅やコンスコン艦隊の全滅の知らせとともに、徐々に、そして確実に悪いものとなってソロモンのジオン兵の士気を損なっていった。
- それでも、モビルスーツ隊の士気は、変わらず高かった。
- 特に、俺達のように新型のリック・ドムに装備を改変した部隊の士気は、高かった。
- そして、運命の日は、やってきた。
- 0079年12月17日04:00時、クリスマス・イヴを1週間後に控えたその日、連邦軍は、ソロモンのWフィールドに姿を現した。
- Wフィールドを守備していた俺達285モビルスーツ大隊には、まっさきに迎撃命令が出た。
- 大隊の稼働モビルスーツ、32機が一斉に出撃すると同時に、同じように迎撃任務を与えられたジッコ突撃艇や、ガトル戦闘爆撃機が、出撃していく。もちろん、モビルスーツ隊もだ。
- 同じドムで編成された286大隊や、古参兵で編成されたザクの115大隊や117大隊もそれぞれの拠点から出撃していく。
- モビルスーツだけで、ざっと120機あまり、連邦軍をあっさりと撃退できるだけの戦力だ。
- そう感じた俺の判断は、間違ってはいなかったはずだ。
- なにしろ、Wフィールド上に現れた連邦軍は、3隻のマゼラン級を主体とする30隻に満たない規模の艦隊だったからだ。難攻不落とうたわれたソロモンを、たったこれだけで落とそうとは・・・呆れてものも言えない、そう思ったものだ。
- もちろん、それが別動隊であり、主体が他にいるなんてことは、その時の俺には、思い付きもしなかった。なにしろ、俺は、根っからのモビルスーツパイロットだったからだ。
- 出撃した大隊は、中隊毎に、中隊は、小隊毎に分離して迎撃フォーメーションを組むと、敵を蹴散らすべくメインスラスターを全開にした。
- 敵も、同じようにモビルスーツを展開したのには、驚いたが、連邦軍が、モビルスーツを大量に実戦配備し始めた現在、それは、当たり前のことなのだと納得し直した。
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- パブリクのビーム撹乱膜の展帳を幕開けに始まった乱戦は、本当の乱戦だった。どのモビルスーツ小隊も、敵艦を攻撃するために前線突破できなかった。数えきれないくらいの人型モビルスーツとそれを支援するさらに大量の支援ポッドとの戦闘に忙殺されてしまったからだ。かろうじて、敵を突破したガトル戦闘爆撃機隊が、何隻かの敵艦に致命傷を与えることに成功したが、その数は、戦闘前にシミュレートした結果を遥かに下回るものだった。
- かくいう俺も、あっという間に僚機を失い、他の小隊や中隊同士の連携もとれないままに、戦闘を継続していた。戦闘を継続していたといえば、聞こえはいいが、本当のところは、逃げ回っていたというほうが正確だった。
- 連邦軍の放ってくるビーム攻撃は、昨日まで自慢していたドムの装甲を無意味なものとした。かえって、総重量が重い分、小回りのきかないリック・ドムは、連邦軍のビーム攻撃の格好の的になりかねなかった。
- それでも、乱戦であるということが、少しは、リック・ドムにも有利に作用した。敵と味方が入り乱れるような戦闘で、至近からバズーカを撃ち込むことが可能だったからだ。戦艦をも一撃で大破させてしまおうと言う新型バズーカの弾頭である。敵のモビルスーツ、ましてや支援ポッドを撃破することなどプラモデルを砕くように動作もないことだった。しかし、それは、命中させればこそだった。
- 俺は、乱戦の中で冷静さを失い、戦闘が始まって10分が経とうかというのに、支援ポッドを1機撃破したに過ぎなかった。
- それでも、俺は、生きているだけ幸運だった。
- 味方の識別信号は、減り続けていたからだ。
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- そして、それが起きた時にも俺は、まだ敵と丁々発止の戦闘を続けていた。
- それは、ソロモンが焼かれている・・・としか表現できない出来事だった。それに気が付いたのは、偶然だった。回避運動を続けるうちに視野の端にないはずの輝きを認めたのだ。それは、ソロモンが、発する輝きだった。ソロモンNフィールド、上部3分の1が、強烈な光を発し、灼熱の地獄と化していたのだ。
- どんな種類の兵器を使えばあんな恐ろしいことが起きるのか?もちろん、俺の理解の範囲に遠く及ばない出来事だった。
- とにかく分かったことは・・・ソロモンが、もたないということだ。
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- 俺は、驚きのあまり、何をどうしていいのか分からなくなった。それは、俺だけではなかったはずだ。敵は、その隙をつくかのようにかさにかかって攻めてきた。
- 全軍に対する後退命令が出たのはその時だった。
- 俺は、敵に後ろから撃たれる恐怖を振り払って背を向けると全力加速で自分たちがつい30分ほど前に出撃した拠点へと一気に後退した。この後退機動でさらに俺の仲間は、数を減らした。
- 結局、拠点にまで後退したときに数えることができた大隊の残存機は、たったの9機でしかなかった。全部が、撃墜されたわけではなかったと信じたかったが、拠点を防衛するのに使える戦力は、たったこれだけだった。
- 俺は、最後の弾倉を装填すると接近してくる連邦軍に備えた。
- 連邦軍の生き残った艦艇が、発射してくるミサイル群がソロモンのあちらこちらを抉っていくのに必死で耐えながら、俺達は敵モビルスーツ隊の接近を待った。
- いや、待つほどもなかった。
- 敵は、あっという間に襲い掛かってきた。
- 反撃する俺達の攻撃で、2、3機の支援ポッドが吹き飛ぶが、それに対する連邦軍の反撃は、もっと痛烈だった。
- 連邦軍の人型から発射されたビームが、僚機の1機を貫いたのだ。
- ほとんど、密集といってもいい状態にあった俺達にとって、その出来事は致命的だった。
- カツッ!
- 俺は、そのことを予想して、目をとっさに閉じたが、それでもモニター全体が、白濁したのが瞼越しに分かった。そして、ブラックアウト。猛烈なGが、襲い掛かり、ハーネスが俺の身体にきつく食い込んだ。何か強烈な衝撃が襲い掛かり、俺の身体は、ミキサーに入ったゴマのように振り回された。
- ザクなら、その衝撃だけで機体が全損していたに違いない。
- リック・ドムの分厚い装甲と最新式の衝撃吸収装置が、俺の命を守ってくれたのだ。
- そして、ザクならモニターもブラックアウトしたままに違いなかった。しかし、最新型のモニタシステムは僅かな時間で復帰した。
- きっと、復帰しないでいてくれたほうが良かった。
- 俺が、モニタの中に見たのは、大口径の砲口をこちらにしっかりと向けた支援ポッドの丸い姿だったからだ。
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- けれど、そこから先が思い出せないのだ・・・。
- そして、また、俺の耳に届く今度は小さな女の子のざわめくような声。甲高くって無邪気な声。
- 「ねえねえねえったら・・・」
- 「なんだよぅ、どうしたのよぅ・・・」
- 「おしえてあげようよ、きゃははは・・・・」
- 「あははは・・・そうしよっか?ねえ、そうする・・・?」
- 「うん、可哀想だもの・・・うふふふ・・・」
- 声が、聞こえてくる。
- 一言一言は、こんなにもはっきり聞き取れているのに、俺には、一体何が話されているのか理解できなかった。そう、どんなに小さく囁くような微かな声になっても確かに一語一語は聞き取れているのに。
- 「ねえ、マッシュ・・・」
- その時、初めて俺は、声が言っていることを理解できた。声は、俺の名前を呼んだのだ。それは、歓喜であると同時に恐怖だった。俺には、俺のことを名前で呼ぶ小さな女の子の心当たりがなかったからだ。
- 「ねえ、聞こえてるんでしょ?マックスゥ・・・」
- 甘えるような声が、再び俺の名前を呼んだ。そう、再びだ。俺は、覚えていた。
- 「なんだ!君は一体誰なんだ・・・」
- 俺は、声を出した。今迄一度だって出せたことのなかった声を。
- 「だれでもないよ。ねえ、マックス、あなた、死んだのよ・・・うふふふ・・・」
- 「そうそう、死んだの・・・マックスは死んだのよ・・・あははは・・・」
- 俺は、声の言うことを理解できた。
- けれど、このしっかりと感じ取れる全てがある限り、そんなことは嘘っぱちに決まっていた。
- 俺は、怒鳴り返そうとした。
- けれど、次の瞬間、何にをどう誰に怒鳴ればいいのかを理解していなかった。
- (そもそも、俺は、怒鳴ることができるのか?)
- 何かを、俺が考えたとすれば、それが最後の思考だった。ただ、それがどういった状況でなされたかは俺自身には分からなかった。ただ、声は2度と俺に聞こえてくることはなかったし、俺が何かを考えることもそれ以来永遠に無くなったことだけが確かだった。
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- 0080年12月17日・ソロモン周辺暗礁空域
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- 『おい、パイロットスーツだ・・・遺体が回収されてないぞ・・・』
- 『まさか?ここら辺にある機体からは全部回収したはずです・・・』
- 『あるもんは仕方がないじゃないか、おい、艇をできるだけこっちへ接近させるように言え・・・』
- 『収容するんですか?』
- 『文句言うなっ!こいつだって、今迄ずっと寂しかったに違いないんだ、成仏させてやろうじゃないか・・・』
- 『東洋的思考って奴ですか・』
- 『ふん、好きなように言え、とにかく遺体は収容する』
- 『了解です、こっちだって後で祟られたら困りますからね、でしょ?曹長』
- 『そういうことだ』
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- 0080年12月現在、公式に認められた戦争行方不明者は22万人を超えている。
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