日 - 1月 29, 2006

2006年小さな旅 銚子電鉄に揺られて



18切符が一回分余っていたので、行ったことがないところ、と考えていて思いつきました。行き先は、銚子です。

銚子へは、千葉から成田線または総武本線という二つのルートがあります。行ってみれば、稚内に行くのに天北線と宗谷本線があったみたいなもんです。成田線というと上野から出ているイメージがあるのですが、実はあちらは支線なんです。栄えているのは、総武本線のほうです。
それにしても、千葉は広い。房総半島というより大陸です。そんな房総半島の付け根にあるのが、銚子です。利根川の河口にあたり、となりは茨城になります。


千葉からは、この懐かしいスカ色の113系に乗ります。東京行きと同じホームから出発するので、スカ線に向かうような錯覚さえおぼえますが、この車両もかつてスカ線にいたもの。なかには、東海道から移ってきたことをしめすように塗色の跡がはっきりと残る車両もいます。もちろん、古いのもいます。
千葉を出ると、かわりのない田園風景が続きます。お昼時でしたので、車内でお弁当を広げます。

春のまめ御飯弁当。ごまめといってもグリンピースだけでして、どちらかといえば、そこに乗っている桜花塩漬のほうがおいしさをそえています。おかずは、鮪の照焼、蛤のフライ、鶏照焼、煮物です。そして、ビールは、黒ラベル。千葉に工場があるんですね。そして、絵がボビーなんですね。このヴァレンタインだけは好きなんだなぁ。
いやぁ、しかしなかなかすすまないなぁ。銚子が近づくにつれ、利根川や鹿島の工場の煙突が見えるようになります。退屈なまま、2時間ちょっと。ようやく銚子です。
(イルカがお出迎え)
銚子電鉄は、JRのホームのさきから出発します。改札と待合室はあるのですが、無人です。車掌が途中の笠上黒生(かさがみくろはえ)まで乗っていて、車内で切符を買います。往復して途中下車もするつもりだったので、弧廻手形という一日乗車券を購入。これには、濡れせんべいの引換券もついています。

単行の車両に観光客がざらっとうまる感じの混み具合。やる気ないかんじでごとごと揺れながらすすみます。本当にレールが頼りない感じがします。2台の車両が、行ったり来たりしています。この車両は、銀座線にいたものを改造したもの。足回りは、富士急にいた小田急のものらしいです。
このライト、今となっては知っているヒトもすくなくなっちゃったよねぇ。むかし、銀座線は停電する場所があった、といっても話しが通じない。

ごとごと揺られ、あっという間に終点外川です。時間があればこの町をあるいてみたいところでしたが、何しろ体調がよろしくないので、今回はパスしました。

こんな小さな鉄道ですから、いつなくなってもおかしくないというか、それで濡れせんべいを焼いたり、あれやこれや力をいれたわけです。そのひとつが、どこを目指したんだかよくわかんない駅舎。銚子駅は、オランダ風車。たい焼きで有名な(次回食べなきゃ)観音は、スイス風。君ヶ浜は地中海イタリア気分。犬吠駅はポルトガル。あと、昔アシカがいたという関東最東端(つまり本州最東端)の駅、海鹿島なんていうのも(すごく地味な駅でしたが)。全体に古びてきていて、というかそれ以前に景色にとけ込んでなくて、なんかわびしげ。オランダ風車にいたっては、羽根が撤去されちゃっています
 
結局、一番味があるのは、なんにもかわっていない、とうかかえていないというか、外川駅だったりします。どうよ、このレトロぶりは。富士急も真っ青であります。


せっかくなので、犬吠埼を目指すことにします。駅からの道は、歩道がないところがあるので、要注意です。
とにかく海が荒れています。
風が冷たいです。
微妙な栄えぶり、が、わびしくなります。単に来た時期が悪いんです、きっと。
ここの灯台は、上まで上ることができますが、古いのでいろんな意味でこわいです。眺めは、いいんですけどね。太平洋、向こうはアメリカか?地球は丸く見えません。

しかし、どこが犬吠埼なんだか、よくわかりません。ここか、というところは、波にあらわれています。

看板ぐらいあってもいいのに、とか思っていたら、なぜか海と反対方向のがけの上にありました。

場所、おかしくないか。ホテルの看板のほうが目立っているし。

ここまできたので、ほんとうなら海の幸を地の醤油で堪能し、海を一望する温泉につかり、地酒で一献、といきたかったのですが、なにしろ体調最悪。朝、よくぞ出発してきた、という状態(でもビールのんでますが)。時間もなく、どんどん寂しくなってきたので、あっさりと銚子をひきあげました。
次回は、澪つくし号にのるぞ!(沢口靖子さんが演じていた澪つくしを知っているヒト、まわりに少なくなっているんですが=えっ?もう20年の前の朝ドラなんですか)

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金 - 1月 20, 2006

札幌駅が事件でした!



かえすがえすもC62の雄姿をおがまなかったことが残念でなりませぬ。そんなむかし、蒸機(SLとよぶと怒られた)を追っかけ命がけで写真を撮っていたかた(今では雑誌で生存を確認しています)となんどか撮影行に行っていたのですが(一番の印象といえば大糸線の試運転で火の粉が飛んで畑が燃えたことかな)、おかげで今でも蒸機ときくとわくわくしてしまいます。
たまたま札幌に訪れたこの日、なんと札幌ー小樽間にC11が走るというではないですか。というわけで、わざわざホームまでお見送りに行って参りました。

札幌駅というと、北海道の中心ともいうべき立派な駅であり、高架のホームからは、通勤列車から長距離特急まで各種各方面全道に向けて出発していきます。

そこに蒸機があらわれるわけですから、なんも知らない乗客は驚く、というか知っていても驚くよ。
いくらなんでもふかしすぎなんだよ。サービスなんだか、下手なんだか。

札幌駅は、基本的に線路部分も含め全面屋根がおおているわけですが、ディーゼル列車が来ますから、排気がぬけるように天井が高くなって穴があいているんですよ。でもねぇ、蒸機用じゃないから、もうすごい煙。もうもう。火事ですよ、これ。くさい。しかし、この香ばしい石炭のかほり、懐かしい。いやぁ、たまらん。
出発していくときも、猛烈に煙を吹き出し、ええ、ホームから抜け出す瞬間なんか、ほんと宇宙空間にでも飛び出すんじゃないかっていうくらい。しかし、いいんかいな。

ところで、この列車、「SLクリスマスin小樽」っていうんです。だから、車掌さんはレトロな格好をしているだけじゃなく、サンタさんまで乗っているんです。

は、まあ、いいとして、客車も14系じゃなくて一応旧客だからいいけど、なにも蒸機にあんなにぎらぎらイルミネーションつけなくてもいいんじゃないの?いくらなんでも趣味悪すぎだよ。

Posted at 12:19 午前     Comment 

水 - 1月 18, 2006

銀河線、まもなく銀河鉄道に


旭川から特別快速きたみに揺られ、北見を目指します。この快速、遠軽までは順調にとばします。ちなみに石北本線上川ー上白滝間は、34キロも間があります。かつては、この間にいくつか駅があったようですが、気がつけばこんなに駅間が。しかも上白滝は一日一往復しか停車しませんから、いずれなくなる可能性大。北海道の駅間って、どんどん広がっていくのかもしれません。しかし、34キロって、東京から保土ヶ谷の先、東戸塚の手前くらいまでですからね。
この特快、2両編成で旭川出発時にはざらっとボックスがうまっていたものの、遠軽で多くの乗客が降りてしまいます。列車はここで方向を変え、終点北見まではほぼ各駅停車ですすみます。しかし、わたしが座席を移動し(1両は固定式の簡リク、もう1両は転換シートだったので)網棚の荷物を移していたら、明らかに非常ブレーキと思われる急制動。ととと、なにごとやら。どうも鹿に軽く当たった模様です。この列車、ワンマンなんですが、なぜか旭川から警察官が乗車しており、車内を確認に走り回る警官。物々しすぎです。でも犯罪が多いんでしょうかね。よく見ると監視カメラが車内についているんですよ。さて、鹿のほうは結局見あたらず、無事運行を再開し、定刻に北見へ。

(旭川駅では、札幌行きスーパーホワイトアローと同じホームに停車しています。改札から近くていいんだけれど、ちょっとわかりにくい。それと、こんな極寒の季節にもホームで駅弁を立ち売りしていたのは、すごい。しかし時間が悪く買いませんでした。)

(続きます)

北見って、よく考えたら網走も近いんですよね。そうオホーツク海も近い。よっしゃ、このままオホーツク海を目指すか!って今回はここからふるさと銀河線で南下します。
北見は、人口11万。駅もでかいし、駅前には東急百貨店もあります。閑散としていたけど。いや、町全体か。主要産業は、なんなんでしょうねぇ。どうしてこれだけの人口がこのまちに集まっているのか、よくわかりません。2006年3月には合併してついにオホーツク海までつながりますから、いやぁ、細長い市だわ。
そんな北見と十勝の池田のあいだ140キロを結ぶのが、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線です。開通は明治時代。そして、池田ー網走間の網走本線だったものが、石北本線と池北線にわかれ、国鉄から第3セクターになったもの。そして、2006年4月、廃止が予定されています。


さて、北見発の快速に乗り込みます。車両は1両のみ。乗客は、高校生ら地元のかたが半分、あとは乗りにきた感じのヒトといったところでボックスがうまっています。そうそう、最近、夫婦なんだかカップルなんだか、とにかく女鉄のかたを見かけることが多くなりました。
車窓は、一面白銀の世界。途中抜ける山の中は、動物たちの無数の足跡。あの大きいのはなんだろう、これは鹿かな、などなど気になる足跡。淡々と先へ進んでいきます。
しかし、寒いなぁ。そうなんです、2重窓じゃないからちょっと冷えるんですね。そしてこの沿線は寒いところです。日本で一番しばれる、つまり寒い町が陸別。冬の平均気温が一番低いんだそうです。40度、氷点下ね、になったこともあるっていうんだから。なにせオーロラも見えたというのですから。最近では、ラリージャパンでも知られています。オーロラもラリージャパンも見たいよぉ〜。この陸別から、十勝です。
足寄の駅は、クルマで行ったことがあります。なんかすごく立派でした。もちろん曲は、長い夜。

(足寄の有名人といえば、松山千春兄さん(写真は数年前に事務所を撮影したもの)。そして、鈴木宗男さんです。そうか、鈴木踏切もなくなってしまうのか。このお二人の力をもってしても銀河線は、廃止。せっかくなので、千春さんとドリカムさんに銀河線惜別の歌をきぼんします。しかし、右側の絵、友人に似ているような気がするんだよなぁ。)

このあたりで、先に出発した帯広行きのバスを追い越します。銀河線廃止と引き替えに、高速道路が北見ー足寄間に建設されるという話しもあったような。するといずれこのバスも高速バスという扱いに。というか、北海道で高速がほしい区間といえば、日勝峠だけなんですけど。道東道なんかだれが使ってるん?フル規格でつくらにゃ意味ないで。つうか鉄道はクルマが使えないヒトのためにあるようなものなのでは。

そして、終点は池田。ワインで知られる町で、わたしも以前ワイン城に行ったことがあります。最近は、ドリカムミュージアムもできました。曲は、ドリカムですか?

池田では、あとからくるJRの車両と連結し帯広へ向かいます。ここでは、20分近く停車時間があるのですが、ここからが実に興味深い。
まず、乗客と入れ替わりに乗ってきた係員が精算をはじめます。こちらは、池田駅を散歩しようかなぁと思っていたら、乗客を降ろすとドアが閉められてしまいました。そして列車はまだ時間にもなっていないのに走り出します。ホームから結構離れたところまで移動し、そして停車。つまり、精算しないまま無賃乗車させないからね、ということなんでしょうか。ちなみに精算するととてもきれいなイラスト入りの精算証明書をいただけます。実はこれ、プレゼントの応募券にもなっているのですが、もったいなくて応募できません。
この間、運転士も向きをかえ、こびりついた雪を賢明に落とします。そして、併結する列車が到着すると、銀河線の車両も再び同じホームに戻っていきます。ここからが大騒ぎ。なにせワンマン運転なので、連結するだけではなく幌で貫通させなければいけません。ところが、長時間雪道を走ってきたものだから、幌が凍り付いてしまっています。なかば強引に幌を動かし、さらには専用のてこのような道具まで持ち出し、お互いの幌をつなげていきます。そらぁ、時間かかるわ。なにもそこまでして帯広まで行かなくても、という気がしないでもないんですが。そして、帯広で銀河線の車両は切り離され、30分ほど停車の後、残った車両はさらに滝川を目指して先に進みます。

 
(帯広には何回も来ていますが、滞在時間30分というのは最短。それでもせっかくなので名物豚丼を。とかいいながら帯広で豚丼を食べたことがない(帯広から乗った特急の車内で食べたことはある)。だいたい鉄道で来るのも珍しい。なぜならほとんどマイカーだから、ってなんかへん?でこの豚丼。大きくて厚みがあって美味しかった。グリーンピースは、散らばってしまい隠れています。しかし「ぶたはげ」って、店の名前は・・・。)

Posted at 12:26 午前     Comment 

土 - 12月 10, 2005

文大前駅開業から1年たったが


200410月、富士急にうまれた新駅が都留文科大学前駅です。それから1年、ようやく見に行くことができました。でも、なぜかクルマでいってしまったので、ホームには立ち入ってません。いいのか?まぁ、いいじゃない。


都留文科大学前駅に行くには、R139のバイパスからはいります。都留市内はそんなにかわったという感じはないのですが、この大学と駅との交差点周辺だけは大きく変わった感があります。
交差点から駅までは新しく区画整理された一角。いままで何があったんでしょうか?畑?思い出せません。とりあえず道が新しくできました。
でも、なぜかこの道、まっすぐ駅にむかいません。むしろ遠回り。不思議な空間もあるし。このあたりに用地買収のもろもろがあったんだろうなぁ、ということを感じさせます。
あのぉ、駅どこにあるか、知らないと迷うんですけど。
駅前には、新たに進出してきたスーパーが目立ちます。

駅は、レトロ駅舎揃いの中では、新しい〜という印象。当然ですが。ホームモニタもあるし。グッズも買いやすいし、って関係ないか。
ああ懐かしのリバーサイドがこんなとこから見えるよ、ってどうでもいいはなしですが。

駅から市内を見た図。こんなに山が高かったんだぁ。

それにしても1年たっても不思議なことが解消されていません。
まず、特急の停車駅が都留市からこの都留文科大学前にかわったわけです。

もう文大も通勤圏内だよねぇ、ではなくて、1年たってもバスとの連携がまったくとれていないんです。
もともとそんなもんないに等しかったわけですが、特急停車駅がうつってきていても、道志方面をはじめバスの始発は都留市駅のまま。文大前駅は、駅前にロータリーこそありますが、通過すらしません。
さらに、谷村町駅前にもいるタクシー。これがいないんです。つまり、鶯会館に電車で行こうという場合、あるくしかないんですね。同じ富士急グループなのになんたる連携の悪さ。

それで先に書いた道路の不親切さ。バイパスからもわかりにくいうえに、国道側に行きたくても道がないんですね。おおまわりするくらいなら、十日市場からあるいたほうがはやい、みたいな。十日市場廃止っていううわさもあったようですが、これは廃止できないですよ。

とカルチャーショックを感じつつもあれ?あれ?あれ?と感じることも多い新駅なのでした。こんどは、電車にのって取材してきます。

Posted at 01:04 午前     Comment 

水 - 11月 23, 2005

ありがとう京急700




またひとつ、京急を走り去っていきます。それは、700。2005年11月28日、運行を終了しました。
700は、本当に地味な車両でした。窓が小さくて、座席も少ないから、快特でこれがくると「ちぇっ」と思っていた若かりしころ。しかし、本線上で見かけることが少なくなってからは、「がんばってるがんばってる」みたいに優等列車で走ってくるとうれしくなったものだった。


最後の場となったのは、大師線。ここは、むかしから700のメインの活動場所でもありました。お正月には、干支のヘッドマークをつけ、川崎大師への初詣客を運んでいました。それが、もう、来年の干支を身にまとうことはないのです。これが、700最後のヘッドマークとなりました。

薄緑色の壁に青いシート。ずっとかわらなかったなあ。そして小さめの窓になぜかついている保護棒。なんのためだったんだろう。中間車は、モーターがなくて、はずされていた時期もあったという。コトデンにもいけず、ひっそりと解体されていく。
あまりに地味で模型化されることもなく、個人的には結構好きな面構えだったんだけれど、花形にたつことといえば、正月だけだったんだろうなぁ。
大師線では、目一杯加速することもないので、往年のがんばった走りは思い出せませんでした。

あと4つ扉といえば、800のみ。800の後継ってつくられるんだろうかなぁ。

そうそう、ショックだったのは、600の内装がいつのまにか1000と同じになっているのがあったこと、昼間は見えにくいLED方向幕が京急にも導入されていたこと、デス。

Posted at 11:28 午後     Comment 

金 - 9月 16, 2005

番外編 YS-11にのったぞ


YS-11は、国産唯一の旅客機です。1962年の初飛行以来、40年をこえた現在も日本の空を飛び続けていますが、衝突防止装置だかの搭載の義務化にともない、来年には引退することになります。
現在、日本エアコミューター(JAC)の6機が九州を中心に活躍しています。今回、このYS-11に乗ってきました。


(続きます)


わたしにとっては、はじめての離島空港です。とにかく小さい。一段高いところにある道路から、飛行機が丸見えです。チケットレスで買っても自動チェックインはできません。さらに、ペットボトルの検査は、なんと係員がふたをあけて鼻でかぐというものでした。
さて、機材の準備がおわり、いよいよ搭乗です。滑走路に乗客が散っていきます。やはりYS目当てのかたも多いようで、あちらこちらで記念撮影がおこなわれています。

他の機材のない滑走路にたたずむYSは、意外に大きく見えます。
しかし、ドアにつけられたタラップをあがり機内に乗り込むと、小さいということに気づかさせられます。ちょっと大きなバス、といった感じです。
驚いたのは、網棚がついているということ。これはオープン式なので、いまは、荷物をのせることは禁じられています。座席にテーブルはありません。古いバスについているような丸いワイヤーのカップホルダーが、アームレストについています。当然、オーディオなどはありません。
この網棚に、アテンダントをよぶためにボタンがついています。このスイッチ周りが、とても時代を感じます。


いよいよプロペラがまわりだします。ジェットになれていると、静かなものです。車輪がまわるさままで、見えます。これ、ほんとうに離陸するの、と思うほどのゆったりした感じで、離陸。プロペラ機って、ほんとうに静かにゆるやかにあがっていくんですね。
夕方になっていく太陽に海と山が輝いています。また、くるからねぇ。

日本でもこんな飛行機をつくることができたんだなぁ、ということを感じるとともに、就航から35年以上たっていても、飛行機ってちゃんととべるんですね。意外と寿命がながいものなのだなぁ、と感心感心。現代の機材と違い、かなりマニュアルでの運航を要求されるそうで、まさに機長の腕の見せ所です。
いままで、いろいろな旅を運んでくれた日本の空に一番にあった旅客機YS-11、ありがとう。

鹿児島から乗り継いだのは、対照的に現代的なANAのボーイング777-200。シートにモニタがついている機材でしたが、なぜか、搭乗時しかモニタが稼働していませんでした。JASの777は、現在位置などいろいろ見られたものですが、現在はどうなんでしょうね。明らかにコントローラーがゲーム用で、カードの読み取り機能もついていますものね。イヤホンが、とてもきこえやすく、持って帰りたかった・・・。

Posted at 11:13 午後     Comment 

月 - 4月 18, 2005

走れLRT 万葉線


LRTLight Rail Transitとは、ヨーロッパなどでとくに注目されている新世代の交通システムのことである。平たくいえば、路面電車に近いのだが、超低床の車両を使用し、専用軌道区間をもち高速運転が可能であるなど、既存の路面電車とは違う特徴をもつ。愛知万博では、初めて浮上式リニアモーターカーが営業を開始し注目されているが、一般に新交通システムといわれる方式に比べ、建設費が大幅に安いことも特徴である。
だが、残念ながら日本で実際に導入までこぎ着けた例は、まだないといえる。しかし、縮小がすすむ路面電車が、新たな都市交通の一端を担うべく、LRTとしての可能性を検討する話しは、各地であがっている。環境にも優しいLRTであるが、自家用車が主流をしめ、さらにドーナツ化現象が進む地方都市で広まっていくことは、前途多難であるといわざるをえない。だからといって、せっかく、21世紀まで生き延びた路面電車や鉄路をなくすことが、本当に得策なのだろうか。
(以下、続きます↓ぽちっと)


さて、今日は、高岡まできたので、万葉線に乗ってみることに。この万葉線、昭和23年に富山地方鉄道が開業した路線がもともとのはじまりであり、その後、加越能鉄道に移管し営業されてきたが、2002(平成14)年に第三セクターとして新たなスタートをきったものである。国鉄が民営化時に、またJRが新幹線開業時に、在来線を第三セクターとして移管する例は、多々見られるが、私鉄が第三セクターになるというのは、珍しい。しかし、今後、このかたちは、増えるような気がする。ところで、LRTではない。あしからず。
乗った区間は、高岡駅前から中伏木まで。ちょうど、運行再開して1週間ほどになるアイトラムに乗車することとなった。本音でいえば、旧来の路面電車に乗りたかったのだが、万葉線を担っていくのは、このアイトラムなのである。

超低床式のLRV(Light Rail Vehicle)。真っ赤なボディーに大きな窓、なんとも素敵な外観である。床に段差はまったくなく、2両編成で、座席はクロスシート。バスに乗っているような感じがする。降車ボタンもついているし。
土曜ということもあり、乗客は、こどもや学校帰りの高校生を中心に結構にぎわっている。運転はなんとも豪快。でも、バスより走りは遅い。静かなんだけれど、カーブや単線区間ではポイントもあり、結構がたがたと揺れる。実は、これがくせものだったらしい。2004年の冬に導入されたものの、脱線事故や故障が相次ぎ、しばらく改良のため運転休止していたのだそうだ。車両だけ新しくしても、既存施設の更新も伴わなければならない。これは、大変そうだ。
軌道線内に右折車が進入したりで、とまることしばし。目線が限りなくクルマに近いせいもあり、結構ぎりぎりのところを抜けていく。線路は、途中から大通りをはずれ、路地のようなところをすすむ。江ノ電の併用軌道区間の周囲をのんびりさせたような景色、とてでもいおうか。ホームはなく白線のみで、歩道側(って歩道ないですけど)にバス停のような待合所があるのみ。なぜ専用軌道にならないのだ?と思っていたら、すぐに専用軌道になった。
やはりクルマが多く、郊外に出ると景色もさびしくなる、というのが現状。加越能鉄道のバスも初乗り100円で、基本的に安い。だが、こんどこそ、このアイトラムが事故や故障なく走り続けて欲しいし、やがてLRTになる富山港線にここでの経験が生かされて欲しいと思う。


中伏木からJR氷見線伏木までのあいだに、如意の渡がある。1187年、源義経がわたったという古いいわれがある。渡守に怪しまれるが、弁慶が義経を扇で打ちのめしきりぬけたのだそうだ。そういう古い歴史があるが、現在では地元の足として利用されているようで、船内にはロシア語の注意書きまである。小さな船で振り落とされそう、要注意。ただ、橋の工事が進んでいるようで、そうなれば、この渡しもなくなってしまうのかもしれない。

氷見線は、単行運転。よって、高校生で大混雑である。忍者ハットリ君の絵が名物のぶりとともに描かれていて、高岡の鉄道は楽しいのだが、あのぉ、窓までフィルム貼られていると、せっかくの雨晴海岸の景色が見えにくいんですが。高岡で特急北越には接続していなかった。高岡から氷見だとバスのほうが便利な気もするが、バスもがらがらだったなぁ。

Posted at 11:01 午後     Comment 

月 - 3月 28, 2005

恋路駅にたたずむわたしの気持ちは



いろいろな地名がある。そして、いろいろな駅がある。気になっている駅がある。
そのひとつが、のと鉄道恋路駅だ。
なにせ恋路である。恋かぁ。もう長い間縁がないなぁ。恋路ってどんなだろう。でも、駅にならわたしにでも行くことができる。のと鉄道能登線は、2005年3月31日をもって廃線になる。すると、恋路を見ることすらできない。わたしは、恋路を見に向かった。
(以下、写真多用で続きます)

とはいえ、能登は遠かった。能登空港を使ったならいざしらず、鉄路だけではほんとうに遠い。以前は、急行能登路のような金沢からの直通列車やパノラマ列車であるのと恋路号があったが、今は鈍行のみ。遅い。
しかも、廃線前ということでふだんは単行なのを特別に3両編成をくんだ列車は、東京のラッシュ時のような大混雑。しかもツアー客までのりこんでくるんだから、たまらない。まったく、ツアーくむなら貸し切れよな、旅行会社よぉ。車掌は特別に乗り込んでいるけれど、ワンマン運転だからあけられるドアも限られ、どんどん遅れが増していく・・・。
しかし、面白いのは、いかにもマニアという客だけではなく、中高年のかたがたが目につくこと。それだけ愛されていたんだろうなぁ。


そんなわけで旅情のかけらもない状態でようやくたどり着いた恋路駅。有名な駅だけに、それなりの乗客が降りる。他の無人駅とは違い、立派な待合室(?)もある。でも、高台にあるホームから田んぼをかいしひなびた道路の向こうにつながる内浦のながめは、なかなかよろし。とても気持ちがよい。ただし、山側をみるとスギが花粉をまき散らしている。おいおい。


恋路駅は、1964年に蛸島駅まで能登線が全通したときに臨時駅として誕生。のと鉄道になってから、通年営業になった。

次の列車までまだ少し時間があるので、恋路海岸をあるく。駅から道へつづく緩い階段は緑に覆われていて、これまたなんともいえずよろし。
景色をまったく無視するかのように、鐘があるのでならしてみる。恥ずかしながらひとりでならしたところで、寂しすぎる。当然の事ながら。もっとも、二人でならす勇気があるかときかれれば、ない。いとしこいしなのだ。許せ。ここは、恋路ロマンチックパーク。どこもかしこも恋路である。


岩場をまわり、弓なりに小さく広がる恋路海岸の砂浜をあるく。民宿というかホテルというか、そういうのがあるから、夏はにぎわうのだろう。というか、こんな季節にひとりでくるほうがどうかしている。残念ながら、今日は同じように時間をつぶすヒトビトがいるが。
せっかくなので鳥居をくぐり弁天島にもいってみる。許せ、なんだかわからないけど、許してくれ。旅に出てもきょうは気分がどんどん沈んでいく・・・。ネタをみつけようとすることでなんとか繕ってみる。


碑文によれば、約700年前、木郎の里の助三郎と多田の里の鍋乃は、人目を忍んでこの浜で逢瀬を重ねていたが、鍋乃に想いを寄せる源次が二人の仲をねたみ、助三郎はだまされて深い海から帰らぬ人となり、鍋乃も源次の求愛を断り助三郎のあとを追ったという悲しい恋の物語から、いつの頃からか「恋路」と呼ばれるようになった、とのことだ。
二人は結局この世では結ばれることがなかったわけだが、わたしは、そんな相手もなく恋路からはるかとおいところにいるんだな。ううむ。

Posted at 11:15 午後     Comment 

月 - 2月 28, 2005

さよならさくら。さよならあさかぜ。



2005年2月28日、さくらとあさかぜがそれぞれ最後の旅路にでた。今頃、最後の朝にむけて走っていることだろう。
週末の東京駅は、さくらとあさかぜに乗る客、ブルーの雄姿を見送る客でごった返していた。こんなに旅路を楽しむ客でにぎわう列車を見るのは、初めてである。いつも、がらがらのベッドを満員の通勤電車の客に見せつけていたというのに。そして、そんな姿を見るたびに、遠い地へ逃避したくなる衝動に駆られたものである。

旅の始まりは、東京駅10番ホーム。昼間は踊り子、夜は寝台列車が旅立つ東海道線ホームのなかでも特別なホーム。東北・上越新幹線建設のため、機回し線が廃止され、やや窮屈な感は否めないが、それでもここは別格だ。

寝台特急さくらを見送るひとたちであふれるホーム。すぐわきは、新幹線。この200系もまもなく終演の時を迎えることだろう。さくらは、はやぶさととも九州を目指し、途中鳥栖で切り離しののち長崎へと向かう(余談だけれど鳥栖っていう名前を知っているのは、この駅のおかげ)。

ホームでは、記念の駅弁だけではなく、さよなら記念のサボが販売されていた。なんという商魂。たくましい。しかし、この列車のヘッドマークを盗む輩がいるというのだから、許し難い行為。むかしから、プレート類などを盗むマニアがいたり、写真を撮るのにマナーがないマニアがいるから、困ったもの。鉄なヒトっていうのは、決してマニアじゃないんです。マニアは鉄道を愛していません。鉄は、愛しています。この違い、わかるかな?

プシュー、折り戸が閉まる。滑り出すブルートレイン。
わたしが、乗り込む列車はステンレスの冷たい新型車。湘南電車なんて言葉を過去へ押し込む列車は、自動音声が冷たさを倍増する。次は、113系の番。最後の昭和。散りゆく旅情。113系なんか、思い出深すぎるくらいだから、本気で泣くぞ。

通過するあさかぜ。こちらは下関へ向かうかつてのビジネス特急。闇にブルーの長大編成がテールライトを流しながら溶けていく。

あさかぜは、1956年に登場。20系を使った列車は「走るホテル」と呼ばれ、以来、東海道・山陽本線を走る花形列車として君臨していた。松本清張の「点と線」の舞台にもなった。さくらは、1957年に登場したさちかぜの名称を改称する形で1959年に登場。以来、長崎と東京を結ぶ列車として、活躍。佐世保行きもあったのだが、現在は、廃止。はやぶさと併結して運転されている。
3月からは、はやぶさと富士が併結して運行。東京駅を発車するブルートレインは、あとは出雲と急行銀河のみと、とても寂しい内容に。鉄道ミステリーなんて言葉もなくなってしまうのかなぁ。

思うに、九州方面のブルートレインが廃れていったのは、悪い条件が重なってしまったからなのだろう。
国鉄がJRになり、東日本・東海・西日本・九州と4社をまたがって走る列車は、調整がとりにくいと思われる。
また、利用客減少にとって策がどんどん旅路をつまらなくしてしまったのだろう。もうからないから仕方がなかったのかも知れないが、残念な結果だ。カルテットやシングルといった個室寝台の導入は、よかったが、一番痛かったのは食堂車の廃止。そして、今となっては、車販すらない状況。新幹線よりも割高な料金を払い、時間をかけて移動しようというヒトは、その過程を楽しみたいもの。ただ寝て移動すればいいというものではないのだ。
瀬戸や一部の出雲は、サンライズとして電車化したが、車内がつまらないという状況にかわりがない。
一方、北斗星などの北海道行きは、その先に北海道という魅力的な物件が存在しているということをのぞいても、プラスアルファを提示することで、新幹線や飛行機とは違う選択肢として存在することに成功している(ただ、車両の老朽化は否めないし、東北新幹線延伸がどう影響するかが気になるところ)。

わたし自身、あさかぜに乗ったことはなく、というか、なにせ高かったので乗る機会もなく、いつかは乗ろうと思っていたので残念な限り。いままで、ありがとう、といいたい。久々に、夜行列車のヒトになりたいなぁ。

Posted at 10:40 午後     Comment 

月 - 1月 31, 2005

東京メトロ東西線全線乗車の旅



(開業当時を再現した花電車。でも、帯の幅違うし、メトロマーク消すためのシールがわざとらしいし・・・。そんな開業当時から走り続けた5000系もいよいよ来年全廃となる。)
東西線は、中野〜西船橋間30.8キロを結ぶ東京メトロ最長の路線であり、地下の中央線ともいえる。高田馬場〜九段下駅間4.8キロが開業したのは、昭和39年12月23日。今年で、40周年を迎え、あわせて記念イベントが行われた。これに便乗し、今日は東西線乗ったり降りたり完走の旅のご案内。
(以下、写真多用で続きます)


東西線、千葉側の終着点、西船橋。ここから先、東西線は、東葉高速鉄道に直通するほか、JR津田沼駅まで平日の朝夕に直通運転を行っている。ここで別れた総武線と終点中野で再び出会い、三鷹駅まで直通している。


妙典は、もともと下妙典信号所として開設されていたが、5年前に妙典駅として開業した。東西線内で唯一島式ホーム2本、4番線までそろえる駅である。地下からそのまま地上にうきあがった、そんな感じの駅だ。

今日、運転されたメモリアルトレインは、妙典を出発し、西船橋から折り返し、妙典で快速を待避、途中東陽町に停車し、九段下まで通過。九段下では、引き込み線に入線し、再び妙典を目指し、そして再び折り返し葛西まで運転した。過密ダイヤの中、よくぞこのような特別列車を走らせたものだと頭がさがる。なにより、地下鉄線内を通過するというのは異例のこと。思わず、全区間乗ってしまった。ちなみに駅のLED表示は、「回送」になっていた。



行徳。地上区間の駅の雰囲気は、どこも同じようなもの。


浦安は、ディズニーリゾートの玄関口。このあたりから、徐々に建物が高くなってくる。メトロで唯一快速運転を行っている東西線だが、快速区間で停車するのがこの浦安。でも、もともとは通過駅で、東陽町から西船橋までノンストップだったという。だから、快速が止まるのにホームは対向式のままなのか。

(裏口だからなのかなぜか駅名表示されていない)
葛西は、高架下に地下鉄博物館がある。むかしの銀座線や丸ノ内線の車両やシミュレーターなどがあり、こどもならずとも楽しそうだ。

電車は、西葛西をでるとすぐに荒川中川橋梁をわたって江東区にはいり、高架から地下にもぐり南砂町につく。この荒川中川橋梁は、実は、私鉄一長い橋梁で、海側に橋ができてしまったので眺望がききにくくなったが、かつては海まで望むことができたという。また、日差しに輝くステンレス電車を撮影するポイントとしても知られていた、とか。また、かつて竜巻による脱線事故がおきたのもこの橋梁だった、そうだ。

(駅前にメトロ公認の屋台が出店しています)
東陽町駅は、去年、ホームの拡幅工事が終わった。地下のホームって広げられるんだぁ〜と感心することしきり。
(東陽町駅に飾られた凧。今年は特別に正月から延長。)
この日、近くにある深川車庫が開放され、工場内でイベントが行われた。こういうところって滅多なことでは入れないから、すごくワクワクしてしまう。
(すぐ裏にあるJR関東バスでも車庫を開放することがあります)

九段下の引き込み線は、開業時に整備用に使われていたもの。開業時は、3両編成で運転していた。車両は、竹橋とのあいだに穴をあけてそこからいれたという。地下鉄ってどこから入れるんでしょうね?って、そういうことなのだ。
(引き込み線から九段下方面を望む)

飯田橋でJR総武線と交差する(東西線は地下だが)。神楽坂下にあるこの出入り口は、どう考えてもふつうの商店の一角に無理矢理つくってしまったようで、出入り口の上にあるのは駅名表示板ではなく、となりの文具屋さんの看板の続き。きっともともとは店舗の一部だったに違いない。ビルにあるのはよくあるが、商店にあるのはめずらしい。


神楽坂周辺は、昭和の香りのする静かな住宅地。また、夜は神楽の音がきこえるような井上陽水さんがあこがれたまちでもある。ここから、飯田橋まで続く坂が神楽坂。雰囲気としては、麻布十番に近い、かも。わたしもお近づきになってみたい・・・。


終点は、中野。ふたたび地上に顔をだし、総武線と再会する。


東西線は、メトロの中ではめずらしく目的に向かってまっすぐ走る路線だ。地盤の低い地域を走る古い路線ということもあり、バリアフリー化はかなり遅れている。ようやく車両は、世代交代が完了しようとしている。でも、昭和の香りが残る電車で、昭和の香りを探しにいくというのも面白いもの。今日は、ただただ乗り続けただけだったが、山の手から下町、そして千葉の漁港町までを網羅する路線をゆっくり日にちをかけてまわってみたいものだ。

Posted at 09:59 午後     Comment 


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