Bay City Rollers Japan Tour
 


 
 
 
1976年
1. 12月13日(月) 名古屋・愛知県体育館
2. 12月14日(火) 東京・武道館
3. 12月15日(水) 東京・武道館
4. 12月16日(金) 静岡・駿府会館
5. 12月17日(月) 福岡・九電記念体育館
6. 12月18日(水) 大阪・フェスティバルホール
7. 12月20日(木) 東京・武道館
8. 12月21日(金) 大阪・府立体育館

  
   Vocals, Rhythmn Guitar Leslie McKeown
Drums Derek Longmuir
Lead Guitar Eric Faulkner
Bass Stuart 'Woody' Wood
Rhythmn Guitar Pat McGlynn
 


 
Opening: God Save The Queen (intro:Traditional Song.)

1. Rock 'N Roller
2. Rock 'N Roll Love Letter
3. Bye Bye Baby
4. Don't Worry Baby
5. Don't Stop The Music
6. Maybe I'm A Fool To Love You
7. My Teenage Heart
8. Shanghai'd In Love
9. Wouldn't You Like It?
10. You're A Woman
11. Too Young To Rock 'N Roll
12. Yesterday's Hero
13. Just A Little Love
14. Money Honey
15. I Only Want To Be With You
16. Saturday Night
 
  
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Bay City Rollers初来日のコンサート。1曲目からいきなり、「いえっさま、ろっけんろぉら〜♪」でノリノリなんである。確かこの年は、アルバム“Dedication(邦題:青春に捧げるメロディー)”を引っさげての来日だったと思う。さんざん「口パク」とか揶揄されてたようだが、そこんとこどうなんだろう?(「口パク」疑惑については、ちゃんと反論があります。下記をご覧あれ)。

ロックンロールが商業的成功を収める以前から、アイドルスターは特に綿密な計画のもと、優秀なプロデューサーを迎えて作られており、BCRもその好例だったに違いない。芸能プロダクションのマネージャーは「イギリスのジャニー北川」ことTam Paytonだが、音楽的にはGenesisや10ccを世に送り出したJonathan Kingが手がけていたことは有名な話である。アルバムのプロデューサーはPhill Wainmanといい、70年代はポップロックバンドSweetを、80年代はパンクバンドBoomtown Rats(♪あいどんとらいくま〜んでぃ♪)をヒット路線に乗せた。

80年代にデビューしたHaircut 100のように、進んでアイドルノリを楽しんでいたバンドもあるのだが、BCRの場合、本人たちはどのくらい乗り気でやっていたのかはわからない。路線変更もしたがっていたみたいだが。しかし当時の情緒過剰気味なLeslie McKeownのボーカルは、甘酸っぱいメロディーと60'sテイストのコーラスをてんこ盛りにした楽曲の数々に、見事にマッチしていた。

このライブの選曲は、“Saturday Night”や“Money Honey”のようなヒット曲だけではなく、“Shanghai'd In Love”のようなちょっと意味シンなバラードや、ボサノバ調の“Just A Little Love”も含まれており、バラエティに富んでいる。Beach Boysのカバー“Don't Worry Baby”を演るなら、ついでにアルバム“Dedication”の冒頭を飾るRaspberriesの“Let's Pretend”も入れてほしかったなぁ。

「ロックは不良の聴くもの」という概念がまだまだ定着していた当時は、小学6年生の筆者がコンサートになぞ行かせてもらえるはずもなく、翌年の来日公演にも涙を飲んだのだった。中学校内で集めた「Pat McCglynnを辞めさせないで」の署名は、焼却炉に行くまでにどのようなルートをたどったのだろうか。
 
(Issei)  04年4月22日アップ
 
以下は、BCRの個人サイトを運営していらっしゃるNoblie McKeown様からいただいた「口パク」疑惑に対するコメントです。

問題の「口パク」について、コメントさせていただきます。

当時TV撮影を行う際は、そのBandにあったPA+音響のセットをするのに時間がかかりました。にもかかわらず、人気絶頂期にあった彼らはスケジュールが常におした状態にあり(Tam Paytonの陰謀)、TV撮影のたびにそのようなセットを準備してリハーサルに臨む余裕はとてもなかったのであります。確かにNHK101スタジオで撮られたPat McCglynn在籍時の76年の演奏は、「口パク」でした。MCは生ですが。でもこれがきっかけで、日本国中に不幸な「ライブ口パク」疑惑が蔓延することになったのです。

でも...声を大にして言いたいのですが、「メンバーが演奏できない」というのはまっかっかなウソです。ウワサがピークに達していた1976〜78年にかけての、公式盤とブートレッグがリリースされていますが、明らかに「ナマ」です。聴く人が聴けば、メンバーの癖がよくわかります!

“RollerWorld〜LIVE AT BUDOKAN 1977〜武道館ライヴ1977 ”(日本クラウン・CRCL-4054) というアルバムが、ようやく21世紀になってから発売されました。コレを聴いて、彼らのすばらしさを再認識していただきたい!

NoblieさんのBCRサイトです。
青春のベイシティローラーズ
 
04年5月10日アップ
 

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