その5

 一番危険な役割を買って出たのは、侍女の苺鈴だった。彼女は自分が小狼の身分を教えてから、ふさぎこんだ様子の姫が心配だったのである。警備のものは寺田によってうまく外させてある。苺鈴は、正体を隠した王子を茂みに隠し、自室にこもったままでいる姫を庭に連れ出した。

 中庭の奥にある東屋で、苺鈴は姫に告げた。
「姫さま、私がひき合せたい方がこちらにいらっしゃいます。今から少しの間でいいのです。どうか、その方のお話を聞いて差し上げてください」
 苺鈴が階段を降りると、立ち代わりに黒っぽいマントに身を包んだ人物が入ってきた。そして、マントを払いのけると、驚くさくら姫に向かい、声をかけた。
「さくらの乙女、いえ、さくら姫。こうして、また、お目にかかれてどれほど嬉しいか、貴女にお解りになるでしょうか」
 姫は「あっ」と声を上げたまま、目を見開いている。そんな姫の様子に悲しげな表情を見せる小狼。
「・・・。私のこともご存知だったのですね?」
「初めてお会いした夜、千春殿からお聞きしました。入り江で、存知上げていると、申し上げる事ができなくて、すまないことを致しました。姫と一緒の時間は、ただの一人の人間でいたかったのです」
「貴方が、隣の国の王子だったなんて・・・」
 さくら姫は、その後の言葉が続かなかった。逢いたかった人に不意に出会い、気持ちが高ぶって声にならない。涙が目に浮かぶのも止められない。そんな姫を見て、王子は傍らに跪く。
「お願いです、姫。どうか、泣かないで。誰よりも笑顔が似合う貴女を悲しませてしまう私を許してください。けれど、この気持ちを止めることはできない」
 跪き、うつむき加減で話していた王子は、顔を上げて、さくら姫をひたと見つめる。その真摯な眼差しに、思わず姫も惹きこまれてしまう。
 一瞬のためらいの後、意を決して彼は告げた。
「私は・・・私は貴女が好きです」

 それを聞いた姫は、足元が崩れるような感覚を味わった。よろめいて、椅子に座り込む。どんなにか、嬉しい筈なのに、国のことを考えると少しも喜ぶことができない。
「けれど、私は、貴方の気持ちに応えることはできません」
 姫の沈んだ声に王子は、何かを確かめるように訊いた。
「私をお嫌いですか?」
 さくら姫は、はっとして、ふり返る。
「違います!!ちがい・・・ます・・・」
 そして、また、王子から視線を逸らせてしまった。姫は、相手を嫌うことができないからこそ、苦しんでいるのだった。しかし、王子は姫の真意をはかりかね、無言のまま彼女を見つめている。
「私は、私は・・」
 さくら姫は、想いを告げてしまいたくなる。けれども。
「いいえ、言えません。私のこの想いは貴方に・・・貴方には・・・」
さくら姫は急にふり返ると、小狼王子に駆け寄った。
「どうか、お願い。私のことなど忘れてしまってください。心から無くしてしまってください!」
「姫っ!!」
 涙を浮かべ、駆け去る姫を追いかけようとして、小狼は、侍女に引き止められた。
「待ってください。これ以上、中へ入る事はできません」
 苺鈴に言われ、足を止める。
「姫は、私の事など、なにも思ってはいらっしゃらないのだろうか・・・」

 厭な臭いが漂ってきた、と、思うまもなく、いきなり強風が二人を襲った。東屋を出て、仰ぎ見れば、巨大なドラゴンが大きな翼を羽ばたかせ、今しも姫が消えた庭の奥へと飛んでいく。
「きゃああぁ〜」
「姫っ!!」
 絹を引き裂くような叫び声に、小狼は脱兎の如く駆け出していた。

 

 宮中にドラゴンが現れるおよそ半日以上前、桃矢王子は、見知らぬ森の中の庵の前に立っていた。
 今朝も早い時間から、魔法の石を探して、国境境の森をくまなくしらみつぶしに歩いていた・・・はずだった。

 





その6


 扉には鍵もかからず、軽く音をたてて、内側に開いた。
庵の中は、雑然としたありさまで、古文書や術に使う道具類があちこちに点在していた。その中で、一番に奥の場所だけが異様な光に包まれていた。桃矢は用心しながら、中へ歩みいる。
 小さなテーブルには、更紗の布がかけられ、黒い台の上に一つの石が置いてある。片手にすっぽり乗ってしまうくらいの、丸い少し曇った石だ。
「これが、『魔法の石』なのか?」
「左様でございます」
 突然に湧き起こった女の声に、桃矢王子は身震いする。先程まで誰の気配もなかった石の陰に、髪の長い女の姿がぼぅーと浮かび上がった。
「そなたは、賢者ミヅキか?」
 桃矢の問いに、頷く。そして、微かに腕を動かすと、目の前の石を指し示した。
「いざ、その手に石を取り、真の望みを叶えん」
 その声に操られるかのように、桃矢は石に手を伸ばす。声が途中で男の声に変わり、女の姿も黒髪の男に二重になったのも気がつかずに。
 石は思ったよりずっしりとした手ごたえがあった。よくよく見れば、くすんだと思えたのは、石自体が乳白色だったからで、その中心に小さな炎が浮かんでいる。見つめているうちに炎が段々大きくなり、桃矢の視界一杯に広がった。

『汝の望みは何か。真の願いを言え』
「私の願いは、石の力で国を平和にする事だ。石を我が手に収め、魔力を高めて、国を守ることが望みだ」
 桃矢がそう言ったとき、心の中で別の声が聞こえた。
「違う、今の私の真の願いはさくらだ。彼女を何人にも渡さず、自分の手の中に永遠にしまっておくことだ」
『承知した』

 選択は一瞬で決まった。桃矢が本当のことを知る間も与えず、石はその絶大なる魔法の力を発揮する。彼自身は、石の炎に取り込まれ、なす術もない。黒煙を上げて現れたのは巨大なドラゴンの姿だった。
「見よ、賢者どの。国一番の勇者とて、いかに気高き望みを言ったとしても、その内には本当の願いがある。石はそれを見逃したりはしない。彼は自分の妹姫を選んだようだな」
 黒髪の眼鏡をかけた、細目の男はそう言うとくすっと微笑んだ。
「そのようですね。貴方はそれを知っていて、彼をここへ呼び出したのでしょう?私の姿まで真似をして」
 賢者と呼ばれた女が睨むように言う。彼女はこの黒魔術師と石の封印を争ってすでに長い時間互いに譲らずにいた。しかし、先に彼女の力が弱まったようで、その隙をついて、相手は行動をおこしたのだった。
「私は貴女の予言に打ち勝ってみせる。私はあの王子に倒されたりはしないのだ」

 ドラゴンは城へ向かい、二人の姿は闇に消えていく。辺りは、空間も時間も捻じ曲げられ、新たな場所として出現した。

 

 駆け出した小狼の頭上を荒い息を吐きながら、ドラゴンが飛んでいく。遠目にもその腕の辺りに、人がいるのが解かる。
「私はすぐに後を追いかけます。姫のこと、きっとお助けします」
 駆け寄ってきた苺鈴にそう告げる。今にも立ち去らんとする彼に、城の奥から声をかけるものがいた。
「お待ちください。どうか、私も供に連れていっていただきたい」
 現れた姿を見て、傍らの苺鈴は息を飲む。国一番の賢者ユエが、立っていた。
「ユエ様、ご病気はどうなされたのですか?」
「あれは病気ではない。黒魔術による呪いを受けていたのだ。今まで夢の中で私は奴と戦っていた。それが、昨日より奴の気配がない。私は、夢で啓示を受けたという桃矢王子が心配なのだ」
 苺鈴の問いに、彼は顔に苦痛を浮かべて、答えた。すでに、魔法の石を探しに出発した王子に何かあったのではないかと、胸騒ぎがする。傍らでその様子を見ていた小狼は苺鈴に頷く。
「私は構わない。一刻を争うから、すぐに出かけます」
 ユエは、そこに小狼がいる理由も問わずに、すぐさま、後を追いかけていく。苺鈴は姫とそして今立ち去っていった殿方の無事を願わずにいられなかった。 
 小狼とユエは、それぞれの愛馬に跨ると、寺田たちを待たずに城の外へと走り出した。城門はすでに開け放たれ、寺田の部下たちが続々集結しつつある。城の内部より駆け出してきた馬上の人物を見て、叫ぶものもいたが、たちまち背後に消えていった。
 小狼は、城から少し離れたところで、生い茂った草むらに控えていた配下のものに声をかける。ドラゴンの姿は見えなかったが、曇った空の下、赤黒い煙がたなびいているので、方向がわかった。その方角を目指し、一同はあらん限りの速さで馬を進める。小狼とユエの馬は、中でも俊足で、後ろのものたちにかなり水をあけていた。
「ユエ殿はこの国の賢者どのとか」
 鞍を並べながら、小狼はユエに訊ねた。
「はい。私の師匠はミヅキ殿でした。彼女が姿を消して早幾百年、私は後を継ぐようにこの国の賢者として、王にお仕えしてきました。しかし、近年私は黒魔術の術に囚われ、その責務を果たすことができなかった」
 彼の声は苦渋に彩られている。言葉にはできない闘いがあったのだろうと小狼は思った。ユエのほうも轡を並べて走っている相手が、隣国の王子であることを察していた。茶色の髪をなびかせ、鋭い眼差しでドラゴンの行方を追っている。ユエには、彼の姫への想いがそれとなく伝わってきた。
「貴方はさくら姫を・・・」
 一瞬、相手はユエの目をじっと見る。そして、唇をきゅっと結んだ。
「確かに私はあの方を想っている。しかし、それは望みがないとわかった。だからこそ、姫を救い、彼女の望みを叶えて差し上げたいのだ」
 ユエには、東屋でどんな話がなされたのかは、わからなかった。ただ、決意している様子の小狼が痛々しく目に映り、少しでも手伝ってやりたいという思いに駆られた。 

二人が馬を走らせ、辿り着いたのは、うっそうとした森の中の大きな洞窟だった。羊歯や蔓が引きちぎられ、ぶすぶすと煙を上げている。辺りは、厭な臭いが立ち込めており、先刻までドラゴンがいたらしいとわかる。
「この中にいるのは、間違いない」
 小狼がそういうと、ユエも頷いて、奥を覗き込む。
「静かなようですが、中に入りますか?兵士たちを待たずに」
 小狼は、ユエの顔を思わず見た。姫を助けることしか考えていない目だと、ユエは思った。
「失礼しました。ドラゴンが相手では、と。要らぬ心配でしたな」
「確かに、相手はドラゴンだが、あれは姫に危害を加えるつもりはないらしい」
「というと?」
「未だ、静かなのと、なにやら本物のドラゴンとは思えなかったからな」
 今度はユエが目を瞠る番だった。あの騒ぎの渦中にいて、ドラゴンの正体に気づいていたとは。この王子、噂どおりの魔術師なのかもしれない。
「貴殿は、どう思われていますか?王子の化身とお考えではないのですか?」
 小狼に訊かれて、ユエは自分もそう思っていたことを認め、二人は、洞窟の中へと足を運んだ。
 ドラゴンは傍らに気を失っているさくらの姿を、見るともなしに眺めている。その中に桃矢の意識は殆どない。ただ、大切なものを守るようにして、うずくまっている。
 小狼とユエが近づいて行ったとき、それは眠っているようにみえた。宝物を抱えた子供のように幸せそうにもみえる。
「刺激しないで、姫を救う方法はないだろうか」
「術を使っても構わないなら・・・」
 ユエが訊くともなしに言葉にすると、小狼は懐から護符を取り出し、宝剣を添えて、何事かを唱えた。
「風華招来!」
 一陣の風が巻き起こり、さくら姫の身体をふわりと浮かび上がらせる。そのまま、風は彼女を小狼たちの傍へと運んでくる。
「姫には、なにも危害を加えていないようだな。気を失っておられるだけのようだ」
 ユエが姫の身体を受け止めて、様子を見る。術を解いた小狼も、その愛らしい姿に目をやる。
 二人がホッとする間もなく、周囲に暗雲が立ち込めてきた。ドラゴンが身動きし、その暗い眼を見開く。その脇に黒髪の男が姿を見せた。
「魔術師クロウ・・・」
 ユエはそう言って、言葉をなくした。
『ついに、ここまで来たか。しかし、私は予言は信じない。小狼王子、ユエ。そなたたちはこのドラゴンの正体に気がついておろう。左様、桃矢王子のなれの果てだ。魔法の石を使ったな』
「やはり、そなたが桃矢王子に・・・」
 ユエは唇をかみ締めている。己が力の足りなさ故に、みすみす桃矢王子をクロウの手に委ねてしまったのだから。
『そうとも。王子を連れ出したのは、この私だ。あやつの心の中は、その姫のことで一杯だったからな。スキが多く、造作もなかった・・・』
 クロウは、自分のしたことに満足したかのような笑みを浮かべている。





その7

 ドラゴンは自分の手の中に姫がいないことに気がつくと、突然、烈火のごとく怒り出した。巨体を起こし、炎を撒き散らしながら咆哮する。その凄まじい迫力に洞窟内の岩はひび割れ、小狼たちの頭上にガラガラと落ちてくる。
「ここに居ては、姫さまの身が危険です」
 ユエの声に小狼は頷き、急いで洞窟の中から外へと走り出す。その彼らの後ろから、怒り狂ったドラゴンが猛然と追いかけてくる。
『すべて、ここで朽ち果てるがいい。私はお前たち如きには倒されたりしないのだ!』
 背中にクロウの叫ぶ声を聞きながら、気を失ったままのさくら姫を抱え、ユエは外へ飛び出す。
「このままでは、埒があかない」
 一人呟く小狼の耳に、涼やかなる声がした。
『ドラゴンの急所はいにしえより、喉の下の軟らかいところと決まっている。その他の場所は、ウロコが鋼のごとき硬さにて、並みの武器では歯が立たない』
 ミヅキの声が辺りに凛と響く。その言葉に小狼は宝剣を構え、後ろを振り返る。地響きをたてて追いかけてくるドラゴンに向かって、駆け出した。
「ドラゴンの中には、桃矢王子が!!」
 ユエが叫ぶと、小狼がそれに応えた。
「ドラゴンを倒さなければ、桃矢王子も救えない。魔法の石をなくすことができないのだ!」
 ユエの腕の中で、さくらは身じろぎした。なんだか聞きなれた名前や声がするような・・・。
 自分に向かってくる小狼に身の危険を感じたドラゴンは、怒りに目を赤く光らせている。憤然と突進して、鋭い爪先を振りかざしてくる。その攻撃をかわし、吐きかけてくる炎をかいくぐり、小狼はドラゴンの懐へと飛び込んだ。そして、喉もとめがけ剣を振り下ろした。 


 瞬間、あたりは眩い閃光に包まれ、この世のものとは思えない恐ろしい唸り声が響いた。ドラゴンは忽ち石像と化し、轟音を立てて、倒れこむ。魔術師クロウの顔が悔しさにゆがんでいる。
 茫々たる砂煙が立ち込める。ドラゴンの石像の切れ目から桃矢王子の姿が見えると、小狼は、無事を確かめるために、傍へ寄った。なんとか、隙間から引き出された桃矢王子は、怪我一つなく、意識を失っているようである。ユエに、彼を託し、そう告げた小狼の足元に、ゴトリ音がして、乳白色の小ぶりな石が、転がり出た。
『それが、魔法の石です。しかし、触れれば忽ち触った者の本当の願いを読み取ってしまう』
 ミズキの声が、微かに聞こえる。彼女自身も石の中にいるようだ。
『どんな人間も、その心の中には人に言えない望みがあるものだ。魔法の石は決して、その望みを見逃しはしない。何人も、その心を秘密にしておくこともできないのだ』
 クロウは、ほくそえみながら、事の成り行きを見ている。
「この石が、桃矢王子の心を読み取ったと言うのか・・・」
 クロウやユエが、小狼の足元を見た。石は静かに横たわっている。
「私には、もう、自分の望みはない。姫に想いを伝えたのだから。だから・・・」
 小狼は、何気なく物を拾うように、石を持ち上げた。石は人の手の中にいるのを知り、中心の炎を揺らめかせ始める。
「この石のために、争いが続き、二つの国は別れてしまった。今や、その存在は悪以外の何者でもない。私は姫に誓った。石を無くすと。そして、両国に平和を望むと・・・」
 小狼が語るにつれて、石の中の炎は、輝きを増し始めた。見つめていると、火に心を奪われていく。小狼は、炎を見ながら、さくら姫と初めて出会った夜を思い出す。争いが嫌い、と、言った姫の横顔を。叶えてあげたいと心から願う。姫の願いである、魔法の石の消滅を。
 石は彼の手の中でぶるぶる震え出した。小狼の心の中の、どこにも隙はない。心の奥底まで石のなくなることを祈っている。石の震えは激しくなる。小狼も激しい揺れに我に返り、手の中を見る。魔法の石の表面に一本の亀裂が走った。
 瞬時に何一つ見えなくなり、音も聞こえない。小狼は、光の中に漂っている自分を発見した。
『今こそ、そなたの真の願い、聞き届けよう。私がかつて存在した中で、最初で最後の本当の願いを・・・』
 光の中から声がした。その時、暗闇が急に沸き起こった。
『許さん、石の消滅は許さん!我が魔力の源である魔法の石をなくしてたまるものか!!』
 クロウがうめくような声をあげた。しかし、一度石に入った亀裂は、いくつもの細かいひびとなり、チリチリと音を立てて、石を崩していく。
 
「ユエ・・・さま?」
「姫!?気がつかれましたか?」
 さくら姫は、自分が何故この場所にいて、そもそもユエと一緒にいることが不思議でしようがない。
「一体何が起こったというのですか?」
 さくらの声を聞き、安堵したユエは、口早に説明する。
「姫さまは、庭でドラゴンにさらわれ、ここへ連れてこられたのです。隣国の小狼王子と私が、ドラゴンを追いかけ、今、王子がドラゴンを倒したところです」
 さくらは、小狼の名前にドキリとする。鮮やかに東屋での光景が思い出された。自分に想いを伝えた真剣な眼差し。返事が出来ずにいた自分を見る眼。
「あの人が・・・」
 さくらの表情に翳りが浮かぶのをユエは見逃さなかった。
「王子と何かありましたか?私が病で臥せっている間に。彼は魔法の石を手にしたところですよ?」
「魔法の石?」
 さくらが問い掛けた時、眩い光が辺りに満ちた。そして、魔術師クロウの叫ぶ声も。
 光の中で、クロウの闇とミズキの光が再び戦っていた。
『私がかつて予言したように、貴方はここで倒されるのですよ、クロウ』
『決して、我は死なぬ。そんな小僧如きに倒されたりはしない』
 しかし、魔法の石に幾つもの亀裂が入り、次第に砕け落ち始めると、急速に闇は薄らいでいった。
『私はすでにクロウとの戦いで疲れ果てました。石とともに消えていきます。どうか、小狼どの、新しい世界を作ってくだされ・・・』
 チリチリという音が激しくなり、手の中の石が半分以上崩れた頃、やっと、小狼は、外の世界が見えるようになった。最初に目に入ったのは、驚きで目を瞠っているさくら姫の小さな顔。
 "姫は気がつかれたか。想いを聞くことは叶わなくても、こうして石がなくなって本当によかった
 一歩、ユエと姫の方へ足を出した彼の背後で、唸り声が上がった。
『貴様たちに平和など渡さぬ。こうしてくれよう!』
 振り返ると、クロウが真っ直ぐにこちらへ向かって来る。
『汝の夢は私が砕いてやろう、その魔法の石のように。姫がいなければ、両国はまた争うのだからな』
 驚くべき素早さで、クロウはユエをなぎ払い、その手にさくら姫を抱えた。ユエは強かに頭を打ち、なかなか立ち直れない。
『姫こそ、平和の象徴だったのだな?姫がいなければ・・・』
 杖を投げ捨てた手に短剣を持っている。小狼もユエも助けに近寄ることが出来ない。しかし、二人の背後に、意識を取り戻した桃矢王子が近寄っていった。
「さくらっ!!」
 桃矢がクロウの足を引き倒した。姫は地面に投げ出される。桃矢はさくらを庇おうとするが、力が入らない。
「さくら、早く逃げるんだ!」
「兄上!」
『麗しい兄妹愛だな。そこまで姫が大切なら、二人一緒に片付けて差し上げよう』
 落ちた短剣を拾い上げたクロウが呟く。ドラゴンにされた桃矢は全身疲労困憊して、思ったように動けない。そんな兄を庇うように、さくらは桃矢の前に立ち、にじり寄るクロウを睨んだ。
 クロウの魔力が弱まるにつれ、張り巡らしてあった結界は急速に弱まった。小狼とユエの後を追っていた寺田以下城の者たちは、森の中とばかり思っていたところへ自分の主人たちの姿を見て驚いた。
 まさしく、クロウが王子と姫に襲い掛かり、それを小狼が間に割って入るところだった。
 鮮血が辺りに舞い散った。さくらの眼に苦痛に歪む小狼の顔が眼に入る。
「しゃおらん・・・さま・・・」
「クロウ、お前はもうこの世から消えるべき存在なのだ。魔法の石と一緒に!」
 最後に力を振り絞って、小狼はクロウに刃を向ける。クロウの顔が一瞬諦めを見せた。
 小狼の剣はクロウの身体を貫いた。傍らの石もすでに形を留めていない。細かな砂状となっている。クロウの叫びは風となって砂とともに消えていった。
「これで、平和が来る・・・」
 切られた左肩を押さえ、小狼はその場にうずくまる。思った以上に深手を負ってしまった。自分もそう長くないようだ。
「ユエ殿。貴方にお二人をお預けして構わないだろうか・・・」
「小狼どの、気をしっかりとお持ちください。傷は深くありませんよ?」
 ユエの慰めに小狼は首を振る。
「ユエ殿、慰めは要りませぬ。私の命はあと少しでしょう・・・」
「さくら姫。貴女に会えて本当に嬉しかった。東屋での言葉は今も変わりません」
「小狼さま、それ以上お話すると、お身体に障ります」
 さくらは、荒い息で話す小狼を心配のあまり胸が張裂けそうになりながら、見守った。
「この想いが報われなくても・・・私はいつでも貴女の傍にいます。どうか、悲しまないで・・・その笑顔を・・・もう一度・・・」
 小狼の唇は二度と開かなかった。その目にさくらの姿を焼き付けるかのようにじっと彼女の顔を見て、眠るように息を引き取った。
「なぜ、こんなことに・・・」
 小狼の傍らに、身を投げ出すようにして、さくら姫は座り込む。
「私を守るために死んでしまうなんて・・・」
 小狼のその顔は、ほのかに微笑みすら浮かべている。それが、一層姫の心に悲しみを呼び起こした。
「貴方がいなければ、私の幸せはないというのに・・・」
 さくらの心の中に、初めて出会ったときの小狼の優しい眼が、海辺での真摯な顔が、告白したときの眼差しが、走馬灯のように駆け抜けていった。この世で一番大切だったものをさくらは永遠に失ってしまったのだ。自分の気持ちも知らず、さくらのために身を投げ出して、魔法の石を消滅させた人・・・。優しい笑顔の似合う大切な人を。
「貴方に私のこの想いを伝えればよかった・・・・・・・・・・本当の想いを」
 姫はかすれる声で呟く。傍らにいる誰もが涙を止められなかった。さくらは、小狼の手を握りしめ、自分の頬にあてる。本当に伝えればよかった、あの東屋で。小狼に好きだと言われたあの時に。言わなければ、決して彼に伝わることはないのだ。『忘れてください』と言ったときの驚きに満ちた顔が心に浮かび、胸が痛む。時が戻せるのなら、決して今度は迷わないで言えただろう・・・。そうなれば、どんなによかっただろう・・・。
 その後、両国は今までの行き違いを正し、新たに和平を結んだ。国同士は争いがなくなり、兄弟国となって、末永く平和が続いたという。
 

********************
 

 今日は、私の初めての舞踏会。14歳になったから、社交界にデヴューする。喜んで姉上と来たというのに、会場でたちまちはぐれてしまった私。あちこち姉上を探しているうちに、生垣に髪とドレスの裾を取られてしまったの。困り果てた私のところへ、見知らぬ少年が現れた・・・。
「そのまま、じっとしていて。すぐに、外して差し上げますから」
 初めて会う方だというのに、背中から聞こえるその涼しい声に懐かしさがこみ上げてくるのは、何故なのかしら?傍にいると思うだけで、胸がどきどきして苦しいくらい。思わず、逃げ出したくなって、私は動いてしまったわ。
「あっ・・・」
 彼が小さく声を上げ、手を止めた。振り返ってみれば、私のせいで髪が余計にもつれてしまったみたい。どうしましょう。
「ごめんなさい、私ったら・・・」
「どうか、じっとしていてください。すぐ、終わりますから」
 彼は私が警戒していると思ったよう。なだめるように、手で私を制したの。私は胸の鼓動が苦しいからなのに・・・。自分の顔が赤らんでくるのを抑えられない私。
「ご、ごめんなさい。舞踏会は初めてなので・・・。それなのに、姉上とはぐれてしまったものだから」
「そうだったのですか」
 一瞬、彼の笑う声がしたようだった。不思議に思って顔を見ると、素敵な笑顔をしている。
「舞踏会は初めて、お連れの方とははぐれてしまう・・・私もそうなのです。私たちは似たもの同士かもしれませんね」
「まあ、本当に」
 私が釣られて笑い出すと、彼はびっくりしたように目を見開いたわ。
「どこかで、お会いしたことがありますか?・・・いや、そんな筈はないのに」
 彼は何かを思い出す人のように空を見上げて、そして、首を振ったの。私も、なんだかどこかでお会いしたような気はするけれど、でも、そんなことは、あるはずがないわ。今まで父上以外の男の方とこんな風にお話した事だってなかったのに。
「既視感ですか?」
「そうなのかもしれませんね。ひと目見たときから、貴女に心惹かれ、懐かしい気持ちなのです」
 私の問いに思いがけず優しい微笑を浮かべて彼は答える。その笑顔に胸が締め付けられそうになるほど、切ない気分になる。なぜかしら。
「私も同じです。懐かしくて切ないくらいなのです・・・」
 あなたはだぁれ?でも、ずっと昔から知っている人なのね。だから・・・。


 見詰め合う二人は、今日の舞踏会で一緒に踊る。いにしえの頃、城の大広間で踊ったように。名前はさくらと小狼。身分も国も、二人を縛るものは、もう、なにもない。あるのは、互いを想う気持ちと信頼だけ。


 
おしまい

 


 

  ◇あとがき◇
 時間をかけた割には、普通のファンタジーものになりました(^-^;。本当はハーレクインロマンスを目指していたのに、残念。奈緒子ちゃんはドラゴンが好きみたいなので、これは絶対出そうと決めていました。主役は別ですが、若干(というより、かなり)性格等都合にあわせて変更させていただきました。お気に召さなくてもあしからず。

novel