記念日

Pochi作

 彼が生まれて、一番喜んだのは、父親だった。すでに、4人の娘たちを授かっていたが、やはり、自分の分身ともいえる息子が、内心欲しくて堪らなかったようだ。看護婦が産着に包んで差し出すと、しっかりと抱き寄せて、その寝顔に見入る。
「貴方にそっくりですわ・・・」
 大任を果たした妻が、静かに微笑んでいる。その、誉め言葉に、無条件に喜んでしまう。凛々しい眉が、ピクリと動き、空腹を感じたらしい彼が、泣き出す様も、心躍ってしまった。軽くゆすり上げると、また、うつらうつらと夢の中へ戻っていく。小さなあくびをひとつして。いままでにも、四人の幼子を抱いたのに、どうして、こうも違うのか。いくら眺めていても、厭きることはないように思う。彼の人生でもっとも幸福なときであった。

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「姉上、僕には、どうして父上がいないの?」
 小さい頃から、訊ねれば、決まって寂しそうな眼が自分を見つめた。
 母上に訊いたのは一度だけ。あれは、4っつくらいだったか・・・。
 従姉妹の苺鈴の両親が、俺を見て、『本当に、お父上にそっくりになられて・・・』と言ったとき。なんだか誇らしくなって、すぐに、母上に教えに行ったのだ。
 母上は、話を聞くと、跪いて強く俺を抱きしめられた。記憶の中で、そんなことは、後にも先にもなかったことだから、びっくりしたのを覚えている。何も言わずに、ただ、俺に縋りついていたようだった。何故か、泣いていらっしゃるように思えたのだが、その後どうなったのか、今となっては思い出せない。ただ、何も言わなかった母上の姿が印象に残り、苺鈴の両親の言葉は嘘ではなかったと思った・・・。

 そんなことを思い出したのは、昨日の昼休み。アイツが図工の宿題だから、と、言って、お互いの顔を描いたりしたからだ・・・。

「李くんはお父さん似?お母さん似?」
 人の顔を眺め回して、いきなり何を言い出すんだか。
「父上の若い頃によくにているらしいが」
 俺は人づてに聞いた通りを言う。自分で比べることは出来ないのだから、当然だ。
「へぇ〜、会ってみたいな、李くんのお父さん」
「父上は、俺が小さい頃亡くなった」
「・・・ごめんなさい」
「別に」
 アイツは、急にしゅんとして、本当にすまなそうに言った。俺自身は、父上がいないからといって、何か気の毒なこともないのだが、気になるものなのか・・・。
「本当にごめんね。・・・でも、私と一緒だね」
「何がだ?」
「私はお母さんに似てるんだって。でも、お母さん、小さい頃になくなったから、よくわからないの」
 そう、さらりと言ってのける。アイツの家のことは、父親と兄貴のことしか知らなかった。母親がいないことなど、感じさせていなかったことに、ふと、気づく。
「・・・そうだったのか」
「あ、でも、うちには、いっぱいお母さんの写真あるから・・・李くんとこも?」
 まったく、アイツときたら、遠慮がないというか、いきなり核心をつくというか。日ごろは抜けているのに、こういう時の勘の鋭さには舌を巻く。
「ない」
「ぇ?なんで?」
「いろいろあるんだ」
 殊更ぶっきらぼうに答える。俺にもわからないことを聞くんだから、まったく。
「出来た!」
「もう、できたの?李くん、早い・・・」
「おまえが、遅いんだ」
「待って、行かないで。もう、ちょっとだけ・・・」
 話ばかりしていたのだから、当然だ。描きおわり、立ち上がりかけた俺を引き止め始めた。
「・・さっさと描け」
 図工の宿題でなかったら、本当にさっさと帰るところだが・・・懇願されるし・・・。そんなに泣きそうな顔をすることもないのに。
「ありがと。もうちょっと、ね?あと、顔だけだから・・・」
「顔だけって・・・それ全然描けてないのと同じじゃないか!」
 いくらなんでも、それは遅すぎる。一体、俺の顔を見て、何やっていたんだ・・・大体、顔を眺め回されるのも、気に入らないのに。
「違うの、本当にもうちょっとなの・・・」
「それはちょっとじゃないだろう・・」
「お願い、ほら、もうちょっとでしょ?;」
 アイツは描きかけのスケッチブックを差し出す。でも、どう見ても画面は白い方が多いと思った。
「時間が無いんだ」
 昼休みは屋上でクロウカードの気配を調べることにしているのに・・・。
「もう少しだけ待って・・・ね?ね?」
「仕方が無い・・・」
「よかった、え〜っと、え〜っと・・・;;;」
 憮然と答える俺に、照れ笑いを浮かべながら、必死に鉛筆を動かしている。
「ちゃんと、男前に描けよ・・・」
 癪だから、ぼそっと言ってしまった。こういうところを見ていると、本当にクロウカードの主になる気があるのか?、と、思う。でも、妙に自信たぷっりに『絶対、大丈夫だよ!』なんて言うし、その通りになってしまうのだから、やはり、俺にはない、何かを持っているのだろうか。
 でも、まだ、アイツをクロウカードの主と認めるわけにはいかない。

 結局、ちょっとどころか、昼休み全部を使っても描き終らなかった。

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『小狼!お誕生日、おめでとう♪』
 電話の向こうで苺鈴が大騒ぎしている。相変わらず、元気な声が耳に飛び込む。
『夏休み、帰ってくるんでしょ?もう、いつまでも日本にいるんだからぁ』
「仕方ないだろう?まだ、クロウカードが集まらないんだから・・・」
『そのカードの話も聞かせてもらうから。早く帰ってきてよ?いつなら、来れるの?』
「臨海学校もあるし・・・まだ、決めてない」
『もう、小狼ったら、ちっとも変わってないのね。・・・いいわ、私だって待ってるばかりじゃないから。おーっほほ・・・』
 最後は、意味深な笑い声を残して、苺鈴からの電話は終わった。なんとなく、厭な予感がした。
「小狼さま」
 電話が終わったのを見計らって、偉が声をかけてきた。
「お家の方から、お祝いの品が届いております」
 偉は、小さな箱を手渡してきた。
「え?姉上たちの分はさっき・・・」
「これは、夜蘭さまからでございます」
「母上が・・・」
 毎年母上からは一冊の本が贈られる。古い魔術の本が多い。品物を贈られたのは、7歳の誕生日の宝剣だけなのに・・・。箱は小さく、少し重みのあるものが入っているようだ。
「それと・・・これは私から」
 偉は、一葉の写真を取り出した。セピア色の、古いものとわかる。
「この写真は、唯一、私が取っておいたご主人様との思い出の写真です」
 言われて見ると、中央に見知らぬ男性が何かを抱え、脇に母上が立っている。その前には4人の小さい姉上たちがきちんと並んでこちらを見ていた。
「夜蘭さまは、あまりに悲しまれて、小狼さまのお父様の写真をすべて破棄してしまわれました。これは、小狼さまがお生まれになられた時に、記念に戴いたものです」
 それでは、この父上らしい人が抱えているのは、赤ん坊の俺?
「いつか、小狼さまに差し上げたいと思っておりました。日本で初めて迎える誕生日が相応しいと思ったのです。どうか、毎日の励みになさってください」
 偉の声は穏やかにそう言った。見上げれば、じっと、いつになく真剣な顔で俺を見ている。
「・・・そんな大切なものを、受け取れない・・・」
 俺は、つい、目を伏せてしまった。偉の眼差しが本気だったから。
「いいんですよ。私はこうやってお傍に仕えて、日々ご主人様に似ていかれる・・・。いいえ、貴方様らしく成長される小狼さまを、直に拝見することができるのですから」
 偉は、心からそう言ってくれた。その微笑みは、初めて会ったときと変わらない。本当に有難いのは俺の方なのに。
 偉に礼を言い、俺は写真と箱を持って、部屋へ戻った。

 母上からは、父上が昔使っていたと言う懐中時計だった。
 箱にはカードに祝いの言葉が一言、かいてあっただけだが、時計を見せると、偉は
「それは、ご主人様の形見でございます」
と、ひどく懐かしそうに言った。
 凝った彫り物を施し、銀製のそれは、古さを感じさせないくらい、丁寧に磨き上げられいる。蓋を開けてみれば、針も日本の時刻に合わせてあって、いつでも使えるようになっていた。俺の手には、まだ、大きいが、触れていると心が何か暖かくなる。
 いつもの厳しい母上の顔に、いつだったかの、悲しげな顔が重なった。俺を抱きしめて、泣いているかと思われたときの、悲しい横顔。
 母上は何を思って、これを俺に託したのだろう・・・。とても大切にしてあったことは、ひと目でわかるのに。
 気が付くと、蓋の裏側には、隠し部屋があって、スライドさせると、小さな写真が入っていた。
 若い男性と女性が並んでいる写真。
 母上は、このことを知っていて、俺に渡してくれたのだろうか。若い父上の横では、滅多に見たことの無い母上の優しい笑顔・・・。

 今夜はクロウカードの気配もない。ベランダで、夜の街を眺めながら、今、写真の中で会った父上の顔を思い浮かべる。見覚えがないけれど、鏡の中の俺と似ているようにも思う。いつもは遠い存在なのに、今夜は身近に感じられる。確かに、俺にも父上がいるという存在感。
「アイツは、いつもアイツの母親を感じているのか?」
 不意に、『家にいっぱい写真がある』と言ったときのアイツの嬉しそうな照れた顔が浮かんだ。父と兄に大切にされて、母の不在を感じさせない幸せな少女の顔。
 少しだけ親近感を持った。でも、クロウカードは譲れない。
「この世の災いを起こすわけにはいかないんだ・・・」
 月の無い夜、星々が瞬き、その中を一筋の光が流れた。
 日本で迎えた最初の誕生日は、静かに過ぎていった。

〜一部ミニドラマ「さくらと宿題〜図工〜」参照〜

小狼くんが日本に来て、最初の誕生日ということで

設定はいい加減です(ーー;)