「ライ麦畑」は怖い小説



1951年に発刊された『ライ麦畑でつかまえて』は、五十年を経た今でも、世界で毎年、二十五万部ずつ売れ続けている。

しかしこれほど読者に支持された作家が、今どうしているかというと、1965年6月に「ニューヨーカー」誌に『ハプワース16 一九四二』という短編を発表したのを最後に、ひたすら沈黙を守り続けている。ニューハンプシャーの田舎で隠遁生活(ひきこもりと言っていいかもしれない)を送っており、インタビューには一切応じず、写真も撮らせない。発表こそしていないが、書斎には十数冊の長編小説の完成原稿が積み上げられているという伝説もある。J.D.Salinger(サリンジャー)は、1919年1日1日生まれだから、生きていれば、2003年現在で八十四才になっているはずだ。

 今年2003年の4月に、「ライ麦畑」が、四十年ぶりに村上春樹によって新訳されたので、買ってみた。個人的なことをいうと、『フラニー』と『ゾーイー』以外、サリンジャーとは全く縁遠い自分であった。学生の時、「ライ麦畑」を最後まで読み通せなかった。この物語の持つ切実さが、理解できなくて途中で興味を失ってしまったのだろう。私にとっても、十五年ぶりの「ライ麦畑」だった。

 読んでびっくり。こんなに面白い小説とは思わなかった。ストーリー云々よりも、まず感じたのが文体の軽妙さだ。村上春樹の訳が上手かったせいかもしれないが、ホールデン少年の「言葉の曲芸飛行家」ぶりが存分に表れている。言葉遣いも、五十年前の古さを感じさせることなく、今風に十分楽しめるノリになっている。

後で思ったことだが、これで、この本に村上春樹の解説が載せられていれば、ひょっとすると、今年のベストセラー本にまでなっていたかもしれない。それくらい、この作品の本当の理解のためには必要な解説に思えた(その解説は、作品に関する対話も含め、村上春樹・柴田元幸共著の翻訳夜話「サリンジャー戦記」載せられている)。

「ライ麦畑」がサリンジャーの自伝的小説であり、戦争帰りの自らの神経衰弱という精神的危機を治癒するために、自助するためにこの小説を書き、その解答を自らの人生に当てはめてしまったという事実。ホールデン少年との軽妙な会話の裏に隠れているこの作品の持つ深さというか怖さは、今の日本の若者というか精神的な危機を抱えている人にとっては、とても人事には思えないものだ。

そういう意味で、五十年前のこの傑作は、村上春樹の新訳と解説を得て、さらに奥行きを増した。若い人には、是非、一読をお勧めしたい。


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