Alfred Hitchcock  アルフレッド・ヒッチコック


 

 1899年8月13日、ロンドン郊外の食料品店に生まれる。厳格なカトリック信者の母親のもと、厳しくしつけられる。四、五歳の頃、警察の留置場に閉じ込められ、そのときのショックで警察ぎらいになる。

 イエズス会の寄宿学校に学び、電信会社の広告宣伝部ついでパラマウントの前身の撮影所に入社。サイレント映画の字幕制作者をへて、映画監督になる。1939年までイギリスで、1940年からはアメリカで、計53本の長編映画を作り上げた。

 フランソワ・トリュフォーが「サスペンス映画の巨匠」であるヒッチコックに長時間にわたってインタビューした内容が収められている「定本ヒッチコック映画術トリュフォー」という本を読んで、改めて、ヒッチコック作品の魅力に気づかされた。

 トリュフォーは、この本の中でヒッチコックを、こんな風に評している。

「彼ほど完璧な映画作家はいない…一本の映画を構成するあらゆる要素を完璧にコントロールし、映画づくりのあらゆる段階に彼自身のアイデアを深くしみこませる…平凡でありふれたシーンを忌み嫌い、すべてが彼の映画では思いがけない異常なイメージに向かってひたすら疾走してゆく…サスペンスを生みだす術は、とりもなおさず、観客をいっきょに<渦中>にひきずりこんで映画そのものに参加させてしまう術なのである…観客の全神経をスクリーンに集中させることこそ、ヒッチコックの駆使する映画の秘術なのだ。」

 私が読んでいて面白かったのは、ヒッチコックの女優の好みが語られている部分。ヒッチコックは、グレース・ケリー、エヴァ・マリー・セイント、イングリッド・バーグマンといった都会的なソフィスケートされた金髪美人を好み、「わたしたちの求めている女のイメージというのは、上流階級の洗練された女、真の淑女でありながら、寝室に入ったとたんに娼婦に変貌してしまうような、そんな女だ。哀れなマリリン・モンローなど、まるで顔中にセックスがベタベタと貼り付けられている」といっている。

この女性の好みは、レイモンド・チャンドラーの小説に出てくるマーロウの相手役の女性と印象がよく似ている。ヒッチコックとチャンドラーは、ハリウッド時代、監督とシナリオライターとして仕事を仕掛けたことがあるが確執めいた関係を残し終わった。女性の好みと仕事の上での関係は、また別の問題なのである。


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