性的快楽を描かれた作品は多くあり、中にはかなり際どいものもあるが、それはどちらかと言うと例外に近い。殆どが美しい文章で描かれており、また、巧みに隠されている(そちらの方がより淫靡といえるかも)。
また、これと関連して他人の侮蔑から受ける快感、いわゆるマゾヒティックな快楽についても、ほとんど何らかの形で作品に描かれている。
美食・美しい服装からもたらされる快楽も多く描かれている。中でも食への快楽と性的快楽がミックスされた小説「美食倶楽部」は印象に残っている。
大正時代の小説家の特徴の一つは、小説家自身が自らの高い芸術性を十分に意識していた点があげられる。谷崎もその一人で、自らの作品を「甘美にして芳烈なる芸術」(異端者の悲しみ)と言ってはばからなかった。
実際にはったりではなく、三島由紀夫に「大谷崎」と言わしめたように、谷崎の小説には高い芸術性がにじんでいる。
一つには、文章の完全なこと。これは永井荷風が指摘した点でもある。有名な日本文学研究家であるドナルド・キーンが、文章の読みやすさで言下にあげたが谷崎であった。谷崎の文章は、江戸時代まで熟成された和漢混合文の魅力を保ちながら、同時に英文法を骨格とする明晰な文章であった。後者においてはともかく、このような二つの要素を兼ね備えた文章を書いた小説家は、数えるほどしかいなかったし、今ではもう丸谷才一氏ぐらいしか思い浮かばない。
二つ目は、多彩な文体で多くの作品を描いたということ。まるで漢文そのものの戯曲「誕生」。ひらがなづくしの「盲目物語」。句読点を省いた連綿と続く文章の「春琴抄」。磨きぬかれた関西弁が妖しさを醸しだす「卍」。秘密の日記を浮かびあがるカタカナ文字で表現した「鍵」「瘋癲老人日記」。谷崎は文体の持つ力を十分に意識し、積極的に活用した小説家と言えるだろう。
三つ目は、古典に深く回帰した作品を多く描いたということ。自らの創造力を過去に遡らせるということは、そこまで遡るだけの能力がなければ到底無理なことなのであって、古典文学さらに言えばひとつの文化への深い理解とその教養がなければ、そのような作品を創造することはできない。
関東大震災の後、谷崎は関西へ移住することになるが、この後、谷崎の作品は、それまでから一変し、古典に深く根づいたものとなる。「吉野葛」から始まり、「盲目物語」「葦刈」「春琴抄」「蓼食う虫」「卍」そして「細雪」と、ほとんど谷崎の代表的な作品といえるものばかりだ。
晩年の谷崎が「源氏物語」の翻訳など、ますます古典への傾斜を深くしていったことは、震災そして敗戦によって急速に崩壊していく日本の古典性と西洋化の波が背景にあったのかもしれない。