何故、ジムは成功したのか?


 1年戦争中に生産が開始され、その後も数多くの派生型を世に送り出した連邦軍のモビルスーツ『RGM−79』ジムは、その平凡な姿形からは、想像できないほどの傑作機であった。もちろん、異論はあると思うが、戦後10年以上にわたって少なくとも実戦レベルで活躍し続けたことは否めず、そのようなモビルスーツは、他に類を見ないことからもジムが、ただの凡庸なモビルスーツでなかったことがお分かりいただけると思う。

 ここでは、ジムの成功したポイントについて解説してみる。

 

ビーム兵器の標準化

 ジムをして連邦軍の主力機となさしめ、ジオン軍のモビルスーツを圧倒させ、又戦後においても主力機〜準主力機となさしめたのがビーム兵器の標準装備化だった。確かに、大エネルギーを必要とし、通常弾頭弾のように連射、面の制圧はできがたく、近接信管を用いることのできないビーム兵器は、必ず直撃させねばならないという欠点も持ちあわせていたが、後年において、ほとんどのモビルスーツの標準装備が、ビーム兵器になったことからもその有効性は疑うところがない。
 

60ミリバルカン砲の有効性

 携行弾数も少なく、命中精度も決して高くない60ミリバルカン砲だったが、近接戦闘の際、自動又は手動で発射された際の威力は凄まじいものがあった。短時間に浴びせられる60ミリ弾頭は、大抵のモビルスーツに重大なダメージを与えることができた。このため、不用意にジムに接近戦を臨んだ多くのジオン軍モビルスーツは、重大なダメージを受け、撃破されることになった。
 

教育型コンピュータの搭載

全ての実戦データを収集し、ジムの機動の最適化を図る機能を持たされたこの自立学習型のコンピュータの搭載によってジムのパイロットは、戦闘中、敵弾回避と攻撃にのみ意識を集中すればよかった。このことは、新兵でもある程度の技量を持ったパイロットと同様に実戦投入が可能であることを意味する。ジオン軍が、パイロット個々の技量に大きく依存せねばならず、ベテランパイロットが失われることによって大幅な戦力ダウンを強いられたのに対し、連邦軍は常に一定レベルのパイロットが投入可能、しかも実戦データの収集によってジムの見掛け上の性能はドンドン上がっていったのとは対照的だった。
 

セミ・モノコックボディーの採用

 ジオン軍が多用したフレーム・モノコック型に比べてきたい重量が増加するという欠点のあるセミ・モノコック構造だったが、装甲部分を多面共通パネル化することによって被弾時の損傷部分を速やかに交換修復することが可能だった。このことは、戦場において損傷機の速やかな戦場復帰が可能であり、実質的な稼働率の向上に寄与した。
 

ブロック構造

 もともと上下分割、脱出コクピットシステムを踏まえた設計がなされたRX−78型を雛型にしたジムは、各種パーツが、部分部分で交換可能だった。このため被弾パーツの迅速な取り換えや、新設計のパーツへの換装も非常に容易だった。最終的に脱出コクピットシステムを廃したジムは、もともと機体内容積に充分な余裕があり、これがブロック構造とあいまって戦後の発展性に繋がることとなった。新設計のジェネレーターや、核融合エンジン、冷却システム、新素材の装甲版、背部ロケット推進システム等、部分毎の無理のない新設計、追加が可能だった。
 

大型シールドの採用

 装甲材と同じ素材を使用したジムのシールドは、実体弾が主要装備のジオン軍に対して非常に有効な防御装備だった。ザクのマシンガン程度であれば最大で10発近くの直撃弾にも耐えることが可能なシールドを装備することは、パイロットの積極性にも随分と影響を与えた。かたや一撃でも撃墜され、かたや10発程度の直撃をものともしないモビルスーツの対戦は、どちらが優位に立てたかは想像するまでもない。

 


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