About RGM-79GMSR01 and 02


 終戦とともに、連邦軍は多数のジオン公国機を接収、調査を行った。その調査の中で、いわゆるゲルググとして知られるMS-14以降も、ジオン軍が、多数の新型のモビルスーツ(※1)をロールアウトすべく研究していることが知れた。後に連邦軍に正式採用されることになったガルバルディβを始めとして、ゲルググでさえ、その改修プランは、連邦軍のモビルスーツ開発技術者を唸らさずには置かなかった。

 つまり、現状正式化しているジム(E、F及びS型)の限界が示唆されたのだ。ゲルググの初期生産型と改修プランのいくつかまでには対処できると結論づけられたが、もしも、戦争が長期化していた場合、登場したであろうジオンの後継機のいくつかに対しては単機戦闘能力において明らかに能力不足であることが認識された。

 それに対する答えの1つとして出されたのが、いわゆるN型シリーズ(ジム・カスタム)である。ジムのコストパフォーマンスを維持しつつ、空間戦闘で最大の効力を発揮させる量産機としてのジムである。これには、後にJ型として知られる高機動性を中心に機体設計が進められたものとN型直系の装甲と機動性のバランスをとった2種に分類されていくことになる。

 そして、もう1つの答え・・・というよりは模索として研究されたのが、アムロ・レイ少尉に見られる抜きんでたエース・パイロット用の機体としてのジムであった。つまり、アムロ・レイ少尉のようなパイロットに、非常に高性能な機体を与えれば、単機、ないしは小数機で多大な戦果を期待できるのでは?と目したのだ。連邦軍軍政本部は、むしろ、量産機の高性能化よりもこの高性能発展型機(※2)の正式採用化を急ぐべし!としたほどだった。しかし、現実問題として軍政本部が、求めるような性能を引き出すためには、既存のスラスターやジェネレーターでは、限界があった。このため、軍政本部は、各軍事産業に対して新型のスラスターとジェネレーターの設計開発を命じるとともに、当座の戦力向上が見込める量産型機の高性能化を推進した。

 次期主力機に搭載されるメインスラスターとして、各社はこぞってその開発に取り組んだ。ジオンから接収した設計図や技術者、短かったとはいえ戦時中に得られたデータや、戦後に実施されたあらゆる試験の結果などから各社が懸命に次期スラスターの採用に向けて開発を進めたが、最終的に選考の対象になったのはアナハイム社のAE-S105とL・R社のSLR-22だった。この2つのスラスターには、それぞれ特徴があった。

 アナハイム社のAE-S105は、既存の技術の集大成というかたちで推力を286トンにまで高め、これを2基搭載することによって572トンという大推力を達成していた。その結果AE-S105は、既存のどんなスラスターよりも大きく、推進剤消費量も大きくなった。これを収めるバックパック(いわゆるランドセル)は、巨大なものになったが、ジムの拡張性は、それをどうにか許容していた。

 一方のL・R社のSLR-22は、推進剤を燃焼させた際のエネルギー交換を極限まで高めるという方向性で設計が進められた。推進剤を燃焼させた際の熱エネルギーの発生を極限まで抑え、より推進エネルギーへの効率の良い変換を目指した。この結果、SLR-22は、最初から1基あたりの推力としては大パワーを得ることが不可能となったが、その解決策としては、コンパクトに設計することによってバックパックに4基搭載するといことで解決を目指した。エネルギー変換効率を追い求めたSLR-22は、L・R社の技術陣がその粋を込めた結果、小型ながら1基あたりの推力としては十分な141トンを達成し、4基では564トンという推力を達成できた。また、開発の方向性からも推進剤消費量が推力の割には低く抑えることが出来た。また、4基のスラスターのノズルを独立させることによってスラスター1基、ないしは2基の不調でも戦闘の続行が可能という点も大きかった。

 結果、0080年の8月の後半の最終決定でジムの高性能化用として採用されたのは、SLR-22だった。AE-S105も無駄になったのではなく、後のGPシリーズとして知られる機体のスラスターの基礎になった。

 ジェネレーターは、N型機に採用されたものがそのまま流用されることになった。スラスターと違い、核融合を利用するジェネレーターの新規開発は、少数精鋭のためにはあまりに無駄が大きいと判断された(※3)からだ。また、機体の再設計に際してはフレーム部は、出来るだけN型ないしはJ型の基本骨格を流用することが要求された。また、最初から地上戦闘の要素は省くことも明記(※4)されていた。

 いくつかの案が提示される中から連邦軍兵器局が、選択したのはJ型を基本骨格にしたプランだった。このプランに対して、兵器局は、以下のような条件を付けた。

  1. 機体重量を50トン以内とすること。

  2. 停止時180度姿勢変換を0.9秒以内とすること。

  3. 推進剤は、全力噴射で30秒を越えること。

  4. 全力戦闘で、稼働時間を15分以上とすること。

  5. 主要部は、初速600m/sの120ミリ砲弾の直撃に耐えること。

  6. 全備状態で、1000m/sの加速を得ること。

  7. 既存のあらゆるモビルスーツを含む機動兵器と対等以上であること。(※5

 こうしてジムという名の元に開発の進められたRGM-79Special Reconstructionは、搭載スラスター決定後から僅か3ヶ月あまりでその基本設計の第1段階を終了した。いわゆるRGM-79sr01である。この01タイプは、4機が生産されて各種のテストが繰り返され、一応、軍政本部の要求を満たしはしたが、その性能は満足できるものとは言い難かった。

 01のテストが繰り返される中、B&BMW社で実用化が急がれていた新型のジェネレーターのプロトタイプが使用可能になった。この新しいジェネレーターの特徴は、廃熱が低く抑えられると同時に小型軽量化にも成功し、既存のジェネレーターの出力とほぼ同等の出力を維持できているというものだった。さっそく、この新型ジェネレーター搭載を前提にした新たな機体設計が開始され、その基本設計は11月に入る頃には終了し、12月の半ばに最初の1機がロールアウトした。

 こうして、ジムの徹底改良型として後にRGM-79sr02として知られる機体は、ようやく完成の域に達した。その性能は

機体重量

49.5トン

全備重量

97.25トン(ビームライフル装備時)

180度姿勢変換

0.885秒

推進剤噴射時間

39.95秒

稼働時間

32分(全力)

加速

1095m/s(負荷55トン時)

というものだった。

 これは、完成の時点で運動性の面で既存の全てのモビルスーツを上回る性能を達成すると同時に、その稼働時間も最大であった。01と同じく4機の試作機が生産され、2機づつがそれぞれの試験運用部隊に配備され、実用評価試験を繰り返したた後、追加生産された4機が、81年2月初旬に実戦部隊に配備された。

 実験部隊でも評価試験が継続されると同時に、実際の戦闘にもRGM-79sr02は、投入された。その最初の交戦は、比較的規模の大きいジオン残党部隊との交戦で、81年2月22日のことだった。モビルスーツ13機を有する有力なジオン軍艦隊を補足した連邦軍は、RGM-79sr02を1機含むJ型主体の攻撃隊24機を送りだした。10分あまりの交戦で、連邦軍は、この部隊を僅か2機の損失で壊滅させた。2倍近くの戦力差ということもあったが、この日、RGM-79sr02は、2機のゲルググタイプを含む4機を撃墜することに成功した。翌々日にも、この部隊の生存者を救出に来たと思われるジオン軍残党部隊を捕捉、この時には4機のザクを2分とかからずに実質RGM-79sr02、1機で撃墜した。このパイロットが、74戦隊で戦時中にエースになったレイチェル中尉だった。

 この後も、レイチェル中尉とRGM-79sr02の組み合わせは、多大な戦果を挙げることに成功したが、結果的には、RGM-79sr02が、8機以上生産されることはなかった。なぜならば、他の部隊に配備されたRGM-79sr02が、レイチェル中尉が示したほどの活躍を示すことなく終わったからだ。その結果、連邦軍のOR部隊は、必要以上に高性能化した機体の配備は戦争経済上好ましくないと判断したのだ。量産化する予定などない、エースパイロット専用機としてのRGM-79sr02のコストは、N型やJ型機に換算するとゆうに2個小隊分を編成出来るほどに達していたからだ。

 この結果、ジムは、その本来の姿である量産型モビルスーツとしての色合いを深めていくことになった。しかし、ジムの有用性が否定されたわけではなく、かえって、ジムの基本設計の優秀性が示されたといえる。

 兵装(新規兵装)

 固定兵装:45mmバルカン砲 頭部に装備、一般的な60mmを改良し、高性能な液体火薬による発射方式に変更することで初速を上げ口径の減少に伴う威力の低減を補うと同時に携行弾数を増加させることに成功した。

 携行火器:PBMG−42 新型の携行ビーム兵器。エネルギーCAPシステムの欠点を改良し、同時に複数のCAPにメガ粒子を充塡しそれを交互に発射室へ送り込むことによって驚異的な発射速度を可能としたビーム火器。一撃あたりのエネルギー量は従来型のメガビーム砲と比較し減少は免れなかったが、その発射速度はその欠点を補ってあまりあるものだった。だが、予想以上に大型化した本火器を運用するには相当な技量が必要とされ、実戦に投入されることはなく、試製兵器のままとされた。


(※1)その多様性が、ジオン敗北の一因であったことは否めないが、開発コンセプトの幾つかにはやはり目を見張るものがあった。
(※2)この時点では、全く新規に機体設計を計画する案はオミットされていた。
(※3)核融合炉の新規開発は、スラスターと比較してあまりに莫大な経費と時間が必要だった。
(※4)地上戦闘に関して、モビルスーツの有効性はあまりにも疑問とされていた。
(※5)この恐ろしくあいまいな表現がジムSR型の容赦ない高性能化につながった。