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 格納庫内は、ジムが2機未帰還になったにも関わらず、信じられないほどの喧騒ぶりだった。帰艦してきたジムの多くが損傷していたことに加え、未組立であったジムを稼働状態にしなければならなくなった為だった。だが、その喧騒はなんとも言えない重苦しい空気を含んでいた。この空気は、格納庫甲板だけではなく、艦橋職員を含む艦隊乗組員全体を押し包んでいた。
 交戦自体は、ジムを2機喪失してなお圧倒的勝利と呼んで差し支えない物だった。
 砲撃戦では、煙幕を展張されてサン・ジュアンとバレンシアの砲撃が有効でなくなる前に1隻を撃沈し、1隻を大破させた。
 モビルスーツ同士の交戦では、9機のザクと交戦し20分余りで5機を撃破した。
 そして、敵は潰走した。
 これに対し味方の損害が、バレンシアの4番主砲の全壊、ジム2機の未帰還であれば、戦術的には完勝と呼んでも差し支えがない。
 それでも、手放しで完勝ムードを喜べないのは、2機の未帰還機を出したことに加え、艦隊からの戦死者を出した事、バレンシアの4番主砲への直撃で実に7名もの戦死・行方不明を出していた事、が大きい。ムサイからの砲撃は、精彩を欠いてはいたが、たった1発の直撃でこれだけの損害を被ったという現実が本当の意味での実戦経験が少ない多くの艦隊乗組員に衝撃を与えたのだ。
 そして、格納庫内では全く別な衝撃が襲いかかった。
 それは、未帰還になったジム7207や7208がもたらしたもではなく、損傷しながらも帰還してきたジム7204号機によってもたらされた。通常の着艦サポートシステムの過半を失いながらも誘導ビームで辛くも帰還してきた7204号機は、頭部から胸部にかけてざっくりとザクの打撃兵器、ヒートホークによって切り裂かれ、よくぞ帰還してきたとだれしもが驚くほどの損傷を負っていた。
 しかし、衝撃を与えたのは、ジムの損傷度合ではなかった。強制開放されたコクピットから転がり出て来たパイロットが撒き散らした大量の血だった。
 無重力の格納庫内でそれは、ぶわぶわと球形を保とうとしながら開放されたコクピットから大量に拡散した。格納庫内の照明を浴びた赤黒い球形はまるで生き物のように表面を波打たせ、あるいは照明を反射させながら格納庫内に広がっていった。
「衛生兵っ!!」
「きゃぁ〜っ!!」
 女性整備兵の悲鳴が上がるのと、整備班の指揮官、ホフステン中尉が叫ぶのはほとんど同時だった。
 モビルスーツを再出撃させる為の必死の補給作業とは異なる作業をはじめる為に衛生班がモビルスーツに駆け寄り、クリーナーで浮遊した血が吸い取られていくなかで、ぐったりしたパイロットが引き摺り出されるのを多くの整備班の兵士が自分たちの作業に平行しつつ注視していた。
 引き摺り出されたパイロットが、格納庫内から連れ出されるまでの間中ぴくりとも動かなかいことが整備班の兵士たちに作業に専念させることを阻害していた。
 そして、永遠に動く事などないと言う事が、深夜になるまでに誰からともなく艦内の全員に伝わっていった。

「予想外でした・・・」
 オペレーターからの報告で艦隊針路上に問題がない事を知らせる報告がなされるのをまってバンデラス中佐は、低い声で言った。
 艦隊は交戦以後、ルナツーへの針路をとっており、既に敵の哨戒圏を抜け安全と目される宙域へと足を踏み入れつつあった。
「なにがだね?」
「はい。3名ものパイロットを失ったことがです」
 やや不機嫌そうなジョリー大佐の声色に話をやめようと思ったが、結局は自分の欲求に素直になろうとバンデラス中佐は決めた。「もっと規模の大きな部隊との戦闘ならばともかく、今回のような小規模な部隊との戦闘でこれほどの損害を出すとは想定外だったものですから・・・」
 バンデラス中佐にとっての哨戒任務とは、安全にことを運べる種類のものだった。任務の性格上、艦隊が遭遇するのは比較的規模の小さな部隊であり、想定する範囲内の敵ならば一蹴出来るはずだったからだ。
 そして、以前の戦闘はそれを肯定していた。
「相手があるのだ、仕方があるまい?」
「しかし、敵は新型機を投入してきたわけではありません。今までと全く変わりのないザクを投入してきたにも関わらず・・・」
「そこだよ・・・」
 ジョリー大佐は、バンデラス中佐の言葉を遮った。
 常にない少し強い口調だったせいで、アスティー曹長をはじめ何人かの艦橋職員が視線をちらりと流してきた。
「ここ何回か、ジオンは我々のモビルスーツに痛い目を見せられている。交戦をするたびにな。少しくらいおつむの血の巡りが悪いやつらでもこれは何かおかしい、なんとかしなければ!と思うだろう?」
「それはそうでしょうが・・・」
「ところが、我々は特に何かを変えた訳ではない。そこに敵のつけ入る隙があったと思う。緒戦での勝利は、モビルスーツのパイロット達にも知らず知らずのうちに驕りを植え付けてしまったのかもしれん」
「その傾向はあったのかも知れませんが・・・」
「その最たるのが私だよ、中佐。あの程度の敵であれば力押しでいけると判断した。雑に過ぎたのだ。その結果が、バレンシアの被弾と3名のパイロット戦死という結果を招いたのさ」
「それは・・・」
 バンデラス中佐は、艦長の自己批判にどう言葉を返して良いものか分からずに言葉を濁した。
「イヤ、良いよ。私は、この事を詳細にレポートするつもりだ。ウィステリア中尉にもこの『敗戦』に関してのレポートを書かせている」
「敵に与えた損害は、我々より遥かに・・・」
 敗戦という言葉にバンデラス中佐は、激しく反応した。声のオクターブが明らかに上がる。
「いや・・・」
 ジョリー大佐も声の調子を変えて再びバンデラス中佐の言葉を遮った。「今回の戦闘は、紛れもなく綻びなのだ。けれど、修復出来る綻びでもある。戦闘報告を綺麗に上げることは簡単だが、それではこの綻びを繕うことは出来ないままだ。そうするには、今度の戦争ではあまりにたくさんの人間が命を失いすぎているのだ。今回の報告を上げることで、1人でも命を救うことに繋がるのなら、それをせねばならない、そう思わんか?」
「はあ・・・そうでありますが」
 バンデラス中佐は、長年にわたって醸成されて来た連邦軍の官僚的体質がこのようなレポートを受け取るのか懐疑的に思ったが、艦長の考え自体は間違っていないと理解出来る程度には常識を失っていなかった。
 それと同時にせっかくの戦闘レポートがマイナス要素を含むことを残念に思う気持ちのほうが少し強かった。しかし、艦長が上級司令部に提出するレポートの内容に関与出来る訳もなく、艦長の思いも固まっているならばバンデラス中佐にできることはなにもなかった。
 ジョリー大佐が、この交戦に関して出した詳報は厳しく今後の対ジオン戦闘に対して気を引き締めなければならないこと明記していた。又、ジョリー大佐の意向を充分に汲み取ったウィステリア中尉の対モビルスーツ戦闘における詳報もジムと現状のビームライフルの組み合わせが絶対ではないことをレポートするものになった。こうして、それなりの戦果を上げはしたけれど2機のジムと3名のパイロットを失った戦闘のレポートは、この時期、ジオンとの戦争の成り行きにある一定の見通しが付き始めた時期のレポートとしては、非常に色彩が異なるものとなった。

 この時のレポートは、それを書いた本人達が思う以上に詳細に検討されることになりその後のジムの装備に関して大きな意味を持つものになった。スプレーガンの前線への重点配備である。
 巡洋艦並の威力を持ち、遠距離からの攻撃を可能にするメガビームライフルを主力装備として強固に推し進める兵器局の一部の意見を封じることになったからだ。絶大な威力を誇るとは言っても攻め寄せてくる敵モビルスーツを阻止出来ないのであればそれは無用の長物でしかなかった。
 連射性、速射性においてはビームライフルに数倍する能力を持ちながら、これまで短射程で威力不足、とはいってもモビルスーツ相手ならば数キロ単位の距離から撃破が可能なのだが、の点を指摘され前線配備をすることが実効性の問題で疑問視されていたスプレーガンが主兵装へと推されていくことになった。
 つまり、大威力のビームライフルではあったが、今回の戦訓では機動性に劣るはずのザクタイプのモビルスーツですら接近を完全に阻止することが難しいことが露呈した。そうした戦闘では、常に直撃を狙わねばならないビーム火器は、接近した敵に対して充分な発射速度を維持出来ないという点で不利である。又、連続射撃を行なった場合、20射程度でジェネレーターの限界点に達してしまうという絶対的な欠点もあった。いかに大威力と言えどもこの発射数の少なさは、規模の大きな戦闘になればなるほど不利であるのは否めなかった。
 そういう意味では、廉価版ビームライフルとでも言うべきビームスプレーガンは、3点連射が可能な上に、発射間隔は既存のビームライフルの半分以下になると共に発射限界数は3倍以上という非常に実戦向きな携行火器に仕上がっていた。そして、廉価版と名が付くようにその生産コストは低く生産性もビームライフル10倍近くにもなっていた。
 今回の戦訓は、大威力によって敵の戦艦すら撃沈してしまえるビームライフルの前線配備を推進する兵器局の一派を一掃してしまうに充分な説得力を持たすことが出来るものだった。そして、それは戦艦は艦対艦戦闘でのみ撃沈されねばならないとする艦隊主義者の猛烈な援護を受けもした。
 曰く、ザクを突破せねばその威力を振るうことも出来ず、混戦になった際には多数のエネルギーアップした機体が出ることが予想出来る、そんな兵器を主兵装とするわけにはいかない。ジムが排除すべきは敵のモビルスーツであり、敵戦艦ではない。敵モビルスーツさえ排除すれば我が艦隊戦力で敵の残存艦艇は充分に叩けるのだから、だった。
 しかし、全くビームライフルの必要性が無くなったわけではなく、オプション装備の一つとして正式配備が決定すると同時に小隊指揮官以上に装備が推奨された。これは、外観によって容易に指揮官機を判別させる目的と共に、優秀なパイロットとビームライフルの組み合わせは、恐るべき戦力として敵に脅威を与えることが出来ると判断されたからであった。

「119が、やられました」
 ソウ曹長が、そう言って入ってきたのは午後も遅くなってからだった。ここのところ、その手の話題は陳腐なものとなりつつあったが、それでもソウ曹長が、チベ級『ラインファルツ』のブリーフィングルームに入るなり第119哨戒艦隊の敗報を知らせたのには訳があった。
 本来ならば、この日の119哨戒艦隊が行った哨戒任務は、108哨戒艦隊、自分たちの哨戒任務だったはずだからだ。『ラインファルツ』の受領に手間取ったことにより119哨戒艦隊が繰り上がって出撃したのだった。
「かなり、手酷くやられたようです」
「どんなふうに?」
 パイロットスーツの前をはだけ、リクライニングさせたシートに浅く腰掛けたリンクス曹長が尋ねる。
「1隻が戦没した上に、旗艦が大破、3番艦も損傷したそうです」
 ソウ曹長は、リンクス曹長の隣へ滑り込みながら大きく肩を竦めて言う。
「で?ザクの方は?」
 シュナイダー大尉が、聞く。
「9機中5機を墜とされたようです。ですが・・・」
「ですが?」
 ですがという言葉に反応してシュナイダー大尉は先を急かした。
「はい、敵を8機中3機墜として、さらに何機かを撃破したらしいです」
 この言葉に全員が、振り返る。
 確かにキルレシオは連邦軍側に軍配が上がってはいるけれど、絶望的なまでの差ではない。連携不足だったとは言え、倍近い戦力で襲いかかって返り討ちにされた自分たちの戦闘結果とは雲泥の差と言わざるをえない。
「指揮官は、確か・・・」
「シュタット少佐です」
 マミ伍長が、すかさず答える。ソロモンに配備されてるモビルスーツ隊の人員配置を隅々まで把握しているのだ。
「・・・」
 シュナイダー大尉は、指揮官の名前を聞いて思わず黙った。
 シュタット少佐は、少なくともシュナイダー大尉の知る限り哨戒部隊のモビルスーツ隊の指揮官で納まるような経歴の持ち主ではなかったはずなのだ。
(いわゆる戦時人事と言うやつか・・・)
 シュナイダー大尉は、ひとりごちた。
 そうひとりごちつつ、シュナイダー大尉は、苦笑を心の中で漏らさずにはいられなかった。自分たちもその戦時人事の渦中にいるからだ。
 だから、艦隊は再編成こそされていたが、自分たちが行うべき哨戒任務に出撃することが叶わない。
 理由は、単純にして明快だった。
 旗艦たる『ラインファルツ』の機関が不調であり、充分な出力をえられないからだ。だから、搭載モビルスーツの新たな補充もされない。当然だろう、出撃予定のない艦隊に不足がちなモビルスーツを優先的に配備することなど有り得ないのは。
 そして、戦時人事のなんたるかは『ラインファルツ』の機関が、引き渡された時から既に不調であり、全速発揮どころか桟橋から離岸することすらかなわなかった事実を見れば小学生にだって分かることだった。
 ジオン軍と言う組織は、2度の交戦で殆どなんの戦果も得られずに損害を重ねた部隊に対してけして寛容ではないことの証だった。もっとも、キシリア隷下の部隊が同様な事態に陥った時に発令される『特殊任務』に比べれば随分とマシな措置ではあったのだけれど。
「少佐の指揮する部隊なら、聞き知った僅かな戦訓を活かすことが出来たのかも知れない」
 単機戦闘にも秀で、それでいて敵情分析能力にも優れる指揮官、少なくともシュナイダー大尉の中の評価はそうだった、そんな少佐であれば僅かに得られた戦訓から少しでも戦闘を有利に運ぶ何かを得ていたのだろうと思えた。
「何とか、少佐の戦闘記録を目にできなものか・・・」
「任せてください!」
 独り言のつもりだったが、それにカイゼル曹長が応える。「伊達にここで変なコネをはびこらせている訳ではないんです」
 そう言うとニヤリと笑ってカイゼル曹長は、ソファーからドアへと身体を流した。

 


つづく