見る者が見れば、それは水澄ましが水面を華麗に舞っているようにも見えるかもしれない。時折、光の尾を引いて虚空をいくつもの点が乱舞する様は、確かにそう見えなくもない。ただ、それが本物の水澄ましと大きく異なるところは2つある。1つは、水澄ましの動きは平面でしかないが、今、目に飛び込んでくる光の乱舞は、3次元の動きで行われている。2つ目、これに比べれば1つ目の違いなどはどうということはない。決定的に本物の水澄ましと違うところ、それは、それぞれの点が殺意をもって乱舞し、実際にそれが可能であるということだった。
 
 後方から、圧倒的な光が流れ込んでくるのと、ジムのモニターの中で識別信号が1つ消えるのは1秒と変わらなかった。
「くそったれっ!これだから新兵は・・・」
 レイチェルは、その識別信号が、2週間前に配属になったばかりの新兵の機体であることを確認する余裕があった。実際に思われている以上に、新兵が戦死する確率は、初めての実戦でもっとも大きい。初めての実戦で興奮するか、萎縮するかしてしまっているせいだ。要領も悪い。この傾向は、何もモビルスーツのパイロットに限ったことではない。歩兵でも戦車兵でも、飛行機のパイロットでもそうだ。極論してしまえば、新兵は死ぬために補充されてくるのだ。「もう、ハルゼイ艦長が、大尉の進言を入れてくれてれば・・・」
 艦長をなじりながらもレイチェルは、自分のジムにまとわりつくように接近してくるザクに、ビームを送り込むのは忘れない。
「チッ!」
 そのザクは、くるりと機体を翻すと、レイチェルの放ったビームをいとも簡単に躱した。そのかわりにザクがレイチェルのジムへと接近する機動も多いに阻害される。それでも、そのザクは接近行動を止めようとはしなかった。ザクは、接近戦を欲しているのだ。
 
 暗礁空域に、不審な艦を発見の報を得たハルゼイ艦長は、1小隊での哨戒を命じた。それに対してドレイク・マクレガー大尉、74戦隊のモビルスーツ隊指揮官、は、全力出撃、つまり2小隊での出撃を要請した。第1小隊は、配属されたばかりの新兵を連れていることが全力出撃を具申した理由の1つだった。しかし、艦隊、旧式軽空母を改造したモビルスーツ母艦とそれを護衛するサラミス級巡洋艦2隻を艦隊と呼んでいいのならばの話だが、を裸にするわけにはいかないとハルゼイ艦長が判断した以上その決断は覆らなかった。
 もっとも、大尉もそれほど強固に意見具申したわけではない。大尉自身も、心のどこかに種別不明とは言っても第3戦闘ライン上に捕捉した船が正規の軍用艦ではないことが分かっている以上、危険は少ないと判断している面もあったからだ。それにただの1隻でもあった。それでも意見を具申したのは、このハルゼイ艦長が退役軍人の復帰組であり、退役時の所属が旧式宇宙巡洋艦『ダナエ』の艦長だったことを思ってのことである。モビルスーツ戦のモの字も知らないような輩が艦長であるということを考慮してのことだ。もっともハルゼイ大佐、退役時そのままの大佐で復帰できたことをいたく喜んでいる、もその点を全く認めていないわけでもなかった。
 結局ハルゼイ艦長が考えを変えなかったために1個小隊きりで出撃した第1小隊(4機で編成される)は、母艦の『ナイル』を出撃すると、互いの間隔を3キロにとった横1列隊形で、所属不明艦の意図を探るために接近を始めた。接近を初めてまもなく相手がジオン公国が建造した傑作貨物船、タイプ22の量産型貨物船であることがジムの識別コンピューターによって認識された。
 そのタイプ22の何の変哲もない量産型貨物船が敵性であることを確認するのは簡単だった。貨物船の第2戦闘ラインを超える辺りでザクが、貨物船の方位から現れたからだ。問題は、その数だった。現れたザクは、6機、新兵のことを考えるならば敵の戦力はザクとはいえ倍だったのだ。
 
 レイチェルの射撃を2度まで躱したザクは、しかし、3度目のビームまでは避けきれなかった。レイチェルの振りかざしたビームライフル、試作品でしかなかったが74戦隊には予備も含めて6機分が支給されていた、の先からツゥッと伸びたビームに搦め捕られたザクは、機体を両断された。予想した核融合炉の爆発は起きなかった。しかし、ザクを撃破したことには間違いがなかった。(2機目・・・)レイチェルは、この戦闘での戦果を声に出さずに勘定した。
 次は?レイチェルは、モニターの中のジムが拾い上げるデータを素早く見渡した。脅威を感じるほど近くにはいなかった。そして、ジムのメガ粒子砲が届く範囲にも。ザクは、後退を始めていた。
 そして、集まれ、の信号。
 レイチェルは、全周囲警戒をしながらマクレガー大尉の識別信号の方へと移動を始めた。ザクは、貨物船、おそらくは武装した仮装巡洋艦だろう、が、脱出できるだけの時間と距離を稼ぐとさっさと後退したのだった。その代償として3機のザクを失うだけの価値が、その貨物船にあったのかどうか?そのことは、当事者であるジオン軍にしか分からないことだった。
 
 マクレガー大尉のもとには、レイチェルの方が先に着いた。小隊を構成するもう1人のパイロット、ケヴィン・スコーラン上級曹長は、いまだ姿を見せてはいなかった。周囲警戒を行いつつレイチェルは、ジムの機体同士を接触させる。
「大尉、曹長は?」
 少なくともレイチェルは、識別信号の消滅を確認してはいなかった。だからといって、スコーラン曹長が生きているという保証はどこにもない。
「機体を損傷させられたので戦闘中に後退を許可した」いつの時点からかは分からなかったが、大尉のジムと2機で戦闘をしていたことになる。もとより新兵のドルノア曹長は、戦力としてレイチェルは勘定に入れていない。ぞっとしない話だ。敵が、本気でかかってきていたらと思うとヒヤリとした。「ドルノアが、撃墜されてしまったよ・・・」
「知っています」
 少しきつい言い方になったかな?とも思ったが、気にしないことにした。どのみち戦場では弱気は禁物だからだ。「脱出は確認できませんでした」
 ジムは、非常に生存性の高い機体だということで講義は受けていたし、実際にジムの装甲の主要な部分は、良く被弾に耐える。しかし、核融合炉が爆発してまでも搭乗員を護れるようにはなってはいなかった。そして、新兵のドルノアの機体は、まさに核融合炉が爆発したのだ。
「だろうな・・・」
 マクレガー大尉は、沈欝な声で応えた。大尉自身も、ドルノア曹長の機体が核融合炉の暴走の中に消えるところを視認していたに違いなかった。大尉にとって初めての部下の損失というわけではなかったが、部下を失うことは、毎回神経に堪えることには違いないはずだった。
 
 戦闘空域から、全周囲警戒を繰り返しつつ発進起点を目指したレイチェルは、マクレガー大尉とともにサラミス級巡洋艦2隻に護られた『ナイル』へと戻ってきた。そして、深い溜め息をつく。
 連邦軍が、去年新しく制定した艦種、モビルスーツ母艦の最初の就役艦『ナイル』は、しかし、どこからどう見てもくたびれた旧式艦でしかなかった。その『ナイル』に、また戻ってきてしまったことが憂うつなのだった。普通パイロットというものは、母艦に戻ってくると喜びを感じるものなのだが、レイチェルに関して言えば、そう感じたことは、まだただの1度もなかった。
 旧式の軽空母、もちろんもともと旧式だったわけではない、それが『ナイル』の前身だった。就役した時には、それなりの存在価値があったし、それは今でもその相対的重要度が変わっただけで皆無になったわけではない。『ナイル』は、その当時5番目が建設中だったサイドの防衛用として建造が計画された『ミシシッピ』級の軽空母の5番艦として就役した。その主な任務は、サイドの防衛用というよりは、反地球連邦の動きを抑止するという意味合いの方が大きかった。それでも、地球連邦宇宙軍の空母として、就役する以上はそれなりの装備を持たされることになった。
 当初、コロニー防衛用の簡易空母として計画された『ミシシッピ』級軽空母は、完成してみると全長225メートル、全幅65メートルの堂々たるものになった。現在でこそ大型の部類には入らない寸法だけれど、就役当時、『ミシシッピ』級より大きな艦は、『ミシガン』級の戦艦しかなかったことからも当時としては巨大だったことが伺い知れる。搭載機数も、艦上攻撃機24機、艦上戦闘機48機という、どこをどう見れば軽空母なのか疑いたくなるようなものだった。実際、各サイドの首相達は、『ミシシッピ』級軽空母のサイド駐留に対して抗議を行ったほどだ。搭載機が、全力出撃を行った場合、コロニーを3つほども廃虚にできるだけの戦力だった。それは、サイド防衛用、いったい何から護るのか?という基本的な問題もあったが、としてはいささか過剰な攻撃力だった。
 連邦軍本部は、痛くこの過剰な攻撃力をもつ空母の完成に喜んだが、いいことばかりではなかった。大型化した『ミシシッピ』級空母の建造費は、当初の予定を大幅に上回ることになり、12隻の姉妹艦を予定していたにもかかわらず、その建造数は、9隻に留まることになった。
 では、なぜこの連邦軍本部を喜ばせた軽空母に戻ってくることにレイチェルが、喜びを見いだせないのか?
 それは、簡単なことだった。年月が、『ミシシッピ』級軽空母を旧式化させてしまったからだ。度重なる搭載兵器の更新、平時であっても兵器というものは更新されていく。そうでなければ軍需産業は、枯渇してしまうからだ。そして兵器の更新は、通常大型化の方向に向かう。用兵側のさまざまな要求を満たそうとすると大型化しなければそれに応えられないからだ。70機もの搭載能力を誇った『ミシシッピ』級軽空母も、度重なる搭載兵器の更新によってその能力を大幅に減ずることになった。3年前の装備改変では、その前年の機関の換装とも相まってその搭載機数は、43機にまで減少していた。それでも『ミシシッピ』級が、現役、たとえサイドの防衛用であったとしても、で有り続けたのはひとえに本級が、余裕を十分に持った大型艦として完成したからにほかならなかった。
 
「少尉、無事帰還おめでとうございます」
 『ナイル』のモビルスーツデッキに収容され、ジムのコクピットから出るといつものように整備班のコックス曹長が、コクピットハッチの脇で出迎えてくれた。コックス曹長は、レイチェルのジム74−12号機の整備班の班長だった。10人1組の整備班がこの『ナイル』には、10組ある。つまり、ジムを10機搭載できる能力がこの『ナイル』にはあった。しかし、実際には8機が戦力として搭載されているだけで、残りの2機は、分解して予備部品の状態で搭載されている。もちろん、緊急時には組み立てて出撃させることも可能だったけれど、そうするためにはそれなりの時間を要した。
「スコーラン曹長のジムは?」
 辺りを見回しながらレイチェルは、尋ねた。
「あっちです」
 コックス曹長が、指をさすより先にレイチェルは、スコーラン上級曹長のジムがどれなのか分かった。
「酷いものね」
 スコーラン曹長のジムは、左脚が、モモの中ほどから喪失していた。既に、手すきの整備班が総出でとりかかって損傷した足を取り外し、予備の脚を取り付ける準備にかかっていた。これで緊急時でも9機の戦力しか運用できなくなったわけだ。
「バズーカー砲の直撃を受けたそうです。さすがのジムもバズーカー砲の直撃にはひとたまりもないようですね」
「戦艦でも撃破できるってジオンがいってるのも伊達じゃないようね?」
 いいカッコしいのスコーラン曹長が、どんなにびびったかと思うと何だか笑えてきそうになった。レイチェルも、幾度か被弾したことがあったが、あそこまで酷く破壊されたことはなかった。
「で、少尉、戦果の方は?」
「聞きたい?」
 与圧の状態を示すランプが、青になったのを確認するとレイチェルは、ヘルメットを取りながらいった。ヘルメットの内側から、流れるように金色に輝く髪が流れ出した。レイチェルは、髪が邪魔にならないように脇の小物入れからスカーフを取りだすと髪を束ねた。髪は、乾燥している。初めての戦闘の時には、髪がべっとりと汗ばんでいたのを思い出す。
「もったいぶらないで下さいよ、少尉。マークを描くのはわたしの楽しみの一つなんですから、ささやかなネ」
 にやにやしながらいうコックス曹長に向かってレイチェルが、右の手の指を2本立てて見せるとコックス曹長は、目を丸くして驚いて見せた。レイチェルの表情から、戦果があがっていることに気がついていたコックス曹長だったが、それが2機だとは思いもしていなかったのだ。
「初めてですね?一度の出撃で2機も墜とすなんて」
 コックス曹長が、驚きを隠さずにいうのにレイチェルは、嬉しそうな笑顔を作った。
「そうよ」
「後1機ですね、エースまで」
 この日2機の戦果を挙げたことでレイチェルの戦果は、4機になり、エースパイロットと呼ばれるには、まさに後1機だった。
 レイチェル少尉が、エースと呼ばれるようになるのは、そんなに遠くのことではないだろうとコックスは予想し、喜んだ。少尉が、腕を上げるということはそれだけ少尉の帰還の確率があがるということにほかならなかった。自分が担当するモビルスーツのパイロットが無事に帰還してくるということは、嬉しいことに違いがない。
「焦りは、禁物よ」
 いいながらもレイチェルは、自分自身でもその日が近いことを確信しているらしく、笑顔を絶やさなかった。
 『第1小隊のパイロットはブリッジへ、繰り返す、第1小隊のパイロットはブリッジへ』
 通信手のシェリル・ラインバック伍長の柔らかい声が、スピーカーを通じて流れてきて2人のささやかな帰還のお祝いに終止符を打った。
「ということだから、整備頼むわよ」
 レイチェル少尉は、そういい残し自分の愛機、パープルピンクと淡いピンクで塗色されたジムをコックス曹長に任せると格納庫を後にした。
 
 ブリッジは、さすがに沈痛な空気に包まれていた。なにしろ、先月、ルナ2で編入されたパイロットを最初の実戦で失ったのだから、ある意味そうなるのは仕方がなかった。
「すまなかった」
 少し遅れてスコーラン曹長と一緒に上がってきたマクレガー大尉が、レイチェルの横に立つのを待って、ハルゼイ艦長は、開口一番にいった。さすがに、スコーラン曹長の顔は青ざめていた。おそらく格納庫脇のブリーフィングルームで大尉に気分を落ち着かせてもらってから上がってきたに違いない。そう、レイチェルが初めて被弾したときのように。
 ジオン軍が、6機のザクを繰り出してきたことはもう、艦長の耳にも入っているらしかった。
 少し離れたところにハミルトン中尉以下、第2小隊の面々も集められていた。李曹長が、口元をにやつかせている。いつもの嫌みな笑いだった。自分以外の誰かが失敗することが嬉しいタイプの陰気な男だった。
「いえ、艦長。艦長のせいではありません。わたしが、うまくジムを展開できなかったせいです」
 マクレガー大尉は、言葉とは裏腹に、だからいわないことじゃない、という表情を顔に出している。表立って批難しないのは、そうすることによって艦全体の士気に影響が出るのを嫌ってのことだ。
(へえ、結構大人じゃない?)
 レイチェルは、少しばかり感心した。伊達に、同じ年で大尉になっているわけじゃないんだと思ったのだ。自分が、小隊長だったらどうするだろうか?思いの丈を全部艦長にぶつけただろうか?それとも、大尉と同じように振る舞えただろうか?
「すまなかった」
 最後に、もう一度詫びると、ハルゼイ艦長は、視線を一度外した。
 自分の作戦指揮が間違っていたことは十分に承知しているらしかった。しかし、退役軍人の復帰組とはいえ、さすがに艦隊を任されているだけあって、すぐに指揮官の顔に戻った。「本艦は、これよりルナ2に一度帰還する。サイド4空域を出て、地球周回軌道を掠めてだ。地球周回軌道は、知っての通り現在ジオン軍の制宙権下にある。モビルスーツ隊は、第1戦闘配備で待機、各員も第2戦闘配備で航行する。各員のいっそうの奮起を期待する、以上」
 ハルゼイ艦長の時代掛かった言い回しに、マクレガー大尉とハミルトン中尉が、敬礼で応え、レイチェル達も敬礼でそれに応えた。
 第1戦闘配備、簡単にいってくれちゃって、とレイチェルはブリッジから降りるエレベーターに体を流しながら思う。確かにモビルスーツパイロットにとっては、苦行だ。ルナ2の制宙権、ルナ2周辺のごくわずかな空域でしかない、まで72時間あまりジムのコクピットに閉じこめられるからだ。もともと居住性を良くしようだとかいう設計思想などがあるはずもないジムのコクピットの中での72時間は、一般に想像するよりもずっと辛いことなのだ。
 それでも出撃があれば、まだましなほうだ。そこには、変化がある。艦隊は、敵に接触しないように運動するのに、レイチェルが願うことはジオンの哨戒網にどうか引っ掛かってくれますようにというものだった。
 
 『ナイル』のモビルスーツ格納庫は、航宙機の格納庫だったものをほとんどそのまま流用している。セイバーフィッシュを43機搭載できた1部2段式の格納庫をそのまま流用しているのだ。したがって主な改装は、モビルスーツ用の冷却装備を格納庫内に増設することと飛行甲板に設置された2基のカタパルトをジムを射出できるようにより大出力のものに取り換えることだけだった。このような簡単な、実際には文面で見るほど簡単ではないが、改装で『ナイル』は、モビルスーツの搭載数だけを見れば充分な能力を持つモビルスーツ母艦として再生したのだ。
 しかし、結局この改装を受けられたのは戦前に火災事故で喪失した『シナノ』を除いても『ナイル』だけだった。
 他の同型艦は、全て開戦から1ヶ月あまりの戦闘で失われてしまったからだ。ただ『ナイル』だけがルナ2で整備点検中だったのだ。
 こうして改装された『ナイル』は、1度に2機のジムを冷却可能であると同時に4機のジムを整備できる整備ハンガーを備えるモビルスーツ母艦として再生された。
 新たに設置されたカタパルトによって2機のジムを同時に発艦させることが可能であり、搭載する8機のジムを全て発艦させるのに5分あれば充分だった。ただカタパルトも型式は、ペガサス級で採用され、後年ほとんどのモビルスーツ運用艦で採用されることになるスタンディングタイプではなく仰向けに寝かせたモビルスーツを射出する仰臥タイプである。
 このようにモビルスーツの運用艦としてはなんとか合格点に達した『ナイル』だったけれど武装面は、船体上面後部に単装メガ粒子砲を1基備えるほかには、連装対空機関砲を6基備えるだけである。また防御面でも、もともと攻撃を受けることなど全く念頭に置かれなかったこともあり商船に毛の生えた程度の防御装甲しか持っていないため、たとえザクでなくとも敵の攻撃を受けた場合の生存性は皆無に近かった。そのためジムの搭載機数を削ってまで装甲の強化に努めたがそれでも十分とは言い難かった。これらの理由により『ナイル』の単艦での行動はどんな状況下であれ不可能だった。これが、決して充分な数のサラミス級巡洋艦が残っていないにもかかわらず『ナイル』には2隻も付けられている理由だった。
 
「もう戻ってきたんですか?」
 ニヤニヤ笑いながらいうコックス曹長に右手の中指を突きだしながらレイチェルは、言い返した。
「第1戦闘配備なのよっ!」
 うんざりした口調でレイチェルは言った。
「聞こえてましたよ。艦内放送で流れましたからね。もう少し、哨戒活動を続ける予定だったはずじゃないんですか?」
「予定は、未定ってね」
「まあ、ありがちですね。でも少尉の機体はまだ冷却が終わるまで少し掛かりますよ。シャワーでも浴びてらしたらどうですか?」
 コックスにしてはいいことをいうと思いレイチェルは、そうすることにした。第1戦闘配備にしても冷却作業中のジムは、緊急出撃などできないからだ。
「そうさせてもらうわ」
 そういうと手にしていたヘルメットをコックスの方に投げて寄越した。
「じゃあ、ごゆっくりどうぞ」
 ゆらゆら漂ってきたヘルメットを受け取るとコックスは、ジムのコクピットにしまい込む。ふと、少尉の方を見るとにやついているのに気がついた。きっといつものようにからかわれるに違いなかった。
「一緒に浴びる?」
 案の上だった。同時に、一緒に浴びれるものなら浴びてみたいと思う。
「少尉、からかわんで下さい」
 いつものようにからかうのに閉口しそうになりながらもいつも通りにコックスは、返した。
「いいじゃない、パイロット用のシャワールームは、男女の区別はないのよ?」
「はいはい、早く浴びてこないと、冷却が済んでしまいますよ」
「分かったわよ、からかい甲斐がないんだから」
 笑いをこらえてそういうとレイチェルは、コックスに背を向けるとポニーテールに結わえた髪をほどきながら格納庫をシャワールームの方へ遊泳していった。格納庫を照らすライトにレイチェル少尉の金髪が煌めくのを眺めながらコックスは、やれやれというように肩を竦めた。
 あのどこか人を食ったようなところさえなければ、本当にいい女なのにな、と思いながらコックス曹長は、レイチェル少尉のジムが再び完璧な体勢で出撃できるようにするためにコクピットの中に潜り込んだ。
 確かに、レイチェル少尉は、何で軍人なんかになったのかが不思議な存在だった。確かに、顔についてはややきつめなところが嫌われることがあるかもしれなかったけれどそれをもって少尉が美人でないというものはいないだろう。万人好みでないにしてもいい女なのだ。確かに今次大戦における人員不足は決して猶予あるものではなかったけれどレイチェル少尉が、軍に志願したのは大戦が始まるずっと前だった。少尉ほどの容貌だったらどこにでも潜り込めただろう、ましてや弁護士の資格も持っているのだ。そんな少尉が、なぜ最前線に放り込まれることが分かっているパイロットを志願したのか?
 そこにどんな理由があるのか?レイチェルのジムの整備主任であるコックスも知らなかった。
(時間が、あれば撃墜マークを描き加えておくか)
 雑多な思いを脳裏に押しやりコックス曹長は、整備にとりかかった。
 
 サイド4空域を離脱する進路をとった74戦隊は、『ナイル』を先頭にし、その後方にYライン展開で『ナッシュビル』と『キョウト』が続く隊形をとると加速を始めた。艦齢20年を越える『ナイル』ではあったが数次にわたる改装、機関換装を含む、で最新鋭のサラミス級巡洋艦にも引けを取らない加速力と最大速力の発揮が可能だった。
 赤外線を大量に放出する加速を大胆に行うことは接敵行動を行うときには戒められるべき行動だったが、いったん加速を始め最大戦速に達した艦隊の捕捉は余程綿密に航路を予測するか、進路上に数個の艦隊を配備していない以上不可能事だった。
 追い付くためには、追い付こうとする相手よりも余程優速でなければならないし、前方から捕捉するにしても電子機器がほとんど用をなさない今次大戦では、敵の予測到達地点を割り出すことは容易ではないからだ。
 サイド4空域を脱した74戦隊は、後方からいかなるジオン艦隊も追随が不可能な最大加速を行うとジオン軍パトロール隊が無数に展開する地球周回軌道に向けて進路をとった。地球周回軌道への遷移を行うまで、もはや74戦隊を阻止できるものはどこにもなかった。