- 『ナイル』の格納庫内は、帰還してきたジムの再出撃準備で大わらわだった。損傷を受けていないジムの冷却作業が急ピッチで進められる一方で損傷した3機のジム、スコーラン曹長、ホンバート曹長、コニー曹長の搭乗機の応急修理も整備班総掛かりで行われていた。もっとも大きな損傷を被ったのは、コニー曹長のジムだった。シールドを半壊させられたうえに、右胸部に被弾したためだ。胸部の装甲は、ザクの120ミリ砲弾を弾き返しはしていたが、その代償に3重ハニカム装甲は、すっかり耐弾性を失っていた。そのため、胸部の装甲をそっくり取り換える必要があった。各部をブロック化してあるとはいえ、その交換は大変な作業の1つには違いなかった。被弾の衝撃で、取り付け部分が微妙にずれていたりするためだ。予め多少の余裕を見てあるとはいえ、設計者の想定通りに変形してくれるわけではないから余計だ。
- しかし、そんなものよりももっと重大な傷を負ったものがあった。
- それは、コニー・アクセル曹長の精神だった。
- 「落ち着いたか?」
- パイロット待機室の1つでマクレガー大尉は、そのアクセル曹長に話掛けた。初めての実戦で被弾したパイロット特有の反応を示すアクセル曹長を見て、マクレガー大尉は、ある意味安心していた。まぐれにでも戦果を挙げるよりはマシだからだ。曹長には、少なくとも慎重さが備わるに違いなかった。もちろんそれは、パイロットとしての自信を取り戻せればの話だったけれど。
- 「・・・」
- マクレガー大尉の問い掛けに頷ける程度にはアクセル曹長は、落ち着いていた。帰還したときには、興奮でレバーから手を自分で外せないほどだったし、呼びかけにもほとんどなんの反応も示さなかったのだ。ヘルメットも待機室に入ってからマクレガー大尉が、脱がせてやったほどだ。
- 今、マクレガー大尉の前に向かい合って座っているのはパイロットではなく1人の少女だった。恐怖に怯えて震えている少女だった。アクセル曹長が、少女のままでいるのかそれとも再びパイロットとして出撃できるのかは、アクセル曹長自身の精神にかかっていた。マクレガー大尉は、ほんの手助けをすることしかできない。
- 「曹長、君はよくやったんだ、分かるかい?」
- 大尉は、スコーラン曹長やレイチェル少尉に話したと同じように優しく語りかけた。どんなにシュミレーターが、進化しようとも実際に戦場にでたパイロットが受ける洗礼は、シュミレーターでは絶対に再現など不可能だった。そして、その洗礼を受けて傷ついてしまったパイロットの心を癒せるのはやはり実戦を潜り抜けたパイロットだけなのだとマクレガー大尉は信じていた。「アクセル曹長、君が経験したことは誰もが経験することなんだ」
- 「ですが・・・」
- うん、喋れるじゃないか?しかも口答えできるんだから大したものだ。マクレガー大尉は、そのことだけでも随分と安心した。
- 「ですが?なんなんだ?」
- 「ジムを壊してしまいました・・・」
- うん、壊したことも理解してるじゃないか。
- 「スコーラン曹長もな」
- 被弾したのが1人だけではないということも分からせてやる必要がある。そう特別なことではないのだ。それを聞いたアクセル曹長は、え?というような表情を見せる。これで糸口はつかめた。「ちなみに、曹長は前の交戦でも被弾してるんだ。つまり2回連続ってわけだ」
- 「本当ですか?」
- 新兵、特に血気盛んな新兵に多いのは、自分の弾が当たって敵の弾が当たらないと思い込んでいるということだ。特にシュミレーターを完璧にこなせるようになった新兵は、ほとんどこれだ。被弾しても、ビィーッ、とブザーが鳴って赤い赤色ランプがともるだけの被弾ではそうなるのも無理はなかった。いっそ被弾したらシュミレーター席で火薬を爆発させればいいとマクレガー大尉は、思う。そうすれば、実戦の怖さの何分の1かは伝わるはずだった。そう、それでも何分の1かだ。味方機を失う恐怖や孤立する恐怖というものは実戦でなければ絶対に味わえないからだ。
- 「ああ、本当だ」
- 「でも・・・」
- もう1つ、いやもっとかもしれない、問題を抱えている様子だったが、それについてはマクレガー大尉は、心当たりがあった。
- 「怖かったんです、死ぬほど・・・」
- やっぱりとマクレガー大尉は思った。死ぬほどではなく実際に死ぬんだといいたかったがそれはいわない。慎重さは身に付けてもらっても構わなかったが、怯えを持ってもらっては困るからだ。
- 「怖いと思うことは、全然普通だと思うが?わたしは、今でも怖い」
- 「大尉が?」
- さも驚いたようにアクセル曹長はいった。戦場で死に直面しているのに平気な人間などいるわけがないということが分かっていないようだ。戦場で恐怖を感じない、確かにその大小はあるにしても、兵士がいるのならば教えてもらいたいものだとマクレガー大尉は、思った。
- 「そうだ、わたしも、少尉も、誰だって怖くないわけがない、戦争なんだからな」
- 少尉もというところは今は多少自信がなかったが、少なくともレイチェル少尉もアクセル曹長と同じ恐怖を一度は味わったことには違いないのだ。だから全くの嘘じゃないとマクレガー大尉は自分に言い聞かせた。
- 「でも、わたしは・・・」
- 「生き残れたってことが大事だ。自分に自信を持て。同じ過ちを繰り返さなければいい」
- そう、今回に限っていえば生き残ったという以外には褒めるべきところは何もない。しかし、生き残ったから学べる。それを次に活かせるかどうかは曹長のセンス次第といったところだ。少なくともルナ2に戻るまでは貴重な戦力の1人である。センスを少しでもいいから持ちあわせていて欲しいものだと思った。
- 「生き残った・・・?」
- 「そうだ、曹長、君は生き残ったんだ」
- 不思議そうにいう曹長の茶色の瞳をまっすぐに見据えてマクレガー大尉はいった。信頼をしているんだぞという気持ちを精いっぱい込めて。
-
- 「少尉、ありがとうございました」
- コニー曹長に対して射撃をしていたザクを撃墜してもらったことに対する礼だった。レイチェルが、狙撃をしていなければコニー曹長は、撃破されていただろうし、自分だってどうなっていたかはしれなかった。2対2と3対2では全然違った結果になっただろうからだ。
- 「気にしなくっていいわ、お嬢ちゃんは?」
- 少尉が、コニー曹長のことを気にかけたのはスコーラン曹長にとっては驚きだった。
- 「大尉が、隣の待機室で落ち着かせています」
- 「ふ〜ん、お腹が空いたわね?付き合う?」
- 結構です、と断ったらいったいどうなるのかを想像しながらスコーラン曹長は、ハイ、と返事した。自分もお腹が空いていたからだ。もっとも、満腹でも付き合っていたことは間違いが無い。
- 「5機目の撃墜おめでとうございます、少尉、エースですね」
- 「まあね」
- 待機室を出て、リフトグリップに掴まりながらレイチェルはいった。掴まると同時に空いたほうの手で髪を束ねているバンダナをほどく。軽くウェーブした金髪が、通路の常備灯に煌めき、スコーラン曹長をどきりとさせる。
- 微かに柑橘系の香りがするのは、少尉の好きなVLの何番だったかの香水のせいだ。
- 「でも、取り逃がしたほうのザクを撃墜したかったわ」
- 「すみません、わたしがもう少し的確な支援機動をとっていれば・・・」
- レイチェル少尉が、1機を撃墜した後、スコーラン曹長は、パニックに陥ったアクセル曹長に後退を命じ、少尉も同時に命じた、少尉と2機で残った1機を挟撃しようとしたのだ。しかし、退避を決め込んでそのための攻撃をしてくるザクを挟撃するのはなかなか骨が折れることだった。
- 「それもそうだけど、あたしも少しむきになりすぎちゃって無駄弾を撃ちすぎたわ」
- 取り逃がしたのは、悔しかったが、半分はビームライフルの発射回数の問題だった。もちろん、スコーラン曹長がもっと腕が良くってコニー曹長がパニックに陥っていなければ撃墜できたのにとは思う。しかし、それを口にするほどレイチェルは、子供ではなかったし、自分の初陣のことを忘れたわけでもないからだ。
- リフトグリップからふわりと重力ブロックへと通じるドア前に降り立った少尉の言葉を聞きながらスコーランは緊張した。腕をうまく使ってスピードを殺さないと、少尉のようにうまく着地できないからだ。
- 案の定うまくいかなかった。少尉が左手でカバーしてくれなければ無様な格好になるところだった。
- 「いつまでたっても下手ね?練習したら?・・・」
- 「は、ハイ。すみません」
- しかし、最終的に追撃を残念しなくてはいけなくなったのは、スコーラン曹長がまともに時限式の発光弾の爆発に飛び込んだせいだった。
- 発光弾だと気がついたときにはどんな機動も間に合わないほど接近していた。まさにその時タイミング悪く、機雷であれば即死していたに違いないほど至近で発光弾が爆発したのだ。機体の損傷はほとんど無かったけれど、前方をセンシングすべき光学探査システムは全てお釈迦になった。同時に、少尉のビームライフルもエネルギーがアップしてしまい、最終的に追撃を残念しなければならなかったのだ。
- 「でも、撃墜したようなものですよね?」
- 「なんで?なぜそう思うわけ?」
- 「だってムサイは、3隻とも撃沈したんですよ?」
- 大尉とラス准尉が1隻づつ、共同で1隻を撃沈したのだ。つまりモビルスーツは、還るべきところを失ったことになる。
- 食堂に入り注文のために少しばかり会話が途切れる。少尉が、ステーキとサラダ、パンを頼み、スコーランも同じものを頼む。本来ならセルフだけれど少尉はさっさとテーブルについた。コック達も、慣れっこで肩を軽くすくめて見せただけだ。
- 「あんたはそこで生きることを放棄するの?」
- 「え、いえ、その努力はします」
- 少尉の向かい側に座りながらスコーラン曹長は、応えた。ジムの帰還システムはあらゆることを想定しており、パイロットが人事不祥、もしくは戦死してさえいても、戻ってくることが可能といわれている。
- 「あんたがするんなら、あれほどの機動をして見せるザクのパイロットがしないはずがないと思わない?」
- そういうレイチェル少尉の目が、きらきら輝いているのに気がついてスコーラン曹長は、少尉があのパイロットの生還を少しも疑っていないのが分かると同時に、また合間見えることさえ信じているのに気がついた。
- スコーラン曹長はというと、シールドで防げたとはいえ、自分を吹き飛ばしてあまつさえ光学探査システムの大半をまさか狙ってやったとは思えなかったけれど破壊するようなパイロットと再び戦場で巡り会うなどということはまっぴらごめんだった。
-
- 「このエリアに接近するものはありません」
- ササキ曹長は、戦場を遠ざかる『ナイル』のオペレーター席で安堵しながら報告した。敵がいなければさっきの恐怖は味わわなくて済む。砲撃戦が続いている間中生きた心地がしなかったのだ。正気でいられたのは、モビルスーツの機動を逐一報告するということを続けていたからだ。もしも、沈黙を強いられていたら、きっと正気ではいられなかったに違いないと思えるのだ。それほど、ムサイのビーム砲撃は圧倒的だった。
- 「進路このまま、ジムの再出撃が可能になるのはあとどれぐらいか?」
- ハルゼイ艦長は、ササキ曹長の報告を聞きつつ、次の事態に備えるべく状況を確認した。ジムを収容して間もない現在、74戦隊の戦力はなきに等しかった。
- 「まもなく2機が発進できます、その後30分おきに2機づつが出撃可能になります」
- トレイル中佐は、当面の危機を脱したと考えていた。少なくとも2機を出せるからだ。
- 「損傷機の修理のほうは?」
- 冷却も大切な作業だったが3機、全戦力の約4割にあたる、の損傷機を使えるようにすることも急務だった。大尉からは、パイロットの1人は使い物にならないかもしれないと聞かされていたが、それでも全機の修理がなった場合7機の戦力になる。5機と7機では得られる安心感が大違いだった。
- 「14号機が、少し時間が掛かりますが、3時間後には全機の発進準備が可能となります」
- 「よろしい、本艦は現在のコースを維持、2時間後に反転し再度哨戒任務に移行する」
- 現在74戦隊は、規定した哨戒エリアから一時的に離れる機動をとっていた。モビルスーツが主戦力の現在、そのモビルスーツが使えない状況下でモビルスーツ母艦を危険に晒すわけにはいかなかったからだ。
-
- この日、74戦隊のほかにジオン軍と接触したのは21戦隊のガーナード戦隊と24戦隊のベタンコッド戦隊だった。21戦隊は、砲撃戦でムサイを1隻撃沈し、モビルスーツ同士の交戦で1機のザクを撃墜し、自らの損害は皆無だった。24戦隊は、逆にサラミスを1隻失い、ジム2機を大破された。つまり、この日1日の損失状況は、明らかにジオン軍に不利だった。連邦軍は、1隻のサラミスを失ったに過ぎなかったのに対し、ジオン軍は、4隻のムサイを失い、6機のモビルスーツを失った。このうち、ムサイ3隻、モビルスーツ5機は74戦隊の戦果だった。
- このことは、各戦隊のパイロットの能力以上にカタパルトによる緊急発進能力の差によるところが大きいと分析されることになる。もっとも、これをレイチェル少尉あたりが知ったらおおいに憤慨することになっただろうが、連邦軍のオペレーション・リサーチ部隊は、バイアスの発生を最低限に抑える分析をした結果、そういった結論に達したのだ。つまり、カタパルトによって緊急発進及び初期初速を得たジムは、そうでないジムに比べてより艦隊から離れた位置で敵を迎撃することが可能になる。この結果、母艦を危険にさらす可能性は減少し仮に突破されたとしても追撃できる時間的余裕もある。
- 後のモビルスーツ運用艦には、より強力で短時間に多数のモビルスーツを発進させる能力を付与されることになっていくのだが、その最初のデータを提供したのは、『ナイル』だった。
- 一方、たった1日で発生した損失の大きさに驚いたジオン軍は、残った戦力の引き上げを命じた。各個撃破されることを恐れたためである。交戦をしなかったパトロール艦隊の司令官の何人かは、それに対して反対を具申したが、ジオン軍上層部は、それを認めなかった。特にパトロール隊1個が全滅、後に搭載モビルスーツ3機が自力帰還したのだが、したことを重視したのだ。ジオン軍は、連邦軍が、ザクを凌ぐモビルスーツを投入してきたことを認めざるを得なくなったのだ。
- 連邦軍は、このようなジオン軍の戦略的判断と自力半分によって一時的にではあるが、地球周回軌道における制宙権を奪取することに成功した。この結果、翌日から実施されたオデッサ作戦を地球周回軌道上から監視されることなく実施することが可能になった。
- 後年、連邦軍の高官、特に地上軍の、は、地球周回軌道上の制宙権などというものはオデッサ作戦に関していえば影響は絶無だった、と語ったものだが、ジオン軍が予備兵力を適切な時と場所に送り込めなかったのは宇宙からの偵察情報が得られなかったためであることは確かな事実だった。また、マ・クベ大佐が、あまりにも速い時期に戦場を放棄したのは、宇宙に戻れなくなることを恐れたためだともいわれている。それに、後世の歴史家が何と言おうと連邦軍が、この時期決して潤沢ではなかったモビルスーツ戦力を地球周回軌道上に出したのは、紛れもなくオデッサ作戦の開始時期に合わせてであったことだけは確かだった。
-
- 74戦隊を始め、地球周回軌道上の制宙権を維持していた部隊が、ルナ2に呼び戻されることになったのは、おおかたの部隊の推進剤が切れようとする11月12日のことだった。『ナイル』に関していえば推進剤タンクを増設されていた関係もあっていまだ1週間以上の作戦行動が可能だったけれど随伴艦の『ナッシュビル』、『キョウト』はそうはいかなかったし、乗員、特にモビルスーツパイロット達は連日の待機任務ですっかり疲弊していたため、願ってもない命令だった。
- この時期に、交代兵力があればその後の周回軌道上の制宙権は連邦軍にあり続けたかもしれなかったが、現実にはそういった余剰兵力は抽出不可能だった。
- 翼13日、ジオン軍のパトロール艦隊が装備の改変、大半の部隊がザクからリック・ドムへの、を終えたうえで地球周回軌道上の制宙権を奪還するために投入されたが、軌道上には交戦すべき相手は既にいなかった。
- この結果17日付けのジオン国内の新聞は『ジオン宇宙攻撃軍、周回軌道上から連邦軍を完全駆逐、連邦軍大損害』というような記事を配信することになった。久しぶりの大戦果にジオン国民や下級の兵士達の士気はおおいに盛り上がったが、現場の兵士達はもちろん、賢明な上級士官達はことの本質を見抜いており戦争の成り行きに対しなお一層危機感を持つことになった。
- 同じ日の新聞が、開戦前、あれほど重要であるといわれたオデッサの陥落に対しては「所要の資源を採掘し尽くしたため、放棄」とだけしか書いておらず、その記事もあまりに扱いが小さかったため、ほとんどの国民は気にも留めなかった。しかし、11月7日から9日まで続いたオデッサの激戦でジオン軍が1000機に近いモビルスーツとともに取り返しのつかないほど多くの戦力を失ったことを知っていた上級将校達にとっては、記事の内容が現実とあまりにも乖離していることもそうだったけれど、なぜこのように記事の扱いが小さいのか?ということや1週間近く経ってから発表されたのか?ということの方がより重大に思えた。しかし、ジオン公国内、特に軍部にあってそのことを表立って口にできるものはたとえ上級参謀であろうと皆無だった。
-
- 「一時はどうなることかと思いましたよ・・・」
- ソロモンの軍令部からノーマン中尉が出港した艦隊が全滅したという知らせを聞いたときにはカディス船長の目の前は真っ暗になったものだ。それから3日あまり、ノーマン中尉が、生還したことを聞いて2度驚いたわけだ。「足は、ついてるようですな?」
- 中尉だけの生還ということには何をか言わんだったが、ここは中尉だけでも生還したことを喜ぶべきだった。
- 「あれしきの、といいたいところですがこのお嬢さんがいなければMIA扱いになっているところでした」
- そういってノーマン中尉は、後ろを振り返った。お嬢さんと呼ばれて多少顔をしかめながら立っている少尉を見てカディスは、初めて身近で女パイロットを見たと思った。世間では随分と女パイロットが増えていると聞かされていたが、カディス船長にとっては初めてだった。
- 「少尉殿の?わざわざ命の恩人を紹介、というわけですか?」
- カディス船長は、笑いを堪えながらいった。どういった理由でかは別にして女兵士に助けられたとなるとさどかし中尉は悔しい思いをしたことだろうと思えたからだ。それにしても、その後ろの憮然とした愛想のない軍曹はいったい?と思う。
- 「ハンナ・ブラウン少尉です、彼はビクター・バンクロフト軍曹です」
- かっこうよく敬礼をする少尉を見てカディス船長は、ジオン軍の制服というものが美人向けにデザインされていることを確信した。きりっとした黒い瞳にすっと伸びた鼻筋と高い鼻、肩ほどまでのブルネットの髪の緩いウェーブがよく似合っている少尉の顔立ちは、パイロットにしておくのはもったいなかった。同時に自分にも娘がいたらこれぐらいな年頃だと思うと妙な感じもした。
- それに反して軍曹の方はというといかにも悪人面で鬼軍曹という言葉がぴったりときそうだった。愛想のない軍曹がこの時だけは顔に笑みらしいものを浮かべた。引きつりといったほうが近いかもしれなかったが、軍曹にしてみれば精いっぱいなのかもしれなかった。
- 「今日からこちらでお世話になることになりました」
- 「え?」
- ここは、船長らしく何かをいえばよかったに違いないが、予想しなかったことにただ驚いて声をなくしてしまったのだ。良く考えれば、ただ紹介するためだけに連れてくるわけがなかった。
- 「そういうことなんですよ。聞いたと思いますが、わたしの出向した艦隊はムサイごと全滅したんです」
- 今度は、少尉が笑いを堪える番だった。船長は、自分の船に女性が来るなんてこれっぽっちも思っていなかったに違いない。思った通りに驚いてくれたのが可笑しかった。同時に見知った顔に会うということはこんなにも気分を明るくしてくれるとも思う。正直、この何日かは辛いことばかりだった。信頼できる部下を2人もいっぺんになくし、自分もどうにかすると漂流したまま命を失うところだったのだ。
- 「ええ、聞いています」
- 指先で『オルベスク』の停船している桟橋がこっちなのか?と聞いた中尉に、ええそうです、と目線で応えながらカディス船長は歩き始めた。
- 「部下を2人とも失ったわたしは・・・」
- さすがに辛そうに中尉は話した。2人は、ベテランだったし、中尉との付き合いも先に戦死した3人のパイロットよりも随分と長かったからだ。「原隊に復帰しろといわれても1人じゃ、通商破壊も偵察もできませんといったんです、そうしたら、この2人を転属させようと、こう来たわけです」
- 「じゃあ彼らは、本当にオルベスクの新戦力ってわけですか?」
- ソロモンにしては随分気前のいいことだと驚きながら後ろからついてくる2人を振り返った。別にどこかこれといって落ちこぼれのようには見えなかった。憮然とした軍曹も見ようによってはふてぶてしくて肝が据わったように見える。
- 「体のいいお払いです。艦隊を守れないようなパイロットはいらないというわけです」
- そういったのは、ハンナ少尉だった。
- 「少尉は、わたしが出向した先のモビルスーツのパイロットだったんですよ」
- 軍曹が、憮然としている意味がようやくカディス船長にも理解できた。通常の任務についていたパイロットにとって仮装巡洋艦戦隊とは全くの左遷だからだ。「そういうな、少尉。我々はお払い箱ではないぞ」
- 確かに仮装巡洋艦戦隊には、前線部隊のような華やかさはなく、実際の任務もその危険性の割には顧みられることは少ない。それでも、今のジオン軍には仮装巡洋艦戦隊は必要にして不可欠な部隊だった。
- 「すみません、そういうつもりではありませんでした」
- ハンナ少尉は恐縮しきった口調で謝った。
- 「分かっているさ。だが、仮装巡洋艦船隊を舐めてもらっては困るということさ、任務は過酷だぞ」
- 実際、仮装巡洋艦の適性を考えているのか疑いたくなるような任務もしばしば押し付けられるのだ。そういった運用が、仮装巡洋艦の喪失率を押し上げているのに、上は気が付いているのだろうか?とノーマン中尉は思った。
- 「ハイ、心得ています」
- 「ところで、モビルスーツは?」
- パイロットがいても肝心のモビルスーツが無ければ話にならない。カディス船長が、尋ねるのはもっともなことだった。
- 現在のジオン軍にあっては、あながちそれは笑い話ではすまない実情があった。パイロットがいるのに機体が不足している、その逆に機体があるのにパイロットがいないという事態が、実際に頻々と起きているのだ。
- 「わたしのザクは、すぐにオルベスクに戻されるでしょう。彼らのザクもたぶん今日中には・・・」
- ノーマン中尉が、歯切れが悪いのは、それ以上の補充を断られたからだ。もっとも、ソロモンで2機とはいえザクをパイロットとともに補充できたことの方が奇跡に近かった。ハンナ少尉のリック・ドムは残念ながら『オルベスク』では運用ができないため、補充は2機ともにザクなのは仕方がなかった。幸いなことにハンナ少尉もザクの搭乗経験は豊富だった。
- 「で、お終いですか?中尉」
- 「お終いです」
- 「我々は6機のザクを運用できるんですがね」
- 「それは、本国の仮装巡洋艦戦隊の艦隊本部に言ってくれとのことです」
- 「はあ、時間が余れば、言いにいきますか?中尉」
- 「そうしましょう、船長」
- そんな会話をしながらノーマン中尉は、改めて生還できたことを喜んだ。もちろん、2人の部下のことを考えないわけにはいかなかったけれど生きているからこそ敵も討てる、そう考えることにしていた。指揮官として気丈に振る舞わなければならない。それも指揮官としても役割だからだ。悲しむことは1人の時にいくらでもできるのだから。幸いにして、カディス船長とは、何も説明しなくてもそういうことを十分に理解してくれる男だった。
- 一方のハンナ・ブラウン少尉は、あたりを引いたかな?と思っていた。目の前の2人は、仮装巡洋艦部隊に対してハンナが持っていたイメージとは全く違った心の通いあいを持っているようだったからだ。もちろん、いい意味で。あまりにもあっさりと、自分とビクターを放りだしたパトロール戦隊の司令官とは全く別の価値観を持つ2人にハンナは好意を持った。どこかこの戦争に対して冷めた感覚を持っていたハンナにとってそれは、ちょっとした驚きだった。明日からの戦争は、これまでとは違った戦争になる、少なくとも自分にとっては、そういう思いを抱きながらハンナは、命令を受領したときとは全く異なる感慨をもって『オルベスク』での1歩を踏み出した。
|