Falling Snow


「少尉、スープです」
 ほとんど吹きさらしといっていい格納庫に若い隊付きの兵士が、顔をしかめながらやって来てカップを差し出した。9月の終わり頃に大規模なものとしては最後になった増援に伴って地球に降りてきた不運な兵士だった。大規模と言っても3次にわたった開戦初頭の地球降下作戦に比べれば較べるべくもなかったが。それでも、その後のじり貧になった補給規模のことを思えばかなりの規模だったのだ。
「すまんな」
 愛機のグフの射軸が、どうもずれている様子だったのを朝からずっと調整していたオーステンが、ちょうど一息をつこうとコクピットから下へと降りてきたときだった。
 分厚い防寒手袋を外し、受け取ったカップは既に温かみを失い始めている。
「いえ、マルグレーテさんだったら良かったんですが、わたしみたいなのですみません」
 その若い兵士は、にやつきながら言った。
「バカなことをいってるんじゃない!」
 口調は、たしなめるものだったが、その表情はどちらかというと照れ隠しに近いものがあった。「冷めないうちにさっさと配ってこい」
 オーステンは、軽くこぶしを作るとその若い兵士を追い払った。そして、早くも冷めかけているスープをぐいっと飲み干した。冷めかけているとはいってもスープは、冷えきっていた身体には十分温かく、少し精気がみなぎる気がした。そして、防寒のために2重になった窓、といっても雪が張り付き、溶けた氷でほとんど外など見えなかったが、から街の方を見た。
 そこには、まだ避難していないのならさっきの若い兵士が口にしたマルグレーテがいるはずだった。この2週間ほど前から、この街にあるジオン軍基地に連邦軍が攻撃をかけてくると噂されるようになって住民達の疎開が始まっていたが、マルグレーテは、きっとまだいるはずだった。
 
 オーステンの所属している部隊が展開しているのは、スカンディナビア半島の付け根、ユーラシア大陸への玄関口ともいえるトルニオだった。夏までは、トルニオは、他の多くのジオン軍の前進基地と同様にほとんど意味を持たなかった。ジオン軍は、決して認めなかったがトルニオは、連邦軍が戦略的後退によって明け渡した街の1つだったのだ。しかし、9月になって半島先端、ノルウェー海に面したダーレに連邦軍が上陸してから一気に状況は一変した。先行量産されたモビルスーツを配備した部隊を複数ともなった連邦軍は、怒濤の進撃を開始したのだ。広く薄く戦力を分散させていた半島のジオン軍にとって満を持して開始された連邦軍の攻勢を支える力などある筈もなく、少数の部隊が、絶望的な遅滞戦闘(そのほとんどは効果がなかった)を行う一方、全面的な後退を開始した。それは、部隊が各個撃破されるのを防ぐためにはやむを得ない行動だった。半島を統括するジオン軍司令部は、早くから戦力をトルニオに集めてそこでの交戦を実施することに決めていたのだ。
 部隊を後退させ、戦力の集中を図るとともにオデッサの主力にも増援を要請し、それは全くもって早急に了承された。しかし、その増援が実際に送られてくることはなかった。連邦軍のオデッサ作戦が探知されたからだ。それどころか、モビルスーツ隊の抽出を逆に命令されたほどだった。
 それに対して当地のジオン軍司令部は、難色を示し、同意できない旨を伝えたが、伝えるべき相手は、あっという間に壊滅し、宇宙へ逃れた。
 けだし、トルニオのジオン軍は、周辺から集められるだけ戦力を集中すると来るべき連邦軍の攻勢に備えた。
 10月いっぱいは、ほとんど変化はなかった。雨が頻繁に降るこの地方では、地面が泥濘と化しモビルスーツの運用は、思うほど自由ではなかったからだ。そして、それは他の兵科、機甲部隊や砲兵部隊、時には歩兵部隊であっても前進が困難になるほどだった。
 しかし、11月に入ると例年よりもずっと早くその猛威を振るいだした寒波のせいで、雨は雪へと変わり、泥濘は固く凍てつき、連邦軍の前進を阻んでいた天然の要害はやはり自然の猛威によって取り除かれてしまった。
 そして、それを待ちかまえていたように連邦軍威力偵察隊との交戦が増え、僅かな天候の回復期には、夜間爆撃をもって連邦軍はジオン軍を痛めつけ始めた。1つ1つの戦闘で被る損害は、許容できるように思えても、それが連日のように続くと自ずから結果は分かり切ったものになる。補給を受けられない現地部隊にとってはなおさらだった。11月も半ばを過ぎるころになると昼間に堂々とやってくる偵察機を迎撃するドップもなく、敵の威力偵察隊を追い払うためのモビルスーツ隊も編成できないほどになった。
 しかし、戦闘で失われた戦力は、驚くほど少なかった。失われた戦力のほとんどは、自然の猛威にさらされた結果、また補給品が全く届かなくなった結果だった。
 そして、戦力が枯渇するのに反比例するように街の人々のジオン軍に対する対応は敵対と表現するに十分なものへと変わっていった。そんな中にあってマルグレーテは、最後まで好意を見せてくれていた住民達の1人だったが、好意だけではもうどうにもならなくなっていた。マルグレーテのような住民は、絶対的少数だった。そうである以上、2人が会うなどということは不可能事だった。マルグレーテにも生活があり、平穏に過ごすためには、ジオンの基地に出入りしたり街に出てきたジオン兵と口をきくことは、それを酷く難しいものにしてしまうからだ。
 それに、オーステンの方でも部隊が出した外出禁止令に従わねばならなかった。稼働モビルスーツが減っているとはいってもベテランのモビルスーツパイロットをレジスタンスで失うというよな危険を冒すわけにはいかなかったからだ。そういう意味では、オーステンは、間違いなく貴重なパイロットの1人だった。
 連邦軍がトルニオからほど遠くないルーレオに進出するころには、トルニオの街は、ジオン兵が無防備に歩くには危険すぎる、そういった状況にまでなっていた。
 
 マルグレーテは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。窓の外は、例年よりもずっと降雪量の多い雪が、今日も降っていた。部屋は液化天然ガスを利用した暖房器具で暖められてはいたが、それは戦時下ということもあって十分ではなく室温はようやく10度といったところだった。部屋の中でも厚手のセーターがかかせない。
 はぁっ、と溜め息をついてファンヒーターの前に置かれた椅子にマルグレーテは、腰を降ろした。その溜め息も白い。傍らのテーブルには編みかけのセーターが置いてある。
(少尉、いえオーステンはどうしているのかしら・・・)
 そのセーターを見つめてマルグレーテは、それを着てくれるはずだった男のことを思った。どんなに思っても、それはマルグレーテには知る由もないことだった。ジオンの駐屯地はすぐそこなのに、ずっと遠くのものを見せる蜃気楼のように決してマルグレーテがそこに辿り着くことはできないのだった。
 郊外の空港とその周辺に突然ジオン軍が駐屯してきた時、街のみんなはどれほど恐怖しただろうか?それは、マルグレーテにしてもそうだった。街を捨てて逃げ出そうかとも思ったものだ。実際、そうした人も多かった。
 けれど、いざジオン軍が駐屯してきてみるとジオン兵は、彼らが来る前に喧伝されていたほど凶暴でも理不尽でもなかった。確かに、食料の供出は求められたけれど略奪などは起こらなかった。もちろん、そんな話を信じられないという被占領地の住民達もいようが、ここトルニオに関してはそれは真実だった。
 これが、コロニーを落し、4つのサイドの住民を抹殺した軍隊なのかどうか自信が持てなくなったほどだ。
 マルグレーテが働く小さな喫茶店にやって来るジオン兵も礼儀正しく、代金もきちんと支払ってくれた。そして、気さくに話し掛けてもきた。午後のお茶の時間になると若い兵士を連れて毎日のようにやって来る士官もそんな気さくな兵士の1人だった。背が高く、軍隊カットされたブラウンの髪が凛々しいそのジオンの士官を、ただの二人称から、少尉さんへ、そして、オーステンと、マルグレーテが呼ぶようになるまでそうたいした時間は掛からなかった。
 いちばん近い前線は、遥か遠くのヨーロッパ大陸西部を流れるライン川より西だったこともあってトルニオに駐屯したジオン軍は、のんびりとしていた。司令官が、温厚だったせいもあるだろう。ジオン兵達は、常に統制されていた。
 街の人々は彼らを受け入れたかのように見えた。
 少なくともマルグレーテは、オーステンを受け入れていた。身も心も。
 しかし、ほとんどの住民にとってはそうではなく、表面的に受け入れたに過ぎなかった。彼らは長く地球に住み、その権利を長く甘受してきたやはり地球連邦市民だったのだ。ダーレ、そんな地名はマルグレーテが知らないほどここの住民達にも無縁な地名だったが、そこに連邦軍が上陸したというニュースが飛び込んでくると早くも街の空気は変わり始めた。そして、オデッサでジオン軍が大敗したという噂が真実として伝わるころになると住民達は、ジオン兵をあからさまに敵視するようになっていた。そして、ジオン兵達もより多くの仲間がトルニオに集結すると同時に自分達が孤立していることを知り、友好的だったはずの雰囲気はどこかに胡散霧消してしまった。
 街を楽しそうに歩くジオン兵も、そのジオン兵にじゃれつく子供たちもいなくなった。ジオン軍が、何かを買うということはなくなり、徴発という形の略奪へと変わっていった。レジスタンスとまではいかなくともサボタージュはあらゆる局面でなされるようになり、それは連邦軍がトルニオに近づくに連れて頻々として行われるようになった。
 そうして、マルグレーテの働く喫茶店にもオーステンは姿を見せなくなった。ついこの間までは、若い兵士を連れてマルグレーテに笑顔を運んでくれていたジオンの少尉が、姿を見せなくなったことは、マルグレーテを酷く寂しがらせた。そうした中で初めてレジスタンスが行われたのだ。連邦軍の夜間空襲が初めて行われた夜のことだった。
 そして、住民とジオン軍の間には決定的な溝ができた。
 
「少尉、出撃準備して下さい」
 寒さのためか、それとも恐怖のためか連絡に来た伍長は、顔面が蒼白になっていた。恐らくその両方だろう。
「なんだ?」
 足元のヘルメットを拾い上げ、被りながらオーステンは、聞き返した。同時に殷々たる警戒警報が鳴り響き始める。
「連邦軍が部隊を前進させ始めたんです。それに先立って降服勧告を送って寄越したそうです」
 別に驚きはしなかった。ここ何日か、それはいつ起こっても不思議ではなかったからだ。むしろ、遅いと感じていたのだ。
「で?」
 ヘルメットをしっかりと装着させたオーステンは、愛機のグフの方へ足を向けながら聞いた。
「ハイ、准将は、それを撥ね付けたらしいです」
 だろうなと、オーステンは思った。占領地の住民にあまいと批判されることもあった准将だったが、それは敵に対するものとは全く別の観点からだった。占領地で住民を敵に回すことほど愚かしいことはないと准将が熟知しているからにすぎない。
 搭乗用のウィンチに足を掛けたオーステンは、巻き上げのスィッチを入れながらもう1つ聞いた。
「で、敵は?」
「人型が10機以上だそうです!!」
 9メートル近くも上へと引き上げられていくオーステンに向かって伍長は大声で答えた。
「了解した。何機出られるんだ?」
「少尉のグフのほかにはドムが2機にザクが4機です!!」
(はんっ!大した戦力だぜ・・・)
 声には出さず、事態を罵りながらオーステンはコクピットへと収まった。そして、兵装パネルをチェックする。ほとんどが赤だった。ヒートロッドはとっくの昔に用をなさなくなり取り外していたし、左腕の75ミリ砲に関しては最初から撤去し、ザクの予備部品から捻出した腕に換装していたからだ。確かに近接戦闘においては、役立つ武装かもしれなかったが、戦闘時の弾倉交換には向かなかったし、故障率も目をつぶるには高すぎたからだ。
 それに使えないこともないヒートサーベルもオーステンは、装備から外していた。それに変えて、より信頼性の高いヒートホークにしていた。そして、ザク・マシンガン。
「オーステン少尉、出るぞ!!」
 それに合わせて格納庫の扉が開けられる。開いていくと同時に視界を奪うほどではないが降り続く雪が格納庫内へと吹き込んできた。空は、どんよりと鉛色でそれを見るだけでも気が滅入りそうだった。
 そして、その鉛色の空と同じような冬期迷彩を施されたオーステンのグフが、地響きを立てながら一歩目を踏みだした。
 
〔あのどれかにオーステンが乗ってるんだわ・・・)
 マルグレーテは、自宅の窓からジオン軍のモビルスーツが出撃していくのを眺めた。
 基地を出撃したジオンモビルスーツ隊は、街の外縁を前線へと急いでいた。雪に遮られてはっきりとは見ることができなかったが、ジオン軍のモビルスーツに特有なモノ・アイが、雪の合間にちらちらと見え隠れし、本当に時折だったが、ぼんやりとモビルスーツの姿が垣間見えた。
〔ああ、神様・・・〕
 マルグレーテは、両手を合わせたが、それ以上いったいどう祈ってよいのか分からなかった。
 
 グワッ!!
 周囲の雪や凍てついたもの全てを一瞬にして溶解させる紅蓮の炎が辺りを照らす。左翼で起こった鮮やかともいえる紅蓮の炎をともなう爆発は、核爆発ではなかったが、ザクが10トン近くも搭載しているロケット燃料の誘爆に違いなかった。そして、ロケット燃料が爆発した以上、そのタンクから数メートルしか離れていない位置にあるコクピットが無事であろう筈がなかった。
「チェンバースのザクがやられました!支えきれません!」
 ザクを率いるダットン軍曹の悲鳴にも似た報告が入る。ダットン軍曹にとっては、この日2機目の喪失だった。
 トルニオ郊外、20キロの森林地帯で始まったモビルスーツ戦は、全くもってジオン軍にとって不利だった。障害物が多く、本来の機動性を全く発揮できないドムは、ただの鈍重なモビルスーツでしかなかったし、ザクではもはや連邦軍のモビルスーツに抗するべくもなかった。ザクは、これまでの戦闘でそうだったように連邦軍の攻撃を一度受けただけで擱坐してしまった。ドムもその装甲こそ厚かったものの幾度もの被弾に耐えることができるわけではなかった。それに連邦軍モビルスーツの全てが装備しているわけではなさそうだったが、雪の中から発射されてくるビーム火器による攻撃は、ドムの装甲そのものの存在を全く無意味なものにしていた。
 結局、ジオン軍が誇るはずの重モビルスーツは、全く戦果を挙げることもなく1機は集中砲火を、もう1機はビーム砲の直撃を浴びて厳冬の地にその残骸をさらす結果になった。ドムの開発者は、このような地での戦闘を考慮したことがあったろうか?そんな意味のない疑問を投げ掛けたいほどのあっけなさだった。
 オーステンは、巧みに遮蔽物を利用し接近を試みようとする連邦軍モビルスーツにザク・マシンガンの砲撃を見舞ってそれを阻止してはいたが、それは進撃を阻止しているだけであり、敵の数を減らすことは全くできはしなかった。
 真っ先に集中砲火を浴びて撃破されてしまったドムに続いてザクが各個撃破されるに及んで、もはや連邦軍の進撃を防ぐことは絶対に不可能だった。戦力比は、最初の2対1から4対1以下になっているはずだった。
 撃破されるのは、味方機ばかりだった。
「ダットン、後退を許可する!!残ったザクを率いて速やかに現在地点から後退せよ!」
 もうこれ以上は、どんな戦術も無意味だと判断したオーステンは、後退命令を出した。
「了解っ!!」
 ダットン軍曹は、直ちに返答を返した。
「ようし、基地で会おう!!」
 しかし、全部が機体を翻しては1機たりとも基地には辿り着けはしない。残念なことに移動速度も連邦軍のモビルスーツの方が格段に上だった。
〔まあ、俺が頑張っても最悪の事態は避けられないかもしれないが・・・〕
 そうひとりごちるとオーステンは、前方モニターに意識を集中させた。
 ザクを強化発展させたグフといえども1機で連邦軍のモビルスーツを10機以上もどうにかできるわけはなかったが、ダットン達のザクが後退する時間を稼げないこともない。いや、むしろそんなことは不可能事に違いなかったが、連邦軍に泡の1つも吹かさせねば気が済まなかった。
 オーステンは、ゆっくりとグフを機動させるとマシンガンを構えた。雪を通して感知される赤外線反応は、あっという間に5個を超え、更に増えていった。
〔軍紀違反をしてでもコーヒーを飲みに行っとくんだったな・・・〕
 射界に入ってきた連邦軍モビルスーツに対してオーステンはザク・マシンガンを振り向けトリガーボタンを押し込んだ。発砲するたびにグフの機体は揺るぎ、うっすら積もった雪をはね飛ばしていく。
 連続発射された120ミリ弾が連邦軍モビルスーツに集中し、外れた120ミリ砲弾がドラム缶ほどもある針葉樹を真っ二つにし、あっという間に雪煙で被ったが、効力射だったかどうかは見た目の派手さとは無関係だった。
 同時にモニターは、新たに照準すべき敵を4機も教えてくれたが、最初の1機でさえシールドに躱されて致命傷を与えていない情況ではどうすることもできなかった。オーステンが射撃を加えたモビルスーツが、針葉樹林の影に身を素早く潜めたときには、その4機が発砲することも分かった。
 連邦軍が放った100ミリ徹甲弾のいくつかはザクよりも強化された装甲が弾いたが、4機ものモビルスーツから発射される数十発もの100ミリ砲弾全てに耐えることは当然不可能だった。最初の命中弾から比較的早い段階で飛び込んできた100ミリ砲弾の弾芯そのものの直撃を受けたオーステンは、全く苦痛を感じることもなく、この日の戦闘における戦死者の1人となった。
 絶命する最後の瞬間、オーステンの脳裏に浮かんでいた映像は、眼前の連邦軍モビルスーツでもなく、ましてやザビ家の人間でもなかった。それは、あまりに鮮明に浮かんだトルニオの街のウェートレスの笑顔だった。
 
 前哨戦となったモビルスーツ戦で完敗したトルニオのジオン軍は、僅かな抵抗の後に降服した。モビルスーツ以外に有力な戦力を持たないジオン軍にとって戦力を有機的に組み合わせた連邦軍を撃退することなど不可能だったのだ。
 
 ずしんずしんとリズミカルな音とともにいつしか雪の上がった市街地の中をモビルスーツがゆっくりと進んでくる。その数は、1機2機と増えていく。その最初の1機のシルエットを見たとき、マルグレーテは、軽い眩暈を覚えた。街に戻ってきた、いややって来たといったほうが正しいのかもしれない、そのモビルスーツは、昨日までの見慣れた武骨なモビルスーツではなかった。どちらかといえば女性的ですらある。
 戦闘が、もっともマルグレーテにはどんな種類の戦闘かまでは分からなかったが、始まったことは街にいるマルグレーテにも分かった。遠くから遠雷のような戦闘音が響いてきたからだ。その戦闘にオーステンが加わっているとことは疑いようのないことだった。微かに、時に大きく。その爆発音が聞こえて来るたびに、どうかオーステンのモビルスーツがやられたのではありませんようにとマルグレーテは、祈った。そして、戦闘の音は、始まったときと同じように唐突に途切れた。
 それからどれぐらい経ったのだろう?酷く短かったようにも思えるし、長かったようにも思える。マルグレーテにとって身を切られるような時間が過ぎて現れたのは、マルグレーテの見たことがないモビルスーツだった。頭部をゆっくり左右に振って辺りを睥睨するそのモビルスーツがいったいどういった種類のモビルスーツなのか見当もつかなかったが、それでも、そのモビルスーツがどちらの陣営に属していて、そのモビルスーツがこの街にやって来たことが何を意味するのかぐらいは理解できた。
 そのモビルスーツを先導するかのように冬期服を着た連邦軍兵士を満載した軍用車両が進んできた。昨日まで、およそ死んだような街だったトルニオは一変していた。連邦軍兵士達を歓迎するために飛びだしてきた色とりどりの防寒服を着た市民達がいつの間に用意していたのか連邦軍の小旗を振っていた。口々に歓声を上げる市民の中を進んでくる連邦軍兵士達もそれに笑顔で応えている。雪の上がった街に、今度はそのモビルスーツを歓迎して紙の吹雪が、舞い始めた。
 その紙吹雪を見つめるマルグレーテの目には、自分でも意識しないうちに涙がぼろぼろと溢れていた。何も知らないものが見ればきっとそれは、連邦軍をようやく迎えてトルニオがジオン軍から解放されたことを喜ぶ感動の涙に見えたことだろう。けれど、マルグレーテの涙は、たった1人の男のためにだけ流されていた。そう、もう2度と戻ってくることのない男のために。
 
0079 例年より寒さの厳しかった冬の話である