Strange coin


 わたし、オクレウス・アッカーマン曹長が、そのコインのことに気が付いたのは、哨戒活動のために出撃する際、いつものように前衛か後衛かを同僚のパイロットと決めるときだった。コインを使うレトロチックな決め方、コインを1枚取り出し、裏か表かを当てる、ポピュラーなあれをいつものようにやったときのことだ。
 ノーマルスーツのコイン入れから取りだし、無重力の中で勢い良く回転を加えさっと手の中に握り込んだ。
「表だ!」
 同じ小隊のパイロット、わたしの戦友は、すぐさま答え、わたしが開いた手のひらの上で1ジオンマルクコインは、確かに表を上にしていた。
「悪いな!アッカーマン、それとこいつは頂きだ!」
 彼は、コインをわたしの手から奪うように取り上げると、待機室を飛び出していった。
 勝ったものが、そのコインも頂く。つまり、運をそのまま逃がさないという験かつぎのためだ。
 わたしは、彼の背中を見送りながらそのコインのことにほんの少しだけ思いを馳せた。
 別に、1マルクを損したからではない、一瞬目に留めたそのコインが、目に焼き付くように飛び込んできたからだ。その1ZM白銅貨は、やや赤みがかっていた。白銅貨だから、普通は、白く輝いていなければならない。もちろん、流通の過程で多少は磨り減ったりするからピカピカにというわけにはいかないだろうが、白銅貨は、白銀色なのが普通だ。けれど、今失ったばかりのコインは、紛れもない1ZMコインだったが、白銀色と表現するには、少し無理があった。
 先週、財布から取り出して、自動販売機に入れるとき、確かにその、いや、それと同じようなコインを入れたのを覚えていたのだ。
 同じように汚れたコインは、ないわけではないと思う。けれど、赤みがかったように汚れたコイン、しかも1ZMコインがそうたくさんある訳がないとも思えた。
 汚れたコインだ、自動販売機に入れるときにそんなふうに思ったことを不意に思い出したのだ。持っていかれたコインと全く同じではないか?そう思えたのだ。
 しかし、その時は、それ以上考えることは出来なかった。出撃せねばならなかったからだ。
 
 帰還後、彼に見せてもらえばその答えは分かるのではないか?そう考えたが、それは、永遠に叶う事はなかった。なぜなら、その日の出撃で、その戦友、同じ小隊のパイロットの彼は、連邦軍機の反撃のために撃墜され2度と帰らぬ人になったからだ。あっけない戦死だった。ジオンが、いかに作戦全体を優勢に進めていて、制宙権のほとんどを握っているといっても運の悪いやつは死ぬ。彼は、それを身をもって我々に教えてくれる事になったのだ。
 
 戦友を失うことは、いつでもどんなときでも辛いものだ。しかし、この時の私はどちらかというとコインの事に思いを馳せていた。
 わたしは、悲しみの中であのコインのことを考えた。
 あのコインは、もう何度もわたしの手の中に戻ってきていたのではないか?と。
 
 わたしが、初めて1ZMコインを手にしたのは、ジュニアスクールに上がってしばらくしてだったと思う。何かの折りのお駄賃だったのだろう。わたしを可愛がってくれていた伯母が、くれたのだ。初めて自分のものになった1ZMコインを、わたしは、いつまでも飽きずに眺めていた。少し汚れていたけれど、そのコインは、間違いなく私自身のものだったからだ。
 そう、確かに、幼い記憶の中でその1ZMコインは汚れていた。
 そのコインが、どうなったのか?
 幼いころの記憶の全てが鮮明に残るものではない。その日は、それを思い出すことが出来なかった。
 
 何かの偶然、それがそうでないと思わざるをえなくなったのは、戦友を失ってから5日目のことだった。煙草を買おうと何気なくコインをポケットから取り出したとき、あの赤みがかったコインが、掌に乗っかっていたのだ。
 わたしは、その赤みがかった奇妙なコインをまじまじと眺めた。ジオン製のコインの中でもっとも大きく、厚みがあって重いコインは、汚れて、少しくたびれたように見える以外は極く普通の1ZMコインだった。
 0052年製のそのコインは、わたしが産まれる少し前、ジオン製のコインが始めて世に出た年に鋳造されたものらしかった。そうであれば、この1ZMコインの角が多少磨り減ってくたびれて見えるの仕方がないことだった。けれど、鋳造から随分経つとはいっても、白銅貨である1ZMコインが、こんなふうに赤みがかって汚れることは稀なことに違いない。きっと、手にした誰かが酷い扱い方をするか、誤って火の中か何かに落としたのだろう。とにかく、すぐには思い付かない経緯でその汚れは染み付いたに違いなかった。
 このコインが、あの日、戦友の手に握られていったコインなのかどうか・・・、わたしには自信が持てなかった。確かに、同じように汚れているコインだったが、鋳造された年まであの時は見なかったし、今、手元にあるコインは、あの時のものより心なしか赤みを帯びている気もしたからだ。
 それに、何よりも戦友はあの日、ザクに乗ったまま帰らぬ人になったのだから、このコインがあの時のコインであるはずがないとの思いもあった。
 
「アッカーマン、煙草を買いたいんだが細かいのがないんだ、少し貸してくれないか?」
 自動販売機の前で、ぼんやりと立ち尽くし掌のコインを眺めていたわたしに、少し怪訝そうな顔をしたグリフィス曹長が、話し掛けてきた。彼は、3週間ほど前に補充されてきたパイロットで私とは、同い年だった。彼は、わたしが何か返事をするよりも早く掌にあったその1ZMコインをつまみとると、自動販売機にへと入れた。
「悪い!必ず返す」
 グリフィス曹長は、あっけにとられるわたしを尻目に自動販売機から煙草を取り出すとさっさとその場から去っていった。
 そして、そのコインは、もっと何かを考える前にわたしの手元からまたしても無くなった。
 
 話を進めると、グリフィス曹長は、1ZMをわたしに返してくれることはなかった。曹長に悪気があったわけでもなかったし、わたしがそのことを忘れてしまったわけでもない。曹長は、翌日の出撃で搭乗機のザクを撃墜されて未帰還になってしまったのだ。そう、私は、1週間と経たないうち戦友を2人も失ったのだ。
 
 そして、わたしはそのコインをもうパイロット仲間には渡さないことに決めた。何故、決めねばならなかったのか?
 そう、そのコインは、またしてもわたしの手元に舞い戻ってきたのだ。コインでパイロットが死ぬなど、本当にバカバカしい話だったが、最新鋭兵器を扱うパイロットは、いつの時代でもジンクスも大切にする人種でもあるのだ。そして、わたしもその例には漏れない。
 
 あるいは、その時にその1ZMコインを捨ててしまえばよかったのかも知れない。その気になれば、永遠に誰の目に触れることもなくそのコインを宇宙へ流すことだって出来たのだ。けれど、わたしは、そうはしなかった。何故そうしなかったのか?などということを説明できる理由はない。
 たかがコインとはいっても1ZMは、それなりに使いでがあったし、パイロットにさえ渡さなければどうということがないと思ったのも事実だった。それに、わたしは、もうそのコインをたとえそれが誰であれ渡すつもりがなかったからでもある。
 ノーマルスーツの小物入れにしまい込み、普段は誰の目にも触れないようにした。もう、誰の手にも渡らないはずだった。
 けれど、コインは、まるで意思が備わっているかのように私の手を離れた。
「すまん、このヒンジを緩めるのに、コインを貸してくれ・・・」と、自分のザクの整備をしているときに一緒に整備をしていたザクの動力系整備を主に担当している士官に言われて小物入れを探り何気なく渡したコインが、まさにそのコインだった。
 作戦行動中であり、いつでも出撃できる体勢下の整備では、もちろんパイロットはノーマルスーツを着用している。そして、小物入れにはあの1ZMコインが入っていることももちろん気に留めていたはずだった。
 渡した瞬間に気がついたけれど、その場で返してもらうつもりだったし、幸いな事に彼の役目は、戦場に出るパイロットではなかった。
 それは、整備中では本当に日常的なことで、特別なことは何もなかった。ただ、あのコインを渡してしまった以外には。そして、私は、その事に気がついていなかった。
 緊急警報が、鳴り響いたのは、まさにそのタイミングだった。
 待ったなしの緊急警報。わたしは、ただちにザクのコクピットに潜り込んだ。整備兵達が、大慌てで発進の際のスラスター噴射に巻き込まれないように散って行く。
 この日の緊急度は、いつにもまして高かった。オペレーターが、極度に濃いミノフスキー粒子のせいで敵の接近に至近まで気が付かなかったのだ。そのせいで、事態は急を告げたのだ。
 戦闘自体は、一方的だったと言ってよかった。
 慌てふためいていたのは、連邦も同じだったからだ。
 中型の哨戒艦とそれを守ろうとする小型機との戦闘は、あっというまに片が付いた。ザクの前では、旧式な哨戒艦と少数の戦闘機は、対抗戦力と呼ぶにはあまりにも脆弱だった。
 帰艦してきたわたしは、母艦に接近するにつれて母艦が損傷を負ったのを知った。それは、一見して大慌てするほどでもなかったけれど、わたしの胸をどきりとさせる光景だった。
 わたしは、慌ててノーマルスーツの物入れを探った。
 そして、あのコインが無くなっていることを知った。
 ザクを収容するのにすらなんの問題もない程の軽微な損傷だったけれど、知らされた事実は、わたしが覚悟した通りのものだった。
 戦死1名、負傷4名。
 そして、戦死したのは、わたしからあのコインを借りた整備兵だった。
 
 その夜、1人で浴びるようにアルコールを摂取して激しく後悔していたわたしは、ジュニアスクールのときに初めて手にしたあの1ZMコインをどうしたのかを鮮明に思い出した。
 わたしは、その1ZMコインで、その頃の流行りだった小さなエレカのオモチャを買ったのだ。カラフルな色で塗られたいろいろなタイプのエレカのオモチャだった。わたしは、いろいろある中から赤いボディのスポーツタイプのエレカを選んで買った。
 そして、その続きも思い出した。そのトイストアは、火事で焼けたのだということを。
 人が死んだのかどうか?それは覚えていなかったが、後1日買いに行くのが遅かったらエレカのオモチャは買えなかったのだと、胸を撫で下ろしたことを思い出したのだ。もちろん、今思えば、どこか他のトイストアで買えばよさそうなものだが、小さな子供だったわたしの行動範囲などたかが知れていたし、思い付く行動も多くはなかったはずだ。
 思えば、わたしの周りでは、死は日常だった。もちろん、他の人間と比べればだ。いや、それも適切な表現ではないかも知れない。死について、そうそう話題にすることなどないのだから。けれど、知っているかぎりでわたしの身の回りでは、他人に比べて死は極くありふれた出来事だった。
 ひょっとするとその全てに、あのコインが関わっていたのかも知れない。
 いや、関わっていたに違いないと今日の出来事を通して確信するようになっていた。
 
 そして、コインは、今、わたしの手元にある。
 いや、今も、と表現したほうが正しいかも知れない。
 あれからも、コインは、何度となくわたしの意志とはまるで関係ないかのようにわたしの手を離れ、そして、戻ってきた。
 そのたびに、人の命を奪いながら。
 わたしは、その過程で気が付いた。この1ZMコインは、そのつど赤みを増しているのだ。まるで、死んでいった人間の血を吸い取って刻んでいくかのように。
 
 もうどうしてもこの輪廻を止められないのだと知ったある日、わたしは整備兵の1人に頼んでこのコインをペンダントにするのだといって穴を開けてもらった。幸運のコインなのだと言って手渡すと、その整備兵は、快く穴を開けてくれた。
 確かに、ある意味でこの1ZMコインは、幸運のコインだった。わたしの手から離れて、辿り着いた相手を殺してはいたが、わたしの手のうちにある間は、少なくともわたしにはなんの危害も加えないのだから。しかし、困ったことにこのコインは、わたしの意志とは全く関係なく、わたしの手を離れていってしまうのだ。
 そして、殺す。
 その輪廻に耐えられなくなったわたしは、1ZMコインをお金としては使えなくしてしまおうと思ったのだ。そうすれば、この輪廻を止められるかも知れない・・・、その後にどんな結果が待ち受けているのか深く考えもしないでわたしは、それを実行に移したのだ。
 穴の開いたコインを受け取ったわたしは、上陸日に買い求めておいたプラチナの少し太めの装飾チェーンを通し、首にかけた。
「変わった色の1ジオンマルクコインですね?いかにも何かありそうですね」
 わたしの胸で鈍く光る1ZMコインを見てその整備兵はいった。
「まあな・・・」
 私は、曖昧に笑って軽く礼を言った。私は、このコインの事を誰にも話すつもりがなかったからだ。
 そして、あの日、ア・バオア・クーの日、わたしは、戦死した。あの1ZMコインのペンダントを胸にぶら下げたまま。日々戦況が悪化して、多くの戦友を失っていくなかでもなんとか生き残り続けたわたしも、ア・バオア・クーという大釜の中で最後の日を迎えたのだ。
 
 その1ZMコインが、どうなったのか?もちろん、もうわたしには分からない。確かなことは、そのコインが死の瞬間までわたしの胸にぶら下がっていたという事実だけだ。コインは、宇宙の塵になってしまったのかも知れない。けれど、わたしには、どうしてもそうは思えないのだ。
 もしも、赤く汚れた0052年製の少しくたびれた1ZMコインを見つけたら、心して欲しい。
 そのコインは、あなたの大切な人を傷つけてしまうかも知れない。