At the bottom of the dusky sea


「なんにも聞こえない・・・」
 ジョバンニ少尉は、ヘッドセットから何も聞こえてこないのを改めて確認すると、深い落胆を込めて言った。
 ここ2時間あまり、ズゴックのパッシブソナー、お世辞にも高性能とは言いがたいが、は、物音1つ伝えてこなかった。お粗末な性能とはいえ、すぐ側で何が起こっているかくらいは、受音可能だった。
 少なくとも、3時間前まではズゴックのパッシブソナーは、味方の悲痛な声を伝えて寄越していた。あまりの悲痛さに、クレッチマーには命じてパッシブソナーを切らせたほどだ。
 それは、3時間あまりも続いていた。
 U−155が、連邦軍のフリゲート艦からの不意打ちを受けて撃沈されて以降3時間、3時間もだ。平時に聞かされていたなら精神の何処かを失調させかねない、そんな叫びを3時間も聞かされたのだ。
 終幕は、あっけなくもたらされた。
 U−155の隔壁が、それまでに掛かっていた負荷に堪えきれず破れたのだ。それで前部魚雷発射室に生き残っていた最後の兵員は、息絶えた。電力が切れ、真っ暗になった魚雷発射室に閉じこめられた兵士達の気持ちはわからないではない。深度60メートルとはいえ、脱出する術などなく、損傷した船体はいつ圧壊するかも分からないという状況下、落ち着けというほうが無理だ。
 けれど、それを3時間にもわたって聞かされる身にもなってもらいたかった。多くて5、6名、恐らくは3名の兵士達の絶望の中で助けを求める叫びは、それを救う者がないだけにより悲痛だった。
 
 連邦軍のフリゲート艦による攻撃は、ズゴックの発進準備を開始してまもなく行われた。ジョバンニ少尉とその部下、クレッチマー曹長が、ズゴックのコックピットに収まるか収まらないか、そう言ったタイミングだった。ズゴック発進準備のために速力を10ノットあまりにまで落としていたU−155にとっては、避けようもない突然の攻撃だった。
 もっとも、どんな状況下にあっても連邦軍による対潜魚雷攻撃を躱せる道理はない。U−155が属するいわゆるユーコンタイプの潜水艦は、連邦軍が大量に建造し、配備を進めつつあった戦闘輸送潜水艦に分類されるべき潜水艦を、ジオン軍が接収し、短期間のうちにモビルスーツの搭載、というよりは積み込むことを可能とした潜水艦だからだ。
 戦闘輸送潜水艦といえば聞こえはいいが、潜行が可能な輸送艦に自衛がある程度出来るように武装を施した、そう言った性格の潜水艦なのだ。そして、連邦軍が建造した以上、あらゆる場面において、敵の制海権下での運用など想定していなかった。
 制海権を確保したうえで、侵攻先へ物資を輸送するのが主任務の輸送潜水艦なのだ。
 そのU−155を連邦海軍にあっても最も対潜水艦戦闘を得意とする連邦海軍極東部隊が展開している海域に投入したという時点で既にU−155には、沈めと命令したようなものだった。今回の一連の作戦行動において評価するべき点があるとすれば、単艦で隠密行動を命じた点だけだった。
 この作戦が、どう評価されようと、結果的には予想に違わずU−155は、連邦海軍に発見され、撃沈されたのだ。
 2本の魚雷は、それぞれU−155の右舷側から最初の1本が機関室側壁へ、もう1本は、司令室へと命中した。機関室側壁に命中した魚雷は、あっさりとU−155の複隔を食い破り大量の海水の浸水を許した。魚雷そのものによる破壊と浸水によってU−155は、短時間のうちに電力を失った。最初の魚雷命中から遅れること僅か3秒、2本目の魚雷は司令塔を直撃、司令部要員を一瞬にして水圧による即死へと追い込んだ。この結果、艦長のローゼンベルグ中佐は、ほとんど何の対処を命じることなく戦死した。
 U−155は、なんら有効な対策を講じることなく戦没したのだ。水密扉を閉じることすら下令出来なかった。つまり、U−155は、魚雷の着水音すら聞き逃したというわけだ。ズゴックの発進準備に追われていた等、原因は色々考えられる。だがもっとも単純で決定的な理由は、U−155のソナーマンが、ほとんど何の訓練も受けないままジオン本国から前線に送られてきて、そのまま実戦に投入されたからだ。
 彼は、10メートル先で魚雷が発射されても分かりはしなかっただろう。コンピューターによってノイズが軽減されてなお、実際の海中には音が溢れているからだ。数キロ、時には10キロ以上も先から発射され、着水する魚雷の音など、判別のつけようがなかった。むしろ、彼が死の寸前に「魚雷らしきモノ本艦に接近中、距離100」と、報告できたことの方が奇跡だった。もっとも、そのことを知るものは、もはや誰もいない。それを聞いてパニックに陥ったものは、全員、魚雷命中とともに戦死してしまったからだ。
 
 ローゼンベルグ中佐の下した最後の命令は、少なくともジョバンニ少尉の聞いたものは、ズゴックの発進予備命令だった。つまり、ズゴックに搭乗し発進準備をせよ、というものだった。もっとも発進命令が出ていたとしても、最初の魚雷が命中した時点で電力の供給が不可能になっていたU−155からの通常発進は不可能だった。
 ジョバンニ少尉とクレッチマー曹長のズゴックを抱え込んだままU−155は、浮上することのない潜水をケツから始めた。ズゴックの発進するべき発進扉は、電力の供給がなければ開くことも出来ない。ズゴックそのものも、起動したばかりで自力では動くことすら出来なかった。
 艦尾から沈降していくU−155の中で、ジョバンニ少尉自身も絶望した。ズゴックの可潜深度は、たったの100メートルでしかなかったからだ。もともと浅水面での侵攻、もとより河川や海岸沿いの侵攻を念頭においてジオンの水陸両用モビルスーツは設計されたのであり、U−155が100メートルを越えて沈んでいけば、ジョバンニ少尉のズゴックは、戦うことなく極東の海で圧壊してしまうからだ。
 だが、幸運なことにU−155が、撃沈された海域の深度は7、80メートルでしかなかった。U−155が、艦尾から着底したときの衝撃に多少肝を冷やしたもののズゴックの機体には何の異常も来さなかった。さすがは、モビルスーツだと、ジョバンニ少尉は、感心したものだ。
 
 撃破されたU−155の格納庫の中でジョバンニ少尉は、直ちにズゴックの発進準備を始めようとした。扉が開かないと言ってもズゴックのパワーとマニュピレーターがあれば扉をこじ開けることなど動作もないことだったからだ。
 だが、核融合炉エンジンを起動しようとしたところでジョバンニ少尉は、動きを止め、U−155を通した有線電話でクレッチマー曹長に命じた。
「敵の攻撃艦が付近に遊弋中だ、別命あるまでこのままで待機せよ」
 ジョバンニ少尉は、敵艦の活動を確認したわけでも何でもなかったが、そうに違いないと確信したのだ。核融合炉エンジンに火を入れるということは、ソナーで耳を澄ませている敵に対して、ここにいますよと騒ぎ立てるに等しい。敵が去ったと思えるまでは、動かないに越したことはない。最も、敵がいなくなったかどうかを知る手段はないに等しかったのだが。
 クレッチマー曹長からは、再三出撃を促す電話が入ったがジョバンニ少尉は、黙殺した。最初の命令以外に電話を用いたのは、前部兵員室の兵士達の悲痛な声を聞かせないようにする為にパッシブソナーのスィッチを切らせるときだけだった。
 U−155が、撃沈されてから6時間あまり、ジョバンニ少尉は沈黙を守り続けた。核融合炉に火を入れない場合のズゴックの生命維持装置の稼働時間が8時間足らずであることを考えれば、沈黙を守るにしても後2時間が限度だった。
 時刻は、現地時間で日付が変わろうとしていた。
 U−155を撃沈した連邦軍が、どういう行動をとるのか・・・宇宙育ちで一介のモビルスーツパイロットにしか過ぎないジョバンニ少尉には、想像もつかなかった。
 願わくば、連邦軍が、ジョバンニ少尉が思うほど執念深くないことを祈るだけだった。
 
(タブチ艦長は、何を考えてるんだ・・・)
 連邦海軍第17方面軍第4任務部隊に所属するフリゲート艦『アカツキ』のソナーマン、アカホシ伍長は、3巡目に入った対潜警戒任務につきながら思った。
 先の敵潜撃沈から7時間あまり、サブで勤めるヒヤマ伍長と後退しながら第1戦闘配備で警戒任務を特に理由を知らされることなく続行させられていた。現在が、戦時であるということは理解していたし、実際に戦闘になりジオンの潜水艦を撃沈したことも理解はしていたが、対潜ミサイルを発射してから7時間にもなる。
 新たな潜水艦をキャッチしてもいなければ、その兆候すらない。
 だいたいジオン軍が、複数の潜水艦を投入する作戦など行うわけがなかった。特に、この辺境の地域においては。
 なのに、タブチ艦長の下した命令は『現在位置に占位、以後第1戦闘配置にて待機。ソナーマンの交代は2時間おきとする』というものだった。
 敵潜水艦が、海底に沈んだのを確認したときには、帰還できると思ったのに、その見通しは、現在では全く立っていなかった。
 ただアカホシ伍長に出来ることといえば、与えられた任務、海中を伝わってくるどんな音も逃さないということだけだった。そのための条件は、整っている。『アカツキ』は、海上に静止しており自艦が発生させる雑音に悩まされずに済んでいる。
 だが、海中からはいかなる危険の兆候も伝わってこない。
 一度だけ、緊張が走ったが、それは沈んだ敵潜の隔壁の一つが圧壊したに過ぎなかった。以降、3時間あまりは本当に静かだった。
 ちらっとタブチ艦長の方に視線を向ける。
 艦長は、相変わらず敵潜が沈んだ海域に向けた視線を固定していた。ほとんど身じろぎもしない。CICルームは、暗く、艦長の表情の全てを読み取ることは出来なかったが、メインスクリーンに情報表示される文字が発する白い光の中で鋭く光る目は、未だ戦闘が終わっていないのだということを物語っていた。
 ただ、なにがそうタブチ艦長に感じさせるのか?アカホシ伍長には、思いが及びも付かなかった。
「ユウグモより入電『我、指定位置に占位せり』です」
 入電したらしくイマオカ曹長が、通信内容を伝えてきた。
『ユウグモ』は、同じ任務部隊に所属する駆逐艦である。
 アカホシ伍長の乗船する『アカツキ』よりも新しく排水量も2000トン以上も大きく、その装備も優秀である。なによりも『ユウグモ』は、タブチ艦長より上級のホシノ大佐が艦長を勤める任務部隊の旗艦である。
(こりゃ、本気だな・・・)
 アカホシ伍長は、ひとりごちた。
 自分より上級の指揮官が座乗する任務部隊の旗艦を呼びつけて「何もありませんでした」ではすまされないのだ。任務部隊には、他に姉妹艦の『イカヅチ』もいる。それを差し置いて、旗艦の『ユウグモ』を呼んだのだ。
 5インチ単装砲と対潜水艦用のMk−45魚雷以外にはろくな兵装しか装備してない『アカツキ』と違い『ユウグモ』は、対潜水艦戦闘用の装備に限ってみても深深度対潜水艦用魚雷Mk−66やウォータージェット推進を採用した超高速対潜水艦魚雷のMk−52をも装備している。いわば、あらゆる状況に対応できる万能艦だった。
 その『ユウグモ』を呼んだのだ。
 いつの間にそんな要請をしたのかアカホシ伍長は知りもしなかったが『ユウグモ』が来た以上何かがなければならない。
「よろしい、返電『我、アカツキ、支援感謝す』」
 
「こちら、ジョバンニ少尉、聞こえるか?」
 ジョバンニ少尉は、ズゴックのメインスクリーンを見ながら有線電話でクレッチマー曹長に呼びかけた。
「聞こえます、少尉。死んだかと思いましたよ・・・」
 嫌みだったが、4時間以上にわたる沈黙の命令をまがりなりにも守ったのだ。それぐらいは、大目に見てやるべきだった。
 その上苛立ちも含んでいる。それも無理はない。ズゴックの生命維持装置の残稼働時間は、30分を切っていたからだ。
「余計な口は叩くな、融合炉エンジン始動せよ。これより任務を続行する」
 出来るかどうかは別にして母艦であるU−155が、沈んだいじょう選択肢はそう多くはなかった。
 戦うか、降伏して生き延びるかだ。
 降伏するにしても危険は付き纏う。連邦軍が、降伏を認めずに攻撃してくる可能性もあり、降伏自体も安全とは言えない。
 何よりも自分達をこの海域まで運んできて、揚げ句の果てに戦死するハメになった仲間達のことを考えるなら降伏は選択肢から除外せざるを得なかった。
「了解です、少尉。融合炉エンジン始動します」
 ジョバンニ少尉が、戦うつもりなのを知ってクレッチマー曹長は、いつも通りの口調に戻った。自分の上官が、臆病風に吹かれたのではないかという軽蔑を含んだ疑念が払拭されたからだ。
「始動後3分で、格納庫扉を強制排除、スイムアウトする」
 連邦軍が、網を張っていようといまいと、どのみちこれ以上潜伏は出来ない。
「了解です、少尉」
 
「感あり、小さいですが・・・」
 アカホシ伍長は、自分の耳を疑った。しかし、それは紛れもなく人工の音だった。しかも、それは数少ないデータ収集から知られるようになったとはいえ間違えようのない独特の人工音だった。「敵モビルスーツの核融合炉の起動音、1・・・いえ2を確認。真方位・・・」
 次々にソナーを通して知り得た情報を告げていく。
「対潜魚雷にデータ入力。1番、2番発射筒データ入力を終了次第発射開始せよ。続いて3番、4番発射筒、45秒遅れで発射せよ。ユウグモに通信・・・」
(クソッタレ、艦長は、分かっていたんだ。敵のモビルスーツが生き残っていて息を潜めているということを・・・)
 CICが、喧騒に包まれる中でアカホシ伍長は、身を震わせた。
「ユウグモより入電。『攻撃せよ。攻撃せよ!』」
「データより、敵はズゴック2機と思われます・・・」
 身を震わせつつもアカホシ伍長は、判明していく事実を報告し続けた。それは、アカホシ伍長にとって出来る唯一の戦闘任務であり『アカツキ』が、戦闘を続行するにあたってもっとも重要な任務だった。
 
 核融合炉が起動し、十分なジェネレーター出力が得られるまでに1分。核融合炉の廃熱を利用したジェット水流エンジンが十分な出力を得るのに更に2分。その間、恐ろしいほどの轟音を海中にまき散らしながら2機のズゴックは、戦闘準備を整えた。
 カタログデータでは、ズゴックの水中速力は最大70ノットと喧伝されているが、それは脚部を投棄した状態でなければ実現できない。もっとも、脚部を投棄した状態でも70ノットなどというスピードを出せば、直進させる事すら危うい。通常状態、つまり上陸後の戦闘が可能な状態での最大速度はせいぜい50ノットだ。
 もちろん、ジョバンニ少尉には、最大速力を出すつもりなどなかった。
 30ノット内外のもっともズゴックの姿勢が安定する速力で海岸に接近し、目標地点近くに上陸、後に破壊活動を実施してズゴックを遺棄、投降するという筋書きだった。
 捕虜になるにしても無傷のズゴックを手に入れられれば、多少の破壊活動は大目に見るだろう。ついでに言うと、連邦軍の施設を徹底的に叩くつもりなど全く端からなかった。ジオンのモビルスーツが、2機上陸したなら当たり前・・・その程度の破壊をして投降するつもりだった。
 搭乗機を捕獲されてしまうというのは遺憾という他なかったが、命を粗末にするということはジョバンニ少尉の辞書には載っていなかった。それに、ズゴックを捕獲されても連邦軍がズゴックから何かを得るころには戦争はとっくに終わっているに違いない。もちろん、敗戦国は、ジオンだ。その点においてもジョバンニ少尉は、全くもって現実的な男だった。
「スイムアウトする!続け。以降通信封鎖」
「了解です、少尉」
 クレッチマー曹長の返事を聞くと、ジョバンニ少尉は、ズゴックを思い切りよく前進させた。電力の供給を失った格納庫の扉は閉じたままだったが、ズゴックの頑丈な機体で体当たりをすれば簡単に開くはずだった。設計構造上も、内側からの衝撃で簡単に外側へと開くようになっているのだから。
 ゴウとズゴックが前進し、その頭部が格納庫扉に激突すると激しい衝撃音がズゴックの機体を通して感じられた。直接の衝撃だけに思わず機体が損傷するのではないかと思えたが、異常を知らせる警告はメインスクリーンには少なくとも表示されなかった。
 メインスクリーンは、海中を映し出した。暗黒の海中は、地獄の底にいるかのように思えた。
(宇宙(そら)と同じだ・・・)
 確かに、海中に漂うように自力でスイムアウトとしたズゴックにとってはそうかも知れなかった。
 後方スクリーンに、クレッチマー曹長のズゴックが同じく自力でスイムアウトしてくるのが見て取れた。その瞬間、ジョバンニ少尉のズゴックは、警戒警報をけたたましくメインスクリーンに映し出した。
 この時点で既に対潜水艦魚雷が2本捕捉できていた。他にも、ズゴックの戦闘コンピューターが判断しきれていない脅威が更に2つ、これも恐らく魚雷に違いない、を捕捉していた。
「ノイズメーカー射出!クレッチマー!敵に捕捉された!自由回避、好機をみて反撃せよ!!」
 お世辞にも通話能力の高くない水中電話で声高に命じる。性能劣悪とはいってもこれだけ近ければ聞こえる。
「了解」
 以降はノイズメーカーとズゴックの戦闘行動そのものによって水中電話は全く使用不能になる。同じことは、パッシブソナーにもいえる。
 ノイズメーカー、核融合炉の轟音、ズゴック自体の水中航走音、それらによって敵を探知する術を失い、自らは何に攻撃されているのかさっぱり分からないまま戦闘を続けなければならなかった。
 だが、まずは最初の一撃を振り切らねばならなかった。
 ジョバンニ少尉は、モノアイを消灯し音波探知機が疑似的に作り上げ、映し出している海底すれすれにズゴックを航走させた。
 
「目標1を失探・・・ノイズ激しい、目標2は、本艦より距離を開けつつ上昇中」
「アクティブを許可する」
 自ら音を発し、敵を捕捉するアクティブソナーは、通常の対潜水艦戦闘においては余程のことがなければ使用しない代物だったが、現状での敵がズゴックならば差し控える必要性は低かった。
 相手がズゴックならばゴッグのように短魚雷を放ってくる恐れはなかったし、未だズゴックは深度60メートル近い海中にいるのだ。60メートル近い海中から反撃を行える兵器をズゴックが装備していないことは既に十分すぎるほど知られている。
「目標1、捕捉。海底すれすれを真方位0へ航走中。1号2号魚雷ともに目標2を追尾中・・・3号4号も目標2を追尾中・・・」
「捉えているやつはいい、目標1を失探するな!」
「アイ、サー!」
 
 クレッチマー曹長は、ズゴックを浅海面までどうにか上昇させようとした。ズゴックの攻撃兵装で海上目標に打撃を与えるには、浅海面に出るしかなかったからだ。だが、気が急くばかりにノイズメーカーは、射出する側から無効になっていった。
 それでも40ノット以上で攻撃を受けた海域から遠ざかりつつあったから敵の魚雷を躱せる自信はあった。コンピューターが知らせる魚雷は連邦軍が使用する標準の対潜水艦用魚雷Mk−45であり、その最大雷速は、42ノットでしかなかったからだ。
 クレッチマー曹長にとっての当面の問題は、敵からの魚雷攻撃を躱した後にどういった手法で敵に接近するかだった。
 だから、突然自分の搭乗機であるズゴックがとんでもない衝撃に揺さぶられても何が起こったかまったく理解できなかった。突然クレッチマー曹長のズゴックに襲いかかった衝撃は、その一撃でクレッチマー曹長の脊髄を2度と治る見込みなどないほど損傷させてしまった。首から下の感覚を一瞬にして完全に失ったクレッチマー曹長は、最初の一撃でコクピットで始まった浸水を知ることもなかった。例え知ったとしてもクレッチマー曹長が何か対処する事は出来なかっただろう。最初の魚雷の命中から4秒後に2本目の魚雷がコクピットのハッチに命中したからだ。魚雷の指向性爆薬は、ハッチを本来とは反対側の内側へ弾き飛ばした。クレッチマー曹長は、自分に何が起きたのか考えようとする時間も与えられずに即死した。
 
(敵は2つ?)
 核融合炉を絞ったジョバンニ少尉のズゴックのパッシブソナーは、明らかに最初の魚雷攻撃とは異なる方位、自分の進行方向、つまり真反対で大形艦の航走音をキャッチしていた。
 そして、爆発音が2つ続けて発生し、クレッチマーのズゴックの識別信号が消えた。宇宙(そら)や地上ほど信頼性が高いわけではないが、2つの爆発音の前までは明確に表示されていた以上、撃破されたと考えたほうが良さそうだった。
(いや・・・)
 敵を2つと考えるのは良くなかった。もっと多いかも知れないという前提に立つべきだった。
 現在は、微速だったが、その大形艦の方へ進路をとっている。
(まずいな・・・)
 ジョバンニ少尉は、ひとりごちた。
 敵は、最初の攻撃で、その大形艦の方へ追い込んだのだ。ズゴックが最大速度を出せば振り切れる魚雷とはいっても向って行きはしない。普通の神経を持っているならいったん魚雷から距離を開ける行動をとる。その結果、2人は、大型艦の方へ追い込まれ・・・上昇しようとしたクレッチマーは撃破され、海底に潜むように起動した自分は助かった。しかし、安全になったわけではない。
 
「感あり・・・敵は西方へ脱出しようとしているようです」
 アカホシ伍長は、再び洋上を微速航進し始めた『アカツキ』のソナーによってズゴックを捕捉することに成功した。
「ユウグモより入電。『敵データを送れ』です」
「アカホシ伍長のヘッドセットを通信に直結しろ」
 タブチ艦長が、ややぶっきらぼうに言ったのは、もう1機も『ユウグモ』の戦果になってしまうからだ。
「アイ、サー!了解です!」
「敵、方位、本艦より真方位187度・・・速力12・・・方位265度方向へ離脱中」
『ユウグモ』の方が機材も優秀なはずだったが、先にズゴックを撃破したことによる海中の乱れで捕捉に困難を来しているのだろう。あるいは、ソナーマンの腕前の差かも知れない。「深度75・・・」
 それを報告してアカホシ伍長は、少し皮肉な笑いを浮かべた。
 その深度ではMk−45は、ズゴックのように高速で航走できる小型目標には余程の幸運が味方しないかぎり・・・命中は期待できない。
「ユウグモより入電『感謝す』」
 
 ジョバンニ少尉は、ズゴックのパッシブソナーに何も反応しないのにも関わらず流れ出す冷や汗を止められなかった。融合炉が発生させる派手な音が、連邦軍の攻撃兵器のたてる微かな音をマスクしているのではないか?という恐れを捨てきれなかったからだ。
 上陸戦闘に主眼を置いたズゴックには、高性能なソナーは搭載されていないし、水中で戦える兵器も用意されていない。ノイズメーカーも申し訳程度に装備されているに過ぎない。ただし、融合炉が稼働し続けるかぎり生命維持装置は、動き続けるし、同様に融合炉が発生する熱を利用する水流エンジンも同様だ。
 ただし、撃破されなければだ・・・。
 
 それは『ユウグモ』の艦首、水線下から潜水艦の魚雷発射管と同様の発射管から音もなく滑り出した。圧搾空気を使わず自身が作りだす水流によって泳ぎ出た。
 発射管から泳ぎ出たそれは、浅い角度で深度を取りながら100メートルほど直進した後、プリセットされた方位にその頭部を振り向けると急速にその速度を増大させた。後部から噴出する水流は、ジェットと呼んでも差し支えないほどの勢いになり、その速度はあっという間に50ノットを超えた。しかし、その速度でさえ生物工学を取り入れて設計されたMk−52魚雷の全力ではなかった。
 
「魚雷・・・か?」
 ズゴックのお粗末なソナーが捉えた時点で、それは50ノットを超え、60ノットに迫る勢いだった。ジョバンニ少尉の知識の範囲内にはそのような攻撃兵器は、なかった。しかし、更にもう1つ同じものを捕捉した時点でそれは確信に変わった。
 少なくとも好意を持って接近してくる物体ではありえなかった。
「くそっ・・・」
 ジョバンニ少尉は、迷わず両方の脚部を切り離した。セットされた爆薬による強制切り離しは少なからぬ衝撃をズゴック自体にも与えたが、これで70ノットを超えようかという水中速力の発揮が可能となる。
 進路が多少不安定になるため海底から浮上する進路をとらざるを得ないし、ズゴックが装備する全ての探知装置が使用不能になるが70ノットを越える速力で航走するズゴックに追いつける物体などはない。少なくともジョバンニ少尉の知る範囲には。
 
 2本のMk−52は、とんでもない爆音とでも言うべき音を立てて走る目標を共にきっちりと捕捉していた。もちろん、その標的が一気にその速度を上げたことも探知していた。標的から何かが切り離されたときに、ほんの僅かな時間だけどちらを追尾すべきか判定したが、その判定は、プリセットされた通りに実行するだけであり、判定するのに掛かった時間は1秒の1000分の1でしかなかった。
 標的が、70ノットを超えたときには、Mk−52の方は80ノットを超えようとしていた。
 10ノット近い速度差があっては逃げ切れる訳が無かったし、標的は複雑な回避をするわけでもなくただ直進しているに過ぎなかった。Mk−52にとっては、あまりにも簡単な標的だった。
 
 70ノットを超える速度を出したズゴックは、その機体形状によって激しい振動をジョバンニ少尉に与え続けていた。それは、出来の悪いジェットコースターに乗ったようなものであり、下手をすればムチ打ちにでもなりかねないものだった。それでも、それが生き延びるために必要なものならば耐えねばならなかった。
 ジョバンニ少尉の最後の意識は、海底に近付き過ぎたのか?というものだった。轟音に包まれていてなおズゴックのセンサーは、接近してきた連邦軍の魚雷を奇跡的にキャッチしたのだ。しかし、その時には遅すぎた。キャッチしたときにはMk−52は1メートルにまで接近していたからだ。
 Mk−52は、更にその距離を詰めると弾頭に詰められた70キロの高性能火薬をズゴックの表面に叩き付けた。もう一発が命中するまでもなく最初の一発で出来た破口は、70ノットもの高速が産みだす抵抗に耐えられなかった。ジョバンニ少尉のズゴックの機体構造はそれに耐えることが出来ず、一気に破断した。
 もう一発のMk−52も、命中したが、それより前にジョバンニ少尉の意識は失われており最後の一撃は、ジョバンニ少尉に認識されることはなかった。
 
「爆発音2・・・目標の航走音消滅・・・」
 アカホシ伍長は、起こったことをそのまま伝えた。撃破したであろう事は確実だったが、それを判断する権限はなかったからだ。
「目標を撃破したと認定する」
 タブチ艦長は、戦果が2機とも『ユウグモ』であったことに多少の不満を覚えている様子だった。しかし、その前のユーコンは、紛れもない『アカツキ』の単独戦果だ。
「艦長、ユウグモより入電『共同撃破2と認定す。任務完了。我に続け』です」
「了解と返電せよ」
『ユウグモ』からの入電でタブチ艦長は、ほんの少し相好を崩した。
 それをみて、アカホシ伍長も笑みを浮かべた。
 クリスマス・イブには、ア・バオア・クーが、陥落し、今日も連邦軍はこの小さな戦いに勝利を収めた。アカホシ伍長にとっては、忘れられない戦闘の1つかも知れなかったが、戦史に残りそうな戦いではないことだけは確かだった。
 もとよりアカホシ伍長は、戦史に残ろうなどとこれっぽっちも思っていなかったし、生き残ったということが何よりも重要だった。
(ショーガツは、陸(おか)で過せるかもしれん・・・)
 事実、アカホシ伍長は、新年を陸で迎えることになった。大きなおまけ付きで。
 
この戦いを最後に、ジオン潜水艦隊との交戦は記録されていない。