中尉と少尉


(最悪だわ・・・)
 クラウディア・レーデルは、身体のあちこちに痛みを感じながら寝返りをうった。こんなに身体が痛いのは固いベッドで眠ったせいに違いなかった。そして、目を閉じていてもやけに明るいのが分かる。
(ほんとに、軍のベッドときたら・・・、パイロットにぐらいまともなベッドを支給できないのかしら?それになんでこんなに明るいの?カーテンを閉め忘れたから?)
 そこまで考えて、いつも以上にベッドが固いことにクラウディアはようやく気が付いて、がばっと飛び起きた。
 
「気が付いたのか?」
 目を開けると同時にいきなり飛び込んできた陽光に思わず目を細め呻いたクラウディアは、突然背中越しに声を掛けられて、一瞬凍り付いた。自分の部屋に男なんているわけがないからだ。同衾しても特に咎められることはないのだけれど、クラウディアは、オーストラリアに配属されてからこっちそういったことをしたことはない。昨日だって、一人で寝たはずなのだ。
(大体なんで屋根がないの?ここはいったい・・・??)
 眩しさを堪えながらクラウディアは、慌てて辺りを伺った。
 少し離れた木陰に腰を降ろしていた声の主は、あらゆる意味でクラウディアの想像すらしない種類の人間だった。そして、同時にここが自分の思っているような場所でないことにも気が付いた。そして、声をなくした。
「そんなに驚かなくってもいいと思うがね」
 あくまで落ち着いた口調で話すその男は、どこをどう見ても彼女が見知っている人物ではなかったけれど、どういった人物なのかはその服装、パイロットスーツから容易に想像がついた。
 ヤシの木、だろうとクラウディアは思った、の根本に腰を下ろした男は、ジオン軍の空軍パイロット、ジオンではそういう表現はしないのだけれど、に間違いがなかった。
「ど、どうしてここに・・・」
 クラウディアは、慌てて腰の拳銃を抜こうとしたが、ホルスターには肝心の拳銃がなかった。
「あんたのお仲間の誰かに墜されたんだ、悪いかね?」軽く肩を竦めてその男は、右手の方を指さした。その方向には海岸が広がっていて、その水際のところに1機のドップが残骸となって波に曝されていた。さらに向こうは見渡すかぎりの海が青々と広がっていた。「拳銃は、悪いが抜き取って海の中に捨てさせてもらったよ、物騒だからね」
 クラウディアは、あんたが、そこにいるのは分かったけれど、じゃあ、わたしは?そう聞きたかったが、やめにした。なぜ、こんなことになったのか?さっぱり理解できないままだった。分かったことといえば、丸腰でジオン兵士の目の前にいるということだけだった。
「わたしは、あなたの捕虜ってわけ?」
 クラウディアは、自嘲気味にいった。自分が、ジオン軍の捕虜になるなんて昨日までは全く想像もしなかったことだった。先月オーストラリアに配属されて以降クラウディアは既に3機のドップと1機のルッグンを墜し、後1機でエースの座を手に入れるところだったのだ。
「何が可笑しいの?」
 クラウディアが話すのを聞いて男は、軽く笑みをこぼした。何か笑われるようなことをいった覚えのないクラウディアの癇に触る態度だった。
「捕虜?だって。ここからはどこへも行けないさ。例え君が俺の捕虜だったとしてもどこへも連れてはいけないのさ。ここは島だからな。もっとも、俺には君を捕虜にするつもりはないがね」
 言われてみればもっともなことだった、もしもクラウディアが捕虜になっているならば2人してこんなところにいる意味はなかった。
「じゃあ・・・」
「気を失ってパラシュート降下してきた人間を助けるのは至極もっともなことだとは思わんか?」
 それを聞かされてクラウディアは、自分が今朝のモレスビー渡洋攻撃に参加したのを思い出した。ジオンの迎撃隊と空戦になって・・・。
「そんな・・・」
 そんなことはない、といいかけてクラウディアはやめた。ここにいる以上自分が墜されたことにも間違いがなかったし、そのことを覚えていないことを思えば、不意をつかれて墜されてしまったのに違いないからだ。
「礼には、及ばんがね」
 そういうといかにも疲れたというように深く溜息を付き、そのジオンのパイロットは、頭を自分のもたれているヤシの幹に預けた。
「ありがとうございました・・・」 
 クラウディアの礼に、片手を軽く上げてどうってことないというそぶりを見せた後、ジオンのパイロットは目を閉じた。
 
 どこかへ行こうと思へば行けたにもかかわらず、クラウディアは、結局、背を向けたままジオンのパイロットから少し距離を置いて腰を下ろした。どこかに行くあてもなかったし、都会育ちのクラウディアには、一人きりというのはどうにも堪え難かったからだ。ジオン兵とはいっても誰かと一緒にいるということがクラウディアを安心させたのだ。だからといって何か口をきくわけでもなかったのだけれど。
 都会では見ることのできない美しい夕陽の後に夜が訪れ始めたとき、クラウディアは、心の底からどこかへ行かなくって良かったと思った。太陽が、水平線に飲み込まれ、闇がその支配力を強めるにつれ本当にそう思った。
「あの・・・」
 闇に対する恐怖に耐えかねて声を掛けたのだけれど返事はなかった。声が小さかったのかと思い、2度3度と声を掛けたがやはり返事はなかった。月明かりがあるといっても、島の奥へと続く林の中は吸い込まれるような暗闇に支配されていたし、時折雲が横切るせいで、ほとんど何もみえなくなるのだ。単調な波の音がさらにクラウディアの恐怖を煽ってもいた。
 もしかして、と、一瞬恐ろしい考えが浮かぶ。
 腰を上げ、そっと近寄って肩を揺する。
 びくっと反応があってジオンのパイロットは、顔を上げた。その険しい表情に思わずクラウディアは、あとずさった。眠ったにもかかわらずジオンのパイロットの表情からは疲れが一向に取れた様子はなかった。かえって疲労の色が濃くなっているようにも見える。それが辺りが暗くなったせいなのか、本当にそうなのかはクラウディアには分からなかった。
「どうかしたのか?」
 疲れた顔をクラウディアの方に向けてジオンのパイロットは尋ねた。
「いえ、その、夜になっちゃいましたね」
「腹が減ったのか?」
「いえ、そうじゃないです・・・」
 けれど、実際にはお腹もずいぶん空いていたし喉も乾いていた。何しろ、出撃の前に軽くサンドイッチをコーヒーで流し込んだだけなのだから。でもずばりと当てられては、ハイそうですとはいえなかった。
「そこの緊急キット、それだ、そのたる型のものに水と簡易食料、ランプも入ってる、使えばいい」
 ジオンのパイロットは、自分のドップから引っ張り出してきたと思える緊急キットを指さしていった。「俺は、夜は食わない主義なんでね、君は食えばいい」
「でも・・・」
「遠慮はいらんさ、ここでは2人きりなんだ。助け合うのが当たり前だろう?」
 ジオンのパイロットは、それがさも当たり前のようにいった。
「でも・・・」
 クラウディアは、同じ言葉を繰り返した。自分だけが食べることに気が引けたのだ。
「じゃあ、水だけもらおう。ならいいだろう?さあ、準備してくれたまえ」
「わたしがですか?」
「そうだ、見たところ君は少尉さんのようだが、わたしはこう見えても中尉なんだから少しは、敬意を払ってもいいんじゃないか?まあ、君は連邦軍の士官だがね。それに、わたしの持ち物だ」
「分かりました、中尉」
「分かればいい」
 疲れた顔にほんの少し笑みを浮かべると中尉は、また目を閉じた。
 クラウディアは、緊急キットを開け、中から水の入ったプラスティックボトルとビスケットを取り出した。ボトルは、半分程減っていたけれどビスケットの方は全くの手付かずだった。
 食べるよりも先にクラウディアは、ランプをとりだし灯をともした。お世辞にも明るいとはいえなかったけれど、少なくともクラウディアの暗闇に対する恐怖心を和らげてはくれた。
「ランプは、もう少し遠くに置いてくれ、明るいと眠れないんだ」
 ランプを中尉の伸ばされた足下に置こうとすると中尉は、そういった。昼間は、あんなによく眠っていたのに、と思いながらもクラウディアは、ランプを中尉から遠ざけた。
 ランプを倒れないように置くとアルミのカップに水を入れて中尉にさしだす。
「どうぞ、水です」
「ありがとう」
 左手を伸ばして中尉は、カップを受け取るとそれを飲まずにそのまま傍らに置いた。
 クラウディアも、カップに半分ほど水を注ぎ、ビスケットの封を切ると2枚そこから取り出し、残りを片付けるとまた元の場所に戻った。ビスケットはまだ10枚残っていたけれど、水は、もうカップ1杯分ほどしか残らなかった。
「連邦軍は、パイロットを大事にしてるのか?」
 ビスケットを口にしようとしたとき中尉が口を利いた。
「どういう意味ですか?」
 ビスケットを手にしたままクラウディアは中尉の方に向き直った。相変わらず中尉は、ヤシの幹に背をもたせ掛けたままだ。
「今日は、探しに来た様子がなかったからさ、お互いさまだがな。もっともこっちは、救難信号そのものがいかれちまってるし、そういう余裕もないだろうがね」
「今日は、大きな作戦が・・・、いえ、来ると思います」
 作戦のことは機密だったかも知れないと思い、クラウディアは、微かに後悔する。ひょっとして誘導尋問に引っ掛かったかなとも思う。「わたしの救難信号は生きてますし」
「だといいな、その時は俺も連れてってくれるかい?捕虜としてね」
 幽かなランプの明かりの中に中尉の白い歯がちらりと見えた。
「ハイ、捕虜として」
 クラウディアもちょっと可笑しくなって歯を見せた。かすかとはいえ笑ったのはここに来て初めてのことだった。
「連れてってもらえるんなら安心して眠れるよ。撃墜されたのは初めてなんでね、悪いが疲れたんで寝かしてもらうよ」
 そういうと中尉は、結局水には口を付けず頭をうな垂れた。
 眠るという中尉を邪魔しないように背を向けるとクラウディアは、ビスケットを口に運んだ。ジオンのビスケットを食べるのは初めてだったけれど、お腹が空いていたせいもあってとても美味しかった。2枚のビスケットをあっという間に食べてしまうと、微かな甘味の残る口の中に水を流し込んだ。
 本当はもっと食べたかったけれどジオンの中尉に何か思われるのも癪に障るので我慢することにして中尉に背を向けたまま横になった。お腹が気になってとても眠れそうにないと思ったけれど、クラウディア自身も初めて撃墜されたことで疲れていたこともあり、いつしかまどろみに引き込まれていった。
 
 再びクラウディアが目を覚ましたのは、ヘリコプターのローター音が聞こえてきたからだ。普段は、けたたましいだけのその音も今という状況では特別な意味を持っている。クラウディアは、飛び起き、音の正体に気が付くと慌てて海岸へと走り出た。空を見上げて音の元を探す。
 それはすぐに見つかった。
 連邦軍の標準的な艦載救難ヘリコプター『シー・ワスプ』が、海上を超低空でこちらに向かってくるのが見えた。
「お〜い、お〜〜い」
 力いっぱい声をあげて手を振る。その時になって、もしもジオンの救難ヘリだったらどうしていただろうという考えが浮かんだけれど、結果は、良かったのだ。
 ヘリは、救難信号に導かれてまっすぐこちらに向かってくる。
(助かった・・・)
 クラウディアは、その時になって中尉の存在を思い出した。
 振り返ると中尉は昨日と同じようにヤシの幹に背を預けていた。いったい、連邦軍の捕虜になってしまう中尉の胸の内にはどんな思いが去来しているのだろう?今の中尉の思いはもしかしたら自分だったかも知れないのだと思うとそれは他人事ではなかった。
 ヘリコプターは、そのまままっすぐに飛んできて砂浜に着陸した。盛大に砂を吹き飛ばすのでローターの回転が収まるまでクラウディアは、背を向けて、さらに顔を両腕で覆わなければならなかった。ローターの回転が弱まるとクラウディアは、急いで救難ヘリに駆け寄った。中からは、海軍の制服を来た士官が現れた。
「少尉、御無事ですかっ?早く乗って下さい!このあたりの制空権はまだこっちのもというわけじゃないんでね」
 エンジン音に負けないように大声で叫ぶ士官に向かってクラウディアも叫び返した。
「ジオンの捕虜がいるんですっ、あそこ!!」
 後ろを振り返り指を差す。「武器は持ってません、士官だから何か情報を得られるかも」
 中尉が、手荒な扱いを受けないように士官であるということ、情報源になるかもということも付け足した。
「分かりましたっ。ソーン、ワタナベ、お連れしろ」
 クラウディアが乗り込むのと同時に名前を呼ばれた2人の兵士が銃を構えたまま砂浜に飛び降り、まっしぐらに中尉のところへと駆けていく。
「少尉、そこに座って下さい、お怪我はありませんか?」
「ありがとう、大丈夫。お腹は減ってるけどね」
「その元気があれば大丈夫ですよ」
 にっと歯を見せてその指揮官が笑う。
 中尉を収用に行った2人の兵士が中尉を連れずに走って戻ってきた。
「どうした?何故連れてこん?」
「死んでましたんでね」
 ヘリに乗り込みながら、その兵士はどなり返した。
「死んでる?」
 指揮官は、大声で聞き返した。
 もう1人の兵士も指揮官の手を借りてヘリに乗る。
「背中に大きな傷を負ってました。恐らく失血死でしょう」
「そんな・・・」
 しかし、クラウディアのその声は、ローター音にかき消されて誰にも聞こえることはなかった。
「よし、やってくれ」
 指揮官が、クラウディアに一瞥をくれて何かをいいたげにした後に大声で操縦席に向かって声を掛けるとヘリは一際ローター音を大きくし、浜辺から飛び上がり、猛スピードでもと来たほうへと戻りはじめた。
 興味深げに自分のことを見るこの指揮官の頭の中には、もうあのジオン兵のことはないはずだとクラウディアは何となく思った。その証拠にこの後、指揮官はいっさいジオン兵のことには触れなかった。
 兵士が、指揮官に渡そうとする認識票をクラウディアは手まねで見せてくれるように求めた。全速飛行するヘリのせいで声はほとんど聞こえない。何度か、身振りを繰り返してようやく伝わる。
 手渡された連邦軍のものとそんなに変わることのない認識票には、中尉の名前と血液型生年月日などが刻印されていた。
 アーディン・マルカム中尉、0051年10月12日生まれ、B型。それと10桁の認識番号。それが、クラウディアのことを助けてくれたジオン兵について彼女が知ることのできた全てだった。このマルカム中尉がどんな人生を歩んできたのか?家族は?恋人はいたのだろうか?そういったことはこの薄いアルミ製のプレートから知ることはできなかった。
 クラウディアは、海面すれすれを高速で飛ぶヘリの窓から流れる海面を見つめ、たった1日きりのジオン兵との交流に思いを馳せた。
 疲れたように見えたのは、負傷、それも重傷を負っていたせいなのだと思えば納得がいく。そのことに全く気がつかなった自分、それを気づかせまいとしていたマルカム中尉・・・。所属する陣営が違うとはいえ、今にして思えばもう少しお互いのことを知り合っても良かったのではないかとも思う。
(ううん、もう話すのも難しかったに違いないわ・・・)
 それなのに、最後までマルカム中尉は、自分のことよりもクラウディアのことを心配してくれていた。そして、最後の会話でも救助が来るのかどうかを心配してくれていたマルカム中尉。逆の立場なら、自分に同じことができただろうか?とクラウディアは考えた。しかし、その答えはすぐには出そうになかった。もしかすると永遠に・・・。
 ただ確かなことは、原隊に復帰したクラウディアは、コクピットに座っているかぎりは、ジオン兵との命を賭けた闘いに少しだって手加減をするつもりがないということだった。
 
0079 オーストラリア反攻の始まったころの話しである