鋼鉄の子宮


0188u.c.火星空域
 
「ゆっくりとだぞ」
 艇長が興奮しているのが、ヘルメットのヘッドセットを通してもソニアにも十分に分かった。いったいなぜこんなにも艇長が興奮しているのかは、ソニアにはさっぱり分からなかったけれど、隣でモニターを凝視しているトニーも顔を紅潮させているところからすると男というものはそんなものなのかもしれないと思った。
 キャノピーを通しても細部のディテールがわかるほどに接近し、先程から接近警報を知らせるランプがせわしなく点滅している。警告音は、切ってあったけれどそれでも視野の端で明滅するのが気にならないわけではない。コンピューターに登録されていないものが近づいているせいでこれほどゆっくり接近しているにもかかわらず警告を続けているのだ。
「了解です」
 言われなくてもソニアは、慎重に事を運んでいるつもりだった。3人乗りのこの作業ポッドよりもそれは大きいのだ。それはとりもなおさずそのもの自体の質量が大きいことを表している。そんなものにうかつに接触したらこのポッドのどこかがいかれてしまうかもしれない。
「こいつ、動くのかなあ?」
「さあ?」
 ソニアは、トニーが興味深げに言うのにそっけなく答えた。動くんならこんなところにあるわけがないでしょう、そういいたかったが、やめにした。
「固定しますか?」
 トニーが、そっけなく答えたことに抗議の目を向けたけれどソニアは、気が付かないふりをした。
「やってくれ」艇長は、目を輝かせていた。「こいつは、すごい、1年戦争のやつだぞ。トニー、母船に連絡をとってくれ」
 艇長の、興奮を少しも隠していない声を聞きながらソニアは、それを2基のマニュピレーターでしっかりと固定した。
 2人の大人を大興奮させているものにソニアも視線を注いだ。この半壊したもののどこにそんなに魅力があるのかさっぱり分からなかったけれど、ソニアにも興味が持てるところが見つからなかったわけではなかった。
 ソニアの興味を引いたのは、その物体のコクピットの脇に書かれた文字だった。もちろんソニアにその物体のコクピットなんか分かるはずがなかったけれど、いくつかの書き込まれた文字を見ればそこがコクピットであるということは、作業ポッドのパイロットのソニアには容易に想像がついたのだ。
 『マイケル・ウィーバーのへっぽこ野郎』
 お世辞にも上手とはいえない字で書かれたその落書きの中でソニアは、自分と同じセカンドネームが書かれていることに興味を引かれたのだ。
 
0079u.c. 10/09 サイド4空域
 
(くそったれ)
 マイケルは、それが与えられた任務であるにもかかわらず罵らずにいられなかった。例えそれが3回目にして、ようやく巡り合えた機会にもかかわらずである。
 後方警戒モニターにちらりと目をやると自分がつい先刻まで収容されていたコロンボが、もう1隻のオークランドとともに援護の射撃を開始しているのが見て取れた。
 所詮、気休めだ。マイケルは、そう断じた。確かに2隻のサラミス級巡洋艦が間断なく打ち出すメガビームは、見ている分には圧倒的なのだけれど、その相手がザクとなるとまさに花火と同じだった。
 1年戦争が始まってからこっち、いったい何隻の連邦軍艦艇がザクによって沈められたことか?しかし、今日に限って2隻のサラミス巡洋艦の安全度は、今までのどの連邦軍艦艇よりも高いものになっている。
 何故か?自分たち、モビルスーツ部隊がいるからである。
 たった4機とはいえ最新鋭のジムが、ザクの攻撃を吸収するからだ。
 
 ブリーフィングで決められた通りにマイケル達は、二手に別れる。
 その機動に合わせるかのようにザクもその戦力を二分する。
 先手を取ったのは、マイケルたちだった。何しろザクの想定交戦距離は、捕獲された何機かのザクによってすでに露呈していたからだ。ジムには、それをはるかに凌駕する火器、ビームスプレーガンが、装備されており、ザクの交戦距離外からの先制攻撃を余裕で行えるのだった。
 マイケルは、自分たちの方に向かってくる3機のザクのうち、右端のものに照準をつけた。これも事前のブリーフィング通りだった。
「ファイアッ!!」
 指揮官のオーソン中尉の命令とともにマイケルは、発射ボタンを押した。もちろん敵に向かって撃つのは初めてだった。目を射るような輝き、実際防眩フィルターが掛からなければそうなるだろう、を残してビームがザクを目掛けて闇を切り裂いた。発射と同時にマイケルは、ジムを加速させた。
 その時には、ジム隊は、ザクを3機撃破していた。マイケルも、初戦でザク1機撃墜の戦果を挙げることに成功した。
 圧倒的にも思えたのは、初めだけだった。
 ヘイワード准尉とモリソン准尉が、残ったたった1機のザクを撃墜できないのと同じようにマイケルとオーソン中尉も2機のザクに防戦一方になった。
 単にザクのパイロット達は、ジムを新鋭の戦闘機か何かと誤認していただけなのだった。相手が、連邦軍のモビルスーツと知った今は、その熟練された技量を尽くして自分たちを撃墜しようとしていた。
 マイケルは、オーソン中尉のやや後方から援護できる体制でザクを狙撃しようとしたが、いったん回避運動を始めたザクは容易に射線に入りはしなかった。無駄弾になるのを承知で放ったビームは、いたずらに空間を切り刻むに過ぎない。
 ザクが、反撃に出たと分かったのは、ザクの主武装であるマシンガンから放たれる曳光弾が闇を切った瞬間だった。わずかに1条。たったそれだけだった。次の瞬間には、オーソン中尉の差し出したシールド上に着弾を示す爆発が起こりオーソン中尉の機体は、バランスを崩す。
 もう1機のザクが、攻撃を加えようとするのはマイケルの防御射撃、というよりは乱射によって阻止できた。けれど、状況が好転した様子はなかった。むしろ悪化している。
 マイケルは、そのザクを続けて狙撃しようと試みたけれど、今度はオーソン中尉に命中弾を浴びせたザクが、マイケルに射線を送ってきた。チカチカッとザクの振り向けた銃口が光り、マイケルは、身を堅くした。寸でのところで差し出したシールドに2度、そして機体に直接1度命中弾が炸裂した。恐ろしい激震が、マイケルを襲い、ハーネスが体に食い込む。それでもマイケルは、モニターに明滅した損傷個所をチェックすることを忘れてはいなかった。ジムの右足がひざ間接の下から綺麗さっぱり失われたことを計器は示していた。
 マイケルは、それでもジムを機動させ続けねばならなかった。停止、それが相対的なものであろうがなかろうが、したモビルスーツは標的以下だからだ。
(くそったれ、ちゅ、中尉は?)
 右手から闇を切り裂くビームが伸びていくのが見え、中尉の無事を知らせる。同時にどこからかザクの放つ火線が中尉のジムをからめ捕ろうとするのが見えたが、中尉の急激な方向転換についていけずに無駄弾になっていく。マイケルが、その発射点に向かって照準もつけずにビームを矢継ぎ早に送り込む。
 そのザクが、今度は自分が狙われていることに気付き、射撃をやめて回避しようとした。しかし、その瞬間、中尉の放ったビームがザクの機体を切断した。確かに、マイケルには見えたのだ。ビームが直撃した瞬間、ザクが上半身と下半身に両断されたのが。少し遅れてザクそのものが起こす熱核爆発が、両断された機体をすべて光の中に消し去っていった。
 接近警報が鳴り響いたのはその瞬間だった。
 前下方から急激にそのザクは、マイケルのジムに接近してきた。機体を十分に振り向ける時間は全くなかった。かろうじてシールドを振り向けるが、その前に着弾が、マイケルのジムに襲い掛かった。防弾ガラスとはいってもザクの120ミリ砲弾を防ぐことができずにカメラが、頭部ごと吹き飛ばされ、一瞬で視界がすべて奪われる。さらに直撃による激震が2度3度襲い、やや弱まった振動がそれに続いた。合計3発の直撃弾によって頭部と右腕を喪失したうえに、半壊しかかっていたシールドを粉砕されてしまったのだ。
「ちゅ、ちゅう〜〜い〜〜!!」
 思わずマイケルは、助けを求めた。もちろん、聞こえるわけはなかったし、例え聞こえたとしても間に合うどおりはなかったが、人間の生存本能がそうさせたのだった。
 一方、襲い掛かったザクは、マシンガンの弾を切らしていた。すでに十分な損傷を与えていたにもかかわらずそのザクは、マイケルのジムにとどめを刺そうとした。これだけ損傷を与えてもまだわずかながら機動しようとしていることが気に障ったのだ。それに、こうも接近していればもう1機からの射撃も受けがたいはずだとの計算もあった。
 ザクは、ヒートホークを抜くとマイケルのジムの左肩に斬り付けた。
 6000度にも及ぶ高温を発するヒートホークは、生身の人間に斧で斬り付けたように深々とジムに食い込んだ。その瞬間、ジムのランドセルにいまだ十分残された推進剤が誘爆を起こした。それでもジムは完全に破壊されたりはしなかった。もともと頑丈な造りの上に、ランドセルが被爆したときのためにランドセルの外壁は、外側に向かって吹き飛びやすいような構造を採用していたためだった。しかし、機体が破壊されないのとその爆発力がジムに及ぼす影響は全く話が別だった。ジムは、まるで後方からけり飛ばされたように前方へ激しく突進した。その勢いでザクは、跳ね飛ばされ、体勢を再び整えたときには駆け付けてきたオーソン中尉の容易な標的になっていた。
 外界の映像が全く入らなくなったうえに加えられた攻撃によってパニックに陥ったマイケルは、悲鳴を上げ続けていた。しかし、本人がどれだけそのことを意識していたかは分からない。極限状態下の人間は、思うほど強くはないからだ。しかし、その悲鳴もランドセルの爆発によって強制的に止められた。ランドセルの爆発によって生じた衝撃は、マイケルの意識を遮断するには十分すぎたからだ。
 
「うぅうぅぅむぅ」
 マイケルが、再び意識を取り戻したとき戦闘そのものは収束していた。いや、しているようだった。外界を探る手段がない以上確実ではなかった。少なくとも自分が、生きている以上戦闘は終わっているのに違いなかった。体中が軋んで痛む。
「参ったなぁ、これじゃあ現在位置も分かりゃあしない」
 完全にブラックアウトしたモニターを見てマイケルは、愚痴った。狭いコクピット内は、幽かな明かりによって照らされている以外は、全く死んでいた。
「少なくとも予備電源は、生きてるって事か・・・」
 サイドコンソールを緊急時用のマニュアルに沿って操作すると、右側のサイドモニターが生き返った。本来はメインモニターに映し出される情報が、右側に映し出されるのはメインモニターが、完全に死んでいる証拠だった。
 ジムの機体の全体図が映し出され、機能不全になっている部分が、赤く示された。腰から下、頭部、右腕、ランドセル、早い話がまともなのはコクピット周りと左腕でしかなかった。
「外部スキャンは・・・」
 機体各所にあるカメラのうち2個所が生きていて外部が映し出された。
「・・・」
 戦闘中は、あちこちに見えたはずのサイド4所属のコロニーが、1つも見えなかった。コロニーほど大きなものが見えないということはよほど遠くまで漂流してきてしまっているせいに違いなかった。電力残量は、心許なかったが左腕をわずかに動かし機体に回転を加える。それでも、コロニーは1基たりとも捕捉することはできなかった。
(やばいぞ・・・)
 体の痛みどころではなかった。
(酸素残量は?)
「畜生っ!」
 外界を映し出していたモニターに生命維持関連の情報が並んでいく。酸素残量は、赤く表示されている。その時になって初めてマイケルは、コクピット内が加温されていないことに気が付いた。
 
 マイケルは、ハーネスを外して体を丸くして寒さに耐えていた。呼吸は、浅くゆっくりしたものになっていた。ずっと眠るまいとして眠気と闘っていたが耐えているのも限界だった。そして、ゆっくりと降りてきたマブタを再び押し上げることはマイケルにはできなかった。
 わずかに残った意識の中でマイケルは、夢を見ていた。夢の中でマイケルは、小さな胎児になっていた。胎児になったマイケルは、子宮の中をふわふわと漂い、そしてさらに小さくなっていった。温かいはずの子宮の中はどうしようもなく寒かった。胎児になったマイケルは、泣こうとしたが、それができないまま消えていった。
 
0188u.c.火星空域
 
「電源供給はオッケーです」
 ソニアは、ポッドから引いてきたケーブルをこの骨董品の様なモビルスーツに接続した。ソニアは、100年以上前の機材と現在の機材の規格が合致したことに驚いた。
 ちらりと視線をポッドにやると、トニーが恨めしそうにこちらを見ている。本来なら艇外活動はトニーの役目だからだ。けれど、今回は自分が行きますと強引にねじ込んだのだ。セカンドネームが、同じだからだという理由は伏せておいた。
「よし、開けるぞ。気をつけろ」
 艇長は、ソニアに声を掛けて外部からのアクセススイッチを捻った。
 気をつけねばならないのは、この骨董品のコクピット内に空気が残っていた場合に気圧差によって吹き飛ばされることがあるからだ。あるいはコクピット内に浮遊しているものが飛び出してきて宇宙服を傷つけてしまう可能性もある。
「了解です」
 コクピットの脇に身を潜め空気の噴出にソニアは、備えた。
 コクピットが、ゆっくりと開いていくが中からは何も飛びだしてはこなかった。だからといって危険な空気の噴出がなかったとはいえなかった。音のない世界では目に見えるものがすべてだったからだ。
 十分に時間を空けて艇長が、コクピットをのぞき込んだ。コクピットをのぞき込んだ艇長は、驚いたように体をぴくりとさせた。
「どうかしたんですか?」
 ソニアは、不審そうに声を掛けた。艇長が何に驚いたのかを知るためにソニアも体を乗り出してコクピット内を覗き込んだ。
「!?」
 コクピットの中には、パイロットが足を抱え込むようにして体を丸めてそれでもシートに収まっていた。頭は、下に向けていて顔を見ることはできなかったけれど体格からは若い男に見えた。パイロットはほとんどが若い男なのだからその推論は間違ってはいないはずだった。
 まさか、パイロットがいるとは予想もしていなかった。いや、予想するべきだったのに、100年も前の遺物に人が乗っていることが思いが及ばなかったのだ。
「生きてませんよね?」
「ああ・・・」
 ソニアの問い掛けに艇長はうつろな声で答えた。艇長は、ソニア以上にショックを受けているらしかった。
 よく見るとパイロットは、ハーネスをしていなかった。にもかかわらずハッチを開けてもコクピットに留まったのは、空気がなかった証拠かもしれなかった。
「どうします?」
 ソニアは、このままそっとしておくのがいいような気がしたけれど、ここでの決定権はソニアのものではなかった。
 艇長は、しばらく考えて胸の前で小さく十字をきった後にいった。
「ハッチを閉じてもとのままにしておこう。その方がいい気がする・・・」
 艇長は、ソニアの返事を待たずにハッチを閉鎖するためにボタンを押した。「いいだろう?」
 ソニアは、その問い掛けに無言でうなづいた。艇長もきっと同じ気持ちなのだろうと思うとなにか不思議な気持ちだった。回収すればきっとこのパイロットもこの古い機体と一緒に洗いざらい調べられるだろう。そうされるのは、不憫に思えたのだ。誰にも邪魔されずにずっと宇宙を漂ってきたのだ、これからもそれを続ける権利があるようにも思えた。
 火星で戦闘があったのか?それとも地球圏での戦闘で撃破されて、ここまで漂ってきたのか、それはソニアには分からなかった。地球圏から漂ってきたとしたらいったいどんな軌跡をたどったのだろう?いずれにしろ、戦闘から解放され、宇宙を漂い、ほんの偶然にソニア達の目の前に姿を表したのだ。
 彼の平穏を邪魔する権利は、ソニアにも艇長にもそして他の誰にもないはずだった。
 ハッチが、閉じてしまう瞬間、ソニアは、自分と同じセカンド・ネームをもつパイロットの顔を見なかったことをほんの少し後悔したがそれはそれで良かったのかもしれないと思い直した。
 
 ポッドのキャノピーから遠ざかっていくジムを見つめるソニアの横で艇長が、記録をコンピューターに打ち込んでいる。
  機体番号 AZ−00021−01
  損傷度  E
  搭乗員  なし
  極度に損傷しており、回収不能と判断。放棄する。
  記録者  アービン・マクラレン
  記録日  0188/10/09
 微かな嘘を交えた記録がコンピューターに入力されていくのを見つめながらソニアは、永遠に続くであろうマイケル・ウィーバーの放浪に思いを馳せた。
 巨大なモビルスーツという名の母体に育まれ、いや閉じ込められてといったほうがいいかもしれない、彼の旅は2度と邪魔されずに永遠に続くに違いなかった。今日、ソニア達が、彼を見つけることができたのは本当に偶然でしかなかったのだから。
 彼の、マイケル・ウィーバー准尉の安らかな眠りが再び邪魔されることのないように願いながらソニアは、ポッドの艇首を母船のいる宙域へと振り向けた。
(おやすみ、准尉。いいこで眠っていてね・・・)
 トニーが、何事か不平を言うのを聞き流しながらソニアは、そっとつぶやいた。