連邦軍モビルスーツパイロット列伝


連邦軍が、モビルスーツを実戦配備したのは79年の8月以降でありその期間は、決して長くはなかった。

しかし、だからといってエースパイロットが出なかったわけではない。

ここでは、連邦軍の有名、無名を問わず戦場を駆け抜けたパイロットを記録しておく。

パイロット名
所属(パイロットの所属)

搭乗機(メインの搭乗機)

最終階級

戦歴(簡単な戦歴紹介)


セイラ・マス
第13独立戦隊(ホワイトベース)
コア・ブースター
准尉

 ホワイトベースの他の多くのパイロットと同じように元々の軍人ではない。シュミレーターでの訓練を経て、ガンダムにて初の実戦を飾る。オデッサ以降は、正式なパイロットとしてコア・ブースターを駆り、終戦まで優秀なパイロットとして生き延びた。意外に知られていないが、総撃墜数は、アムロ・レイ少尉に次いで第2位を誇っている。

ローレン・ゲリン
ティアンム第3艦隊所属第54戦隊(オタワ)
ジム(RGM−79GMc)
中尉(0082年除隊)

 連邦航空軍パイロットからの転向組。派手な戦歴があるわけではないが、ソロモン戦から終戦まで生き残ったこ女性パイロットとして有名である。またエンブレムマークから来ている『黒猫小隊』の、小隊長としても有名。戦後は、連邦軍の広告塔としても活躍した。

  • ゲルググ  1機
  • ザク    4機

エレン
連邦地球軍第105師団
ジム
少尉

 アジア西部方面反攻作戦にジムのパイロットとして参加。ビルエン上陸、ペナン強襲、シンガポール攻略戦等多くの戦闘に参加し、戦果も挙げたが、メダン攻略戦に際し、搭乗機を撃破され、重傷を負った。

レイチェル・アレクシア
連邦宇宙軍第74哨戒艦隊
ジム
少尉

 もっとも初期に編成された連邦軍のモビルスーツ部隊のパイロットのうちの1人。A型のジムを縦横無尽に操り18機のモビルスーツと3隻のムサイを撃破、撃沈したエース中のエースである。74哨戒艦隊は、実験部隊の性格が強かった。

マルシア・レイバーグ
バレアレス基地試験飛行隊
コア・ブースター
中尉

 試験飛行隊の1員としてコア・ブースターの実用化試験を地中海・バレアレス基地で行っているときに実戦に巻き込まれた。その類い稀なる戦闘機パイロットとしてのセンスと強力なコア・ブースターの火力によってただ1度の実戦でガウを2機、ドップを10機以上撃墜した。


アムロ・レイ
第13独立戦隊(ホワイトベース)
ガンダム
少尉

 素人でありながら、ニュータイプの素養を持っていたために、数奇な運命を辿ったレイ少尉は、終戦までに実に、100機以上のMSと、10隻以上のジオン艦艇をたった1人で撃沈破した間違いなしに連邦軍の最優秀パイロットである。少尉が、撃破したジオン軍のMSは、歴戦のパイロットやニュータイプパイロットが多数含まれており、間接的に連邦軍の勝利に対して果たした役割は、測り知れない。

カイ・シデン
第13独立戦隊(ホワイトベース)
ガンキヤノン
伍長

 彼も、ホワイトベースに乗り込んだがために、ガンキヤノンパイロットとして1年戦争を戦うことになった。パイロットとしては、平凡であったかも知れないが、期待性能、または僚機のレイ少尉や、マス准尉に助けられ終戦まで生き残り、かなりの数の戦果を挙げた。戦後は、軍を除隊している。

ラランド伍長
連邦地球軍第105師団
ジム
伍長

 105師団の予備パイロットとしてビルエン上陸戦に参加、その後パイロット要員の不足によって正規パイロットとしてエレン小隊に配属。メダンを巡る遭遇戦にて初陣を飾った。初陣でザク1機を撃破したのを皮切りに終戦までに6機のジオン軍モビルスーツをアジア戦域で撃破し、エースになった。終戦と同時に除隊、退役。

シンゴ・サワダ
連邦宇宙軍情報部第102偵察隊
ボール/ジム
少尉

 特殊任務を帯びた部隊に配属された少尉だが、戦争後半には、通常任務の戦闘にも参加した。少尉の、1年戦争時のスコアは、15機であり少なくはないが特別多いわけでもない。しかし、少尉をして有名にさせたのは、その撃墜スコアのほとんどをボールで叩き出したという点に尽きる。戦後も、ボール改良型のテストパイロットを務め、ボールに愛着を見せたが、時代の流れはボールを表舞台から消し去ってしまった。

シン
ティアンム艦隊所属
ジム
少尉

 ソロモン戦役に他の多くのパイロットとともに参加、戦死している。少尉を有名にしたのは、出撃前のインタビューである。モビルスーツパイロットの代表としてテレビで全連邦に向けて放映された少尉だったが、たった1度の実戦で帰らぬ人となった。