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 ルルル・・・
 ジムの核融合炉エンジンから響いてくる振動がシートを通してゲリンに伝わってきていた。その他に聞こえるものといえば、自分の微かな息遣いだけだ。
 作戦開始から1時間余り、戦場、ア・バオア・クー空域は、敵の残存部隊が、ア・バオア・クーを放棄したことによって沈静化しつつある。もちろん、その残存部隊を追撃すべきであったが、ソーラーレイの掃射とそれに続く激戦の後であればさしもの連邦軍も追撃を行う余力は残していなかった。
 しかし、その結果、既に戦場の支配権のほとんどは連邦軍にあった。現在は、要塞内部に対する掃討戦の段階になっていた。既にゲリンのジムが、いやモビルスーツ隊そのものが関与する段階は、ア・バオア・クー空域に限っては過ぎ去っていた。
 54戦隊は、ポートダーウィンを失いこそしたものの旗艦のマラッカを含め、ゲリンの母艦のオタワ、もう1隻のサラミス、コートジボアールの3隻が残存している。しかし、3隻ともが残存しているというだけしかない。旗艦のマラッカの船体は、ほぼ半壊しているが、かろうじて核融合炉とメイン推進剤タンクへの引火誘爆を防ぐことに成功していた。そのことがマラッカの完全喪失を阻止した主な理由だった。しかし、マラッカが、今後再び軍務に就くことはありえないのは誰が見ても明らかだった。
 同様に、コートジボアールも、いまだ、2基のメガ粒子砲が健在であり、自力航行も可能だったけれどドックに入渠して再生させるよりも廃艦にしたほうが早いのは、3つの艦橋のうち2つが完全に破壊され艦首も前部主砲塔の直前から喪失していることを考えれば明らかだった。他にも艦のあちこちが損傷しており、なぜ2基もメガ粒子砲が健在なのか?その方が不思議なくらいだった。
 オタワも、他の2隻に比べればましという程度で、再生させるか廃艦になるかは判断の難しいところだ。4人の艦長の中でただ1人生き残ったオタワのラーデル中佐が、現在は暫定的な54戦隊の指揮を執っている。指揮とはいっても、戦闘が要塞内に移った今は取り立ててやるべきことはないのだけれど。
 そして、直掩隊のゲリン小隊とフクタ小隊が、奮戦したことも54戦隊の損害を限局することに大いに貢献していた。その代償として直掩隊は、ガトルを阻止した戦い以降、更に3機を失った。そのうちの2機は、新型のモビルアーマーと交戦したときに生じた。もう1機は、その後の防衛戦闘でザクとの白兵戦で撃破された。
 現在、まともな交戦など不可能なのにも関わらず健在な火器をア・バオア・クーへと向けている54戦隊の残存艦とともにあるのは、これもお世辞にも完全とはいいがたい3機のジムと1機のボールだった。
 ゲリンのジムは、前回の戦闘と同様に頭部を失い、右腕を失ったことによってライフルもなくしていた。それでも戦意を失っているわけではないのは、左手が手にしたビームサーベルによって現れている。ゲリン少尉のやや前方で比較的まともな形で残っているジムは、フクタ少尉のジムだ。ただ、使用できる武器は何も残っていない。そのやや下方には、奇跡としかいいようのない幸運に恵まれたボールがいる。戦隊の反対側には、坊やのジムが、左腕を失いつつも遊弋している。右手にしたビームスプレーガンを注意深くア・バオア・クー方向に向け、やはり戦意を失っていないことを示している。
「終わったのね・・・」
 何回目かの全周囲警戒をした後にゲリンは、ぽつんとつぶやいた。この馬鹿げた戦争が、この後も続くのか?それとも作戦前に聞かされたようにこの一戦で終わるのかは、ゲリンには分からなかった。ただ、何もかもが終わったと表現するのが相応しいと思えたのだ。
 バイザーの中のゲリンの青く澄んだ瞳に涙が溢れてきたが、それがどうしてなのかはゲリン自身にも分からなかった。
 
 4人のあてのない彷徨は、続いていた。
 状況は、刻一刻と悪化している。通路は、あちらこちらで封鎖され、まるで迷路、元々が要塞という性格上迷路のようだったのだが、になっている。与圧区画が、完全開放されていることも一因である。今は、もう自分たちがどの区画にいるのかさえ分からなくなっていた。緊急回避通路のどこかだということぐらいしか分からない。
「中尉、もう駄目ですよ」
 リー曹長が、力なく言う。
「情けないこというな」そういうリッツェン少尉の声にも疲労の色が濃い。「戦闘は続いてるんだぞ」
 しかし、それも本当にそうなのかどうかは、さっぱり分からなかった。ただ、時折感じられる震動が、戦闘が続行していること感じさせるだけだ。
「閉じ込められてしまったのかもしれないな」
 十字路に辿り着いてハリソンは言った。
 そのうちの2本は、封鎖されており、元来た道を除けば進む方向は1つしか選べなかった。電力が、供給されていないせいで緊急非常灯が、通常の照明に代わってぼんやりあたりを照らしている。けれどもその弱々しい明かりは、どこへ行くべきかを示してくれるわけではない。その非常灯も所々作動していない。
「いえてますね。さっきから味方に全く会ってませんからね。かれこれ30分は過ぎてるはずです」
 リッツェン少尉は、それが一番可能性ありそうだというように大きく頷いた。「おかげで敵にもあわずに済んでますけどね」
 確かに、26ブロックの手前にいた軍曹は、敵の陸戦隊が上陸していると言っていたし途中通ってきたモビルスーツ発進エリアには確かに連邦軍の陸戦隊が残していったツメ跡があった。しかし、実際には、ハリソン達は、全く連邦軍の兵士を見なかった。
 その通路は、少し先で右に折れていた。
 リー曹長が、何気なくその角を曲がったとき、リー曹長の足下で何かが弾けた。ほとんど同時にリッツェン少尉が、何を思ったのか、リー曹長に向かって思いっきり飛び付く。
「連邦軍ですっ!!」
 そう叫びながら、リッツェン少尉は、飛び付いた勢いのままリー曹長に掴み掛かり、反対側の壁のくぼみに飛び込んだ。
 リー曹長がいたところに銃弾の着弾を示す火花が散る。
 リッツェン少尉が、連邦軍に気が付き、リー曹長を助けられたのは、音のないこの世界においては奇跡的なことだった。
 リンダは、かろうじてハリソンに腕をつかまれて角から出るのは逃れられた。
 リッツェン少尉とリー曹長は、壁に跳ね返されないように壁の突起物に掴まる。
「ぐはっ」
 勢いよく壁に叩き付けられたせいでリー曹長が、カエルの潰されたような声を漏らした。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとかね」
 リッツェン少尉が、リー曹長の体を確認して答える。「こいつもです」
「れ・・・」
 ハリソンが、連邦軍の兵士が確認できるか聞こうとしたとき、割り込んできた声は、ハリソンを大いに驚かせた。
「降伏しろ!!」
 連邦軍が、隊内無線をジャックして呼び掛けてきたのだ。連邦軍の指揮官ががなった。「ア・バオア・クーは、放棄され、現在はわれわれの制圧下にある、無駄な抵抗はするなっ」
 無駄な抵抗とは、いったものだと思う。何もしてはいないのだから。それに、ア・バオア・クーが連邦軍の制圧下に入ったというのもありえないことではなかったが、にわかには信じられる類いのことではなかった。
 リンダが、怯えた顔でハリソンを見つめる。
 無線をジャックしている以上、自分たちの会話は聞かれていたに違いない。だからこそ降伏を呼び掛けているのだ。
 身振りでリッツェンに敵が何人か分かるかと聞いてみたが、リッツェン少尉もただ首を振るばかりだった。相手が何人であってもプロの歩兵を相手にするのは、骨の折れることになりそうだった。
 相手は、間違いなく完全武装しているのに違いがなかったからだ。それに対して、こちらは、予備弾倉もない拳銃が4丁あるきり、移動用のバーニアすら背負っていない。
 ハリソンは、手にしている拳銃に目を落とす。15発の弾丸で何ができるのかは、自身にもわからなかったがこのまま済ますわけにはいかないとの思いが強い。
 リンダが、ハリソンの視線に気が付き、首を振る。
「繰り返す、降伏しろ!」
 さっきよりもいらだった声になっている。「そっちが4人なのは分かってるんだ」
 飛び出して拳銃を乱射しようかという衝動が走るが、そこにリッツェン少尉の言葉がフラッシュバックする。「部下の命を守るのも・・・」と、いう言葉だ。
 リッツェン少尉とリー曹長の方を見る。
 離れているせいで2人の表情は全く見えなかった。それでも、リー曹長が怯えているのはよく分かった。
「オーケイ、そっちが戦う気なら1分だけ待つ。それで出てこなかったら手榴弾を投げ込むぞ」
 最後通告だった。
 飛び出していっても蜂の巣にされるだけ。待っていても手榴弾で吹き飛ばされる。逃げるのは、問題外、何故なら2人をおいていくことになるからだ。
 ここで戦うことの意味は?ハリソンは、自問自答した。大佐ならどうするだろう?戦うことしか考えてこなかったハリソンにとっては1分という時間は降伏を決断するためには余りにも短かった。
 ふとリンダの方に顔を向けると、すがるような目でリンダが、ハリソンをじっと見つめていた。
「30秒」
 連邦軍の兵士の声が、ひときわ大きくハリソンの耳に入ってくる。
 ヘルメットを寄せてリンダが哀願する。
「中尉、もう終わったんです」
「20秒!!」
「中尉!!」
 リンダの声は、ヘルメットの振動を通しても不思議なくらい鮮明に聞こえた。バイザー越しに見えるリンダの瞳には、大粒の涙があふれている。
 リッツェン少尉とリー曹長も手に拳銃を握ったままこちらを凝視している。
「10、9、8・・・」
 連邦軍の兵士の秒読みは、ゆっくりと、しかし、確実に読み上げられていく。
「わかった、降伏する」
 ハリソンは、口にするとは思ってもみなかったことを口にして、自ら衝撃を受けた。少なくともリンダと2人の部下を助けることはできたのだとハリソンは、言い聞かせた。
「よし、ゆっくりと出てこい。武器は持って出てくるな。急な動きをしたら撃つ」
 ハリソンは、拳銃をその場に捨て、リンダを抱きしめると、その姿勢のままゆっくりと角から姿をさらしていった。
 リッツェン少尉とリー曹長もその場で拳銃を捨てると2人は大きく両手を挙げてゆっくりと全身をさらした。
「これで全員だ」
 ハリソンは、4人で全部であることを告げながら連邦軍のノーマルスーツを数える。
 指揮官らしい兵士とその左右両側に1人づつの3人しかいない、これならやれたかもしれないのにと後悔する。しかし、さらによく見るとあちこちの遮蔽物に巧みに潜んだ連邦軍の兵士は全部で5人、つまり合計8人いた。
 しかも、全員が自動小銃とバーニアで完全武装した本物の歩兵である。ハリソン達が、リンダも含めて4人でどうこうできる相手ではなかった。たとえ相手が3人だったとしてもだ。
「ゆっくりこっちに来い」
 指揮官が、注意深く銃口を向けたまま命令する。ちょっとでも不審な素振りを見せれば彼は容赦なく銃撃を加えるに違いなかった。「ジョンソン、ライナー、後ろの2人を拘束しろ。他のものは周囲を警戒、気を抜くなっ」
 命じられて遮蔽物から姿を現した兵士のうち2人が、リッツェン少尉とリー曹長を手荒に拘束していく。
 てきぱきと命令を下し、それにしたがって無駄のない動きで行動する連邦軍の兵士達を見ながらハリソンは、本物の歩兵とはこういうものなのかと妙に感心していた。それに比べれば、ここまでやって来たのは子供の兵隊ごっこのようなものだった。
 連邦軍の指揮官は、ゆっくりとハリソンのそばまでやって来ると手にしていた拳銃を腰のホルスターに収めた。
「中尉殿、戦時捕虜としてあなたがたを連行します。あなたがたの身柄は、南極条約にしたがって・・・」そこまでいうと、その連邦軍の指揮官は、肩を竦めた。「形式張った言い方はやめましょう、戦争は終わりです。少なくとも、あなたと私のはね。さあ、こんなくそだめからは早いとこ出ましょう、中尉。あなたもです、お嬢さん」
 ついさっきまで、言葉の節々からにじみ出ていた敵意は、もはや消えて無くなっていた。
「部下も、連れてってくれるんだろうね?」
 ハリソンは、2人の部下を指す。
「もちろんです中尉。ジョンソンあんまり手荒にするな」2人の部下に手荒なことをしないようにいって連邦軍の指揮官は続けた。「約束しましょう。酷い扱いはさせません。少なくとも私の管理下にあるうちはね」
 その約束にどれほどの重みがあるのかわからなかったが、差し出された連邦軍の指揮官の右手から伝わってくる力強さは、それが信じるにたるものであるということをハリソンに教えてくれる気がした。
「頼むよ・・・」
「アンドリュー・フォレスト准尉です、ハリソン中尉」
 バイザーの中で准尉が白い歯を見せる。聞かれた会話のせいで相手には名前が分かっていたらしかった。
「フォレスト准尉、第484空間雷撃艇大隊は君たちに降伏する」
 寄り添いハリソンの右腕にすがるリンダの手に一瞬だけ力がこもったこの瞬間、ハリソンの戦争は、終わった。しかし、多くの若い部下と、長く付き合った同僚のほとんどを失ったハリソンが、心の中の戦争に終止符を打てたのはずいぶん後になってからだった。