The side story of 484 torpedo bombers
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 この小説は、機動戦士ガンダム、および、一定の水準の軍事知識があることを前提に書かれています。
機動戦士ガンダム本編とは直接関係ありません、全くの別物として軽い気持ちでお楽しみ下さい。

 後退機動に入ったザクは、あっという間に敵の対空弾幕の有効射撃圏を離脱した。それと同時に、ザクのモニタを埋め尽くす敵の対空砲火の曳光弾の流れも終息した。
 結局、ザクの性能では、あれ以上、サラミスを損傷させる攻撃は不可能だったということだ。
 何より、推進剤の搭載量が少ない。
 ベテランの域に入る自分たちでさえ、限界ぎりぎりの加速機動を行っていたとはいえ敵の巧みな迎撃戦闘によって十分な機動をするだけの余裕を失わされた。しかも、それはたった1隻のサラミス艦長によってなされたのだ。確かに、自分のどこかにサラミスを含める連邦軍の艦艇を侮る気持ちはあった。けれど、それ以上に、敵もザクに対する戦闘経験を積んできたことも大きいのではないだろうかと思える。
 開戦当初、人型兵器を嘲笑し、なんら驚異にならないと、ろくな対抗策も考慮せずに戦いを挑んできたと同じ連邦軍は、もはやいないということだ。
 逆に開戦時の連邦軍と同じ類いの思考が、自分に芽生えていたといたことが恐ろしい。これは、おおいに戒めなければならない。ひょっとするとこのことは自分に限ったことではなくジオン軍全体の問題でもあったかもしれなかったが、一介の士官に過ぎないサクラ少尉にはどうこうできる問題ではなかった。できることといえば、自分がそうならないことを自身で戒めることだけだった。
 そして、真に恐るべきことは今迄に得てきた経験をザクとの戦闘に活かせるものが連邦軍にもいるということなのだ。
 この強行出撃を新兵がやっていたなら、推進剤切れで戦場での行動不能を余儀なくされていただろう。ましてや、敵に予備モビルスーツがあったなら?また、自分たちと同じように無理矢理再出撃してきていたなら?
 そう考えれば、全機が無事に帰還できるということは幸いなのかもしれなかった。
(みんな無事だものね・・・)
 モニタの中には、出撃したときと同じだけのザクが、確認できる。その数を数えてサクラ少尉は、ひとりごちた。
 既に推進剤の残量は、レッドゾーンに達している。機体の蓄熱量も、安全限界を遥かに超えている。その状態は、サクラ少尉のザクだけでなく他のザクにしても同じか、もっと悪いに違いない。
 そういった状況下で1機も失わずに済んだのだ。
「後方Vライン!後方に注意しつつ帰艦する!」
「了解!」
 各機からの返答は、疲れて聞こえる。きっと、それは間違いではない。ザクの限界を超えて強要した戦闘は、パイロットの限界を超えることをも強要したことは、間違いないのだから。
(帰還したらたっぷり労ってあげなきゃね・・・)
 サクラ少尉は、汗ばんだ顔に疲れた笑顔を浮かべてモニタの中の1機1機のザクを見ながら思った。
 
「旗艦より入電、ただいまの攻撃見事なり!です」
 通信手が、旗艦からの電文を伝えてくるが、応える気にもならなかった。中佐の考えていることは、明らかだった。この戦闘は、自分たちの勝ちだということをアピールするためだ。
 確かに失ったモビルスーツは、同数。こちらの艦艇は無傷で、敵は、最終段階でサラミス1隻に損傷を負った。
 しかし、あげるべき戦果はそのようなものでは全然足りていない。
 ザクを9機も全力出撃させ、更には相当な無理をしたとはいえ2次攻撃までさせて得られた戦果が、2機のモビルスーツを差し違えで撃破し、巡洋艦1隻を損傷させた程度では全然釣り合わない。同じことは、報告書を読む艦隊司令部も感じるだろう。
 少なくともあの空母、モビルスーツを運用できる空母を搭載モビルスーツごと撃破しなければならなかったのだ。
 結局、思うように戦果を得られなかったのは敵がモビルスーツを投入してきた、これに尽きるのだと思う。連邦が、8機ものモビルスーツを発進させてくるなどとはこの戦闘が始まるまで誰も想像だにしていなかった。もっと悪いことには、そのモビルスーツが、ザクと同等かそれ以上の性能を持っているらしいことだった。
 希望的観測を除くのなら、連邦のモビルスーツの性能は、ザクを上回っているといわざるをえない。エースと呼んでいい領域にいるパイロットが3人いて、数でも上回った戦闘で、2機のザクを失ったうえにおそらくは初陣だったであろう連邦軍のモビルスーツを2機しか撃破できなかったのだから。
「返電はどうされます?」
「ザクとの接触まで15分!」
 通信手とオペレーターの声が重なる。
「返電『本艦は、攻撃効果不十分と認む』と、返しておきなさい。モビルスーツデッキ、収艦作業準備、速度このまま!」
「アイ!マム!」
 ことなる2人の同じ返答を聞きながら、スミス中佐は、ほんの少しだけほくそ笑む。
 通信記録は、残るからだ。
 トーグル中佐が、どのような戦闘報告をしようとしていたかは、容易に想像がつく。もっとも、通信記録がなくとも、ふざけた戦闘報告をしたら異議を唱えてやるつもりだったけれど。
 数字で見る以上にこの戦闘は、自分たちの惨敗だった。これは、明らかにしておくべきだった。連邦は、戦力を整えつつあると。連邦を甘く見た戦闘は、重大な結果を招きかねない局面に入ったということを全軍に知らしめねばならない。
「敵の進路を再度確認せよ!」
「敵進路、真方位260度!急速に離れつつあります」
「よろしい!引き続き警戒せよ!」
 連邦は、この戦闘で容易に勝てなかったことで更に気を引き締めて掛かってくるだろう。
 ベテランの搭乗するザクですら苦戦する連邦軍の新型モビルスーツ。
 ザクを一撃で撃破してしまうビーム火器を携行できるモビルスーツ。
 こういったことを報告して、どの程度まで上層部に伝わるのだろうか?一抹の不安をスミスは、拭い去ることができなかった。
(ジオンは、勝ちすぎたのかもしれない・・・)
 緒戦の勝利(もっともそれは多分に糊塗されたものだった)が、現状のジオンの過信を招き、それが不幸だったとスミスは、思わずにいられなかった。
(今のジオンに冷静に戦況を読めるものはいないわ・・・)
 そう考えて、その中に自分も含まれるのかもしれないと考え直し、スミスは冷笑した。
 
「よう!」
 ゴドノフは、待機室に備えられた椅子にうなだれてちょこんと座り込んだサクラ少尉にどう声を掛けてよいのか分からずに、あいまいに呼びかけた。
「少尉・・・、ダメでしたね」
 待機室内の与圧が、まだ全てのパイロットが戻ってきていないせいで終わってなく、ヘルメットを被ったままのサクラ少尉の表情はハッキリとはわからなかったが、声からは、いつもの元気は感じられなかった。
「あ、ああ、まあな。だが、やれるだけのことはやったさ」
 もちろん、ゴドノフに関して言えば不完全燃焼も良いところだ。自分達も2種装備だったら・・・と、思う。けれど、それは結果論でしかない。出撃前では、ゴドノフとガルベスが、1種装備で出るのは全く持って合理的な判断だった。
 敵が、迎撃機を発進させてこなかったというのは、あくまで結果論でしかないからだ。
「相手があっての戦闘ということですよね?」
「そう、連邦にだって骨のあるやつがいるということだ」
 南極条約以降、少数のザクで巡洋艦以上の艦艇を沈めることは、飛躍的に難しくなっていたが、それにも増して、今日攻撃した巡洋艦は厄介な相手だった。
 被弾することを前提に防御戦闘を行ってきたからだ。自己犠牲を厭わない相手は、戦場では危険な相手になる。そういった相手に対し、ザクの性能ぎりぎりいっぱいで戦ったのだ。全てが、うまくいくほうがおかしい。
「でも、同じ相手に2度やられたのが納得いかなくって・・・」
「同じ・・・相手?」
 ゴドノフは、サクラ少尉の言っている意味がわからなかった。
「気が付きませんでした?わたしが、サラミスを沈めたときにロケット弾でわたしを損傷させたサラミスと艦番号が同じでした」
 そう、そのことが、いつにも増してサクラ少尉を落胆させているのだ。同じ相手に2度同じ過ちを繰り返さない、これがサクラ少尉のモットーでもあったから余計だ。
 ただ、それに気が付いたのは、バズーカの照準を付けたときだった。
 それに、戦闘形態も全然違いもした。1度目は、推進剤も十分あったし、敵の裏もかけた。けれど、やはり2度同じ敵に苦渋を味わされたことは確かなのだった。
「・・・まさか?」
「いえ、間違いないです」
 ゴドノフは、2つの意味で絶句した。
 1つは、あれだけの損傷を与えたサラミスが、2ヶ月あまりで戦線復帰していたこと。サブブリッヂの1つを完全に破壊し、船体にもそれなりの損傷を与えたサラミスが、見た目には無傷で戦闘に参加していたのだ。ジオンではありえない話だった。
 そしてもう1つは、まだ記録映像も分析したわけでもないのにあの激しい対空弾幕の中でサラミスの艦番号まで確認していたサクラ少尉にであった。
 
 帰還した『ウンディーネ』は、喪失したリッチェンス機の補充を受けないまま、スミス艦長の好むと好まざるとにかかわらず『アクメル』とのペアで211哨戒戦隊という新たな部隊名まで付与されて戦闘行動をすることになった。
 同時に、地球圏の哨戒任務が、ソロモンの宇宙攻撃軍の活動範囲内だと強固に主張するドズル中将の意見が通って、グラナダ戦闘団の哨戒範囲は、グラナダ空域の周辺だけとなり、グラナダの哨戒艦隊と連邦軍が、戦火を交えることは皆無といえる状況になった。
 そんな状況下で、新たな辞令が降りたのは、9月も終わろうかというときだった。
 
「そんな!ウンディーネ固有のモビルスーツ隊は、ゴドノフ少尉のはずです!!」
 スミス中佐から、辞令の内容を聞かされてまっさきに口を開いたのは、サクラ少尉だった。
「仕方がないわ、これはもう決まったことです」
 サクラ少尉が、そんなふうに感情を露にするとは予想もしていなかったスミス中佐は、少しだけ驚きを顔に出したが、すぐに平静に戻ってやや嗜めるような口調で言った。
「納得いきません!」
 それでもサクラ少尉は、言い返した。
 オルトマンやリックマン、ガルベスもこの辞令には驚かずにはいられなかった。哨戒部隊のムサイに搭載するモビルスーツが、1個小隊編成に移行しつつあるのはみんな分かってはいた。それでも3ヶ月近くに渡って行動を共にしてきたウンディーネ・モビルスーツ隊が、解体されることには抵抗があったし、ましてや残るのが、サクラ小隊だとは誰も思いもしていなかったからだ。
「少尉・・・よすんだ。艦長が、決めたことじゃない」
 前に出ていきそうになるサクラ少尉を止めたのは、ゴドノフ少尉だった。
「でも・・・」
 もちろん、サクラ少尉にも分かっていた。
「ゴドノフ少尉とガルベス曹長には、新しい配属先の辞令が追って出ます、取り敢えずはグラナダの第4師団のモビルスーツ隊に編入されるらしいってことだけは分かっているわ」
 スミス中佐は、努めて表情には何も出さないようにしているらしく、伝える口調もいつもと変わらなかった。艦長とは、そういうものだと分かってはいても、それが、サクラ少尉に、僅かな反感を持たせる。
「第4師団は、固有のモビルスーツ隊を随分地上に抽出したために戦力が弱体化しているらしいわ。その補強というわけね」
 スミス中佐は、自分の知りえる範囲で知りえたことを伝えた。感情的には『ウンディーネ』着任当初から作戦行動を共にしてきたゴドノフ少尉が転属していくことについて考えるものがあったが、艦長としてのスミス中佐にとっては、サクラ小隊、とりわけサクラ少尉が残ってくれたことに対する喜びの方がずっと大きい。
 もちろん、そんなことは、スミス艦長のどの表情からも読み取ることはできなかったけれど。
「以上!ザクの搬出は明日実施です。今日中に準備を済ませるように!」
「明日!」
「明日ですか?」
 サクラ少尉が、あまりに急なことに驚いて声を出し、冷静なふりをしていたゴドノフもさすがに聞き返した。
「グラナダ軍令部からの命令です!解散!」
 これ以上は、何も聞かないわ!と言う意思表示を込めた解散命令にさすがのサクラ少尉も、黙るしかなかった。
 
「ぜぇっっったい、納得がいかないわ!」
 サクラ少尉は、顔を紅潮させていった。顔が、紅潮しているのは怒りのせいが半分と、あとはアルコールのせいだった。
 辞令のあと、5人は、搬出の準備を整備班の連中に半ば以上強引に任せて真っ直ぐグラナダにいくつかあるラウンジにやってきたのだ。
 飲み始めてからたっぷり2時間、何度目かのサクラ少尉の不満爆発だった。爆発の度になだめるのが難しくなってきていて、もうそろそろ手に負えなくなりつつあるのをリックマンとオルトマンは、心配し始めていた。
「いや、少尉、確かにそうですが、仕方がありませんぜ」
 オルトマンが、サクラ少尉をもう何度目か、なだめようとする。「うちらだけ2個小隊っていうわけにもいかんでしょうから」
「じゃあ、あたしが出ていくわ!」
 もうだいぶアルコールが入って駄々っ子のようにサクラ少尉はなっていた。
「キシリア閣下のサイン入りですぜ!少尉」
「・・・」
 キシリアの名前が出るとさすがのサクラ少尉も黙り込んだ。ジョッキに入ったビールに八つ当たりするように一気に飲み干す。
「まあ、同じグラナダに残るわけだし。こうして飲むこともできるってわけだ、少尉!よろしく頼むぜ」
 ゴドノフ少尉は、努めて明るく振る舞っている。
「ビールッ!」
 ゴドノフ少尉の言葉には応えず、サクラ少尉は、新しいビールを要求した。
 ガルベス曹長が、少し座る位置をずらし、オルトマンとリックマンは、止めようかどうしようかを顔を見合わせて目で相談した。
 ゴドノフ少尉は、そういった3人の行動には全く気が付かずに、ビールを追加注文した。
「おい!ビールだ!」
 通りかかったウェイターに注文をしたゴドノフが、目で抗議してくる3人に気が付いたのは、新しいジョッキが運ばれてきた後だった。
 新しいジョッキを受け取ったサクラ少尉が、くいっとそれをあっという間に半分ほども飲み干す。一体、この小さな体のどこに吸収しているのか、ジョッキを空けた数は大の男4人に全く引けを取っていないどころか多いくらいだった。
 ゴドノフ少尉は、アルコールのせいで少し気分が良くなっていたが、他の3人はというと、どれだけビールを飲んでも酔える気分には全くならなかった。サクラ少尉の目が、ドンドン座っていくからだった。
「絶対に、面白くないっ!」
 残ったビールもあっさり飲み干したサクラ少尉が突然叫んで立ち上がった。
 焦ったオルトマンも慌てて立ち上がる。
「しょ、少尉、どうした・・・グヘッ・・・」
 肩を押さえて座らせようとしたオルトマンのみぞおちに後ろも見ずに放たれたサクラ少尉の肘鉄が、まともにめり込み、オルトマンは、カエルを踏みつぶしたような声を出して、席へ強制的に座らされた。
 もっとも、サクラ少尉が、このことを意識してやったかどうかは分からない。
 オルトマンに肘鉄を食らわしたサクラ少尉は、そのまま今度は、ゴドノフ少尉の方に向き直ると席に着いたままのゴドノフ少尉にばっと抱きついて子供のように泣き出した。
「少尉、少尉、少尉ともっともっと一緒に戦いたかったんですよぅ。少尉は、操縦も射撃も下手だけど、一緒に、一緒に戦いたかったんです!」
 わぁわぁ泣ながら、途切れ途切れにサクラ少尉が言っている内容は、とっても聞ける内容ではなかったけれど、ゴドノフ少尉は、自分の胸に顔をうずめてわぁわぁ泣いているサクラ少尉に、あっけにとられるだけだった。
「ホントよ、ホントに思ってるんです。下手くそでモビルスーツパイロットのセンスなんて欠片もないし、顔だってお世辞にもかっこいいと這いえない少尉だけど、なんかほっとけなくって・・・離れたくないんですよぅ・・・」
 止めないことを良いことに・・・いや、止めることなんかできなかっただろうけれど、サクラ少尉は、本音なのかどうなのかも分からなかったし、悪意があるのかないのかも分からなかったけれど、まるで機関銃のように喋りまくった。
 素面で聞いたら、絶対に悪意があるとしか思えない言葉の連続だったけれど、酔って子供のように泣ながら言うサクラ少尉にどうやら少なくとも悪気はなさそうだった。
 留まるところを知らないのかと思ったサクラ少尉が、急に静かになったのはいきなり泣き出してから10分も経った頃だった。
「どうしました?少尉?」
 リックマンが、しーんとなったサクラ少尉に面食らってゴドノフ少尉に聞いた。
「寝ちまった・・・」
「は?」
 ガルベス曹長が、拍子抜けたように言う。「寝た?んですか?」
「ああ、寝ちまった。お前らの隊長さんは、全く、いつもこんなふうなのか?」
 ゴドノフは、呆れたとさも言わんばかりに自分にしがみついたまま軽い寝息を漏らしているサクラ少尉をみていった。
 さっきまで、暴言にも近い想いを喋りまくっていたとは到底思えない。
「はぁ、まあ、そうです」
 リックマンが、今日は暴力がないだけ随分マシですと言いたいのをぐっとこらえて答えた。
「まあ、悪気はないんだろうが・・・素で聞いたらこりゃ、へこむぞ」
「はぁ、確かにへこみます、私たちだって何度やられたか・・・ただ、悪気はないってとこだけは確かですぜ、少尉」
 リックマンが言うのに、オルトマンがまだ呻きながら首を縦に振って同意した。
「そう願いたいもんだがな?ま、サクラ少尉だから許せるって面もあるが・・・あの腕前だ、誰でも下手くそに見えるってもんだ」
 もっともサクラ少尉以外にたとえ酔っていたとしてもこんなに言いたい放題言える人間は、いるとも思えなかったけれど。
「まあ、口と酒癖だけが良くないのがうちの隊長です」
「良い隊長だ!」
 ちっとも悪びれずに胸さえ張って言うリックマンにそういうとゴドノフは、豪快に笑った。熟睡している赤ん坊でも飛び起きそうな豪快な笑い方だったが、サクラ少尉は、僅かに身じろいだだけでいっこうに起きる気配はなかった。
「じゃあ、引き上げるとするか?慣れてんだろう?」
 ゴドノフは、ジョッキを置いた手でサクラ少尉を指さしていった。
「まあ、そういうことです。少尉」
「じゃあ、この可愛い隊長さんをよろしくな!明日は、モビルスーツの搬出もある、早いしな、これで解散だ。ここは、奢っておいてやるよ!」
「分かりました、少尉」
 オルトマンが、まだ痛むみぞおちを庇いながらそっと小柄なサクラ少尉をゴドノフ少尉から、離す。
「ありがとうございます!この借りは、またポーカーで舫ったときに負けて差し上げるってことで、少尉!」
 リックマンが、立ち上がって軽い敬礼をしながらニヤリと笑って言う。
「はんっ!そうそう、俺も運が悪いわけじゃない!その勝負、必ずな!」
 それだけ言うと、ゴドノフは、ガルベス曹長を連れて席を後にした。
 それを見送ったオルトマンとリックマンは、同じように肩を竦めてぐっすりと寝入った自分たちの小隊長を見下ろした。
「可愛いもんだぜ」
「可愛いもんだぜ」
 期せずして同じ言葉を漏らしたオルトマンとリックマンは、顔を見合わせてひとしきり笑うと、真顔になった。
「じゃんけんで負けたら、おぶうんだぜ?」
「分かってるさ」
 部屋まで運ぶうちに目覚めなければ何もないが、目覚めたらおぶっているほうは、間違いなく痛い目に合わせられるからだ。
 
「なんだぁっ!」
 翌日、まだ少しばかり昨日の酔いが残った頭を振りながらザクの搬出のために『ウンディーネ』の格納庫に少し早めにやってきたゴドノフは、自分のザクのシールドに描かれた絵をみて開口一番に言った。
 早めとは言っても既に格納庫内では、今日のザクの搬出の準備のためにかなりの人数が作業を開始していた。
「どこのどいつだ、こんな落書きしやがって!」
 けれど、落書きというには、綺麗に描き込まれているしサイズも大きい。3メートルぐらいはあるだろうか?東洋の着物を着た東洋風の顔をした女性の絵らしかったが、もちろん、こんなものを描いて欲しいと言った記憶はこれっぽっちもない。
 シールドに横付けされた作業用のデッキの上で寝転がっている整備兵がきっと描いたのだろう。昨日は、あんな絵は描かれていなかったから、夜のうちに描いたに違いなかった。
「良いでしょ?」
 その整備兵をどやしつけて、なんでこんなものを描いたか問い詰めてやろうと思った矢先に背中側から声が掛かった。振り返ると、昨日子供のように泣いていたサクラ少尉が、今日は、悪戯っぽい顔を見せて立っていた。
「良いかどうかは分からんが・・・」
 全く意味の分からない絵にどう答えていいものかゴドノフは、少々困った。絵がどうであれサクラ少尉以外の仕業なら大声で怒鳴っているところだ。
「あれはね、吉祥天様なの」
 描き上がった絵を満足そうに見てサクラ少尉は、にこにこしながらいった。
「きっしょーてん??様?」
 なんて発音しにくいんだと思いながら、ゴドノフは、忘れないように何度か頭の中で繰り返した。
「そうよ、アジアのね、神様なの?幸福をつかさどる女神様なのよ」
「なるほどね・・・」
 そう聞けば、何となく描かせた理由が分かる気がした。またしても悪意はなかったということだ。
「少尉のシールドって機体番号しか入ってなくって殺風景じゃないですか?だからなんか描いとこうかな?って」
「で、あれか?」
 ゴドノフは、視線をしゃくって言った。
 色気たっぷりの女性をシールドアートとして描いているやつは何人もいたが、着物とか言う東洋の服を着た女性の絵は、ザクには何となくアンマッチだと言わざるを得ない。
「いろいろ考えたんだけど、幸福の女神様で、吉祥天様が一番に思い浮かんだの、まあ、あたしの閃きね?」
 どうせなら西洋の女神様が良かったが、そんなことを言ったらきっとサクラ少尉がしょげ返るような気がして、冗談でも言うのはやめておこうとゴドノフは思った。
「良く描けたな?」
 というより、昨日のあの状態から良くそんなことができたものだと感心した。
「昨日、あれから整備兵を殴って・・・じゃなくってお願いして描いてもらったの」
「ありがとう、って言うべきだな?」
 それが、あの整備兵が、あそこで眠っている理由なのだろう。寝ているところを無理矢理起こされて、サクラ少尉の言う通りパンチの2、3発も見舞われて描くことになったのだろう。
「当たり前です!」
 少し口を尖らせて言うサクラ少尉は、本物の少女だった。
「だな。エルフィン・サクラ少尉!心から礼を言う!ありがとう!」
「どういたしましてアンドレイ・ゴドノフ少尉!」
 2人は、ぐっと堅い握手を交わした。もっとも、ゴドノフ少尉は、握りつぶしてしまわないように力を加減したが。
「死ぬなよ!サクラ少尉!」
「ゴドノフ少尉こそね!」
 軽くウィンクをして、空いたほうの手で敬礼をするサクラ少尉に、ゴドノフも敬礼を返した。
 ゴドノフ少尉は、サクラ少尉ともう一緒に戦えなくなることが、本当にいろいろな意味で残念だったけれど、敢えてそれを言葉にしなかった。少女のようなサクラ少尉に、どういった言葉で伝えたら良いのか分からなかったからだ。
 また、次の機会に気の利いた言葉を考えておくさ!ゴドノフは、そう考えて自分の気持ちを飲み込んだ。
 この巡り合わせに、ゴドノフ少尉だけでなくサクラ少尉もゴドノフ少尉以上に感謝し、別れを残念がっていたことをゴドノフ少尉は決して気が付いてはいなかった。
 そして、この時に言葉にしておかなかったことをゴドノフ少尉は、後から酷く後悔することになるのだけれど、もちろん、この時のゴドノフ少尉にそんなことが分かるはずもなかった。
 
 戦争が、転換期を迎える前夜の話しである。