The strongest pair

  


「オーニ准尉が、墜とされたって?」
 コーヒーカップを、口へと運ぶ動作を思わず止めてウィルソン曹長は、思わず声の主を振り返り、相手も見ずに声を発した。
 声の主は、サンライズ曹長だった。
 オーニ准尉指揮下の第4小隊のパイロットで、ウィルソンとは、同期にあたる。
「ああ、今朝の模擬戦闘でさ・・・」
「その言いようだと、相手は、中尉じゃなかったようだけど?」
 ウィルソン達が、乗艦しているこのレッド・ジュエルを旗艦とする第74モビルスーツ教導大隊で小隊指揮官を務めるほどの腕前を持つオーニ准尉を模擬戦闘で墜とせるパイロットは、そう多くない。
 特に、遠距離からの狙撃を得意とするオーニ准尉の間合いに入り込めるパイロットは、多くないのだ。
 オーニ准尉を墜とせるパイロットは、ざっと思いつくかぎり2人しかいない。1人は、接近戦闘を得意とするゲリン少尉だ。オーニ准尉に勝ち目がないわけではないが、もしも、2人の戦闘訓練で賭けが実施されるならそのオッズは、随分と偏ったものになる。
 後1人は、賭けにもならない。
 全ての間合いで圧倒的な強さを発揮するレイチェル中尉だ。
 まあ、その2人なら、話題にはならないだろう。
「ああ・・・」
「で、相手は誰だったんだい?」
「例の、ジオン上がりのパイロットさ・・・たった、74秒で墜とした・・・らしい」
 ウィルソン曹長は、74秒というあまりに短時間でオーニ准尉が撃墜されたことに驚いたあまり、ユーベル曹長の語尾が、小さくなったことに気が付かなかった。もっと、注意していれば、ユーベル曹長の話していた兵士達の顔がこわばったのにも気が付いたはずだった。
「じゃあ、ひょっとするとレイチェル中尉よりもすご腕・・・ぐはっ!」
 ウィルソン曹長は、最後まで言うことができなかった。
 手にしたアルミ製の軽量コーヒーカップが、くるくると回り中身をまき散らしながら床に落ちるのに少し遅れてウィルソン曹長は、顔面から床に崩れ落ちた。
「ったく!しょうもない話してるんじゃない!」
 午前の休息時間をマッタリと過ごしていたウィルソン曹長を手刀の一閃で悶絶させたのは、レッド・ジュエルモビルスーツ隊指揮官のレイチェル・アレクシア中尉だった。
 ユーベル曹長と他の兵士は、ビクンと何かのおもちゃのように直立不動の姿勢を取った。その直立不動になるまでの時間を考えるならば、その中尉が、驚くほど尊敬されているか、恐れられているかだった。
「分かったら、各自、機体整備!!」
「はっ!中尉殿!!」
 公式に認められた休息時間だったが、そんな口応えをしようものなら床にのびる人数が増えるだけなのは、全員が知っていることだった。
 
「で?」
 椅子に浅く掛けたレイチェル中尉は、オーニ曹長が、向いに置かれた椅子に座るのを見届けると、長い脚を組んで話を促した。
「はい・・・慢心が合ったことは確かです・・・彼女が、ジムに実際に搭乗するのは初めてでしたし・・・」
 オーニ曹長は、正直なところを話した。
「そんなことは、聞いてないわ!あんたの、うっかりは今に始まったことじゃないものね・・・」
 レイチェル中尉は、自分の求めているのと異る答えを始めたオーニ准尉の話しを遮った。
「あう・・・」
「どう、うっかりしたらあのパイロットにあんな短時間で墜とされるのか?と、言うことを聞きたいの」
「はい・・・」
 オーニ准尉は、午前の戦闘訓練を思いだしながら改めて話し始めた。「訓練は、標準装備で始めました。なにぶん、初めての実機操縦だったので・・・」
 前日に、レイチェル中尉から「明日は、実機で訓練を施してやって頂戴、手加減無しでね!」と、言われたオーニ准尉は、格納庫の整備班に自分のJ型の整備を依頼するとともに相手の機体に選んだカスタムタイプの整備も依頼した。
 兵装は、もちろん、昨今の主戦闘火器、ビームライフルだ。
 手加減するつもりは、最初からなかった。
 後で、記録ビデオを見られたら、自分が本気で戦ったかどうかは一発で見破られてしまうからだ。そうなったら、後々面倒くさいことになる・・・というか、痛い目を見ることになる。
 普段は、下の階級の兵士達から面倒見が良いということで慕われるオーニ准尉も、レイチェル中尉の機嫌を損ねることを考えれば、自ずととるべき行動は1つだった。
 戦闘訓練のタイプは、単機戦闘。
 交戦開始距離は、予期遭遇戦闘、つまり25キロに設定した。高機動戦闘に於けるビームライフルの有効射程距離が、10キロだから、ゴングが鳴って、実際の空間戦闘に持ち込むまでは15キロの余裕があるはずだった。
 相対距離が、20キロになったところで得意の遠距離狙撃を仕掛け、少しばかり肝を冷やさせたところで、一気に間合いを詰め、有無を言わせないビームライフルの連射で止めをさす・・・、それが、オーニ准尉の目論見だった。
 初めてジムの実機を操縦する相手には、悪い気がしたが、オーニ准尉だって小隊を任されている指揮官なのだ。無様な負けっぷりを曝すわけにはいかなかった。
 交戦を開始後、いきなりオーニ准尉は、意表を突かれた。
 敵は・・・そう、いつでも、それが訓練でさえ自分に相対してくる相手は、ジムのコクピットの中にいるかぎり、オーニ准尉にとっては敵だった。その敵は、いきなりトリッキーな機動を始めたのだ。
 つまり、オーニ准尉が照準するよりずっと先に射撃されることを念頭に置いた回避機動をとりながら接近してきたのだ。
 ジムに不慣れなパイロットとの戦闘を知らぬ間に意識していたオーニ准尉にとって、それはまさに意表を突かれた格好になった。大きな水平機動に小刻みな上下機動を組み合わせた回避機動は、オーニ准尉の得意な遠距離狙撃をほとんど不可能にしていた。
 更に、意表をつかれたのは敵が、20キロの位置から射撃を送ってきたことだった。ほとんど回避らしい回避を行っていなかったオーニ准尉のJ型を掠めるようにビームは、襲い掛かってきた。慌てたオーニ准尉は、機体を闇雲な回避機動に入れた。そこへ、更にビーム射撃が襲い掛かってきた。のっけから、受け身に立たされ、焦りを鎮められなかった。ジムの機動に関しては、あたしの方がずっと習熟しているはずなのに・・・。焦りといらだち、次々と襲ってくるビーム射撃に、敵の位置さえ把握しきれないうちに、敵は、間合いを詰めていた。
 しまったと思ったときには、撃墜判定を受けていたのだ。
「じゃあ、何?あんたは、ろくに射撃もせずに墜とされたってわけ?」
「はい・・・」
 実際に、オーニ准尉の放ったビーム射撃は、数えるほどしかなく、それも牽制射撃の範疇を越えるものではなかった。つまり、撃墜されるまでの間、終始、敵に主導権を握られっぱなしだったというわけだ。
「あのパイロットは、あたし達との戦闘を戦って生き残ってきたのよ・・・ジムは、上手く扱えなくってもあたし達がどんな戦法を好むかってことを知ってて、その対処に長けているってぐらいは想像がついても良さそうなもんじゃなくって?」
「はい・・・」
 確かに、相手が実戦、それも連邦軍との、を潜り抜けてきていたことを考慮しなかったのも間違いはなかった。実際に戦闘訓練を見たわけでもないのに、相変わらずレイチェル中尉の指摘は的確かつ的を得ていた。
「それに、あたしが、目をつけたパイロットだって言うことも忘れてたんじゃない?」
「あう・・・」
 並のパイロットには、目もくれないレイチェル中尉が、声を掛け、引っ張ってきたパイロット・・・そのことだけで称賛に値するに違いがないのだ。
 コンペイトウの士官用のラウンジで、偶然に席が隣り合わせたことがきっかけだったらしい。アルコールの席で、どうパイロットとしての手腕を見込んだのかは謎だったが、今日の模擬空戦で、キャサリン少尉が、想像以上のパイロットであることは理解できた。
(レイチェル中尉の直感って、やっぱりスゴイんだ・・・)
 少し、思案顔になったレイチェル中尉の顔を見ながらオーニ准尉は、しばし思考を飛ばした。
「ふむ・・・」
 レイチェル中尉は、足を組み換えると思案を続けた。
 単機戦闘に対する適性は、予想以上ということが分かったからだ。オーニ准尉が、墜とされたとなると、残ったパイロットで使えそうなのは、クマゾウ准尉かゲリン少尉だけだった。けれど、クマゾウ准尉は、オーニ准尉と同程度かそれ以下でしかなかったし、ゲリン少尉が、墜とされることはない気がしたが、万が一のことを考えると危険は冒せなかった。士官パイロットが、2人も墜とされて良いものではない。
「オーケイ、明日は小隊戦闘訓練を実施、オーニ准尉の4小隊と・・・そうね、彼女には3小隊からトールマイヤー曹長とウィルソン曹長を付けて・・・3対3になるようにして・・・良い?」
 支援機を付けて、得意の射撃に専念させればあるいは違う結果が出るかもしれないと思ったのだ。仮に今度も負けたとしても一度負けているのだからまあ良いという思いもあった。
「了解しました」
「3小隊の2人には、彼女をあたしだと思って支援するように言っておいて頂戴・・・手を抜いたら3日間あたしが可愛がってあげるとでも言っておいて」
「了解です」
 オーニ准尉は、久しぶりにレイチェル中尉の真剣な目を見た気がして、思わず首を竦めそうになった。
 明日の模擬戦闘には、然るべき覚悟をもって臨まねばならないことを意識し、オーニ准尉は、眩暈がしそうになった。
 
 結果から言うならば、オーニ准尉の4小隊は、またしても敗退を余儀なくされた。3対3の編隊戦闘は、オーニ准尉が、1機のスコアを挙げたもののユーベル曹長が、トールマイヤー曹長に、オーニ准尉とジータ曹長が、彼女に撃墜されたのだ。
 
 レイチェル中尉は、何度目かの編隊戦闘訓練のビデオを見終わって深い溜め息をついた。
 念を押しておいたお陰でトールマイヤー曹長とウィルソン曹長が、手を抜かなかったのは確かだ。2人は、突然、編隊を指揮することになった小隊長を完璧に支援して見せていた。つまり、彼女は、足を引っ張られることがなかったというわけだ。
 そういう意味では、オーニ准尉の4小隊も1機を欠いてはいたが、普段通りの、あるいは普段以上の実力を発揮できていた。特に、オーニ准尉は、それなりの覚悟をもって今日の戦闘訓練に臨んだはずだからなおさらだ。
 一見すると、どちらが勝ってもおかしくない戦闘に見えたが、彼女の戦闘ぶりは、全く危うさというものがなかった。
 初めて編隊を組んで、僚機となる2人の力量も解らなかったはずなのに、まるで1年戦争を供に戦った戦友のように指揮して見せたのだ。自分が、生き残る戦闘ではなく、小隊の全員が生き残れるように戦闘を展開していたのが見える。
(凄い、パイロット・・・でもね、誰が一番かは、解らせてあげなきゃね・・・)
 レイチェル中尉は、やおら艦内電話を手にして、ブリッヂを呼び出し、何事かの許可を求めた。いや、許可というよりは命令みたいなものだったかもしれない。確かに、口調は、上官に対してのものだったけれどその勢いは、決して、そうではなかったからだ。
 
「どう?良い気分?」
 探していた人物を士官食堂で見つけたレイチェル中尉は、その人物が席を占めているテーブルまですたすたと歩いていくと、許しも求めずに向かいの席に腰を下ろして、話しかけた。
 座っていたのが、少尉の襟章を付けているから問題がないといえばなかったけれど、声を掛けられた当人は、酷く驚いたようだった。
「??」
 声を掛けられた少尉の士官服を着た兵士が、きょとんとした顔をこちらに向けた。パッと見ると、昨日今日と、戦闘訓練で非の打ち所のない戦闘をして見せたパイロットには見えない。どこにでもいそうな女性兵士で、オーニ准尉を2度続けて撃墜したパイロットには本当に見えない。
 あいまいな、それでいて、人を惹きつける笑顔を意識してかしないでか、レイチェル中尉に向けて、首を僅かに傾げた。
 あの2人、トールマイヤー曹長とウィルソン曹長なら、この笑顔だけで、レイチェル中尉の言葉がなくっても本気になったかもしれないと、ふと思う。良い笑顔だった。
 自分も、ひょっとすると、パイロットとしての資質よりも、どちらかといえばこの笑顔に惹かれたのかもしれないと、思えるほどだ。
「連勝したでしょ?」
 レイチェル中尉は、そういう思いを脳裏から振り払って続けていった。同時に、右手を挙げてパチンと指を鳴らした。
「ええ・・・まあ。でも、今日は、友軍機を1機墜とされてしまいました」
 それは意気がりでも何でもなく本当に口惜しいという気持ちから出た言葉らしかった。
「明日のこと、聞いてるかしら?」
「はい・・・ついさっき、当番兵から聞きました。中尉と模擬戦闘訓練をするって・・・」
 テーブルにコーヒーが運ばれてきた。指を慣らしたのが、このためだと解って少し驚きながら彼女は続けた。「聞いています」
「どう?自信のほどは?」
「あるとは言えません・・・でも、実力は、出し切るつもりです、中尉」
 一瞬、彼女の表情が引き締まるのが感じられた。パイロットとしての素顔が、垣間見えたと言ったところだった。
「そう願いたいものね?実力が発揮できなかった!なんて、後からいわれてはたまったものではないわ・・・何なら、休息を挟んであげてもいいのよ?」
 実力といわれて、3日連続の戦闘訓練は、ひょっとして彼女の実力発揮を妨げる要因かもしれないと思ってレイチェル中尉は、いった。
「いえ、その点は、心配なさらないで下さい。かえって、集中力が持続していいものです。ジオンにいるときには、10日連続して出撃したこともありましたから・・・」
 ゆっくりとした穏やかな口調だったけれど、キッパリと断った。
「フルネーム・・・なんていったかしら?キャサリン・・・?」
 引っ張ってきたとは言っても、フルネームを知らなかったことに気が付いてレイチェル中尉は、苦笑した。もちろん、顔には出さない。
「キャサリン・ウィステリア・フィルド少尉であります、レイチェル・アレクシア中尉!」
「ふ〜ん、たいそうなミドルネームまであるというわけね?わかったわ、少尉、明日は、手を抜かないから覚悟しておいて!骨のあるところを少しは見せて欲しいものね・・・」
「ええ、胸を借りるつもりで、力いっぱいやらせてもらいます。遠慮は・・・しなくて良いんですよね?中尉」
 ホントに、本気になってくれるのかしら?キャサリン少尉は、表情に出さないように思った。
「遠慮してるのが解ったら、本物のメガビームを御見舞いするわ」
 それが、半分以上本気であることに気が付いているのかいないのか・・・キャサリン少尉は、満面の笑みを浮かべて返事をした。
「了解しました、中尉!全力でいきます!!」
 他の兵士なら、縮み上がる言葉を聞かせてもにっこりとしているキャサリン少尉に多少引っ掛かりを感じながらもレイチェル中尉は、席を立った。
 そのレイチェル中尉を見送りながら 微かな笑顔の下でキャサリンは、思った。
(一昨日の准尉のように、やっぱりジオン上がりということで舐めてかかるのかしら?だったら、そうじゃないことを准尉と同じように思い知らせてあげる。1年戦争を、ダテに生き延びたのではないことをね・・・)
 キャサリン少尉は、レイチェル中尉が、言葉通り本気で戦ってくれることを望んでいた。ジオン上がりということでいい加減に扱われるのには、辟易としていたからだ。
 もちろん、それが、そうそう簡単にして貰えることでないことも知ってはいたけれど。
 
 対決といっても良い模擬戦闘訓練は、結局のところ午後からになった。午前中は、キャサリン少尉が搭乗することになったジムSR01に、少尉が、完熟するために費やされたからだった。
 レイチェル中尉の愛機であるSR02は、連邦軍のモビルスーツ開発プログラムの中でも異端に属する機体であり、僅かに8機が生産されただけの機体だった。その開発には、連邦軍の技術だけではなく、ジオン軍から拘束した技術者に協力させた技術も取り入れているといわれる。そのため、こと単機レベルで見るならば連邦軍に現存するどんな種類のモビルスーツよりもその性能は優れているとされる。
 そんな化け物レベルの機体に、連邦軍にあっても1、2を争うエースパイロットが搭乗するのだ。他の兵士が使うJ型やカスタイムタイプでは、たとえキャサリン少尉が、並み以上の腕を持っているとしても不利になるのは否めなかった。そのSR02に唯一匹敵する機体といえば、SR02が配備されるまでレイチェル中尉の搭乗機だったSR01以外には、なかった。
 一般量産型のジムと雲泥の差があるといっても操縦システムが、異なるわけでもなかったが、加速感やスラスターの反応性、射撃時のクセなどを飲み込みたいとキャサリン少尉が求め、レイチェル中尉も当然のようにそれを認めた。
 
「オッズはどうなんだ?」
 トールマイヤー曹長は、同じ小隊のウィルソン曹長をメイン・ブリーフィングルームに見つけると尋ねた。
 まもなく模擬戦闘が始まろうしており、メイン・ブリーフィングルームには、大勢の兵士が集まってきていた。艦外カメラで写された模擬戦闘の模様が、映し出される大型のプラズマビジョンが備えられていたからだ。
「公式のかい?それとも非公式のか?」
 対決に近い模擬戦闘訓練が行われると聞かされては、娯楽の少ない軍隊生活にあって賭けの対象にならないわけがなかった。
「いちお、両方聞いておこうか?」
「公式には、10対0でレイチェル中尉・・・」
「だろうな・・・」
 トールマイヤー曹長は、苦笑した。レイチェル中尉以外に賭けたものがいて、それがばれたら大変なことになる。もしも、それがパイロットだったら実弾訓練の標的にされても不思議ではない。
「で、非公式には?」
「6対4でレイチェル中尉」
「ほう・・・でウィルソン、お前は、どっちに?」
 非公式とは言っても、もう少しレイチェル中尉に分があると思っていたトールマイヤー曹長は、軽く驚いた。おそらく、模擬戦闘訓練でさえ、誰にも一度も墜とされたことのないレイチェル中尉が墜とされることを期待したオッズだろうと思えた。
「ジオンあがりの少尉に・・・」
 ウィルソン曹長は、声を潜めていった。「そうなったら、レイチェル中尉が、少しは大人しくなるかなっていう期待も込めてね」
「ないな・・それは・・・」
「だろうな・・・」
 お互いが、小声になって話しているところへ艦長のゴンザレス大佐のだみ声が重なった。
『アレクシア中尉、発進せよ!!続けてフィルド少尉、発進せよ!!』
『レイチェル中尉、でる!!』
『キャサリン少尉、了解!でます!』
 そのだみ声の後にレイチェル中尉の澄んだ声とキャサリン少尉の優しい声が重なるように続いた。
 レッド・ジュエルの右舷デッキからレイチェル中尉のピンクのSR02が発進し、それにコンマ2秒遅れてキャサリン少尉の標準色のSR01が、左舷デッキから発進するのがメインスクリーンに映し出された。
 手隙の艦隊乗組員の全員が、固唾を呑んで見守る中、2機の高性能モビルスーツは、カタパルト射出されたまま1分間前進すると左右へと別れた。そのまま相対距離が25キロに達したときが戦闘の始まりだった。
 まるで申し合わせたかのように同時にメインスラスターを吹かした2機のジムが、急速にスクリーンの中で小さくなっていくのを見ながらトールマイヤー曹長は、どちらを応援していいのか解らなくなってきた。
 
「お手並み拝見というところね・・・」
 レイチェル中尉は、メインモニタに表示された相対距離計に注意を払いながらひとりごちた。IFFを切り、センサに捉えられたものを全て敵性と表示するようにと切り替える。
 その方が、より実戦向けと思うからだ。
 敵は、真っ直ぐ後方へと距離をとっている。
 相対距離計は、目まぐるしくその数値を増やしていく。
(20000・・・)
 声に出さずにレイチェル中尉は、数値を読んだ。
(22000・・・24000・・・)
 25000までは、あっという間だった。数値が、25000を示すと同時にロックの掛かっていたビームライフルの安全装置が外れる。急激なブレーキングをかけると同時にレイチェル中尉は、機体を垂直面に対して2時の方向へ跳ね上げた。
 ランドセルに装備されたメインスラスターから青白い噴射炎が長く長く伸びる。
 敵へと振り向けたメインカメラは、早くも敵のビーム砲撃を捉えていた。敵の砲撃は、セオリー通りの2連射だった。直進する機動を読んで狙撃してきた。機体を跳ね上げていなければ、直撃を食ったかもしれない正確な射撃だ。
 双方が、25000で機体を振り向けたにも関わらずほぼ全力加速をしていたこともあって制動が掛かるころには、相対距離は、28000まで広がっていた。
「小癪な!!」
 レイチェル中尉は、そう声に出すと敵と同じように2連射を浴びせた。もちろん、命中するなどとは思っていない。敵の回避機動のクセを引き出してやろうと思ったのだ。
 しかし・・・
「チッ・・・」
 レイチェル中尉は、舌打ちした。
 狙わずに射撃したのが悟られたのか?敵は、回避しなかった。
(面白い!マジでやんなきゃってことね!)
 レイチェル中尉の瞳が、今まで以上に真剣味を帯び、口元には笑みが浮かんだ。それは、レイチェル中尉が、本気で戦う気になった現われだった。いや、レイチェル中尉は、いったんコクピットに収まれば、本人が意識しているかどうかは別に、本気でないことは1度もなかった。
 思わず、心でそう思うほどの敵としてキャサリン少尉を認めたということだった。
 
「くっ!!」
 キャサリン少尉は、レイチェル中尉の2連射に対し回避したい気持ちをぐっとこらえた。近接するための機動を始めたばかりでレイチェル中尉の射撃も牽制に近いものだと判断したからだ。
 けれど、牽制の射撃にしては、あまりに至近をメガビームが通過したのだ。もちろん、デジタル処理されてモニタ上で表現されているに過ぎない。それでも、決して気持ちのいいものでないことは確かだった。
「狙撃?された・・・」
 牽制にしては、あまりに至近を通過したせいでキャサリン少尉は、牽制かどうか自信が持てなくなっていた。狙撃でないのならば、異常なほどの射撃に対するセンスを持っているということだ。
 しかも、その射撃は、回避機動をしながら送り込んできたものなのだ。
 尋常ではないと言わざるを得ない。
 戦争中にザクで対戦しなかったことを思わず感謝したぐらいだ。ザクに倍する推力と8割増しの反応性を持つのではないかと思えるこの機体でさえレイチェル中尉と対戦することは、恐怖だった。
 1年戦争中のエースというのは、ダテではなさそうだった。
 レイチェル中尉は、螺旋機動を中心とした回避運動を行いながら時折ビームライフルの射撃を送って寄越した。その1撃1撃が、至近を掠めていく。キャサリン少尉も射撃を送るが、レイチェル中尉の螺旋機動を中心とした回避が読み切れず、思うように収束しない。
 1年戦争中にあんなパイロットを相手にしたジオン兵は、運がなかったとしかいいようがないだろう。
 相対距離は、20000を切ろうとしていた。
(残エネルギーは・・・)
 それは、一瞬の思考だったが、それを狙い澄ましたかのようにまたしても際どい射撃が送られてきた。
 どきんと鼓動が高鳴り、冷や汗が流れる。
 少しだって気を抜いてはいけない相手らしかった。
 フットバーを思い切りよく踏み込み、右のスロットルを大きく開く。推進剤が、急激に消費される。機体が急激にターンし、キャサリンをシートにググッと押し付ける。
 続くレイチェル中尉の射撃はなかったが、それは、この回避のお陰だと思いたかった。
 
 メイン・ブリーフィングルームは、しんと静まり返っていた。スクリーンにもデジタル処理されたメガビームの軌跡が表示されており、どちらかが射撃するたびに小さなどよめきが起こっていたが、それ以外は全く静まり返っていた。
 戦闘開始直後に放たれたキャサリン少尉の射撃と、それに対するレイチェル中尉の反撃射撃以外は、今のところ至近を掠めたという射撃はなかった。
 そう思えた瞬間、僅かにキャサリン機が、直進機動をしたのを逃さずにレイチェル中尉のジムが、ビーム砲撃を行った。
「おおっ!!」
 思わず、どよめきが起こり、何人かは、直撃したとさえ思った。
 しかし、戦闘は続行しており、それが直撃でなかったことを知らせた。
 2機のジムは、くるくると回避を続けながら互いの距離を少しづつ縮めていっていた。そして、距離が縮まっていくに連れて互いの射撃の間隔は短くなっていった。
 
「ちっ!」
 いつものように連射しておけば、勝負があったかもしれないタイミングだった。けれど、強敵である、その認識が、不用なエネルギー消費を戒めており、結果、一度しか発射ボタンを押さないことにつながっていた。
 敵が、僅かに何かに気を取られたのを見逃さなかったのに・・・と、レイチェル中尉は、歯噛みした。
 しかし、悔やんではいられない。
 敵は、プレッシャーにならないまでも的確な射撃を送り続けてきているからだ。なるほど、オーニ准尉が墜とされるのも納得がいく牽制射撃だった。何かに少しでも気を取られたらその後は、追いつめられていくに違いない射撃精度だった。
 1射、時に2連射で送り込まれてくる射撃は、教導ビデオに使えばピッタリな射撃のお手本といえた。
(そろそろ?)
 レイチェル中尉は、回避機動を螺旋から鋭角機動にと切り替えた。正面から見ると直線機動で星を描くように見える機動だ。ランダムな螺旋機動に較べると直線機動も含む鋭角機動は、狙われやすい機動だったが、その直線機動時でさえ、レイチェル中尉は微妙なスラスターさばきで機体を小刻みに振った。また、速度を殺さないことで照準を付けがたくしていた。
 SR02の機体が、鋭角ターンをするたびにギシッギシッ!と軋む。
 同時にレイチェル中尉自身のしなやかな身体にもハーネスがきつく食い込む。激しいGが、襲い掛かっているのだ。
(ぐっ・・・)
 思わず、声が漏れる。
 けれど、それだけのことをしたことは報われる。
 螺旋機動を続けていたら際どかったに違いない3連射が虚空を切っていった。
「容赦しないといったでしょうっ!」
 更なる鋭角ターンをするためにフットバーを思いきり踏み込みながらレイチェル中尉は語気を強めて叫ぶと3連射した。
 ギシン!と、機体が軋む。同時に、ビームライフルの砲口からは、短い間隔でビームが矢継ぎ早に発射された。
 敵の右下方へ1射。間髪おかずに左下へ1射。そして、回避をしようと吹かしたスラスターを見て1射。
「ちぃっ!!」
 レイチェル中尉は、またしても強く舌打ちをした。
 必殺のはずの射撃は、寸でのところで躱されたのだ。
 相対距離は15000を切って更にその数値を減らしていた。
 
「はうっ・・・」
 モニタが、一瞬完全にピンクで染められ、命中したかと思ったほど至近をビームが掠めた。それでも、回避機動を怠ったりキャサリン少尉は、しなかった。機体が半壊しようと、いや全壊してすら戦闘は続行されればならない!これは、ジオンでの教えだった。機体が、少しでも動くかぎり諦めはしない!それは、キャサリン少尉の身体に染みついたものだった。
 近接兵器の60ミリバルカンの右側とランドセルに装備された右のビームサーベルが、表示上失われ、ロックされたことがモニタに表示される。つまり、メガビームは、ジムの右耳のすぐ横を通過し、ビームサーベルの柄に直撃したということだ。バルカン砲が使用不能になったのは、あまりに至近を通過したと判定されたことによってメガビームの干渉を受けたと判断されたのだろう。
 メインカメラまで干渉されたと判定されなかっただけでも儲け物だと思わずにいられない。それほど際どい射撃だった。
 なまじな回避は、かえってレイチェル中尉の餌食になる可能性を高めるだけのようだった。推進剤をけちるような回避は控えねばならない。フットバーを心持ち深く踏み、スロットルを可能な範囲で早くスライドさせるように意識をした。
「このっ!」
 キャサリン少尉は、初めて憎悪を込めて射撃した。
「この!このっ!!」
 しかし、感情が紛れ込んだ射撃は、正確さをキャサリン少尉から奪っていっていた。そこから生まれた焦りが更にキャサリン少尉を窮地に追い込もうとしているのに、自身は気が付いていなかった。
「墜ちろっ!!」
 更に憎悪を込めた射撃を行った瞬間、警告音が、キャサリン少尉の耳を打った。
 ビームライフルのエネルギーが、アップしたことを知らせる警告音だということに意識を割いた時間はコンマ単位だったにも関わらず、敵は・・レイチェル中尉は、それを見逃してくれはしなかった。豪雨のように襲い掛かってきたメガビームは、どう避けようと機動しても躱しきれるものではなかった。
 
(45・・・)
 レイチェル中尉は、冷静に敵の射撃回数を数えていた。相対距離が10000を切ったところで敵の射撃回数は、そのカウントに達した。45回目の射撃は、最初の頃に較べると随分と離れたところを擦過していく。それでも、十分に正確と表現していい射撃だったが、やはり、最初と比べるのなら、それは色褪せて見える射撃だった。
 しかし、レイチェル中尉は、そういったことに思いを馳せたりしなかった。
 レクチルの中に正確に敵を捕捉し、覆い尽くすように射撃を送り込んだ。1年戦争中のビームライフルにはまねのできない連射性能を得た新型のビームライフルは、短時間のうちに8射を極めて狭い空間の中に送り込んだ。
 回避機動が、僅かに遅れた敵の機体は、何射目かのビームかは判然としなかったが、確実にレイチェル中尉の放ったビームの一撃に刺し貫かれた。
「慣れない機体だものね・・・仕方がないってところかしら?」
 モニタ上に、敵の撃破を確認したレイチェル中尉は、微かな笑みを浮かべていった。「良いパイロットになるわ・・・みんなが、敵にしたくないと思うようなネ・・・」
 笑みを浮かべたレイチェル中尉だったが、帰艦コースに機体を乗せた後にモニタに表示された射撃数を見て、少し驚かなければいけなかった。カウントは、44を数えており、たった1機を相手にした戦闘で、ここまで射撃を行ったことは、実戦も含めてなかったことだったからだ。
 そして、久しぶりにアンダーシャツが湿っていることにも気が付いて、レイチェル中尉は、思わず笑みをこぼした。
 
「ふぅ〜〜〜〜っ」
 強制的に機動を停止させられたジムのコクピットの中でキャサリン少尉は、大きく息を吐いた。
「あの中尉は、本物のパイロットだわ・・・」
 信頼・・・いや、尊敬?そういった感情をもって接することのできるパイロット・・・いや、人間に思えた。言葉通り、レイチェル中尉は本気でこの模擬戦闘を『戦って』くれたのは間違いなかった。でなければ、あの気迫は感じられなかったはずだ。
 ジオンが、どうにかなってしまってから、そんな感情を再び自分が持てることなどないと思っていたのに・・・けれど、そう思える相手ができたことは、たぶん自分にとって、良いことに違いないと思えるのだった。
 終戦間際に、ザビ家の私物のようになってしまったジオンを出て、連邦に渡ったことが間違いではないと初めて心から思えた瞬間だった。
 
 後に74戦隊、連邦最強ペアと呼ばれることになる2人のパイロットの心が通じた日だった。

お終い