Afternoon

 

 

「なあ、コーヒーでも淹れてくれよ?」
 日曜の午後、旦那は、リビングの窓側に置かれたソファーに座ってニュース誌に目を通してる。
 普段ニュースなんかにあまり目を通さない旦那が、結構真剣になって目を通しているのは、近頃、ジオンの残党の動きが活発だと報じられることが多くなっているせいだった。
 1年戦争当時に、軍属だった経歴のせいでほんの少し血がうずくらしかった。
「パンケーキでも焼こうか?」
 ついでに自分の分も淹れようかしら?だったら、コーヒーだけで飲むよりも何か口にいれるものがあったほうがいいかしら?そう思って旦那にも声を掛ける。コーヒーだけ飲むと胃に良くないし、パンケーキ程度だったら時間もかからずに焼けるし・・・。
「あ、ああ・・・」
 少し、やる気が失せるような生返事、何かに夢中になったときの旦那のどちらかというと悪いクセだった。もう、あたしが何を言ったのか全く気にも留めていない。後で聞くと、間違いなく「そんなこと言ってたっけ?」といわれる。
 最初の頃は、随分、それでケンカしたっけ?
 結婚とは、ある意味、妥協だとは良く言ったものだ。
 まあ、そんなものだと思えば腹も立たなくなる。
「聞こえた?」
「・・・ああ・・・」
 やっぱり!
 ソファーから立ち上がって両の手を腰に当てて少し頬を膨らませた顔を旦那に向けても、やっぱり、こちらを向きもしない。
 一度、あんまり腹が立ったからコーヒーの変わりにストレートの東洋調味料、ショーユを入れて渡してやったっけ?と、思い出す。
 香りもしないし温めてもいないのに、旦那は確かめもせずにぐいっと飲んだ。
 その時は、カーペットを1枚無駄にしたうえに、ホントの大げんかになった。
 今から、思えば笑い話・・・当の本人は、死にかけたというけれど、毒でもない食べ物だし、しかもご丁寧にリビングのカーペット中に吹きだしたのだから死ぬわけなんてない。
 で、結局、何も変わってはいない。
 少なくとも、旦那の方は。
 その証拠に、ジオンの残党に潜入したとか言うレポの載った雑誌を熱心に読んでるせいで、相も変わらず生返事だ。
 ま、何かに熱中しているとき以外は、いい旦那だと思うし、読み終わるまでの我慢、そう思えば、腹もあんまり立たない。ま、あんまり、っていうところが肝なんだけれど。
 それに引き換えあたしは、随分とおおらかになった・・・つもりだ。でも、あたしだって、いつも機嫌がいいわけじゃないから、そんなときに今と同じような態度をとられたら・・・今でもやっぱり、怒っちゃうかも?と、思う。
 肩を少し竦めてキッチンに向かいながら、そういえば、相変わらず何かに熱中してると生返事な旦那だけれど、ここのところケンカしてないな?と、思い返す。
 もちろん、あたしが我慢強くなったお陰というのが随分ある、少しもなってないと良く旦那に言われるけれど・・・。随分と、心を広くして我慢してることに、旦那が気付いてないだけ。もちろん、ストレスがたまっちゃうほど我慢しないのは事実だけど。
 だけど、一番なのは、旦那が、あたしのことを闘牛士のようにうまく躱すようになったせいには違いない。チョット頭に血の登ったあたしをうまくいなすのだ。
 一度なんか、ほんっとうに頭に来て大げんかしてやるつもりで「あなたなんか、あたしの言うこと!な〜〜〜っんにも受け止めてくれないじゃないっ!!」と、大声で言い放ったら「そりゃあ、そうだけど、愛情は受け止めてるんだぜ!」と返してきた。
 これは、ホントにその場で大笑いして、せっかくの?やる気は、どこかへ消えてしまった。
 ま、お互い成長したってことよね・・・、そんなことを考えながらキッチンに入るとあたしは、手早く材料をカウンターの上に揃えた。
 小麦粉に上質な砂糖、ベーキングパウダー、新鮮なミルク、そして卵。
 どれをとっても、コロニーの牧畜サイトや農業コロニーで取れたもので地球産のものは1つもない。
 テレビやなんかで、やっぱり地球産のものは一味違うとか、料理番組のコメンテーターが訳知り顔で言ってるのをよく見かけるけど、あたしに言わせれば何も変わらないし、綿密な日照コントロールや計算された肥料を与えられて計画的に生産されたコロニー産の農作物の方がずっと栄養価も高いと思う。
 何より、地球から何日もかかって運ばれてくる食材が、新鮮なわけがない。確かに、昔に比べたらずっと先進的なシステムで冷蔵なり冷凍なりされて運ばれてくるのだろうけれど、その時点でもう新鮮さの何分の一かは失われているに違いないのは、素人のあたしにだって分かる。
 そんな食材をコロニー産よりずっと高いお金を出して買ってくるなんて、主婦としては失格としか思えなかった。
 ま、どっちにしろ、旦那の給料じゃ地球産の食材なんてそうそう買えないんだけれど。
 それから、コーヒーメーカーの電源を入れて豆をセットする。もちろん、宇宙育ちのコーヒー豆だ。豆をセットすると予め入れてある水を使って10分あまりでそこそこの香りが楽しめるコーヒーが出来上がる。手際よくやればパンケーキがちょうど焼き上がる時間だった。
 キッチンシンクの下の収納扉を開けてステンレスのボールや泡立て器、計量スプーンなんかを出すと、あたしは脇に置いてあった読みかけの週刊誌を手に取ってカウンターの脇に置いてある椅子に腰を下ろした。
 今週の、というか、ここのところずっと取上げられているのは、ジオン・ダイクンの忘れ形見、アルテイシア・ソム・ダイクンだった。昨日買っておいたこの週刊誌も彼女のことを特集した記事をメインに扱っている。
 1年戦争を父親の陣営とは違う連邦軍に属して戦った彼女のことは戦後多くのマスコミの格好のネタになった。
 もっとも、彼女が直接何かを語ったりすることはなかったから週刊誌やテレビで報道されることの多くは、分かりきったことや憶測でしかなかった。そのせいですぐに下火になるのだけれど、折に触れて彼女は、マスコミのネタにされる。可哀想だけど、その容貌やまだ若いこともあって、仕方がないといえば仕方がないと言えた。まあ、マスコミ好きのするタイプに産まれたことが不幸だったのだ。
 そんな記事を読みながら、あたしだってこんなに大きく取上げられることはないけれど2、3週間は週刊誌をにぎわすことぐらいできるのにと思う。旦那には、変に興味を持たれると困るから詳しく話していないけれど、こう見えてもあたしは、ジオン公国軍の栄えある・・・かどうかは別にしてパイロットだったんだから。
 しかも、極秘のプロジェクトの元で運用されたモビルアーマーのパイロットだったんだから、週刊誌やテレビのレポーターだって絶対に興味を持つはずだ。もっとも、週刊誌やテレビ局に売り込むつもりは毛頭なかった。あたしにとっての1年戦争は、触れたくない思い出の一つだったし、終戦となった今でもあのモビルアーマーのことは極秘事項にしておくべきことの1つだと思うからだった。あたしとその仲間が手がけた実験用のモビルアーマーは、ついに実用化されることなく終わったのだけれど。
 そんなことを考えながら、あたしは、カウンターの方を眺める。
 すると、手を触れてもいないのにボールの中に小麦粉が袋から注がれていく。きっちりカップ2杯分の小麦粉が注がれると、適量のミルクが、これまた瓶から注がれる。同じように砂糖とベーキングパウダーが、ボウルの中に入れられると、泡立て器がこれも手も触れていないのにシャカシャカと軽やかにボールの中で材料をかき混ぜはじめる。
 それを満足気に見ながらあたしは、皮肉な笑いを浮かべる。
 そう、あたしに備わっていたのはニュータイプなんて言う大それた能力ではなくって、ただの、もちろんこれはこれで凄いことなのだろうけど、超能力だったのだ。
 つまり、6基もの大型のビーム兵器を搭載したビットを動かしていたのは、サイコミュを介したニュータイプ能力ではなくて、ビットすら動かすことのできる桁はずれた超能力だったわけだ。
 ビットを6基、時には12基も動かすという大それた訓練?のお陰で簡単な料理をすることなんて、寝ながらでも、チョット大袈裟だけど、できるようになっていたというわけだ。
 きっと、商業的にテレビなんかに売り出せばきっと一儲けできたに違いなかったけれど、そうする気は全然なかった。たまに、料理の手抜きをするときにこんな具合に使ってみる、それで十分だった。
 卵1個分の黄身を入れてそれを均等に混ぜながらホットプレートの電源を入れる。
 十分にプレートが、熱くなったところへボールから直接ミックスを流し込む。
 ジュッという音がして、甘い香りが広がる。
 しばらくして、リビングの方にも香りが届いたのだろう。
「美味しそうな匂いだな・・・」
 と、言う旦那の声がした。
 もっとも、本当にそう思っているのかどうかは疑わしい。どうせ、視線は、雑誌から少しも外したりなんかしてないだろうから。
 4枚分と余ったミックスで小さめの5枚目をあっという間に焼き上げると浅いお皿を2枚出してパンケーキを2枚づつ置いて、冷蔵庫からバターをとりだして1きれづつパンケーキの上に置く。熱いパンケーキの上ですぐにバターが解け出し、また良い香りがキッチンにあふれていく。
 小さな5枚目を味見よ、と言訳しながら口に丸めていれる。
(ちょうどいい甘さ加減ね・・・)
 その頃には、良い香りを溢れさせて出来上がっていたコーヒーをマグカップに入れて、出来上がり、だった。
(こんなことに使って・・・宝の持ち腐れかしら?)
 そんなことを思いながら、あたしは、トレイに出来上がったパンケーキを載せたお皿と湯気を立てているコーヒーの入ったマグカップを載せてリビングの方へ運んでいった。
「ど〜ぞ!」
 ソファーテーブルの上にパンケーキのお皿を置いて、マグカップは、直接手渡す。
「ショーユじゃないだろうな?たのむよ・・・」
「こんなに良い香りがしてるでしょ?ショーユのわけないじゃない!」
 相変わらずこちらを見ようともしないでマグカップを受け取った旦那に嫌みっぽく言う。
「そりゃど〜も!」
 一口目のコーヒーを口に運びながら旦那が言う。
 きっと、パンケーキは、冷めちゃうだろう。
 そんな旦那を軽く睨みつけながらあたしは、ソファーに戻って週刊誌の続きを読むことにした。どうせ、今日は、なんにも予定を入れてないのだ。
 また、夕食までこんな時間がまったり続くだろう。
 これって、幸せって言うのかしら?
 そんなことを考えていると旦那が一言いった。
「ありがと!美味しく焼けてるよ!」
 見るとパンケーキをぱくついている。
「でしょ?感謝なさいよ!あたしを奥さんにしたこと!」
 もう、それには生返事しか返さない旦那だったけど、あたしは、少し気持ちが満たされた。
 ま、あたしって結構単純かな?とか思いながら、その美味しいの一言で、幸せになった自分が、そこにいるのに気が付いた。
 結局、幸せって、こういったことの繰り返しなのかしら?
「ねえ、幸せ?」
「あ・・・うん・・・そうだな・・・」
 普段なら怒りそうな生返事も、今日は(照れちゃって)とか思えるだけ、さっきの美味しい、で、心が広くなってる自分に笑いつつあたしは、ソファーで一人小さな笑いを漏らした。

お終い