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 11月14日宇宙標準時00:00、『ナイル』に、いや74戦隊にあらかじめ与えられていた作戦命令書のタイムロックが安っぽい電子音とともに解けた。時を同じくして開かれる命令書はいくつかあったが、そのどれもがほぼ同じ内容だった。開封された命令書に従い、74戦隊は、現空域、L4空域、を離脱し、連邦軍が宇宙で実施する初めての反攻作戦に参加するために最大戦速での航行に移った。
 命令書の指示するところは、ソロモン空域に展開し所定の行動をとれというものだった。もちろん、その所定の行動についても命令書には、事細かに列記されていた。
「進路クリア、現空域は、第3戦闘ラインまでオール・クリア」
「機関異常なし、最大戦速への加速を維持します」
「キョウトおよびナッシュビルより入電、ともに我異常なし、です」
 ササキ曹長が、凛とした声で最大戦速に移行した直後の索敵状況を伝え、マクレガー少佐が、機関の状態を伝える。最後にラインバック伍長が、2隻のサラミスからの連絡を伝えると、艦橋は一時の静寂に包まれた。
「よろしい、総員第2戦闘配置に移行する、周辺警戒怠るな!!」
 手元のモニターでもそれらの確認をとるとハルゼイ艦長は、普段の優しい顔つきをやや厳しいものに変えていった。そのこと1つをとっても、今から74戦隊が取り組む任務が容易でないことが分かる。
 困難な任務に赴くための新しい艦隊運動に移行する一連の動作が全て終わってしまうとトレイル中佐は、いつものように艦長席の横についた。
 それを待って、ハルゼイ艦長は、トレイル中佐に命令書を手渡した。
「テキサス空域を通過するというのがどうも引っ掛かりますね」
 艦長から渡された命令書に目を通し終えたトレイル中佐は、開口1番にそういった。囮行動に従事するということは、ルナ2で搭載された大量のダミーのことを思えばいつか命じられることだったし、その作戦目標がソロモンであることも、ソロモンの位置のことを思えば当然だったからだ。当面の問題は、テキサス空域を横切るということに尽きた。
「仕方あるまい?命令通りに展開するためにはどうしても横切らざるをえんのだから。できるだけ、内側には入らんようにはするが完全によけて通るわけにはいかん。まあ、前方警戒をどうするかだな・・・」
 戦前には観光用コロニーが1基だけ存在し、他にはこれといって特徴のなかった空域だったが、開戦以降、暗礁空域化し、そこを拠点としジオン軍のゲリラ戦部隊が活動しているということが分かっている。観光用コロニー自体も、機能の大半を失ってはいるらしかったが、艦艇が寄港するくらいのことは可能であるらしかった。もっとも、ジオンの制圧圏下にあるために詳しいことは一切不明だった。
「パブリクを搭載していれば、哨戒に使えたんですが・・・。あれならちょっとした偵察機並のセンシングシステムが搭載してありますからね」
 パブリクの搭載は、再三にわたって74戦隊が意見具申して来たことだったが、消極的な哨戒任務に従事することの多かった74戦隊には必要がないということで許可されてこなかったのだ。もちろん艦内に搭載するということは物理的に不可能だったが、飛行甲板に係留することは4、5隻程度ならなんら支障はない。
「それはそうだが、今は手持ちの戦力でやりくりをしなければな」
 それはそうだと、トレイル中佐は、心の中で思う。開戦からこっち、充分な装備で作戦行動を実施できた部隊など、特に宇宙では皆無だったからだ。74戦隊にも、本来ならばパブリクの4、5隻は随伴させて然るべきなのだ。しかし、そうでない以上、74戦隊で使える兵器は1つしかなかった。
「モビルスーツに頼るしかありませんね」
 暗礁空域、それが最外縁であっても、前方哨戒なしに艦隊を突入させることは、あまりにもリスクが大きかった。ましてや、テキサスエリアは、ジオン軍の制圧宙域なのだからなおさらだった。
「そうだが・・・」
 ハルゼイ艦長は、歯切れ悪くいった。もちろん、ハルゼイ艦長にもモビルスーツを使う以外に暗礁空域での前方哨戒はできないことが分かってはいたが、ソロモン戦に参加する前に搭載モビルスーツの数を大きく減じてしまうことを懸念しているのだ。
 確かに74戦隊は、これまでのところ致命的な損害を受けてはいない。しかし、それは常に敵を選んで交戦してきたからにすぎない。今から予想される状況では、当然敵を選ぶことなどできはしない。ましてや、囮行動を開始する時間は指定されており、それは厳守されねばならなかった。必然的に、突破戦を強いられるわけであり、従来のように艦隊を後方に位置させておいて援護射撃をしていればいいというわけでもない。艦隊ごと突っ込んでいく戦いになるわけだ。
「モビルスーツが、後1個小隊欲しいところですね」
「無い物ねだりだがな」
 あるいは、とハルゼイ艦長は思っている。
 教科書とはあまりにもかけ離れた考えだが、『キョウト』と『ナッシュビル』を先頭に立てて哨戒機代わりに使ってもと。どちらか1隻、最悪の場合は2隻とも撃沈されるかもしれなかったが、囮を演じるという意味では2隻のサラミスはいてもいなくてもいい存在だったからだ。ダミーを搭載しているのは『ナイル』だったし、モビルスーツを運用できるのも『ナイル』だけだったからだ。
 最悪のケース、『ナイル』だけが残存すれば任務は遂行できるのだ。
 しかし、サラミスを1隻喪失するのは、モビルスーツを1機失うのとはわけが違った。士気の喪失という面で部隊全体に与える影響は、囮作戦の後にソロモン戦にも加入せねばならないことを考えたとき、無視できるものではなかった。
「まあ、20時間はかかるわけだし、ゆっくり考えるとしよう。少し、休ませてもらう。何かあったら起こしてくれて構わん。あと、頼めるな?」
 トレイル中佐が、ええ、と首肯くのと同時にハルゼイ艦長は、艦長席から腰を浮かした。
 6時間ぐらいは、眠れよう、ハルゼイ艦長は、そう計算するとテキサス空域をどう抜けようかということに考えを巡らせ始めた。
 
 回頭を終えて部隊が、ソロモンヘ向かうということを知らされて大方の兵士達が、不安で胸を締めつけられている中で1人だけ、期待に胸を膨らませている兵士がいた。
 レイチェル少尉である。
 ブリーフィングルームに呼集されて、しばらく休息をとった後に第2戦闘配備が下令されてパイロット待機室に移ってくるまでずっと目の輝かせどうしだった。最初の、囮任務こそ気に入らなかったが、その後に、ソロモンに殴り込む、もっとも説明ではソロモン攻略に参加するという表現だったが、と聞かされてすっかり張り切ってしまったのだ。
 途中、テキサス空域を抜けていくというのもレイチェル少尉にいわせればおあつらえ向け、と言うものだった。ソロモンほどでないにしてもジオン軍のモビルスーツと交戦できそうだったからだ。敵と遭遇すれば、ウォーミングアップになると考えているのだ。
 そんなふうだから、テキサス空域に近付いて哨戒任務に出撃することを命じられても2つ返事だった。いつもなら反吐が出そうな哨戒任務も、危険度いっぱいのテキサス空域では喜びに換えることができるからだ。
「レイチェル、新しい機体はどうだ?」
 L4空域での哨戒は、ボール隊がその任に当たったのでレイチェル少尉が、新型機を実際に機動させるのはこれが始めてだった。本来ならL4空域で慣らしの1つもすべきだったのだが、慎重なハルゼイ艦長が、新型のジムの性能を知られてはいけないと判断したためだった。
「加速感がいいわ、ロール感はさほど変わらないみたいだけど」
 トレイル中佐辺りは、発進後にレイチェル少尉が行った無駄な機動を見て何かぼやいているに違いなかったが、派手な機動の割には推進剤はほとんど消費されてはいなかった。
「じゃあ、このまま前進して艦隊進路を哨戒するぞ」
「いいわよ」
 すっかりこの新型のジムを気に入ったレイチェル少尉は、ご機嫌な返事をした後に続けていった。「あんた達!旧式だからってついてこれなかったら承知しないわよ!」
「はい!!」
 2人の新兵が元気よく返事をするのを聞いてレイチェル少尉は、ますます機嫌が良くなった。
 
(話が違うじゃないか・・・)
 オルデン軍曹は、思わず声に出しそうになった。
 輸送艦を護衛する2隻のサラミスを叩くと聞かされていたのに、現実に目の前に現れたのはモビルスーツを伴う戦闘部隊だったからだ。おまけに、偵察型ザクからの連絡、指向性の光通信による、では、敵は空母を伴うといってきた。
 空母という艦種は、それが登場して以降、地球でも宇宙でも常に花形艦種であり続けた艦種である。その重要度は、他のどんな艦種よりも高く、それでいて脆弱な存在だった。そのために単艦で行動することなど皆無で常に取り巻きの護衛艦隊を率いている。今次大戦になって多少その傾向は薄れたとはいえ、いまだ空母という艦種は畏敬をもって迎えねばならない艦種だった。
「恐れることはないぞ、モビルスーツを一気に墜として、空母もやるぞ!」
 空母を伴うと聞かされて指揮官のハインツ少尉は、すっかり張り切っていたが、それは少尉が新型のリック・ドムに搭乗しているからに違いないとオルデン軍曹は断じていた。
 自分と同じザクで、連邦軍の得体の知れないモビルスーツと交戦しろといわれたら、きっとハインツ少尉だってしり込みするに違いないとオルデン軍曹は思った。同時に、こんな場所で何やらやらかし始めたキシリア少将を恨んでやりたかった。
 全く何も知らされてはいない何事かさえなければオルデン軍曹は、月のグラナダで安穏とした新兵生活を送れていたに違いなかったからだ。テキサス空域でキシリア少将が、何事かを始めた結果、オルデンの所属する学徒兵部隊は、訓練もそこそこキシリア少将直属のエリート部隊とともにこのテキサス空域に送り込まれてきたのだった。エリート部隊は、テキサス・コロニーの近辺に、そして学徒部隊は、テキサス空域外縁に配置され、学徒部隊にはコロニーで何がはじまるのか全く知ることもできなかったし知らされもしなかった。
 モビルスーツは、やり過ごして母艦だけを叩いたほうがいいんじゃないの?とは考えても、学徒上がりのオルデン軍曹には意見を具申することも思いつかなかった。
「全機、突撃!!」
 ハインツ少尉の命令一下、2機のリック・ドムと6機のザクは一斉のそれまで潜んでいた残骸や岩塊から飛び出して接近してくる連邦軍部隊に襲いかかった。
 
「こんなところも改善されてる」
 不意に飛び出してきた8個の標的に驚くよりも、それを一瞬で識別して見せた新型ジムのコンピュータの実力にレイチェルは、思わず笑みをこぼした。新型のドムが2機、後はザク。もちろん、レイチェルの獲物はドムだった。前回の交戦では、フォーメーション上と相手の技量から交戦を見送ったが、今度はそうする必要は全くない。そうであれば、新型のドムこそがレイチェルの相手にふさわしいと言えた。
 しかし、レイチェルの相手に相応しいはずの新型機、ドムは、全くその機動がなっていなかった。確かに、機体速度はザクよりは速いのだろうがそれはザクと比較してであり、レクチルで捕捉できないほどではない。レイチェルにとっては進路を小刻みに変えながらでも照準できる機動だった。レクチルに容易に捉えることのできたドムは、やはり容易にレイチェルの新しい撃墜マークになってくれた。
 レイチェルが放った最初の一撃は、狙い違わず勇ましく突撃を敢行していた新型機をまともに貫いた。一瞬後、そこには極小の太陽が生成されたが、既にレイチェルの興味はそこにはなかった。
「全く・・・、素人の集団なの?」
 ほんの僅かな間の生命しか持たない太陽の出現にジオンの足並みが乱れるのをみてレイチェルは毒づいた。レイチェルが、戦いたい相手は、そんな些細なことで動揺してしまうような相手ではなかった。
 艦長辺りが、慌てたのだろう、後方視認のモニターの中には新たに4個の識別マークが現れて、残りのジムも発進したことを知らせてくれたが、その必要性はなさそうだった。
 
「そんなバカなッ!!」
 リック・ドムが、交戦を開始して数秒と経たずに撃墜されるのを見てオルデン軍曹は、思わず叫んでいた。圧倒的な熱核爆発の光が、減光されたモニターの中でも目を炒る。恐怖したオルデン軍曹は、ザクの交戦距離の遥か手前だというのに発砲を開始した。射撃をしている間は、少なくとも恐怖から逃れられるような気がしたし、実際そうだった。
 他のパイロットも同じように感じたに違いなかった。あちこちで、無駄な発砲が始まった。もちろん、当人達は自分達の射撃が無駄弾をばらまいているだけだなどとはこれっぽっちも思ってはいなかった。
 120ミリ口径の砲弾が、曳光弾を交えながら次々と敵に吸い込まれていくように見えてオルデン軍曹のアドレナリンは、急速に血中へと放出され、一気にオルデン軍曹をヒートアップさせていく。
 しかし、ザクのマシンガンの弾丸は、無限ではなかった。発射ボタンを押し続けた結果、弾丸は、僅か20秒あまりで射耗されてしまった。途端に残弾なしの警告音が、コクピットを満たし始めた。回避運動をしながらマガジン交換をできるほど気の利いた機動などできる筈もないオルデン軍曹のザクは、自身では気が付かなかったが恰好の標的となった。
 
 ド素人、素人からさらにレイチェルの敵に対する評価は下がっていた、の集団相手では、敵が多少の数的優位を持っていてもそれは、まったく意味をなさなかった。敵の機体性能が劣っているためになおさらそうだった。ろくな機動もせずにザクの交戦距離の遥か遠方から攻撃してくるパイロットもそうだったし、もう1機の新型機ドムも迂回運動をしているのか戦場離脱をしているのか分からない機動、恐らく前者だろう、戦闘は始まってまだ1分にも満たないのだから、をしている。
 レイチェル少尉は、とんでもない遠方から射撃してくるザクの射撃が途切れたと同時に、そのザクを葬った。射撃というよりは、弾を適当にばらまいているというだけだったから、撃たれていても当たる気もしなかった。偶然を伴った何発かは、確かにレイチェルのジムの至近を通過したかもしれなかったが、それはしたかもしれない、という程度の問題だった。
 マクレガー大尉が、もう1機のドムを撃墜し、コニー曹長も1機のザクをまたしても、レイチェルに言わせればそうなのだ、撃墜したところで残ったザクは、潰走した。
 背後から、圧倒的に性能も技量も劣る敵を攻撃することには多少気が引けたが、それよりもずっと撃墜マークを増やすことへの誘惑の方が大きかった。
 さらにレイチェルとマクレガー大尉が、1機づつ撃墜したところで敵は散り散りに暗礁空域の中へ逃げ去った。
 
「どういった敵だったんでしょう?」
 トレイル中佐は、敵の真意を掴みかねるといった表情でいった。
 確かに、わざわざテキサス空域の1番外縁を通過するような航路を採ったにもかかわらず敵のモビルスーツが出てきたことに対して驚きはしたものの、僅か5分にも満たない一方的な戦闘では確かに、首を捻りたくもなる。
「訓練部隊だったのかも知れんな」
「はあ、そうでしょうか?」
 その意見には、トレイル中佐は、懐疑的だった。わざわざ、こんなところで訓練を実施する意味がないと思えたからだ。暗礁空域での訓練が必要だったとしてもジオン本国の近くでもア・バオア・クーの近くでももっといくらでも安全な暗礁空域が存在したからだ。
 テキサス空域はいかにジオン側の制圧圏下にあるといっても、新兵、あまりに拙い戦闘を見ればそう考えるほかなかった、をわざわざ連れて来て訓練させるような空域ではなかった。
「いずれにしろ、彼らを搭載してきた母艦が存在するはずだ。2機のザクが消えた方向を中心に注意を払わなければな」
 現在、短時間とはいえ戦闘を行った第1小隊が部隊の直掩を行い、第2小隊が、前方警戒のために艦隊から100キロの前方を艦隊と等速で移動していた。そして、念のために、後方25キロにボールによるピケットラインを形成させて74戦隊は、テキサス空域外縁の最後の3分の1を抜けようとしていた。
 
 結局、敵の母艦は捕捉できなかったが、暗礁空域を抜けるまでにラス准尉が、酷く拙い交戦をした部隊の生き残りと思えるザクが、推進剤切れであっぷあっぷしているのを撃墜した。
 そして、それがこの日遭遇した最後の敵戦力であり74戦隊は、一方的な勝利を得て、無事に暗礁空域を通過することに成功した。
 
 この一方的な戦闘の3日前に、発信された情報のせいで、ジオン軍全体として、この戦闘のことを気にするものはいなかった。確かに1つの部隊として見たときに7機ものモビルスーツを喪失したということは大問題だったかもしれなかったが、ジオン軍全体としては、それどころではなかったのだ。あるいは、ソロモンの司令官がキシリア少将であれば、またテキサスで何事かを始めたのがドズル中将であれば結果は少しは違ったかもしれなかった。しかし、実際にはソロモンの司令官はドズル中将であり、テキサスで何事かを始めたのはキシリア少将だった。
「ルナ2より多数の艦艇が発進した公算大」
 この重大な情報を12日に発したのは、皮肉にも地球上で日々、戦線の縮小を余儀なくされている地上軍の天体観測部隊だった。本来であれば、宇宙軍の偵察部隊のいずれかが真っ先に知るべき事柄だったけれど、10月以降、活発な連邦軍の動きによって大きな損害を出すようになり、規模を大幅に縮小せざるを得なかったジオン軍パトロール艦隊には、それができなかったのだった。
 しかし、主に天候の悪化により、天体観測部隊から得られる情報もその後途切れ、以降の連邦軍艦隊の行動は不明となった。
 ソロモンのドズル中将は、連邦軍主力部隊の発見を厳命したが、その行方は遥として知れなかった。限られた戦力でそれを行うには、宇宙は、あまりにも広大でありすぎた。
 焦りと混乱がないまぜになったソロモン司令部をさらに混乱させるようになるのは16日以降だった。索敵にでた複数の部隊が、交戦を報告し始めたのだ。そのほとんどが以下のような交信を送ってきたことが、司令部の混迷を加速させていったのだ。
「我、敵主力と交戦を開始せり。敵は多数のモビルスーツを伴う」
 しかし、状況を鑑みるならば実際に敵主力であるかは非常に疑わしかったし、実際に送られてくる第2報では、それがダミーを含む囮部隊であったりした。また、それらの部隊が活動を行っている空域は、それぞれにあまりにも隔絶していることもソロモンの方針を一元化するのを大いに妨げていた。
 ルナ2から大艦隊が出撃したことを知らされている現場の指揮官が、自分こそが、敵主力に出くわす不運の持ち主ではないかと、恐れおののいているための誤報だった。
 さらにソロモンを悩ませたのは、そのまま連絡を絶ってしまう部隊も続出したからだった。本来ならば、その方面へ穴埋めの艦艇を送り込まねばならないのだが、ソロモンにはもはやそういった艦艇の余裕はなかった。いたずらに、哨戒艇やガトルを送ってはそれらが未帰還になることによってますますソロモンの混迷の度合いは大きくなっていった。
 16日の午後になっても連邦軍主力の位置を特定できないままソロモンでは、焦りだけが大きくなっていった。
 
「ダミー展開中。後10分で完了です」
「7分で仕上げて見せろ。ジムの展開は?」
 ハルゼイ艦長は、前方で繰り広げられる作業を眺めながらダミーの展開作業を急がせた。8機のボールが、先祖返りしてその作業に取り組んでいる。球状の頭頂部に取り付けられたカノン砲を後方に振り向けて作業の邪魔にならないようにした8機のボールは、その本来の任務に一時的に従事し、生き生きしているようにさえ見えた。
「2機づつ4編隊を組ませて所定の位置まで前進させ、哨戒させています」
 ジムの展開状況を全天スクリーンを見上げながら応えたトレイル中佐は、ラインバック伍長からヘッドセットを借り受けて艦長の言葉をそのまま伝えた。「作業急げ、7分で仕上げて見せろ!」
 12個のデコイのうち、既に7個が展開を終えていた。10メートル四方の箱形のコンテナに収められたデコイは、展開を終えるとそれぞれが、マゼランやサラミスの形状を呈した。本物の戦闘艦と同じような電波輻射特性を持たすために特殊な被膜で覆われた強化ゴムでできたデコイだ。
 早い話が、風船を巨大化させたものだ。真空の宇宙では、ほんの少し中に暖めた空気を送り込んでやれば、デコイは、あっという間に戦闘艦の形状を呈する。地球上のように大気圧に邪魔されることがないためだ。もちろん、冷えきってしまわないようにヒーターによって常にデコイ内部の空気は加温される。
 更に、判別をしがたくするように電波輻射だけでなく熱輻射を発生させるためにマゼランないしサラミスのエンジンと同じ熱輻射パターンを発生させることが可能で限定的な移動も可能にするユニットも取り付ける。
 ジオン側に気取られることなくデコイの展開を終えられればそこには、デコイの数だけの艦艇が、展開したように見えるわけだ。この場合、12隻の艦艇が新たに74戦隊に加わったように見えることだろう。実際の戦闘能力を持つ3隻、『ナイル』は搭載モビルスーツを除けば戦闘力は酷く限られていたが、を加えれば実に15隻の艦隊がそこにあるように見えるはずだ。
 ソロモン攻略戦のゼロ・アワーまで後6時間あまり、74戦隊と同じ作業を行っている連邦軍部隊は、少なくともハルゼイ艦長が知っているだけで5部隊ある。より大規模なデコイの展開を行っている部隊もあれば、もっと少ないデコイで囮部隊を編成しようとしている部隊もある。あるいは、部隊そのものがデコイとなっている部隊もあるに違いない。
「展帳するのは、あっという間なんですがね・・・」
 そういうそばから新たに2隻のサラミスが、スクリーン上に現れた。ぱっと見は、まさにサラミス級そのものだったが、良く目を凝らすとやはり細部のディテールは省略されており、それがデコイであるということが分かる。しかし、第3戦闘ラインより離れて見せられれば、それと見破るのはかなりの難易度だろう。
「それだけで敵を欺けるほどあまくはないということさ、中佐。わたしなら、慌てるかも知れんがね」
 ハルゼイ艦長が、自嘲気味にいう。
 モニターの中では、ボールがユニットの取り付けに掛かっている。全てがデコイだけならば、敵も見破るのが容易になるのだろうが、何隻か混じっている本物の戦闘艦がメガ粒子砲を連続フル斉射し、搭載モビルスーツを発進させれば、それが囮部隊なのか?それとも本隊の前衛部隊なのかを見破るのは容易ではなくなる。
 全てが攻撃してくるわけではないが、明らかに艦載メガ粒子砲からと思える砲撃を受けていったいどれほどの指揮官がそれを単なるダミーを展開させた囮艦隊だと即断できるだろう?もしも、敵主力の前衛部隊だったら?そういった疑心暗鬼を抱かずにはいられないはずだ。そして、それこそが、74戦隊を始めとする囮部隊の役割なのだった。
 囮部隊は、主力の発見を妨げると同時に敵戦力の誘引、これはそのままソロモンの戦力を分散させることにもなる、の役割も負わされていた。
 そして、忠実にその役割を果たしつつある74戦隊も敵戦力を誘引することによってソロモン本体の戦力を低下させることに成功しつつあった。もちろん、そのことに彼らはいまだ気が付いてはいなかった。それは誘引されつつあるジオン軍部隊も同じだった。双方の部隊が、そのことに気が付くにはそれほど多くではないが今しばらくの時間が必要だった。
 彼らは、お互いの任務を、それがどういう運命を彼らにもたらすかを知らないままただ命令された通りに任務を遂行しているに過ぎなかった。