15

 
「少尉、ちょっと来てくれるか?」
 酷い有り様になった『ナイル』の格納庫に収容されたレイチェル少尉は、いつもとは違い整備班の指揮官のウォルト中尉に出迎えられた。
「どこか機体に不具合でも?」
 本当なら、露骨な嫌みの1つでもいいたかったレイチェル少尉だったが、コクピット脇で出迎えていたのが、上官であったことよりも、ウォルト中尉のその深刻な表情にそれを思いとどまった。
 それでも、どうして?と思わずにはいられなかった。ウォルト中尉は、整備班全体を統括しており、レイチェルの帰還を出迎えることなどいままでなかった。もし、そういうことがあるとするなら帰還してきたジムが、致命的な損傷、今にも核融合炉の誘爆を起こしそうになっているような場合に限られる。そういった場合は、整備班が総出でジムを取り囲むことになる。
 もっとも、そこまで損傷したジムなら、艦内に収容するよりも放棄されることになるだろう。
 しかし、被弾したことはあってもレイチェルは、そういった重大な損傷を受けたことなどなかったし、ここ何度かの戦闘に限っていえば、被弾したことさえない。今度の戦闘でも、無傷ですんだ3機のうちの1機がレイチェル機だった。
「コックスが、負傷したんだ。会ってやってくれるか?」
「コックスが?」
 にわかにいわれても、それを簡単に信じるのは難しかった。コックス曹長は、直接戦闘要員でもなかったし、ほんの1時間前、レイチェルが出撃するときには、いつもどおりに「少尉、戦果を期待しますよ!」というこれもいつも通りの台詞で送りだしてくれたのだから。
「悪い冗談は、止めて・・・」
 罵声の1言も浴びせようとしたレイチェルだったが、中尉の深刻な顔つきと、改めて格納庫を見回しその惨状を見て取ると、続けることはできなかった。天井や、壁面のあちらこちらにウォールフィルムでの応急措置が施されているのが目に入った。少なく見ても10箇所以上もある。「どこにいるんですか?」
「こっちだ、少尉」
 
 案内されたのは、『ナイル』の艦内に設けられている医務室だった。5人の医療スタッフを抱え、ちょっとした手術もこなせてしまえる設備も整っている。軽空母時代に多数の乗組員を抱えていた名残だった。これまで使われることがほとんどなかった6つあるベッドも、全てが重傷者で塞がっていた。
 そこからあぶれた比較的軽傷の負傷兵が、ウォルト中尉に連れられてきたパイロットスーツのレイチェルに不安で疲れた視線を向けている。
 そして、コックス曹長は、1番端のベッドに寝かされていた。
 側から見ても明らかに重傷だとわかるコックス曹長の身体にはレイチェルには、何に使うのか見当もつかない医療機器から伸びたコードが何本も繋がれている。
「!?」
 レイチェルは、コックス曹長のあまりの変わりように思わず息を呑んでいた。
 1時間前には、元気いっぱいだったコックス曹長は、古びたロウソクのような顔色になっていた。スコーラン曹長の時にも増して顔色が悪い。今から思えばコックス曹長に比べればスコーラン曹長の顔色などは、健康の部類に入る。
 その原因になった傷は、腹部らしく大判の止血帯が施され、包帯でぐるぐる巻きにされていた。上半身の衣服は全て脱がされている。
 脇に立っているアハド少尉の顔色も悪い。こちらは、5人のスタッフでは捌ききれないほどの負傷者を捌いたせいなのだろう。
「どうなんです?」
「・・・」
 アハド少尉は、力なく首を振った。「コックス曹長が、少尉に会いたいと・・・」
 アハド少尉は、レイチェルには視線をあわせずにいった。
「分かりました」
 そういうとレイチェル少尉は、ベッドのそばに行き、そこにあったイスに腰掛けた。
「曹長、聞こえるか?少尉が無事に帰還したぞ」
 アハド少尉が声を掛けると死人のような顔色をしたコックス曹長が、微かにマブタを押し上げようとした。
「ほ・・・ほん・・・とに?・・・少尉・・・が?・・・」
 口元が動き、ようやく聞き取れる程度の声が漏れる。
「相変わらず、面倒をかけるのね?」
 レイチェルが、いつもと変わらない口をきくのに何人かが顔をしかめたり、驚いたりしたが、当のコックス曹長は、まぶたをなんとか押し上げ、視線をレイチェル少尉に向けて微かに表情を作ろうとした。
 それが、どうやら笑顔らしいことに気が付いたのはいったい何人いたろうか?
「無事・・・だったんです・・・ね・・・」
「当たり前でしょう!」
 今度は、はっきりと笑顔だとわかる表情になった。もっとも、口元が僅かにつり上がっただけだったけれど。それでもそれは、コックス曹長が、負傷してから初めて見せる苦痛以外の表情だった。
「よか・・・った・・・。で・・・せ・・・・戦・・・果・・・は?」
 苦しい息の下から途切れ途切れに話されるコックス曹長の声は聞き取りにくかったけれど、レイチェルは、口元に顔を寄せて聞き漏らさないようにした。
「新型機を1機にザクを2機よ。早く元気になってスコアマークを描き入れてよね?分かってる?」
「は・・・はは・・・は・・・はは・・・」
 力なくコックス曹長が、笑った。「すみ・・・ませ・・・ん」
「あんた、描かないつもり?」
 コックス曹長が、苦悶の表情を浮かべ接続した機械が、何かの異常を知らせる。アハド少尉が、慌てて何かのクスリを打つ指示をした。
 アンプルから透明の液体が、エアショット式注射器に吸い取られコックス曹長の首に打たれた。しばらくするとその薬の効果なのかコックス曹長が、穏やかな表情になった。
「少尉、もう最後です・・・」
 その表情からレイチェルが安心したのに反してアハド少尉が、レイチェル少尉の耳元で囁いた。
 驚いたレイチェル少尉が、何かいおうとしたがコックス曹長の呼びかけでそれは止められた。
「少尉・・・」
 レイチェルの視線が自分に戻ってきたのを見てコックス曹長は、今度ははっきり分かる笑顔を浮かべた。「少尉、少尉は・・・こんなふうにならないで・・・下さい・・・死んじゃ・・・駄目・・・です」
「何いってるの?あなただって死にゃあしないわよ。スコーラン曹長だって助けたアハド少尉が看てくれてるのよ」
 けれど、その気休めは、もうコックス曹長には聞こえていないようだった。目は、閉じられたままだった。
「少尉・・・お願いが・・・あるんです・・・」
「何?」
「キス・・・してもら・・えますか?」
「あんたが、元気になるっていうならね」
 しかし、コックス曹長は首を縦には振らず力ない笑顔を浮かべただけだった。
 それでも、レイチェルは、そっと顔を寄せてコックス曹長の土気色になった唇に自分の唇を重ねた。驚いたのは、およそ人間としたとは思えないその冷たい感触だった。柔らかな金属としたといったほうが適切だった。
「少尉・・・忘れ・・・ませ・・・ん」
 長いキスのあと、最期にコックス曹長がいったのは確かに感謝の言葉だった。
 すうっと曹長の体が縮んだように見えたあと、曹長に繋がれていた器械のモニターが示していた弱々しい波形のラインは、全てが完全な直線になった。
 アハド少尉が、確認の意味で脈を取り、瞳孔反応を確認する間にレイチェルは席を立ってくるりと踵を返した。それまで切り取られていたようだった時間と空間が再び、負傷兵で溢れる医務室として動き出したようにレイチェルには感じられた。後ろを振り返らずに医務室の自動ドアを出て自分のいるべき場所に向かうレイチェルの頬に涙が一筋流れた。
(ああ、神様。何故わたしの大事な人をみんな連れ去るんです?)
 もちろん、レイチェルがコックス曹長に対して特別な感情を持ったことはなかったが、同じパイロット以外に口をきくのは、『ナイル』の中ではコックス曹長くらいのものだったからだ。軍隊の中にあっては、そういった程度のことであっても大事な仲間なのだ。
 これ以上、仲間を失いたくなかったし、自分でできることはそのためなら何でもする、そう心に深くレイチェルは、刻んだ。
 
 パシィッ!
 乾いた音が、待機室に響き、コニーは思わず首をすくめた。目を丸くしたコニーの視線の先には、ラス准尉から平手打ちを喰らってバランスを崩したホワン曹長の姿があった。
「あんたが・・・あんたが、ちゃんと支援してれば中尉は死なずにすんだのよ!」
 ラス准尉の顔は、怒りに紅潮し、声は震えていた。普段、優しく笑う准尉しか知らなかったコニーは、ただただ、驚いた。そして、ラス准尉の言葉の意味にも。
「痛いですねえ、ラス准尉・・・。それは言いがかりってもんですよ」
 ラス准尉の平手をまともに喰らった左頬を押さえながら、それでもいつもの皮肉めいた笑いをやめないままホワン曹長はいった。
「あんたが、撃墜されちゃえばよかったのよっ!」
 また詰め寄ろうとしたラス准尉を押し止めたのはマクレガー大尉だった。
「よせ、アイラ。そんなことをしてもマークは喜ばん」
「ですが・・・」
 我慢ならないという表情のラス准尉に、マクレガー大尉が、もう一度「マークは、喜ばんと思うぞ」と言い、それでも突っかかろうとするラス准尉を押し止めた。
 マクレガー大尉に止められたラス准尉は、最期にきつい視線をホワン曹長に向け、思いきり睨みつけた。しかし、当の本人は、特に気にした様子もなく視線をそらした。
「リ曹長、ジムの整備をしてこい。整備班は、人手が足りないんだからな」
 今回、皮肉なことに1番多くの死傷者を出したのはコックス曹長を含める整備班の連中だった。
「・・・はい、大尉」
 不服そうにいうとホワン曹長は、ラス准尉とは視線を合わさないようにして待機室を出ていった。
「何があったかは知らんが・・・」
 マクレガー大尉は、まだ肩を震わせているラス准尉の肩に手をやった。「こんなときこそ仲間割れしてるときじゃない、違うか?」
「しかし、あいつは、中尉を見殺しにしたんですよ」
 それは、2人のやりとりを聞いていれば予想できた言葉だったが実際に耳にすると衝撃以外の何ものでもなかった。
 コニーは、思わずデュロクの方に視線を向けた。デュロクも、同じような表情をコニーの方に向けていた。2人は、思いもよらないラス准尉の発言にどうしていいかわからず、ただお互いに目をぱちくりさせるだけだった。
 何かを知っているのかもしれないホンバート曹長は、複雑な表情を浮かべて黙ったままだった。その表情は、何かを言いたげにも見えたが、実際にはホンバート曹長がこの場で何かを話すことはなかった。
「准尉・・・」
「とにかく、彼とは組めません」
 それだけいうとラス准尉も、待機室を出ていった。その後ろ姿は、あまりに毅然としていて取りつく島もなかった。
「大尉・・・」
「何もいうな・・・何も聞かなかったことにしろ。俺が何とかする」
 コニーが何か言おうとするのを遮ったマクレガー大尉だったが、どうしたらいいのかわかるはずもなかった。あるいは、ハルゼイ艦長なら何か妙案を思いつくのかもしれなかったが、このことを艦長に話してよいのかどうかもマクレガー大尉には判断しかねた。
 それを判断するには、マクレガー大尉の経験はあまりにも少なく、若かった。そして、マクレガー大尉にとっては更に悪いことに時間もなかった。
 ただ1つ幸いなことは、ソロモンが、74戦隊が戦線加入する前に陥落したということだった。
 
 結局のところ、74戦隊は、ソロモン攻略戦に参加することはなかった。74戦隊が、もたついたわけではなく、連邦軍が想像するよりもずっと早くソロモンそのものが陥落してしまったからだ。実質的な戦闘開始から大方の交戦が終息するまで僅か1時間足らず、ジオン宇宙攻撃軍の拠点としてはあまりにも脆かった。
 それは、この戦闘に投入された対要塞宇宙兵器ソーラー・システムのせいというよりはジオン軍の構造そのもののせいであると言ったほうが分かりやすかったかもしれない。
 とにもかくにも74戦隊が、モビルスーツの収艦を終え、再び発進準備を整えてソロモン空域に迫ったときには、既に戦場は沈静化していた。
 
「飛行甲板、といってもカタパルトだけを直すだけだそうですが・・・の修理は2日で終わるようですが、どうしてこんなに急がせるんでしょう?」
 食事を済ませてブリッヂに戻ってきたトレイル中佐は、艦長席にもうハルゼイ艦長が座って何かの書類に目を通しているのを見てやれやれというように肩をすくめると近付き、艦に戻ってくる前に受け取った損傷箇所の修復進度の報告を伝えた。
(全く、この人はいつ休むんだ?)
 本当は、その辺りのことを聞きたいところだったが、トレイル中佐は、顔にはそういった疑問をださなかった。
 『ナイル』を含める損傷艦のうち、簡単な修理で戦線復帰可能な艦は、ソロモン改めコンペイトウ内部に収容され、コロンブス級を改装した工作艦によって応急修理を施されつつあった。その応急修理も『ナイル』についてはカタパルトさえ使えるようになればよいというもので内部のモビルスーツハンガーや冷却装置などは一切顧みられることすらない有り様だった。『ナッシュビル』にいたっては、損傷艦にすら含められてはいない。その他の損傷艦もとりあえず戦線復帰ができればそれでいいという本当に応急修理だけ、という形で急ピッチで作業が進められていた。
 とはいっても、1隻1隻の損傷具合は異なっているわけで、その1隻1隻についてどういった修理をどういう順序で行うのかを交通整理するのは大変な作業に違いなかった。
「わからんな。ん?半舷上陸だ、君もソロモンに上陸したらいい」
「はあ、上陸してもやることもありませんし、中はまだまだ施設のほとんどが使えないそうですから。それに仕事がないわけではないですしね」
「相変わらず勤勉だな。あるいは心配性なのか?」
 苦笑いしながらハルゼイ艦長がいうのに自分でももっともだと思いながらトレイル中佐は、同じような笑いを返した。
「両方ですね。そういう艦長も、いつ休まれてるんです?」
 自分以上に勤勉に思えるハルゼイ艦長に言われてトレイル中佐も尋ねてみた。
 ブリッヂには、自分達のほかには誰もいなかったのでどんな答えが返ってきても他に知られる気遣いはなかった。
「休むときには休んでるつもりだがね」
 それは、いかにも艦長らしい回答だった。
「だったらいいんですが・・・」
 確かに部隊の安全性が非常に高いときにはハルゼイ艦長は、艦長室に戻ることもあったが、大抵は艦長席に座っていた。丸1日席に着いたままということも全然珍しくないのだ。本当は、もっと休むようにいいたいトレイル中佐だったが、どうせ適当にはぐらかされるだろうと思い直し、話を今後のことに切り替えることにした。
「ところでいったい上はこの次に何を考えてるんでしょう?レビル将軍もルナ2から出張ってきてるらしいですし・・・」
 トレイル中佐が、首を捻るのも当然だった。ソロモンがその機能の大半を残しているとはいってもそれを連邦軍の艦隊が、支障なく使えるようになるにはそれ相応の時間が必要だった。桟橋設備ぐらいは使えてもちょっとした修理をするのにも連邦軍とジオン軍ではその規格が違ったからだ。
 だからこそ、コロンブス改装の工作艦を戦隊単位でソロモンまで引っ張ってきているのだ。
「そうだな、ジオン軍が、既に反攻作戦を準備しているのかもしれんな」
 ハルゼイ艦長は、あり得ないことだと思いながらもいった。他に何か連邦軍が、大規模な艦隊を終結させつつある適当な理由を思いつかなかったからだ。
「そうでしょうか?それほどジオン軍が機敏とは思えませんが・・・」
 実際、ジオン軍でなくともそれなりの規模の艦隊を攻撃任務で出撃させるとなるとその規模に見合うだけの出撃準備期間というものが必要だった。もちろん、ジオンが、最初からソロモンの陥落を予定しており、ソロモン戦の後に疲弊した連邦軍を叩くというような作戦をとっていれば話は違ってくるが、そうでない以上、大規模な艦隊の出撃準備はなされていないと考えるのが妥当だった。
 そうであれば、ソロモン攻略戦を戦ってなお、控えめに見ても疲弊したとは言い難いティアンム艦隊(司令のティアンム提督こそ戦死していたが)に加え、ルナ2からレビル将軍が直率してきた艦隊と新たに地球から打ち上げられてきた艦隊までもがソロモン空域に展開し終えた現在、果たしてそれに対抗しうる戦力をジオン軍が揃えられるかどうかは大いに疑問だった。
 ましてや、現在は連邦軍もモビルスーツ(ジオン軍のそれよりもよほど優秀な)を決して十分な数とはいえなかったが、装備しているわけだから、なおさらジオン軍が、多少の戦力の集結に成功したといっても容易に行動を起こせるはずなどなかった。
「まあ、艦隊を集めてることは確かだ。ここを防衛するには過剰なほどな」
 そして、ソロモンに集結し終えた、あるいは終結しつつある戦力は、確かにハルゼイ艦長のいうようにソロモンを防衛するだけの戦力としては過剰なレベルに達しつつあった。
「ええ、そりゃあそうですが・・・」
 トレイル中佐が、なおお釈然としないまま首肯きかけたとき不意に警戒警報が、艦内に響き渡った。2人して、意味があるわけではなかったが、何も映し出されていない全天モニターを見上げる。癖になっているのだ。それが、ソロモン空域全体に対して出されたものであることを知るのには幾らも掛からなかった。
「なんでしょう?まさか・・・」
「ありえんな」
 トレイル中佐のジオン軍のソロモンに対する反攻が始まったのかという思いをハルゼイ艦長は、すぐさま否定した。どのみち、ソロモン内部に収容されて応急修理を受けつつある『ナイル』からでは、何も知りようがなかったし対処のしようもなかった。
 この警戒警報が、後にソロモンの亡霊と呼ばれるようになる攻撃だったと2人が知るのは戦後のことだった。
 
「ソロモンが、陥ちた?」
 ノーマン中尉は、もう少しで手にしたカップを落しそうになった。
「ご存知なかったんですか?3日前のことです。閣下も戦死されたそうです」
 ジオンにとって一大事であるはずなのにもかかわらず、末端に知らされていないことに驚くと同時にカディス船長は、ジオン公国が組織として既に末期症状を示しつつあることを感じずにはいられなかった。
「本当ですか?」
 ここ一両日のア・バオア・クーの慌ただしい動きの中で何かあったとは感じていたが、ソロモンが陥落し、ドズル閣下まで戦死していようなどとは思いもしていなかったノーマン中尉だった。「どおりで、ア・バオア・クーの動きが慌ただしくなったわけだ」
「本国では大変な騒ぎです。わたしの運んできたのは単なる糧食なんかでしたから予定通り出発できましたが、モビルスーツや弾薬を積んだ補給船は出発を取り消されたり行き先を変更したりとてんやわんやですよ」
 ソロモン陥落によって丸1日の間、本国から前線向けの輸送船の出港は停止され、重要な戦略物資に関しては今もそれは継続している。ソロモン以降の戦闘正面がどこになるのか全く予想できないためだった。
「今こそ前線に急ピッチで戦力を展開すべきじゃないんでしょうか、何故でしょう?」
 どのみち、仮装巡洋艦戦隊から抽出された自分達には、ろくな補給品など回ってはこないだろうがと思いながらもノーマン中尉はいった。この場合の前線とは、地球は含まず、ア・バオア・クーやグラナダである。
「その辺りはわかりませんが・・・本国の連中は、スキップされることを恐れているといかないとか・・・」
「そうでしょうか?連邦軍もこことグラナダから背後を挟撃されるような危険を冒すほどバカとは思えませんし、その両方に対処できるほど戦力に余裕があるとも思えないんですがね」
 ノーマン中尉は、ざっと戦前の戦力配置を頭の中に思い浮かべた。ソロモンの戦力がどの程度失われたのかは知る由もなかったが、仮に完全にゼロになったとしてもジオンには、グラナダの宇宙機動軍の戦力、更には本国の戦力、そして、ここア・バオア・クーの戦力が残されている。
 特に月のグラナダが保持するキシリア隷下の突撃機動軍の戦力は強大であり、それを残して(しかも後方に)本国に襲いかかるような愚を連邦軍が犯すことは普通に考えればあり得ないことだった。
 あるいは、それを可能にするほど連邦軍の戦力はこの宇宙でも強大になったのだろうか?ノーマン中尉は、答えの出そうにない疑問を頭の中でしてみた。
「細かなところは、軍属のわたしには分かりませんけれど。一部じゃ、とんでもない新兵器を投入するから戦力の多少のアンバランスなんてどうでもいいとも聞きましたが」
「新兵器?」
 すぐにノーマン中尉は、バンクロフト軍曹が話していた新兵器のことを頭に思い浮かべた。
「なにか?」
「いや、うちのパイロットもそんなことを口にしていたものですから。カディス船長もお聞きになったんでしたら全くのガセネタというわけでもなさそうですね?」
 異なる2系統から同じような噂を聞き何となく信憑性が増したようにも思えたが、バンクロフト軍曹がいっていたように後10日あまりで戦争が終わるような新兵器が開発されているとはとても思えなかった。
「さあ、どこまでほんとなのか分かりませんよ。厭戦気分を吹き飛ばすためにそれとなく流されたほんとの噂かもしれませんしね。それが証拠に、その新兵器が新型戦艦なのかそれともモビルスーツなのかは誰も知らないようですから」
「それにしても、ソロモンがそんなにも簡単に落とされるなんて・・・」
「いろいろいわれてますよ。援軍を送ってこなかったギレン閣下に対する当てつけでさっさとソロモンを捨てたとか・・・まことしやかにね」
 ソロモン陥落から幾らも経っていないのに、後方ではいろいろな噂(中には真実を言い当てたものもあったが)が、流布しているらしかった。
「しかし、閣下は戦死されたんでしょう?」
 当てつけのためだけにソロモンを放棄し、自分の命も捨てるだろうか?もし本当にそうならノーマン中尉には理解しかねるところだった。
「ええ・・・、だからみんな噂ですよ」
「どちらにしろ、我々には関係ないのかもしれませんね・・・」
 全く、泣きたくなるような現状だった。エリートだったはずがこんなところでくすぶることになり、国家の一大事になんの役に立つこともできはしない。その原因が直接は自分の行いと少しも関係ないのだからなおさらだった。
「中尉は、ここが戦場になったらどうされるんです?戦闘に?」
 これは、心配そうに言う。どんな形にしろ、戦闘に参加する以上、モビルスーツパイロットの戦死率は、他のどんな兵科に劣らず高いものだったからだ。それは、勝っても負けても変わることはない。
「だったら、まだいいんですが・・・」
 その気が、ア・バオア・クーの上の連中にあるなら、まだ見込みがあるかもしれないと思える。しかし、ア・バオア・クーに来てからこちらここの司令官が自分達を戦力としてみていないのは明らかだった。
「で、今度はいつまでこちらに?」
「それがわからんのですよ」カディス船長は、苦笑を浮かべていった。「ソロモンのことがあってのことらしいんですが・・・。ひょっとするとクリスマスは中尉とここでっていうことになりそうです」
 口の端を僅かにあげてカディス船長は、この男には珍しい言い回しをした。ノーマン中尉は、自分がきっと余程渋い顔をしているのだろうと思った。カディス船長をして、何か気の利いたことの1つも言おうかと思わせたのだろうから。
「はっはははは・・・」
 ノーマン中尉は、乾いた笑いをあげた。確かに、もうすぐクリスマスなのだが、若い兵士からではなくカディス船長のようなどちらかといえば年配の男からそんな言葉を聞くとは思ってもみなかったからだ。「そういう過ごし方もいいかもしれませんよ?もしそうなら、士官用のバーにでも招待させてもらいます、どうです?」
「それは、楽しみですね、中尉。ほんとならこんなところに・・・あ、失礼・・・長居したくはありませんが今回だけは、出港命令が出ないように祈るとします」
 しかし、そんな2人の会話を知ってか知らずか、この時まさにソロモンに集結していた連邦軍が、艦隊ごとの出撃を開始していた。