20

 
「キョウト、沈みます」
 ササキ曹長は、衝撃的な言葉を口に出した。
 一般的なサラミスが通常の戦闘行動で放出するより遥かに多い赤外線を放出する前兆を捉えたのだ。
 そして、その言葉の通り『ナイル』の左舷10キロの空域ではサラミス級巡洋艦の1隻がその生涯を終えようとしていた。ミサイルを10発以上も被弾し、モビルスーツからの数えられないほどの打撃を受けた『キョウト』は、5分程前に艦長のスプルアンス大佐の総員退艦命令を受け、ランチによる退艦が始まっていた。大方の乗員は、退艦を完了してはいたが、まだ決死隊、スプルアンス大佐が指揮する、が、最後まで艦を救う努力をしていた。
 けれど、限られた人員で何とかするには『キョウト』の損傷はあまりにも大きかった。そして、スプルアンス大佐は、分かっていたに違いなかった。艦とともに運命を共にする、この古くて割りに合わない行動を否定することは簡単だったが、それを実際に止めることは難しかった。
 ハルゼイ艦長も、再三にわたって全員の退艦を命令していたが、スプルアンス大佐は、それを固辞したのだ。もちろん、表面上の理由は、艦を救える可能性有りと認める、というものだったが、余程の素人が見てもそれは明らかに間違った判断だった。
 その瞬間は、最期のランチが離艦して5分と経たないうちにやって来た。大きく損傷した艦橋の後部と最上甲板の境目から一際大きな爆発が起こり、それがついに核融合炉エンジンに干渉したのだ。
「総員対ショック対閃光防御ッ!」
 トレイル中佐が、艦内オールで命じ終わると同時に『キョウト』は、ア・バオア・クー空域で、他の多くの空域で失われた多くの艦艇と同様の光を放ちその生涯を終えた。確かに見慣れていないとはいえない光景だったが、戦隊を結成以来ともにしてきた艦と優秀な指揮官を同時に失ったことは『ナイル』の艦橋スタッフの士気を大きく損なわずにはおかなかった。
『キョウト』の戦没を受けて『ナッシュビル』が、それを補完できる位置に移動していく。そう、戦闘は急速に終息しつつあるが、終わったわけではないからだ。74戦隊が位置する空域では、さすがにジオン軍は一掃されていたが、それでも艦隊正面にあたるア・バオア・クー表面では小競り合いが続いていることを示す戦闘光が認められたし、健在なマゼラン級戦艦が、時折その斉射を新たに発見した目標に向けて送り込んでいた。
 そして、その報告は『ナッシュビル』が『キョウト』を補完できる位置に付いたと同時にもたらされた。
「味方機、帰艦してきます。11時、マイナス30度方向」
 ササキ曹長が、それまでの疲れ切った声ではなく、やや明るい声で伝えた。どんな状況でも味方機が帰艦してくるということは力づけられるし、嬉しいことだった。
「どこの所属機か分かるか?」
 ハルゼイ艦長は、前面のモニターに目をやりながら聞いた。そのハルゼイ艦長の声にも何かしらほっとしたものが含まれている。前面のメインモニターにはア・バオア・クーがいっぱいに映し出されていて、何隻もの友軍艦艇がプロットされていたが、ササキ曹長の報告したモビルスーツはまだプロットされていなかった。
「いえ、遠すぎて・・・あ、待って下さい」
 瞬間、ササキ伍長の声がさらに明るいものに変わる。「識別信号を確認、前方より接近中のジムは、ルリエル曹長機とホンバート曹長機です」
「なに?間違いないのか?」
「ハイ、間違いないです」
 今度は、ササキ曹長に代わって識別信号を追確認したトーマス上等兵が、元気いっぱいに応える。
「2機だけか?正面モニター最大望遠」
 ハルゼイ艦長は、僅かな喜色を少し曇らせていった。『ナイル』が出撃させたジムは、7機なのだ。1機は、既に失われてしまっていたが、後4機が帰艦してこなければならないのだ。
「いえ、3機のようです」
 ササキ曹長が、最大望遠になったモニターを見て報告した。確かに、一見すると2機のようだったが、1機のジムが、半壊したジムを抱えるようにしていた。
「識別信号を確認せよ!」
「・・・信号は、やはり2機分です。ルリエル曹長とホンバート曹長です。大破したジムの信号は出ていないようです。損傷機は酷く損傷しているようですから発信装置が壊れてしまっているのかも・・・」
 ササキ曹長のいうようにそのジムは、人間だったらとっくの昔に死んでいてもおかしくないほど原形を損なっていた。
「どちらかと通信できるか?」
 ハルゼイ艦長は、険しい表情で聞いた。自力で帰艦できないうえに識別信号さえ発振しなくなったジムのパイロットがとても無事で済んでいるとは思えなかったからだ。
「やってみます」
 ラインバック伍長は、そういうと直ちに通信回線を開いた。
「ジム13、ジム24。どちらでも結構です、音声で答えられますか?繰り返します・・・」
 ラインバック伍長が呼びかける間、トレイル中佐は、ハルゼイ艦長の横に立った。
「2機が・・・、いえ3機が帰艦してきましたが・・・」
 トレイル中佐は、声を潜めた。「他の機は、マクレガー大尉やアレクシア少尉は・・・」
「損傷機は、マクレガー大尉機です」
 ラインバック伍長からの報告でトレイル中佐の言葉は一時中断される。
「了解した、損傷機は飛行甲板に着艦させよ。救護班は上甲板で待機、パイロットは負傷しているかも知れん。ジム13とジム24は戦闘続行が可能ならば残存のボール隊とともに本艦を直掩させろ」
 ハルゼイ艦長は、矢継ぎ早に命令を下しながら、心の中でだけ詫びた。本当なら、すぐにでも全員を艦内に迎え入れてやりたかったが、戦場が完全に沈静化してはいない現状ではそれは許されず、過酷な命令を下さねばならなかった。
 小競り合いが続いているとはいえ軍事的には完全に制圧されたと見なしてよかったSフィールドとNフィールドに対して、WフィールドやEフィールドではジオン軍の活発な動きがいまだ観測されており、散発的な交戦が続いていたからだ。そして、SフィールドやNフィールドでさえ、いつ何時小隊単位のモビルスーツが飛び出してくるか知れないのだった。
 一応の命令を下し終え、各部署の応答を確かめるとハルゼイ艦長は、トレイル中佐を振り返って小声でいった。「まだ戦闘は、続行してるんだ。闘っているさ、あの2人は特にな」
「はあ・・・、そうですな、あの2人なら・・・」
 ハルゼイ艦長のいう2人にアクセル曹長が含まれていることをトレイル中佐はわかっていた。そして、アクセル曹長が無事ならばきっとアイラ准尉も無事に違いない、そう思えるのだった。
 
 連邦軍は、残存戦力の統合整理をSフィールドとNフィールドの掃討を行いつつ実施していた。比較的健在な艦艇を終結させ、戦隊単位での作戦行動が可能なように編成し、その指揮下で運用できる稼働モビルスーツを終結させつつあった。
 また、その一方でジオン軍の残存戦力が、特にEフィールドで終結しつつあるのが観測されており、その動向いかんでは戦場の勝敗がどちら側に転がるかは微妙なところだったからだ。その戦力に対抗するために戦力の再編成は急務であり、必須だったが、艦隊司令官が思うようにはことは進まなかった。それほど勝利を収めつつある連邦軍も疲弊しきっていたのだ。
 
「周囲警戒、気を抜くなっ!!」
 レイチェル少尉の鋭い声が、疲れきったコニーに最後の精気を与えてくれる。コニーは、もう何年もジムのコクピットに収まったままのように感じ、疲れ切っていた。
「了解!!」
 答えてコニーは、全周囲警戒を再度繰り返した。もちろん、周囲警戒を怠っているつもりなどなかったが、疲れから注意が散漫になっていくのはどうしようもない。人間は、機械ではないのだから。
 コニーがレイチェル少尉やラス准尉とともに制圧しようとしたベイの周辺は、酷い有り様になっている。メガ粒子砲座やその照準儀、もとは何だったかさえ分からなくなったもの。今はもう鬼籍には入ってしまったマゼランの砲撃は、見事なほど辺りを破壊し尽くしていた。
 それでも、このベイを防衛していたジオン軍は、最後の抵抗を諦めはしなかった。制圧に掛かったレイチェル達に牙をむいたのだ。しかし、新型機やリック・ドムに比べるならば哀れなほど動きの鈍いザクでは、レイチェル達をどうにかすることはできなかった。
 バラバラと飛び出してきたザクは、レイチェル少尉とラス准尉、コニー曹長によって瞬く間に半分が撃墜された。残ったザクは、武装を放棄すると恭順の姿勢を示した。
 レイチェル少尉は、半壊したサラミス、ジェノバを呼び寄せ、完全に武装解除したザクを収容させた。
 全ての抵抗を掃討したように思えてもザク達が最後まで守っていたベイの中へとジムを乗り込ませるには、周囲の警戒はしすぎてもしすぎることはなかった。完全に安全が確保されなければベイの中へジムを乗り込ませることは自殺行為にも似たものとなる。入り口で警戒にあたるラス准尉のジムが、半壊している以上なおさらだった。
 当座の安全を確認してレイチェル少尉とともにベイに乗り込んだコニーが、そこに見たものは、何の変哲もない仮装巡洋艦が1隻きりだった。74戦隊が、幾度も交戦したタイプの仮装巡洋艦が、ただ1隻きり、残っていただけだった。
 しかし、1隻きりとはいえその仮装巡洋艦は戦利船であると同時にささやかな抵抗力を持つ戦闘艦であることにも違いなかった。注意深く接近し、コニーの援護を受けてその仮装巡洋艦のコンテナ甲板にジムを立たせたレイチェル少尉は、ビームライフルを真っ直ぐ船橋に向けると高らかに命令した。
「降服せよ!!」
 
「降服せよ!」
 カディス船長は、まずその声の主に驚いた。まさか若い女の声を聞くなどとは想像もしていなかったからだ。ぴたりと船橋、いやカディス船長自身に向けられたビームライフルの砲口を見つめカディス船長は、口の端に小さな笑みを浮かべた。こんな戦争の終わりを迎えるとは思いもしていなかったからだ。
 ベイの入り口にモビルスーツ、それが連邦軍のものであるということが分かるのに5秒と掛からなかった、が現れそれと知れたときにカディス船長は、一切の抵抗、又はそれと取られるような動きを禁じた。機関出力の回復作業の含めてである。
 結局『オルベスク』は、エンジントラブルの復旧がならず、出港できず仕舞いだった。機関科員達は、必死にその本分を果たそうとしたけれど、開戦以来酷使してきたメインエンジンの復旧はそれほど簡単なことではなかったのだ。しかし、皮肉なことに出港できなかったということがカディス船長の願いを叶えることになった。『オルベスク』からは、1人の戦死者も出さずに済んだのである。
 もちろん、抵抗しようと思えばできないことはない。『オルベスク』には、仮装巡洋艦としての任務を解かれて以降も個艦防衛用の対空火器が両舷に3基づつ残されていたからだ。しかし、それで抵抗できる相手ではなかったし、そうするつもりは、相手があの丸っこい出来損ないだったにしろなかった。
 仮に抵抗したとしても限られた空間でしかないベイの内部でモビルスーツを撃破することの愚かしさは十分に心得ていた。
「副長、全乗組員を船橋へ集めてくれ。通信員、連邦軍に通信、我機関故障により動けず、とな」
 副長と通信員が、返事をして与えられた命令をこなす。
「動けなくなったのが幸い、というところでしょうか?」
 艦内放送で船長の命令を伝えた副長が、船橋の窓から連邦軍モビルスーツを眺めながらいった。酔狂なモビルスーツだった。なにしろ機体をピンクに塗り立てているのだから。けれどそのカラーリングが酔狂だからといってそのモビルスーツが非力でないことは確かだった。向けられた砲口から発射された火力によって、何機もの味方機を撃墜してきたに違いない。そう、ベイを守っていたノーマン中尉をも。
 そうでなければこのベイの中に連邦軍が乗り込んでくることなどあり得はしない。ノーマン中尉達は、この2機のモビルスーツに一蹴されてしまったに違いなかった。それは、認めなければならない現実だった。
「確かに・・・、全部が沈んだというわけではなさそうだが・・・」
 ベイから出港していった輸送船や仮装巡洋艦のうち、連邦軍の餌食にならずにすんだものがほんの数隻でしかないのはベイの中にいても管制所やそれぞれの船の無線交信を聞いていれば十分に分かった。
 酷い結果だった。そして、最初から分かっていた結果でもあった。
「いいか絶対に抵抗するな!」
 カディス船長は、船橋に集まりつつある乗組員に念を押した。抵抗したと見なされて攻撃されるようなことがあっては、ノーマン中尉達の戦死は無意味になる。それだけは、避けねばならなかった。
 
「官姓名を名乗れ!」
 若い連邦兵の引き攣った口元を見ながらノーマン中尉は、両手を軽くあげたままコクピットハッチから身を乗り出した。小刻みに震える銃口、きっと少しでも急な動きをしたら、ノーマン中尉は、蜂の巣にされてしまうだろう。連邦兵は、怖がっているのだ。きっと敵の兵を初めて目の前にするのだろう。
 既に与圧されているのだろう、連邦兵は、ヘルメットバイザーをオープンにしていた。
「グレッグ・ノーマン中尉」
 ノーマン中尉は、ゆっくりとうごかした右手でバイザーを開けていいかという身振りをした。連邦兵が首肯くのを見てから自分もバイザーをオープンにすると憮然と名乗った。ちらりと視線を動かすと2機のザクが見えた。それぞれに3人か4人の連邦兵が取りついて同じようにパイロットを拘束しつつあった。
「中尉!ですか?」
 若い連邦兵は、自分よりずっと階級が上の敵兵士にどう対応してよいのか分からないようだった。
 そんな若い兵に拘束されている自分が可笑しくてノーマン中尉は皮肉な笑いを浮かべた。そして、こういう結果を自分にもたらした戦闘を思い返した。
 ノーマン中尉が展開していたベイに襲いかかってきた連邦軍のモビルスーツは全く、容赦がなかった。ノーマン中尉達も必死にベイを死守しようと試みたが、話にもならなかった。何度も交戦したことのある連邦軍のモビルスーツは、ノーマン中尉達の登場するザクでは明らかに役不足だった。ベイを守らねばならいという足枷が、ザクの性能を更に低いものへと貶め、ノーマン中尉の指揮下にあるザクはあっという間に3機も失われた。
 それ以上の戦闘は、どう考えても全滅が待っているだけだった。3機を失ってノーマン中尉達がなしえたことは1機の連邦軍モビルスーツの頭部を吹っ飛ばしたことだけだった。ザクならば、戦場から退場せざるを得ない損傷にもかかわらず、連邦軍のモビルスーツはまるで全く損傷していないかのように機動して見せた。最終的にそのことが、多いにノーマン中尉の戦意を削いだ。
 敵が、降服を受け入れるかどうかは賭だった。降服は、ガトルやジッコだったら不可能だったに違いない。ザクだから可能だった。そう人型のザクだからこそ。
 マシンガンを放りだしたノーマン中尉は、ザクに両手をあげさせたのだ。万国共通の降服を意味する姿勢をザクにさせたのだ。ノーマン中尉以外に残った2機が、ハンナ少尉と戦意を失っていた新兵だったことも幸いした。2人は、ノーマン中尉の交戦停止と武装放棄の命令を直ちに履行してくれた。そういう意味では、交戦開始後真っ先に飛びだしていったバンクロフト軍曹が戦死したのは、不謹慎な言い方になってしまうが良かったのかもしれない。バンクロフト軍曹は、ノーマン中尉が命じても恐らく交戦をやめなかったろう。そうしたら?
 あるいは、連邦軍のあのパイロットがもう少しでも血気盛んだったら?ジオン軍の降伏などという行為を認めもしなかったに違いない。
「中尉、貴方を・・・」
 連邦兵の南極条約に準じて捕虜にするという内容の通告にほんの少し思考を邪魔されたノーマン中尉は、その棒読みの通告を聞き流した。
 ノーマン中尉達の3機のザクは、損傷した連邦軍のモビルスーツの監視下でこれもまた損傷したサラミス級巡洋艦へと収容されることになった。
 その時にふと、ザクを捕獲されるような場合にはザクを自爆させること、という命令を思い出したが、その命令が今は無意味なことだとノーマン中尉には分かっていた。連邦軍が、ザクよりもずっと高性能なモビルスーツを実戦配備している現状では、そのような命令の実効性は限りなくゼロに近かったからだ。
 そして、残った2機の連邦軍モビルスーツは、ノーマン中尉達が守ろうとしたものがあるベイへと向かったのだ。損傷したモビルスーツも、ザクが完全に無害になって収容されると機体を翻した。
「1つ聞いていいか?」
 長ったらしい通告の読み上げが終わるとノーマン中尉は、連邦兵に向かって聞いた。
「な、なんだ?」
「我々が守ろうとしていたベイに向かった君たちのモビルスーツがどうなったかを教えてくれないか?」
 連邦兵は、ちょっと眉をしかめてどうしたものかと考えている様子だったが、差し支えないと思ったのだろう、教えてくれた。
「もちろん、勝った」
「勝った?」
 ノーマン中尉は、それがどういった意味でなのかを考えた。万が一・・・。
「ああ、1隻だけだが、船を捕獲したんだ。じきに、その船の捕虜も収容されるさ」
 その言葉を聞いてノーマン中尉は、安堵した。ただ1隻脱出しそこねた船、それは『オルベスク』にほかならなかったからだ。つまり、『オルベスク』は、無事に捕獲されたのだ。どうして『オルベスク』が出港してこなかったかはこの際もうどうでも良かった。大事なことは、『オルベスク』が、無傷でいるということなのだ。ア・バオア・クーの士官用クラブでいっぱいやるという約束は果たせそうになかったが、近い将来、ノーマン中尉は、場所こそ違え、カディス船長と酒を飲めることを確信した。
「もう1つ聞いてもいいか?」
「なんだ?」
「君の官姓名を教えてもらえないかな?」
 ノーマン中尉の表情が、急に穏やかなものになったことに気が付いたせいか連邦兵の表情からも強ばりが多少薄れていた。
「リチャード・メイボーム軍曹だ」
「メイボーム軍曹、戦時捕虜として、我々はあなた方の命令に従います」
 ノーマン中尉の完璧な敬礼とともに話された言葉に連邦軍の若い軍曹は、ただ目をぱちくりとさせた。
 
「全員、退船を完了しました、船長」
「よろしい、やってくれ」
 全ての乗組員が、『オルベスク』の緊急用ランチに乗り移ったことを確認した副長の報告を受けてカディス船長は、ランチの離船を命じた。巨大な『オルベスク』の船体から小さなランチが離れていく。
 誰とはなく、離れていく『オルベスク』に敬礼をした。泣いているものもいる。開戦以来、ほぼ1年間、ともにした船である。彼らにとっては『オルベスク』は家であり、その乗組員は家族だった。
「みんなよくやってくれたな。ご苦労様だった!」
 その言葉に新たに涙を流すものが増え、小さなランチの中は男達の熱い涙で溢れそうになった。カディス船長も、涙こそ流さなかったが、心の中が熱いもので満たされていくのを禁じえなかった。
 確かに、家を失ったかもしれなかったが、家はいつかまた建てることができる。しかし、家族は?1人でも欠けてしまったらそれは永遠に戻ることはないのだ。その家族がみんな無事なのがカディス船長は、酷く嬉しかった。
 
〔終わったわ〕
 レイチェルは、サラミスへと収容されるランチを眺めながらふと思った。まだ、戦闘終息が宣言されたわけではなかったが、そう思えたのだ。
 そして、確かにこの時、Eフィールド空域に終結しつつあったジオン軍の残存艦隊は、決してその戦力は強大とは言えなかったが、ア・バオア・クー空域から離脱を図っていた。
 もちろん、連邦軍の方でもその動きを察知してはいたが、あえて追撃行動を行うことはしなかった。もっとも、追撃を行えなかったといったほうが適切には違いなかった。連邦軍の損害は、とっくに許容範囲を超えていたし、もっとも戦闘開始した直後から想定した以上の損害をソーラー・レイによって受けていたともいえる、追撃を行わなくとも戦術的な側面から見ればこの戦闘は、ア・バオア・クーを陥落させたという1点で連邦軍の勝利だったからだ。確かに、戦略的勝利を求めるならば離脱していった艦隊の捕捉殲滅は必須だったが、現空域の連邦軍は、戦略的勝利までは求めていなかったし、それを得ることも不可能だった。
 そういったことを見通せたわけではなかったが、レイチェルは、戦闘の終息を感じたのだった。
 ぐるりと全周囲警戒を何度やっても敵はもう確認できなかった。
 眼下の損傷したサラミスとの交信でも新たな敵は認められなかった。
 そして、改めて現状を確認するとこれで勝ったといえるのかどうか?レイチェルは疑いたくなった。確かに、ジムはレイチェルのジムを含めて全て戦闘可能だったが、それはあくまで交戦可能というだけであって、できればもうこれ以上の交戦は避けたい状況だった。
 レイチェルのジムは、確かに健在で奇跡的にも完全な状態を保っている。しかし、ラス准尉のジムは、ジオンの新型機がビーム兵器を装備していたせいで左腕をシールドごと吹っ飛ばされジムの優秀なオートバランサーでさえ補正がようやく可能といったところで、シールドをなくしたことも相まってジム本来の生存性は著しく損なわれている。
 コニー機も、最後のザクとの戦闘で頭部を吹っ飛ばされたためにひどく警戒範囲が狭まっていたし、実際に戦闘になったときには敵の視認性が著しく損なわれているわけだから、ジム本来の戦闘力を発揮させることが酷く難しい状況だった。それに見た目も頭のないジムというのは酷く滑稽だった。
 でも、とレイチェルは思った。
 こんなにぼろぼろになってはいても少なくとも2人は生きている、と。それは、他の何よりもレイチェルにとって重要なことで、何物にも変えがたいことだった。もうしばらく掛かるのだろうが安寧がようやく戻ってくるのは間違いなさそうだった。
 
 サラミスを通じて戦闘の終息を知らされたのはそれから更に1時間後のことだった。