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12月6日 ルナ2
 
 宇宙に出てから、全く時間を持て余すようになったナガレ准尉は、タカスギ准尉と一緒にルナ2の気密ブロックに係留されているオタワの格納庫へと足を運んでいた。
 全くそうなのだ。ティアンム艦隊は、ここではお客様扱いでしかなかった。通常の哨戒任務は、ルナ2艦隊と、3個の独立戦隊によって実施され、ティアンム艦隊のどの部隊も、ルナ2から1歩足りとも出ることはなかった。54戦隊もその例外ではなく、シュミレーターの訓練以外は、することがなかったのだ。
「全くよぉ、さっさとやらせて欲しいもんだよなあ」
 ぶらぶらと、歩きながらぼやいたのはタカスギ准尉の方だ。ここ2、3日特に不満が口を突いてでることがとくに多くなっている。
「まあ、そういうなよ、いずれは戦場に出られるって」
 同じように不満を持ってはいたが、ナガレ准尉は、どちらかというと口の悪いタカスギ准尉のなだめ役になっている。タカスギ准尉も根は、善人に違いはないのだが、どうも口のききかたで損をするタイプだということに本人が気が付いていないせいなのだ。
「腕がなまっちまうよなあ」
 もちろん、実戦に出たことなんか、ないのだけれど。
「まあ、そういうなよ。主役は満を持すっていうじゃん」
 解ったような解らないような理由を並べ立ててタカスギ准尉をなだめるのも、すっかり、ナガレ准尉の日課のうちだった。
 もちろん、連邦軍が無為に時を過ごしているわけではなかった。准尉達には知らされてはいなかったが、とっくに出撃の日時や、攻撃目標すらも決定されているのだ。加えていうならば、各部隊の細かな予定すら決定してしまっている。現在は、そのタイムスケジュールに齟齬を来さないように、54戦隊をはじめティアンム艦隊の艦艇は、与圧ブロックにて最終艤装を進めつつある。地球から打ち上げられた艦隊が、戦力になるための儀式だった。
 それが終わるまでは、いかに数がそろっていようとも戦力に算定するわけにはいかないのだ。
 
 私物のほとんどを所属艦に置いたままにしているため、身分証明さえしっかりしていれば、比較的自由に各自の所属艦への出入りは許されていた。ブリーフィングなんかも、ルナ2の会議室を使うことよりも各艦の作戦室を使うことの方が多かった。
 そのためか、オタワの艦内にも、准尉達以外にも意外と多くの乗員が戻って、何か軍務があるのか、また准尉達と同じように暇つぶしのためなのか、艦内を歩いていた。
 さすがに、他の兵がいるところでは文句を言うわけにもいかず、2人は、愚痴をトーンダウンさせてモビルスーツ格納庫に向かった。
 サラミス級の格納庫は、もともと他の機材のスペースであったものを無理やりにモビルスーツの運用ができる用にしたものであり、お世辞にも機能的とは言えなかった。それでもどうにかジムを4機運用できるだけのスペースを確保できたのは、このサラミス級がかなりの冗長性をもって設計されていたからだった。カタパルトの装備もないため、緊急発進ももちろん不可能だったが、モビルスーツの冷却設備や最低限の補給部品を持ち、まがりなりにもモビルスーツを戦闘に加入させることは可能だった。
 
「なんだ?ありゃあ」
 格納庫に入った瞬間、タカスギ准尉は、素っ頓狂な声を上げた。
「なんだって、何がさ?」
 黙ってタカスギ准尉が指さすほうを見て、ナガレ准尉も、タカスギ准尉ほどでないにしろ、ちょっとばかリ驚かなければならなかった。
 受領したときには、機体の左肩の部分に申し訳程度の小さな文字で機体ナンバー、54戦隊の場合は、54プラス所属番号2桁、合計4桁の機体ナンバーが書かれていたのだけれど、今は全く違っていた。
 ジムが装備するシールドの上半分にでかでかと白で大きく書かれているのだ。文字の縦は、人間よりも大きいぐらいだ。けれど、驚いた理由は、それではない。その機体番号の上に、これもでかでかと描かれている黒猫のせいなのだ。
「なんの冗談だ?ありゃあ」
 黒猫は、しっぽだけが見えて、意地の悪そうな笑いを黄色い目でしていた。シールドをこちらに向けている5407号機とタカスギ准尉の5408号機にそれはでかでかと遠慮なく描かれていた。見えないけれど、他の2機にも書かれてあるに違いなかった。
「いったい、誰が・・・」
 描いたんだ、と言い掛けたところに後ろから声がかかった。
「わたしが、描かせたんだけど、いけなかったかしら?」
「わたしがって、いったい誰の許可を・・・」
 これも言い掛けて、タカスギ准尉は、振り返った途端、言葉を止めた。
「艦長の許可はとってあるのよ、御不満?准尉さん」
 2人の後ろにはいつの間にか、ゲリン少尉が立っていた。いつも見せる、厳しい表情ではなく悪戯っぽく笑って少尉は立っていた。
「いえ、あのその・・・問題ありません!!」
「だって、54戦隊第2小隊なんて言いにくいでしょう?だから、うちはブッラクキャッツって名乗ることにしたの、空軍では当たり前のことなのよ」
 それを聞いてナガレ准尉は、少尉が空軍パイロット上りだということを改めて思い出した。
「いや?」
 小首を傾げて聞く少尉は、上官というよりは、単なる年上のお姉さんという感じがして、親しみすら感じられた。
「そんなことはありません」
「はい、いいです」
 2人が、同時に返事を返したことに、微笑みを返しながら少尉は、背を向けた。
「じゃあ、そういうことだから」
 そういって、さっそうと歩いていく少尉を見送りながら2人は顔を見合わせた。あっけにとられた2人の准尉が、口をきけたのは少尉が、格納庫を出てしばらく経ってからだった。
「少尉って、あんなに優しかったのか?」
 タカスギ准尉が言ったことに対して、ナガレ准尉は、首を縦に玩具のようにかくかくと振ることでしか答えられなかった。初めて見た少尉の笑顔が、今までナガレ准尉の知っているどんな女性のそれよりも魅力的で、すっかりその笑顔に魅せられてしまったせいだ。
 
 12月10日 ア・バオア・クー
 
 ここ2、3日、ア・バオア・クーには2つの流れができつつあった。
 1つは、戦力増強のために本国から送り込まれてくる増援部隊の流れである。もう1つは、最前線になったときに不要な人員の本国への送還である。
 しかし、その流れは思うほどスムーズなものではなかった。
 なぜならジオンの戦争計画には、連邦軍の宇宙での反攻作戦など、毛頭考慮されていなかったからだ。その上、これも考慮されていなかった地球への際限のない補給作戦が重なって、ジオン軍の補給計画は、完全に破綻を来していたのだ。
 もともと地球と、宇宙の3つの根拠地に十分な補給能力など持たなかったジオン軍である。地球への補給は、本国を含め、これら3つの根拠地から部隊を抽出する形で行われていった。そして、その中心になったのは、汎用兵器であり、唯一有効な兵器であるモビルスーツだった。
 地球上の戦線を単に維持するためだけに実に4000機近いモビルスーツが、投入されていったのだ。この総数は、ジオンが開戦時に実戦配備ないし、投入可能だった数にほぼ等しい。この再び宇宙に出ることのないモビルスーツの投入は、連邦軍の宇宙での反攻がないことを前提になし崩しになされたものだった。
 そうした状況下では、モビルスーツの増産が叫ばれこそすれ、既に2戦級になってしまったガトルの増産など、計画されるはずもなかった。
 
「中尉、このまま始まっちまうんですかね?」
 リッツェン少尉は、雑多な補給品の搬入目録に目を通しながら言った。文字通りそれらは雑多な補給品の山、新しい軍服だったり、ノーマルスーツのヘルメットバイザーだったりした。
「せめて、定数ぐらい満たして戦いには臨みたいものだが・・・」
 ハリソンも、搬入される物資を見て、溜息を付きつつ返事を返した。
 この日、大隊の補給品を受け取る役を大隊長から仰せ付かったのはハリソンの小隊だったのだ。リッツェン少尉の読み上げる目録には、肝心のガトルの補充は含まれていないようだった。
 だいたい、部隊のモビルスーツも、06タイプに機種転換されるはずだったのに、いまだにその気配すらない。支援中隊のジッコも、定数に欠けたままだった。
「本当に、これだけなのか?」
 本国からの補給士官に大声を掛けて、少尉が、今日の補給品を確認した。全く、何を考えて割り振ったのか頭を捻りたくなるようなものが数も半端に送られてきたにすぎなかった。
 直接、受け取り作業をしているアルダマ准尉以下の兵士達も、受け取りながら首を捻っている。
「ああ」
 本国の補給士官も、自分が運んできたものが役に立ちそうもないことを知って肩をすくめて見せた。「本国でも、混乱して、ぱにくっちまってるのさ」
 補給士官は、それだけいうとランチを発進させた。
 実際、この時期のジオン軍の補給部隊の混乱は相当なもので、本当に必要とする部隊に必要なものが届くことの方が稀だったと言われている。実際、終戦間際に、連邦軍の地上部隊が、占拠したジオン軍の拠点で梱包されたガトルを捕獲したという報告があったほどだ。これなどは、極端な事例ではあるが、機能的に補給網が稼働していないことは確かだった。
「これじゃあ、大佐がどんなに優秀でも、なんともなりませんぜ、中尉」
 確かに、ランチから放り出された補給品は、半分以上どうでもいいもので、残りの半分も糧食だったり、予備部品だったりで、直接的に戦力の増強になりそうなものは何もなかった。
「まったくなあ」
「ないよりはましですがね」
 部隊によっては全く何も届いていない部隊もあるという話しを聞いているリッツェン少尉の、せめてもの慰めだ。
「それにしても、6人で受け取れる大隊宛の補給品なんて・・・」
「お前は何も言わないで運びゃあいいんだ、くそったれ」
 一人前に文句を垂れるリー曹長に1発小突きを入れながらリッツェン少尉は、大声で怒鳴った。「100年早いんだよ、上のやることに文句付けるなんてな」
「少尉殿だって、文句言っておられるじゃないですか」
「おれはなあ、こう見えても士官だ、ばか野郎っ!!」
 不服そうなリー曹長に、本気の罵声を飛ばすリッツェン少尉の後姿を見ながらハリソン中尉は、半ば以上無駄だと知りながらこいつらと一緒に攻撃を仕掛けないですむようにそっと祈った。
 少尉を除けば、本当に、小隊の兵士達は子供でしかなかったのだ。少尉の怒りも半分は、こんな子供たちを戦闘になったら連れていかなければならないという葛藤なのだ。誰だって、子供と一緒に戦争なんてしたくないのだ。
 
「どの部隊もそうよ」
 士官服を、脱ぎながらリンダは言った。「まともな補給品を受け取ってる部隊の方が少ないわ」
 同じ規格の士官室のはずなのに、女性の部屋らしくなっていることに感心しながらハリソンは、ベッドの上で横になりながらそれを生返事できいた。目は、リンダの着替えを何となく追い掛けていた。ふと、白のアンダーシャツを盛り上げているリンダの胸を鷲掴みにしたい衝動に駆られる。
「それにね、おかしなこともあるのよ」
 アンダーシャツを脱ぎかけた手を止めて少し声を低めてリンダが言った。ハリソンの視線に気付いてリンダは、口元を緩めた。
「なんだ?」
「内緒らしいけど、極秘ってことね、いくつかのモビルスーツ部隊が、本国に戻されているの」
 ベッドに腰を下ろすといっそう、声を低め、ハリソンの耳元に顔を寄せてリンダは、言った。そのままキスをしようとしたけれど、ハリソンが手で制した。リンダは、ちょっと不満そうな顔をする。
「モビルスーツ隊を?」
「そうよ、たとえば610独立戦隊、ベテラン揃いよ、彼らは一昨日、本国に戻されていったわ。何でも、コロニーの防衛をやらされるんだってぼやいてたわ」
「610?だって?ギレン閣下の直属じゃないか?他には?」
 600番代の独立戦隊は、ギレンの直属の部隊であるのは周知の事実だ。
「全部は知らないわ。でも、こんなに精鋭部隊ばっかり引き揚げてどうするんだ?って同僚が言ってるの」
「ここを見捨てる気だろうか?」
 いかにもギレンならやりそうなことだった。しかし、リンダは、そうは思わないと言った。
「引き抜かれた以上にモビルスーツは、本国から送られてきてるの。それも、ほとんどがリック・ドムで編成されてるのよ。あの新しい機体で編成されてる部隊だって少なくないのよ。ただ・・・」
 新しいというのはゲルググのことだ。
「ただ?なんだ?」
「パイロットは、子供よ」
 リンダは、遣る瀬無いようにいった。
「学生ってことか?」
「そう、みんな若いの、指揮官ですらよ。おまけに機体も新品、工場からおろしたてって言うやつね」
 それを聞かされてハリソンは、眉間にしわを寄せた。視線は天井に向けられている。そうなったらしばらくは、そのままなのだ。何かを考え込んでいる証拠だった。終わってからにすればよかった、微かにリンダは、女性らしい後悔をした。
「シャワーを浴びてくるわ」
 案の定、それに対する返事はなかった。
 
「10日もたってなんの情報も入ってこないとはどういうことなのか?」
 モレー大佐にしては、ひどく珍しく、声をあらげた。
「は、はい・・・」
 トゥーフォン中佐は、そんな大佐に驚きながらも申し訳なさそうに返事をした。原因は、わかっている。ろくに補給品が届かないうえに情報すらも限定されているからだ。
 実際、ソロモンのジオン軍は、手をこまねいていたわけではない。ティアンム提督麾下の第3艦隊が出て来た以上、それが単なるルナ2の防衛強化であるはずがない。それが分かっている以上、何らかの対策を打たなければならないのだけれど、ティアンム艦隊の動向が一切分からないのだ。
 地球の向こう側に、兵力を送ることが容易ではなくなっていたのだ。さらに、所要に満たない兵力の逐次投入を行ってもいた。ムサイに数機のモビルスーツを搭載して単艦で偵察に出すということを繰り返したのだ。
 これでは、モビルスーツを組織的に投入し始めた連邦軍の絶好の餌食にしかなりえなかっただろうことは、想像に難くない。
 それでも、ソロモンは、少数戦力による偵察をやめなかった。開戦時におけるザクの威力を忘れられなかったせいである。
 だが、ルナ2を効果的に偵察するのは、思ったよりさらに容易ではなかった。連邦軍が、それなりの妨害行動を効果的に実施しているためだ。木馬の部隊に対してだけでも、既に6隻の艦艇喪失を出し、モビルスーツに至っては20機以上を失っている。結果的に、この10日間でソロモンは、20隻近い艦艇と100機以上に及ぶモビルスーツを、無為に失ってしまった。しかも、戦果不詳という、半年前ならば考えられないような状態で。
 しかし、情報が、不十分なのはそれだけではなかった。
「情報がどうも統制されているようなのです」
 トゥーフォン中佐は、遠慮がちにいった。
「統制だと?誰が?何のために?」
 この時点で情報統制をする意味がモレーには、分からなかった。現状では、迎撃のために多くの情報が必要なのだ。
「情報部にいる同期の将校がいっていたのですが、どうやら軍は、ソロモンを単なる時間稼ぎにしか思っていないようなのです」
「ソロモンを見捨てるだと?」
 トゥーフォン中佐が、遠回しにいったことを、モレーは、直接的な表現に言い換えた。「ギレンめ、何を考えているのか?」
 モレー大佐の物言いにぎょっとして、ここが484大隊の司令部にもかかわらずトゥーフォン中佐は、辺りを見回した。現在のジオンにあってギレンは絶対であったからだ。ギレンの逆鱗に触れて前線送りになった高級将校の話しには事欠かないのだ。
 もともと生粋のジオン派、つまりダイクン派のモレー大佐は、その行動に目をつけられているのだ。
「大佐・・・」
 トゥーフォン中佐は、もう少し自嘲して下さいという意味を込めて小さな低い声で言った。部隊ごと前線に飛ばされてしまっては困るのだ。しかし、トゥーフォン中佐は知らなかった。ア・バオア・クー自体が間も無く最前線になるということを。