12月23日 星一号作戦前夜(54戦隊オタワ艦内)
 
「坊やが、ぶるっちまってるんです」
 ゲリン少尉が、モビルスーツの主任整備士官からそう聞かされたのは、タイムロックのかかった作戦指令書が、オープンになり、最終的な目標が、ア・バオア・クーと艦内放送で知らされてまもなくだった。その整備士官は、ゲリンの損傷したジムの頭部の交換が終了したことを伝えた後に言いにくそうに言った。
「ア・バオア・クーに行くのを?」
 ゲリン少尉は、一番認めたくない原因を真っ先に聞いた。敵の本拠地に攻め入るのを怖がっていては戦争なんてものは成り立たないからだ。
「違いますよ、新兵のかかるあれだと思うんですがね。仲のよかった同期のパイロットが戦死したせいですよ、きっと」
 54戦隊は、先の暗礁空域での接触でジオン軍の一個パトロール艦隊を壊滅させたのだけれど、さすがに54戦隊も何機かのモビルスーツを喪失してしまったのだ。ゲリン少尉も、ジオン軍の新型モビルスーツと交戦し搭乗機の頭部を完全に撃破され、シールドを喪失した。そして、未帰還機のうちの1機は、ゲリンの部下でありナガレ准尉と一番仲の良かったタカスギ准尉が含まれていたのだ。
 戦隊にとっては、ジム喪失3で済まされた出来事も、ゲリンや、ナガレ准尉にとっては、そう簡単なことではなかった。ゲリンにとっては、初めてのモビルスーツ戦で部下を失ったことになるし、ナガレ准尉にとっては戦友を失ったことになるのだから。その影響は、よりナガレ准尉にとって大きかったということなのだ。
 ゲリンにとっては、同僚や部下の未帰還という出来事は、既に日常になっていた。フライマンタを飛ばしていたころは、毎日のように仲間を失っていたからだ。ただ、だからといって悲しんでいないのではない。悲しみをぐっと心の奥にしまい込むことを覚えたに過ぎない。
 ゲリンと同じ芸当を新兵のナガレ准尉に望むのは酷というものだ。
「こんなときに・・・」ゲリン少尉は、そういうとナガレ准尉の、居場所を聞いた。「で、どこに?」
「パイロット待機室にいますよ、頼みます」
 その整備士官が、ハンドグリップに飛び付いて引っ張られていくのを見送りながら、どうしてやるのが、一番いいのか?考えを巡らせながらゲリン少尉は、待機室に向かった。
 
「なぜだか分からないんです」ナガレ准尉は、ゲリン少尉に問われて開口一番小さな震える声でそういった。「タカスギ准尉のようなパイロットが戦死して、臆病で冴えない自分が生き残るなんて・・・」
 ゲリン少尉に言わせれば、そんなものは時の運でしかなかったのだけれど、そんなことを説明しても納得しないか、余計にびびってしまうかでしかない。ようするに、繊細なのだ、ナガレ准尉は。パイロットには、向かないタイプなのだろうけれど、今はもう戦隊の貴重な戦力の1人なのだ。そうである以上、このまま放っておくわけにはいかなかった。
「あなただから、生き残ったのよ、准尉」
 ゲリン少尉は、言葉を選んでゆっくりと語りかけた。叱咤するのは簡単だけれど、おそらくそうしてもナガレ准尉は、委縮してしまうだけに違いないからだ。
「えっ?」
「生き残れたでしょう?」
 ゲリン少尉は、ナガレ准尉の瞳を見つめた。かすかに茶色がかった黒い瞳は、おどおどとして、弱々しく光を反射している。ようは、自信を持てないでいるのだ。無理がないことかもしれない、准尉は、男になりきれていない少年なのだ。
「その、生き残ったことに自信を持てばいいわ、分かる?あなたは、一つの戦いを生き延びたのよ」
「ですが・・・」
 ナガレ准尉は、まだ逡巡している。環境の激変について行けていないのだ。無理もない、学生気分の抜けないうちにパイロット訓練を受けて戦場に送り込まれたのだから。自分が、何故何のために戦うのかも分からないに違いない。だったら、戦うための理由を作ってやればいいのだ。単純な男に何か目的を作ってあげるのは、殊更難しいことではない。
「自信を持てば大丈夫。戦いを生き延びたあなたのようなパイロットが必要なの、わたしの小隊にはね。あなたの援護が必要なの、戦いを生き延びたあなたのね。わたしだって、独りでは戦えないわ、わかるでしょう?」
 生き延びた、ということを強調してやった。
「自分が?少尉を?ですか?」
「そうよ、お願いしていいでしょう?」
「え・・・?あの、自分に?・・・」
 目をおどおどさせながらナガレ准尉は、いかにも自信がなさげに言った。この、まったく予想もしなかった上官からの申し出に一体どう答えていいものなのか?必死に考えることによって瞳の光は少しばかり生気がさしてきたようだった。後は、ほんの少しサービスをしてあげれば少なくともバカなことを思い悩まずにコックピットには座れるはずだった。
「いい?准尉。わたしを援護すること、これは、命令よ、そして、約束でもあるわ、分かった?」
 准尉の返事を聞く前に、ゲリン少尉は、准尉の肩に手を乗せると、ごく自然に顔を近づけた。わずかに、ナガレ准尉は、体を引きそうになったけれど、それよりも早く、ゲリン少尉は、自分の唇をナガレ准尉の唇に触れさせた。そして、にっこりと微笑むと、ゲリン少尉は、踵を返した。
「ア・バオア・クーに突入するまでにはあと8時間ばかりあるわ、身体を良く休めておくこと?分かって?」
 背を向けたまま、ゲリン少尉は、最後の注意事項を付け加えた。
 あっけにとられているナガレ准尉を残し、ゲリン少尉は、待機室を後にした。「が、がんばって、や、やって、み、みます!!」背中で、ナガレ准尉のおぼつかない返事を聞きながらゲリンは、笑いを堪えた。男は、みんな単純だと思うと、笑いを禁じえないのだ。
 けれど、少なくともこれでナガレ准尉は、どこから沸いて出たか分からないような不安を胸に抱いたまま出撃せずにすむはずだった。ただ、それで准尉が、戦死しないですむかといえば、それはまったく別の次元の問題だった。
 (後はあなたの運次第よ)
 ゲリン少尉は、軽く口元を緩めながら、思った。そう確かに、准尉たちのようなパイロットが生き残るには、宇宙を埋め尽くすほどの幸運が必要だった。
 (この戦いが終わって、坊やが生きてたら、抱かれてあげてもいいかもね)
 そんなことも思ってみたりしてみる。
 ナガレ准尉の瞳は、確かに自信なさげで弱々しげだったけれど、それとは別に純真な面も持っているのだ。けれど、准尉のような純真で少年のような男に抱かれてみるのもいいかもしれないと思うそばから、こみ上げてくる笑いをゲリン少尉は、こらえきれなかった。
 何故なら、自分が、ああいったタイプの男になりきれていない少年に興味を示したことがなんとなく可笑しかったのだ。ローレン・ゲリンの好む男のタイプというのは、ナガレ准尉とはまったく正反対の男であるはずだったからだ。
 
12月23日 ア・バオア・クー484大隊宿舎
 
「えっ?」
 サイクス曹長は、突然の申し込みにただただ言葉をなくしただけだった。無理もない、人というのはその場所にそぐわないことを言われたとき、困ってしまうものなのだ。
「いや?ですか?」
 いつもとまったく違って神妙なチュリル伍長の問いかけにサイクス曹長が、言葉を失ったのもまったく同じ理由だった。ソロモンに集結した連邦軍艦隊主力が、出撃をしたのが2日前、つまり明日にはこのア・バオア・クーに到達するのは確実と見られている現在、その迎撃のためにア・バオア・クーは、完全な臨戦体勢下に移行しつつある。つまりア・バオア・クーは、戦場になりつつあるのだ。
 戦場で「抱いて下さい」は、余りにも似付かわしくない言葉としかサイクス曹長には、思えなかったのだ。
「いやも何も・・・、なぜ俺なんだ?」
 特に、チュリル伍長と親しくした覚えもなかったし、モーションを掛けたこともないのだからサイクス曹長の疑問は、もっともだった。
「いえ、あの、こんなこというと、曹長には怒られると思いますが、誰でもいいんです・・・いえ、あの、ほんとに誰でもいいわけじゃないんですけど、あの、その、うまく表現できないんですけど・・・」
 チュリル伍長は、自分でいっていることに対して混乱しているらしかった。チュリル伍長の余りに正直な返事に少し腹が立ったが、その混乱が、なんとなくサイクス曹長にも分かる気がした。ようするにチュリル伍長は、覚悟を決めているのだ。いや、チュリル伍長だけではなく、ア・バオア・クーにいる兵士全員が、同じような心境に違いなかった。ようするに自分が死んでしまうことを認めると同時に怖いのだ。そして、死んでしまう前に何か今まで生きてきたという証が欲しいのかもしれない。確かなことは、その死んでしまうことを覚悟した兵士達の中には、サイクス曹長自身も含まれるということだ。
「分かってください、これだけは・・・」
 チュリル伍長は、サイクス曹長が何も答えないので何かもっと気の利いたことをいおうとして、おたおたしていた。
 そんなチュリル伍長を、サイクス曹長は力任せにぐいっと抱き寄せると伍長の唇に力いっぱい自分の唇を重ね合わせた。荒々しく舌を差し入れると、おどおどと絡み付いてきた伍長の舌を力いっぱい吸った。最後の願い、きっとそうなるに違いない、を断ってしまうほどサイクス曹長は無粋ではなかった。
 2人は、そのまま傍らのお世辞にも柔らかいとは言い難い軍用ベッドの上に倒れこんだ。
「やさしくして・・・下さい・・・」
 チュリル伍長が、そういった以外は2人とも言葉も交わさず、お互いを激しく求め合った。脱ぎづらいノーマルスーツをもどかしげに脱ぎ、慌ただしげに2人が、一つになったときチュリル伍長の頬を涙が伝っていたが、サイクス曹長がそれに気がつくことはなかったし、伍長も気づいて欲しくはなかった。そのもっとも原始的な人間の営みが終わったとき、もうチュリル伍長は、涙を流していなかった。
 サイクス曹長の右腕に頭を載せ、しっかりと抱き寄せられたチュリル伍長にとっては、どんな些細なことも今を実感できる大切なことだった。サイクス曹長の汗ばんだ肌から伝わってくる温かみ、自分の胸に乗せられた曹長の左手の重み、まだ荒いままの息遣い、ほんの少したばこ臭い曹長の体臭。そういったことの全てが、チュリル伍長にとっては、自分が今ここにこうして生きているということを実感できる大切なことなのだった。
 もしも、生き延びられたら、可能性は高くはないが決してありえないことではない、自分にもっと素直になろう、チュリル伍長は、そう決心した。
 
「2時間後には、第2警戒体勢に入るんでしょう?」
 リンダ少尉は、さっきからただただベッドに横になっているハリソン中尉に少しばかり苛立ちを感じながらいった。
 ハリソン中尉が、いつものようにやって来たのは1時間ほど前のことだ。今日は、もう来てくれないかも知れないと思い始めていたリンダにとって、それは嬉しいことだった。中尉に抱いてもらえる、そのことは今のリンダにとって何よりも重要なことだった。
 なのに、当のハリソン中尉といえば、リンダの苛立ちを少しも気にする様子もなくリンダ少尉のベッドの上に横になり、目を閉じて流行の歌をハミングしながら足先でリズムをとっている。
「ああ」
 ベッドの端に腰をかけているリンダ少尉のほうにちらりと目をやり、短く返事をした。
「だったら・・・」
 リンダは、口をとがらせていった。
「だったら?」
 分かっているはずなのに、そんなふうにしか答えないハリソン中尉に切れそうになりながらも、一歩手前で何とかリンダは、とどまった。もう時間がないことは、ハリソン中尉だって百も承知しているはずなのにとも思うが、リンダの頭の中の別の部分では、今ここで疲れさせてしまうと戦闘になったときに判断ミスを誘うのではないか?とも考える。
 では、万全の体調で出撃すれば再び、中尉が戻ってくるのかといえば、そんな保証はどこにもないのだ。 
 だからなのだ、抱いて欲しいと思うのは。
「なんでもないわ・・・」
 リンダが、悲しそうにいうとハリソン中尉は、それに気が付かないふうにまた目を閉じてハミングを始めた。
 きっとハリソン中尉も、死を覚悟しているに違いなかった。でなければここに来ないとも思う。リンダ自身も、それは覚悟している。非戦闘員であるとはいってもア・バオア・クーに残ることそのものが死を覚悟することだからだ。
 しかし、その確実性は、ハリソン中尉の方がずっと高いのだ。そうであれば、中尉のしたいようにさせてあげるのもいいかもしれない。だって後2時間もあるんだから。リンダは、2時間しかない、という考え方をやめることにした。
 落ち着き払ったハリソン中尉をじっと見つめながら、リンダは、どうか奇跡が起こりますように、と祈った。2人が一緒に生き残れるのならば、どんな種類の奇跡でもよかった、たとえ2人以外の全人類が消えてなくなっても。
 
 ア・バオア・クー全体に第2警戒体制を促す放送が流されたのは、実際には3時間余り後のことだったけれど、結局、ハリソン中尉は、ただただベッドの上で身体を休めただけで、その時を迎えた。その間1度も立ち上がらなかったし、寝返りすら打たずに。もちろん、一言だって喋らなかった。
 第2警戒体制は、ついに連邦軍の矛先がア・バオア・クーに確定したことの現れだった。
 放送が流れると、バネ仕掛けのようにハリソン中尉はベッドから起き上がった。緩めていた襟を正し、ベッドに同じようにずっと腰を掛けていたリンダの手を取って立ち上がらせるとハリソン中尉は、軽くキスをして、力いっぱいリンダを抱きしめた。
「必ず帰ってくる、必ず」
 落ち着いたゆっくりとした声でハリソン中尉は、リンダの耳元で囁いた。
「嘘つき・・・」
 力いっぱい、痛いほど抱きしめられながらリンダは、泣かずにはいられなかった。こうして抱きしめられるのもこれが最後になるに違いなかった。できることならこのまま時間が止まればいいと思い、実際にそうなって欲しかった。
「嘘をついたことがあったか?」
 確かに、ハリソン中尉が、約束を違えたことは今まで1度だってなかったけれど、今度ばかりはかなり難しい約束なのだ。ハリソンだけが努力してもなんともならない約束なのだ。
「ない・・・わ・・・」
 涙声でリンダは、ようやくそれだけを言えた。
「だったら、信じて待っててくれ、リンダ」
 いつもと同じように、いやそれ以上に優しい口調で言い聞かせるように話す中尉の声を聞いて、もうリンダは、涙が止められず、しゃべることもできなかった。口を開いたらきっとわぁわぁ子供のように泣きじゃくってしまうのが分かっていたからだ。だから、涙が溢れるままにただ何度も何度も頷いた。中尉は、分かってくれている、抱擁の強さにそれを感じたリンダは、心底嬉しかった。
 ハリソン中尉は、もう一度今度は、濃厚なキスをするとリンダから離れ自分の行くべき場所に向かうためにリンダの部屋を出ていった。
 リンダの右腕が、ハリソンを引き留めようとわずかに上がりかけたけれど、そのことにハリソンが気付くことはなかった。ドアが開き、戦う男の顔になったハリソン中尉が出ていき、またドアが閉まったときリンダは、ベッドに腰を落とし我慢しきれなくなって声をあげて泣いた。
 どのくらいそうしていたのだろう?5分だったかも知れないし、50分だったかも知れない。時間の感覚は、全くリンダから抜け落ちてしまっていた。子供のように泣きじゃくったことでリンダの心のバランスは、かろうじて保たれた。ふと、部屋に置かれた鏡を見ると、目が腫れ上がり、涙の跡がくっきりと残った顔が、鏡の中からこちらを覗いていた。どう控えめに見ても綺麗だとは言いにくい顔になってしまっていた。中尉の愛してくれた顔ではなかった。
「少し遅れます」
 リンダは、通信モニターに顔が映らないようにしながら、上官に連絡を入れた。モニターの中の上官の表情は、一瞬だけ曇ったけれど、それを快く受けてくれた。上官も分かっているに違いなかった、自分たちが生きられる時間が後どれほども残っていないということを。
 許可はとったけれど、それでも少しでも早く部署に着くためにリンダは、手早く制服を脱いだ。いつもならきちんと畳むのだけれど、今日ばかりはそうしなかった。急ぐ意味もあったし、それが意味のないことでもあったからだ。アンダーシャツも一気に脱ぎ、シャワールームに入る。
 ノブを捻ると、上から空気の流れが下へと吹き付けていく。無重力の中でシャワーに溺れないためだ。いつもは気にならないその空気の流れは、今日は何故か肌寒く感じられた。空気の流れに少し遅れて熱いシャワーが吹き出す。それを頭から浴び、涙の跡が残る顔を洗い流した。熱いシャワーが、本当に気持ち良かった。同時に熱いシャワーが、自分の女々しい部分を洗い流してくれる気もした。
 そして、ふとリンダは考えた。あの人は、死ぬ間際、何を考えるのだろうと思い、ほんの少しでいいから自分のことを思って欲しいと願った。しかし、それを実際に確かめる手段はどこにもなかった。そうであると信じるには、自惚れが必要だった。
 リンダのハリのある肌にはじき飛ばされたシャワーの湯が、空気の流れに運ばれて足下の吸気口へと吸い込まれていく。肌を伝う滴も、空気の流れに運ばれて、リンダの肌の上を、その女性らしい曲線に添い、綺麗に伸びた脚を伝って同じように吸気口に吸い込まれていく。
 シャワールームから出たリンダは、全裸の自分を鏡に映してみた。自分の肢体を自分で綺麗だとリンダは思った。そして、これが中尉の愛してくれた自分だと思った。
 10分後、ノーマルスーツを身に付けたリンダ・ブレア少尉は、ハリソン中尉の出ていったのと同じドアから自分のいるべき場所へと出ていった。その毅然とした表情には、もうさっきまでのような女々しさは1片たりとも残ってはいなかった。綺麗に化粧されたリンダの唇は、真っ赤なルージュが引かれている。そうリンダも、戦う女の顔になっていた。