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12月24日 宇宙標準時03:16 ミネルバ空域
 
 ミネルバ空域、ア・バオア・クー宙域の周囲にいくつか存在する極小の重力中和点の一つである。極小とはいっても、その有効半径は、人が想像するよりもずっと大きなものである。その空域で60隻あまりの戦闘艦隊が、現在最終的な準備を完了しようとしていた。
 補助艦艇も含めるならば軽く100隻を越えようかという大艦隊である。しかし、そうはいってもミネルバ空域にすっぽりと納まってしまう程度でしかない。
 連邦軍の反攻艦隊主力である。
 今、その艦隊に連邦軍の艦艇とは明らかに異なるシルエットを持つ3隻の艦艇が接近しつつあった。3隻のうち1隻は、他の2隻よりも大きく、優美な曲線で構成されている。船体も、まるで艦自身がその存在を主張するような鮮やかな赤で塗色されており、くすんだダークグレー系の塗色を施されている連邦軍艦艇とは、1線を画している。ジオン軍のグワジン級戦艦と、それに付き従うムサイ級巡洋艦である。
 3隻のジオン軍艦艇は、船体の各所に取り付けられた標識灯を派手に明滅させ、更に主武装であるメガ粒子砲を後方へ振り向け、戦意がないことをしめしている。速度も第3戦速程度のゆっくりとしたもので、加速をする気配もない。明滅している標識灯は、南極条約にのっとった降伏を発信し続けている。
 3隻のジオン艦艇は、粛々とミネルバ空域に集結した連邦軍艦隊の中心へと吸い込まれていくと、ゆっくりと速度を弱め、やがて停止した。
 しかし、何も起こらなかった。少なくとも、ミネルバ空域に集結した艦艇のどれもが主役ではなかった。なぜなら彼らは、単なる生贄でしかなかったからだ。
 一本の光が走り抜け、あたりが光芒に包まれた時、100隻近い艦隊は、ようやく20隻を越えるだけしか残っていなかった。

12月24日 宇宙標準時03:55 ア・バオア・クー
 
 『わが忠勇なるジオン軍の兵士たちよ。いまや、地球連邦軍艦隊の半数が、わがソーラー・レイによって宇宙に消えた。この輝きこそ、我らジオンの正義のあかしである』
 ア・バオア・クー全区域にわたって流されているギレン総帥の演説のボリュームを最低限に落としながらレモー大佐は、全く違う内容の話をしていた。
「いいか、決して死ぬな。生きて帰ってこい」
 目の前に並んでいる子供のような兵士達の顔を一つ一つ見つめながらいった。しっかりと、全員の顔を記憶に留めるために。思ったほど怖がっていないように見えるのは気のせいかも知れなかったが、そうであって欲しかった。
 ギレンが、どういおうと、連邦軍の艦隊を半数も沈めたとは思えなかった。戦争とは、新兵器の1つや2つで流れが変わるものではないからだ。そういう意味では、この戦争の流れは、もはやザビ家のものではないのは明らかだった。
「生きて戻ってきてこそ、また次の戦闘にも出ていくことができるのだ。死んでは何もかもが無意味だ」
 レモーは、ギレン直属の親衛隊が聞けば一発で引っ張っていきそうな内容を臆面もなく話した。横手では、トゥーフォン中佐が、おろおろしている。
 『決定的打撃を受けた地球連邦軍に、いかほどの戦力が残っていようと、それは、既に形骸である。あえていおう。かすである!と。それら軟弱の集団がこのア・バオア・クーを抜くことはできないと、わたしは、断言する』
 ギレンの演説の通りなら目の前の若者のうち多くは死なずに済むだろう。しかし、そうでないのなら・・・。2度と目の前の若者たちを見ることはできないのだ。
「先陣は、ラナウェイ少尉のジッコ隊、続いてブラドー中尉とシュタイナー少尉のザク2個小隊が続く。その後方より、ガトル隊が突入し、連邦軍艦隊の外縁部隊を撃破する」
 ノーマルスーツさえも様になっていない。そんな子供のような兵士を戦場に送り込まなければならないジオン軍にどれほどの正義あるのだろうか?できることならば今からすぐにでも家族の待つ家に送り返してやりたい。そして、彼らの志していたことをやらせてやるほうがどれだけジオンのためになるか分からない。
 外縁部隊を撃破するといえば威勢よく聞こえるが、20機程度のガトルにできるのは、どんなによく頑張っても3隻を沈めるのがやっとでしかない。ましてや、現状のパイロットの技量も考慮するならば1隻だって怪しいところだった。
 『人類は我ら選ばれた優良種たるジオン国国民に管理運営されて、初めて永久に生き延びることができる。これ以上戦い続けては、人類そのものの存亡に関わるのだ。地球連邦の無能なる者共を思い知らせ、明日の未来のために我がジオン国国民はたたねばならぬのである』
 その演説に被るように、ジークジオンの歓声が上がる。
 誰がジオン国国民が優良種だと決めたのだろう?元をただせば同じ地球を母とする人類なのに。
「被弾し、戦闘続行が不可能になったものは迷わず帰還せよ。完全でない機体で無理な戦闘を続行することは厳禁とする。必ず帰還せよ」
 シュタイナー少尉が、戸惑ったような顔をしているのは、なぜ一緒になって歓声を上げないのかと思っているに違いない。そういった表情をしているのは、シュタイナー少尉だけではなく、他にも何人かいたが、レモーは気にかけなかった。
 隣では、相変わらず落ち着きのないトゥーフォン中佐が、形だけでもやればいいのにという顔をしている。それでこの中の一人でも助けられるのならば、レモーは、喜んでそうする。しかし、現実には、そんなことは絶対にありえないのだ。こんな若者たちを戦場に送り込むような国に果たして正義があるのか?あるわけはないのだ。
「わたしからは、以上だ。諸君らは、諸君達が信じるもののために戦え!」
 
 5分後、ハリソン中尉は、ガトルのコックピットの中に納まっていた。もう、これからは独りだけだった。正確には、複座のガトルにはもう1人サブパイロットが乗り込んでいるのだけれど、お互いは、別々のコックピットに乗り込むのだ。だから2人乗りといってもいったんコックピットに座ってしまえば、それは独りと同じだった。
 1通りチェックを済ませた後は、出撃の時が来るまで後は何もすることが無かった。
 ノーマルスーツの物入れから1枚の写真を取り出すとハリソンは、それをモニターのよこに挟み込んだ。
 休暇の際に、ジオンのリゾートコロニー『ブルーアクア』に行ったときに撮ったものだ。写真の中のハリソンは、戦時下であり、いつ非常呼集が掛かってもいいように軍服を着ている。そのハリソンにぴったりと寄り添った私服姿のリンダが写っている。満面に笑みを浮かべるリンダと対照的にハリソンは、かろうじて笑顔かな?という表情をしている。リンダにいわせれば、もっと楽しそうにすればいいのにといわれる写真だ。
 それでも、ハリソンがこの写真をいつも肌身離さずに持っているのは、笑顔のリンダが寄り添っていてくれているこの写真が気に入っているからだ。私服なのもいい。もっともこの点に関しては、いかに規則といっても軍服を着ているのはあなたぐらいよ、と随分責められたものだ。確かに、いかにも兵役に就いているという年頃の若い男達の私服も『ブルーアクア』では目立っていた。
 融通が利かない、良くいえば実直な面のあるのが、ハリソンなのだ。
 1枚の写真に込められた色々な思い出に想いを巡らせながらハリソンは最後の一時を過ごした。
 
「484大隊、出撃!!」
 大隊戦闘指揮官のマーカス大尉の、この命令が地獄への誘いだった。
 出撃口を覆う、分厚い装甲扉が、ゆっくり開きはじめる。それが開ききらないうちに水先案内の兵が、誘導灯をぐるぐると振り回し、484大隊の出撃を急がせる。
 扉の向こうに垣間見える光景は、まさに地獄そのものだった。ビームの煌めきと爆発が、まるで宇宙を埋め尽くすのではないかと思われるほどだ。昨日までの静かに星が瞬くア・バオア・クー空域とはまるで違ってしまっている。
 まず、ガトルを援護するジッコ隊のラナウェイ少尉機が、その先陣を切る。ジッコ隊は、中尉を除けば全て学徒兵だ。ジッコの定員は、3人なので実に21人中20人が学徒兵だった。学徒兵が多い大隊にあって、殊更その割合は多い。その上、本来の定数9機をついに満たすことなく7機だけの先陣だ。
 心もとない操縦で出撃していくジッコに続くのは、本当の意味でガトルを援護できる戦力、ザクだ。定数こそ満たしているが、6機のうち4機は05タイプのザクである。05タイプの多くが1線部隊から引き揚げられている現在、旧式なのは否めない。それでも定数を満たしているだけましである。しかし、そのパイロットも半分が学徒兵であるため実際にどれだけガトルを守れるかは、甚だ心もとないと言うのが実際のところである。
 そして、大隊主力、主力とはいっても主戦力に勘定されることもなくなったガトルである。ガトル隊も、ついに定数を満たすことがなく、そのパイロットもモビルスーツ隊に負けるとも劣らない割合で学徒兵が占める。ベテランと呼んでいいのは、ハリソンを含めて21機のガトル隊、42名の搭乗員にあって3割にも満たない9人でしかない。
 リッツェン少尉のいう、おままごと部隊、それがもっとも相応しい呼び方かも知れない、そんなことを考えながらハリソンは、自分の出撃の順番を待っていた。
「エンジン始動!」
「了解です、中尉」
 ブレン曹長の返事を聞くと、ハリソンはガトルのエンジンを始動させた。ザクに続いてガトルの発進も始まったが、そのおぼつかない発進の様子からは、ハリソンの順番が来るのは、まだまだ先のようだった。
 緊急発進にもかかわらず、ハリソンのガトルの発進順序が回ってくるまでに5分以上が掛かった。以前なら、とうに大隊全ての所属機の発進が終了している時間だ。
 発進そのものも危なっかしいものだった。
 あまりに慎重なバーニア操作で、時間をかけている割にはガトルの姿勢が崩れていたり、何度も何度も加速と減速を繰り返したりしていた。しかし、一番冷や汗をかいたのはガトルの1機が、危うくバーニア操作のミスで発進口の壁面にぶつかりそうになった瞬間だった。その瞬間、ハリソンは、思わず声をあげたくらいだった。インチ単位で、難を逃れたが、もしも接触していたのなら、ガトルの両翼に取り付けられている対艦ミサイルが誘爆していたかも知れないのだ。強力なASM―22ミサイルが、狭い格納庫内で爆発したら?その結果は、火を見るよりも明らかだった。戦わずして484大隊全滅、そんな冗談のようなことが起こりかけたのだ。
 ハリソンの出撃順番になり、ハリソンは、ガトルをまるで手足のように操り、あっという間にガトルを宇宙へと踊りださせた。2番機のリッツェン少尉の手並みもハリソンに劣らず見事だった。第2中隊1小隊は、比較的スムースに出撃したが、残りのガトル隊は、そうはいかず、結局さらに5分以上が全ガトル発進に必要だった。
 
 Eフィールド上で、編隊を組むときには、すでにア・バオア・クー宙域は、破壊と殺戮の嵐に包まれていた。ビームが飛び交い、ミサイルが光の尾を引いて流れていく。そこここで爆発が起こっているのは、果たして味方機なのか、敵機なのか?ただ確かなことは、ア・バオア・クーの表面で起こる爆発は、連邦軍の攻撃を受けている証拠だった。連邦軍が、やってきている、このことは、大半の学徒兵たちにとっては受け入れがたい事実だった。それに、宇宙空間が光に満ち溢れるというのはベテランのパイロットたちには、半ば以上見慣れた光景であったけれど、大半のパイロットたちにとっては、信じられない光景だった。宇宙空間が、これほど光に満ち溢れることがあるなどと、想像もつかなかったのだ。しかも、光の一つ一つは、彼等の命をまるで欲しているかのように破壊の意志をもっているのだ。
「戦場か・・・」
 ハリソンは、いち早く位置につくと、あたりを見回して一人つぶやいた。確かにそこは殺戮の場だった。見慣れた光景だったが、ただ一つ違うことといえば、この出撃が、母艦からではないということだった。
 (いや・・・)
 と、ハリソンは、考え直した。
 今までは、出撃しても自分が撃墜されるなどということは、微塵も考えなかったハリソンだったけれど、ここには死を覚悟した自分がいたからだ。ある意味過剰なまでの自信を持っていた自分が、そうでなくなっていることには、しかし、ハリソンは気がついていなかった。
 緩やかに前進しながら、本来は、静止状態で組むにもかかわらず、編隊を何とか形にすると、484大隊は、その全力を持って突撃を開始した。
 宇宙標準時、04:17のことである。
 
「ジム各機、ボール隊、敵の艦隊への接近を許すな!!」
 艦隊直掩の指揮を任されたゲリン少尉が、力いっぱい叫ぶ。しかし、ミノフスキー粒子下でその叫びのどれだけが、直掩任務のモビルスーツ隊に聞こえたかは疑わしいものだった。
 直掩任務には、オタワ直属のモビルスーツ隊があてられていた。その判断の根拠には、深い考えなどあるわけもなく、あるとすればオタワのボール隊がすべて無傷で残っていたことくらいしかなかった。その勢力は、ゲリン小隊のジム3機、フクタ少尉のジム4機、オードリー曹長指揮下のボール8機である。
 Nフィールドの正面から突入を敢行する第2大隊と第4大隊の右翼側面を補強する形で哨戒隊2個戦隊、左翼には3個戦隊が配置されていた。54戦隊は、27戦隊とともに右翼側面を固める位置にいた。この位置は、ジオン軍の側面からの迎撃を真っ先に受ける位置でもある。つまり54戦隊自体が、本隊に対する直掩の役割を果たすために配置されているのだ。
 オタワ隊以外のジム隊、ボール隊は、ア・バオア・クーへの上陸部隊として本隊のモビルスーツ隊とともにすでに先行している。27戦隊からも、54戦隊と同程度の直掩モビルスーツ隊が出ているはずだったけれど、位置の関係で視認することはできなかった。
 54戦隊は、モビルスーツ隊の上陸を支援するために本隊とともにア・バオア・クーへの接近行動を開始しており、その動きは、いやが上でもジオンの迎撃部隊の注意を引くことになる。すでに、54戦隊は、ジオン軍の散発的な迎撃を受けつつあり、それを今のところは統制の取れたモビルスーツ隊の迎撃で何とか退けていた。
 それでも1機のボールが、ア・バオア・クーに対する第2戦闘ラインを超えるまでにミサイルを避け損ねて撃破されていた。
 
 484大隊の迎撃部隊は、ジッコを先頭にし、部隊の6機のザク、それに続いてハリソンらのガトルが縦列になって迎撃するべき連邦軍部隊を目指している。すでに、散発的なパブリク艇の攻撃を受け、5機のパブリクを撃破する一方でガトルを2機、ジッコを1機失っていた。もともと機動性が高いとはいえない上に、対艦ミサイルを抱いたガトルは、身重の牝牛のように鈍重であり、ザクを突破したパブリクの一撃離脱攻撃によっていとも簡単に撃破されてしまうのだ。ザクの支援を受けていながらのこの損害は、主にザクのパイロットの過半数が学徒兵のためだった。彼らが有効な弾幕を張れないせいでパブリクの攻撃を完全に阻止できないのだ。もちろん彼らは、彼らなりに必死で戦ってはいたが実戦経験の不足から来る技量の未熟さは、如何ともしがたいものなのだ。5機の撃墜のうち、4機は、ブラドー中尉と、古参のクチン曹長によるものだ。開戦時ならば予想もできない損害を受けつつも484大隊は、まだ見ぬ目標に向けて戦闘空間を進撃しつつあった。