Genesis Japan Tour '78
 


 
 
 
1978年
11月27日(月) 東京・厚生年金会館
11月28日(火) 東京・中野サンプラザ
11月29日(水) 東京・中野サンプラザ
11月30日(木) 大阪・厚生年金会館
12月2日(土) 東京・中野サンプラザ
12月3日(日) 東京・厚生年金会館
  
   Vocals、Drums Phill Collins
Drums Chester Thompson
Guitars Daryl Stuermer
Keyboards Tony Banks
Bass Mike Rutherford
 

(カッコ内は収録アルバム名)
 
1. Eleventh Earl of Mar (Wind & Wuthering)
2. In The Cage (The Lamb Lies Down on Broadway)
3. Burning Rope (...and then there were three..)
4. Ripples (A Trick of The Tail)
5. Deep in The Motherlode (...and then there were three..)
6. One for The Vine (Wind & Wuthering)
7. Squonk (A Trick of the Tail)
8. Say It's All Right Joe (...and then there were three..)
9. The Lady Lies (...and then there were three..)
10. The Cinema Show (Selling England by The Pound)
                 〜Afterglow (Wind & Wuthering)
11. Follow You, Follow Me (...and then there were three..)
12. Dance on a Volcano〜Los Endos (A Trick of The Tail)
13. I Know What I Like (Selling England by The Pound)


 
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1975年にPeter Gabriel、1977年にSteve Hackettが抜けた後、一気に全米マーケットに向かって歩を進めたGenesisを快く思わない人が多いのは事実だが、この年に出た“...and then there were three(邦題:そして3人が残った)”は文句なく傑作だと思う。1曲1曲が丁寧に作られていて、温もりを感じられるのだ。前作に引き続き、アルバム全体で語り物がメインになっていて、“Snowbound”は「太郎の家に雪降り積む...」的なお話、“Scenes from a Night's Dream”はファンタジーである。75年以降Peterの後釜でボーカルを担当することになったPhill Collinsは、曲の語り部に徹しており、あのたたみかけるような優しい歌い方は結構好きだった。

この年のツアーは前述の“there were three”リリース後のツアーで、まだまだ語り物を多く取り上げており、敵軍に追われる没落貴族の父子の話、“Eleventh Earl of Mar”で幕を開ける。ついで“In the Cage”〜“Burning Rope”と続いていくのだが、中期Genesisで最もドラマチックな大曲“One for The Vine”を日本で演っていたとは!ライブアルバム“Seconds Out”には収録されていなかったので、この時期にはすでにセットリストから外されていると思っていた。

選曲は満足なのだが、12月2日収録分のブートを聴いてみて、ドラムの音が無神経なことが気になった。なんだか「どんすか」していて、デリケートな曲調とマッチしていない。“Squonk”や“Dance on a Volcano”ではそれほど気にならないんだけど、前半6曲はツラかった。それと、“One for the Vine”の間奏部と“Say It's All Right Joe”ではエレクトリックドラムがピュンピュン鳴っていて、興ざめ。76年にツアーメンバーだったBill Brufordがすでに抜けていたことが悔やまれる(Billが来ていたら、観ていなかったことを悔やんだでしょうけど)。

Peter Gabrielが抜けた後のGenesisは毒や不気味さがなくなり、わかりやすくなってしまったのだが、“Dance on a Volcano”のようにリズムセクションを前面に打ち出したダイナミックな曲や、“Los Endos”のようにセッションからでしか生まれ得ない疾走感溢れる曲が登場する。この2つはラスト手前に持っていって大成功。ショーは大いに盛り上がり、ラスト“I Know What I Like”でノリノリのうちに幕を閉じるのであった。

エピソード
◆ Tony Banks所有のモジュール型シンセサイザーがぶっ壊れてしまい、しばらく演奏の中断を余儀なくされてしまった。そこへPhil Collinsがやおらタップダンスを踊りだし、急場をしのいだという(何日目かご存知の方、メールください)。

◆ 現在では当たり前になってしまったが、当時Genesisは持ってくる機材が重いことで有名。照明機材(VALIライトを含む)を入れて3tになった。
 
◆ 78年のツアーを観た筆者の同僚T女史からのタレコミ:
「私個人のコメントでは、何といってもご自慢の大掛かりな装置が持ってこれなかったことに触れてほしい!厚生年金は床が抜ける、サンプラは天井が落ちると言われたらしく、ちゃちなレーザーを天井に当てただけ。バリライトもなくて、照明はダサかった
 
 
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