King Crimson '81
 


 
 
 
1981年
12月10日(木) 名古屋・市公会堂
12月13日(日) 大阪・毎日ホール
12月14日(月) 東京・国際劇場
12月15日(火) 東京・国際劇場
12月16日(水) 東京・国際劇場
12月17日(木) 新潟・県民ホール
12月18日(金) 東京・国際劇場


  
   Guitar. Robert Fripp
Guitar, Drums and Lead Voical Adrian Belew
Bass, Stick, Synth and Vocal Tony Levin
Acoustic and Electric Drums and Percussions Bill Bruford
 
 


 
1, Discipline
2, Thela Hun Ginjeet
3, Red
4, Matte Kudasai
5, The Sheltering Sky
6, Frame By Frame
7, Neil And Jack And Me
8, Neurotica
9, Elephant Talk
10, Indiscipline
11, Satori In Tagier
12, Larks' Tongues In Aspic Part II

 
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筆者は、Gregg LakeもGordon Haskelも好きではなかった。特にJon Andersonが客演しているから、というヨコシマな理由で買ったCrimsonの3枚目“Lizard”は、1曲目の“Indoor Games”でシャットアウト。どうしてもGordon Haskelの歌の世界に入っていけない。Jonが歌っているB面の“Prince Lupert Awakes”を先に聴いてしまったのが災いした。未だにこのアルバムが提供する世界がロマンティシズムなのか、はたまた乾いたニヒリズムなのか、Crimsonの立ち位置がよくわからず、レコード棚でほこりをかぶったままだ。

そんな筆者に、家庭教師で教えていたKくん(当時高校2年)が「先生はYesが好きでしたね。Bill Brufordが叩いているから、これを聴いてみてくださいよ。ボクが一番好きなCrimsonのアルバムです」と薦めてくれたのが“Lark's Tongues in Aspic”(*)。ハードロックもパンクもピンと来なかった筆者に、まったく別のイディオムを使って「暴力」を提示してくれたこのアルバムは、座右の1枚だ。どうにも破壊衝動に駆られたときは、このアルバムを聴いて代替行為を果たしている。

*独TV「Beat Club」での“Lark's Tongues in Aspic Part 1”の演奏で、Jamy Muirのパフォーマンスは完全にイっちゃっていた。ちょっとナマで見てみたかった気はする

しかしそんなうれしい出会いがあったのは、大学2年だった1985年。なので、“Dicipline”や“Beat”や“Three of a Perfect Pair”の時期のCrimsonはその前の年に終わっていた。彼らが初来日を果たした1981年は“Elephant Talk”の存在くらいしか知らず、ライブに足を運ぼうとは思わなかった。ゆえに、“VROOM”発表時の再々結成時まで待たねばならず、中野サンプラザで男性陣の肩越しにFripp尊師の姿を拝むまでにそこから10年の月日が必要であった。ことプログレにおいて、タイミングというのは恐ろしいものである。

(Issei)
 
 
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