Talk Tour '94
 


 
 
 
1994年
9月29日(木) 大阪・大阪城ホール
9月30日(金) 高松・県民ホール
10月1日(土) 小倉・厚生年金会館
10月4日(火) 東京・日本武道館
10月5日(水) 東京・日本武道館
10月6日(木) 仙台・サンプラザ
10月10日(月) 名古屋・レインボーホール
10月11日(火) 広島・厚生年金ホール

  
   Vocals Jon Anderson
Drums Alan White
Guitar Trevor Rabin
Keyboard Tony Kaye
Bass Chris Squire
Guitar Billy Sherwood  

(カッコ内は収録アルバム名)
 
1. Introduction〜Perpetual Change(The Yes Album)
2. The Calling (Talk)
3. I Am Waiting (Talk)
4. Rhythm Of Love (Big Generator)
5. Real Love (Talk)
6. Changes (90125)
7. Heart Of The Sunrise (Fragile)
8. Owner Of A Lonely Heart (90125)
9. Ouma no oyako(お馬の親子)
10. Trevor Rabin Piano Solo〜And You And I (Close to The Edge)
11. I've Seen All Good People(The Yes Album)
12. Walls (Talk)
13. Endless Dream (Talk)

<Encore>
Roundabout (Fragile)〜Purple Haze(Jimi Hedrix)


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南北朝期(ABWHとJon抜きの90125YES 1989〜1990年)〜呉越同舟期(8人YESによるUnion Tour 1991〜1992年)を経て再び90125のラインアップに戻ったYESが、当時の新作“Talk”を引っさげて通算5回目の来日(ABWH名義も含む)。呉越同舟期の「超豪華幕の内弁当」的ライブについては、メンバーが多すぎて「まとまりがなかった」とかイロイロ言われているようだが、筆者にしてみれば、黄金期のメンバーがフルで揃っているというその事実だけでお腹いっぱいで、ライブを見終わった後は天寿を全うしても本望だぁ、とすら思っていた。あ、Patrick Moraz入りで“Sound Chaser”は観ていないから、まだ死ねないや!

そんな鯛の尾頭付きもお赤飯もてんこ盛りのライブの後だったので、94年の公演では「あー、やはり宴は終わってしまったのだぁ」という寂しさで会場を後にした記憶がある。確かにこのメンバーで88年にやった“Big Generatorツアー”のときは、「やっと来てくれた!」という万感の思いでコンサートに臨んだものだが、その後に全盛期のメンツでライブを観る機会に恵まれれば、当然舌は肥えてしまうのである。

Trevor Rabinファンの方には大変申し訳ないのだが、やはり筆者にとってYESの音楽に外せないものはSteve HoweのギターとJon Andersonの声なんである。この2つがないと、「クリープのないコーヒー」ではなく、「コーヒーのないクリープ」になってしまう。Rabinのギターの方がロックとしては正統派なのかもしれんが、筆者にはどうしても大味に感じる。Steve Howeにはどっかでとちりそうな間一髪の危うさがある。しかしながら、ブリティッシュ・トラッドやブルース、クラシック、ジャズと持っている引き出しの幅が広く、ときには甘美に、ときにはヒステリックにと、曲によっていろんな味を楽しませてくれるところが魅力なのである。

Rabinについては、ここで擁護もしておきたい。“Talk”録音時のRabinの部屋にはJonの事細かな指示書きが所狭しとびっしり貼られており、ワガママなリーダー(企業で言えば、オーナー社長)の要求をかなえるべく必死で仕事をこなしていた、というハナシがある。にもかかわらず“Talk”が商業的にコケ、落胆してYESを去っていった彼は本当に不憫でならない(*)。

*すでに抜けていたRick Wakemanが、YESにとどまるようRabinを引き止めたという話もある

さて、ファンにはお楽しみのJon Anderson童謡シリーズ。今回は「お馬の親子」である。歌詞を最後までちゃんと覚えられなくてほとんど歌になっておらず、「ぽっくり、ぽっくり」を3歳児のように繰り返していた。好物のポッキーを食いすぎたかどうかは定かではないが、当時小錦並みの巨漢に変貌していた彼には、高血圧と狭心症で本当に「ぽっくり」イってしまうのではないかとハラハラさせられたものであった(Chris Squireより太っていたのだ!)。

その後少しダイエットしたせいか、1998年の来日時は舞の海くらいには減らしてくれていた。

(10/4、日本武道館 issei)
 

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