『悲しい恋』

 原作 柳沢奈緒子  脚色 Pochi

その1

 ここは、由緒ある小さな王国。人望ある王様による統治により、人々は幸せに暮らしていた。そして、その隣の国とは、まるで兄弟国であるかのように、互いの国民は行き交い、親密であった。
 しかし、ある年、悪い魔法使いが国境の森で亡くなったために、両国間は争いが絶えないこととなってしまった。というのも、この魔法使いは、何でも願いをかなえるという魔法の石を持っており、その石を我が物とせんと、大勢の人間や妖術使いが現れて、互いに争ったからである。
 あまりの戦いの激しさに、国一番の賢者は行く末を憂い、森の奥深くに住む竜に、その石を喰らわしたという。だが、争いが止む事はなく、行方をくらませた賢者を追って、また、両国は争うのだった。

 そんな争いが続いて何代目かの王の治世。国王は王子と王女の二人の子供に恵まれた。が、王妃は若くして病のため亡くなった。そんな王妃の生き写しといわれる王女を、王はことのほか可愛がっておられた。
 長きにわたる争いも、石の行方も掴めぬまま、その年の夏を迎えようとしていた。
 人一倍優しい心の持ち主である姫は、戦のことを考えると、鬱々とした日々を送っていた。そんな姫を慰めようと、王がこっそり開いたのは、宮中の庭園内にある大広間での仮面舞踏会であった。

 

 その日、優雅に着飾った人々が、各々仮面をつけて集まった。姫も侍女たちの手で、舞踏会にふさわしい華やかなドレスを身につけている。ほのかにピンク色を帯びた幾重にもひだの重なったスカートを軽く後ろに引くデザインが、殊のほか、若い姫に似合っていた。
「さくら姫。今宵はそなたを慰めるために開いた舞踏会。同じような年頃の若い人々が集まっている。どうか、ゆっくり楽しんでくれ」
「はい、父上」
 姫は、父君の前を退出し、侍女たちと共に、中庭へ歩いていく。しかし、心の中は、やはり穏やかではない。兄上の王子も、石の行方を探し、今日もどこかを彷徨っているのだ。
 そんな姫の様子を窺っている侍女たちも、彼女の気持ちは痛いほどわかっていた。だから、猶のこと、少しでも舞踏会が、気分転換になればいい、と、思っていた。あのような出会いがあるとも知らずに。

 姫が大広間に着いたときには、もう、音楽が始まっていた。侍女たちは、気後れする姫を励ましながら、なんとか、中に連れて入る。大勢の人々が踊り、談笑する姿は、姫の心にも、何がしかウキウキした気分をもたらした。

 さくら姫は、侍女に勧められるまま、壁際の椅子に腰をおろす。もちろん、彼女も仮面をつけている。
「隣の国との魔法の石をめぐる争いで、姫さまもお疲れでしょう」
「この舞踏会は、みんな仮面をつけて参加します」
「どうぞ、心置きなくおたのしみください」
 侍女たちは、口々に姫をねぎらい、少しでも楽しめるようにと心を砕く。
「ありがとう。でも、私、ダンスはあまり得意ではないから・・・」
 侍女の勧めに、さくら姫は躊躇している。
「大丈夫です。踊りの得意な殿方といっしょに踊るのが、一番の上達法ですわ」
 明るい声で侍女の一人が、姫を励ましてくれた。
「さあ」
「さあ」
 侍女たちが、さくら姫に手を差しのべ、人々の踊りの輪の中へと誘う。その手に誘われるまま、さくら姫は、大広間の真ん中へと、踊る人々にぶつからないようかわしながら、歩み出た。

 

「だめ。やっぱり知らない人と踊るなんてできないわ。それに、魔法の石の行方が気になる」
 さくら姫は、踊る人々の間を通り抜け、テラスに向かう窓のところまで来ると、小さな声で呟いた。そして、つと、顔を上げて、ガラスの向こうに視線を投げた。
「魔法の石。手に入れば、不思議な力が思いのままになるという。わが国は、長くとなりの国と、その石を争っている」
 すぐに、沈んだ表情になる。兄上のことを思い出さない日は一日とてないのだ。
「争いなど無くなればいいのに。そして、争いの元になる魔法の石は、誰かのものになるより、なくなってしまった方がいいのかもしれない・・・」
「全くです」
 さくら姫は、慌ててふり返った。今のひとり言を聞いている者がいると思わなかったから。見ると、仮面をつけた、涼しい目元の少年が自分の方へ歩み寄ってくる。
「私もそう思います」
「どなたでしょう?」
 さくら姫は、心惹かれて、思わず相手の名前を訊ねた。
「ここでは名乗らぬのが礼儀です」
 少年は少し微笑んでそう答えた。
「そうでしたわね。私、仮面舞踏会ははじめてで・・・」
「私もです」
「まあ!」
 さくら姫は、自分と同じ境遇の少年にうれしくなる。自分だけが、初めて舞踏会に出てきたのだとばかり思っていたのだ。
「忙しい毎日に踊るなどということを忘れていました。今日は臣下のものが、塞ぎこんでばかりの私を連れ出してくれたのです」
「同じですわ」
「争いがキライ・・・舞踏会は初めて・・・。私たちは似たもの同士ですね」
「ええ」
 さくら姫は、この少年に好意を抱きはじめた。こんなによく似た考えを持っている方がこの世にいらっしゃるとは。少年も初々しい姫に好感を持ったようだ。
 少年は、軽く腰をおり、スッと片手をさくら姫に差し出した。
「踊っていただけますか?」
「でも、私、ダンスは・・・」
 さくら姫が躊躇っていると、少年はそっと彼女に耳打ちした。
「私も、苦手ですよ」
「・・・きっと、足を踏んでしまいます」
「では、うまく避けることにしましょう」 

 若い二人が、広間の中央に歩み出て、ぎこちなく踊り始める。周囲の者たちは、それが姫様と知っているので、二人を囲むようにして、見守っている。ただ、相手が誰なのかは知らないのだった。
 さくら姫は踊りながら、自分が考えている以上に上手にステップを踏んでいると思った。この少年が、口で言うよりかなりダンスに長けているからのようだ。
 『踊りの上手な殿方と踊るのが、一番の上達法』そう言った侍女の顔が脳裏を過ぎる。
 「彼女の言っていた通りだわ・・・」
 「なにか、おっしゃいましたか?」
 少年は、さくら姫のどんな小さな声も聞き逃さないようだった。
 「貴方は、ダンスがお上手なのね、って、言おうと思っていました」
 「そんなことはありませんよ。ご婦人と踊るのも初めてなのですから」
 「本当に?」
 「ええ。嘘偽りなく。貴女が上手なのかもしれませんよ?」
 さくら姫は胸がどきどきした。なんだか、仮面の奥の眼差しが優しくて、見詰め合って踊っていると、恥ずかしくなってくる。

 ひとしきり踊った後、二人は風に当たろうと、テラスに出た。夜はかなり更けているのに、庭園から香る花の匂いが、風で運ばれて芳しい。
 「冷たい飲み物を取ってまいりましょう」
 「いいえ!」
 姫は思わず口から出た言葉に一瞬戸惑った。しかし、振りかえる彼の眼を見つめると、小さいながらもはっきりと言った。
 「どうぞ、このまま。ここにいらしてください。私、もう少し、お話していたいのです」
 そう言われて、少年も微笑んで頷く。
 「私もそう思っていました。踊ることも素敵ですが、貴女とここで、しばし語り合うことが出来たら、どんなに喜ばしいかと」
 二人は自然にバルコニーに寄り添って、話し始める。お互いの好きな花・季節・歌など。語り合っているうちに、いつしか仮面を外し、瞳を見詰め合う二人。

 その時。広間が、なにやら騒がしくなった。
 「敵国の賊だ!賊が侵入したぞ!」 
 直ちに、近衛兵が、大広間へと集められる。
 姫の傍らの少年は、表情を硬くして、こう告げた。
 「さくら色のドレスが似合う乙女よ。私はもう行かなければなりませんぬ。ここでは、名乗らぬこととなっていますが、実は、私は隣国のもの。友人が恋人をこの国より連れ出す計画を立てたので、それを助けるために参ったのです」
 さくら姫は、あまりのことに言葉がでない。
 「けれど、貴女に話したことは全て偽りのない本心。貴女にここで出会って、私は運命の女性に会ったと思いました。次に、お会いした時、さくらの乙女とお呼びします。もし、貴女が、私のことを小狼と呼んで頂ければ、国も身分も捨てて、貴女の元に…」
 「あっちへ逃げたぞ!」
 兵がテラスの方へ出てくると、小狼はひらりと手すりを越え、手近な木を伝わって降りていく。さくら姫は急いで駆けより、彼に向かって叫んだ。
 「私のこと、どうか、さくらと!」
 かすかに手を振る姿を木々の間から垣間見て、姫はその場に膝をついた。
 さくら姫の姿を探し回っていた侍女たちは、やっとのことでバルコニーの傍にうずくまっている姫を見つけ出し、宮殿の奥へと連れ帰ったのであった。

その2につづく