だが、二度目の出会いは、意外に早かった。
さくら姫は、毎年、夏の間は、国のある半島の先の小島へ避暑に出かける。勿論、内密に出かけるから、警護の者も当然ついて来るが、入り江に囲まれた砂浜が、彼女の大のお気に入りであった。
入り江には、小さな船がやっと通り抜けれるくらいの隙間があるだけで、周りは絶壁に囲まれている。かなり昔に王家のものが発見して以来の避暑用の場所なのだった。
そこへ、大きな天幕を張り、数日を過ごすのが姫の慣わしだった。侍女たちや召使いたち、警護の者たち以外、誰にも出会わない。そんな閉ざされた空間で、日々の憂いを洗い流していた。
今年は、いつにも増して、早くから姫は避暑に出た。つかの間、悲しく苦しい悩みを忘れるために。
彼女は水泳が得意なので、よく、供の者をつけずに、外洋へ遠泳することがある。大小の島々が点在しているうえ、殆ど、漁をするものも、この辺りではいないので、共の者たちも黙認している。
姫自身は、小さい自分、兄上と一緒に泳いでいた名残であり、また、その時出合ったイルカたちと再会することを楽しみにしているからであった。
今日も、さくら姫がイルカたちと戯れて、入り江に帰ろうと泳ぎ始めた時、岸辺に誰かが立っているのを見つけた。一瞬、侍女が迎えに来たのかと思ったが、夕陽を浴びたシルエットが少し違う。なんだか、見ていると、胸の鼓動が早くなる。
姫が身を隠そうと海面に潜ろうとしたとき、自分の名を呼ばれるのを耳にした。
「さくらの乙女!」
「!!」
聞き覚えのある声に、姫は思わずどきどきする。
「小狼さま?」
さくら姫が聞き返すのも待てずに、少年は海に飛び込み、瞬く間に彼女の傍まで、泳いできた。
「このようなところで、再び出会えるとは、神のお導きか。さくらの乙女、また、お会いできて、どれほど嬉しいことか」
「小狼さま、それは、私とて同じです。でも、このようなところでお目にかかるとは、驚きましたわ」
「それは、すみませぬ。驚かせるつもりはなかったのです。ただ、あまりに泳ぐ姿が美しく、まるで人魚姫のようで・・・」
そう褒められて、さくら姫の頬は、夕陽よりもさらに紅くなった。
二人は、再会を喜び、岸壁の岩に並んで腰をかけた。
さくら姫は、最初、侍女の千春のことを、彼に訊ねた。あの日、他の侍女に聞かされて、自分の侍女が連れ出されたことを知り、驚いたのである。しかも、連れ出した人を自分は知っていたのだ。しかし、今まで誰にも言えずにいた。以前なら、兄王子に話していただろうが、もう、姫は、秘密の扉をあけてしまったのだ。自分の心に眠っていた『恋』という名の扉を。
「侍女に貴志さんは、隣国の王子付きの方と伺いました。小狼さまも、そうなのですか?なんでも、すごい魔力の持ち主とか・・・」
自分のことに話題が及び、小狼は、少し躊躇った。自分は姫の身分を知っているが、そのことを言い出しては彼女も困るだろう。
「ええ。殿下は貴女の国の王子と石を争って探されているようです。毎日、あちこちへ探索へ出ておいでです。私も普段は供に出るのですが、今回は貴志殿のことで、少し頼まれたものですから」
「まあ、そちらの王子さまも貴志さんのことをご存知なのですね?兄・・・いえ、周りの方々から、冷たい方と聞かされていたので、少し怖かったのです」
さくら姫は正直に答える。兄上は、隣国の王子のことを『冷酷な魔法使い』と呼んでいたからだ。実際には、小狼が争いを避けるために、魔法で相手を脅かしていただけなのだが、こういったことには尾ひれがついて話が大きくなるものである。
「殿下と貴志殿は幼なじみ。ひどい事はしないと思います」
そう聞いて、さくら姫はほっとする。この方のお仕えする方なら、さぞかし立派な王子なのだろうと、安堵した。
「魔法の石の行方は、どうなっているのでしょう・・・」
「私もそれが一番知りたいのです。あの時貴女がおっしゃったことは、そのまま私の気持ちです。石は無くしてしまわなければなりません。これ以上、戦いを長引かせても、互いの国民は疲れるばかり。誰も幸せになれませんから」
そう語った小狼の横顔は、いままで姫に見せていたどの顔とも違い、とても厳しかった。本当にそう望んでいるのだろう。姫の心がきゅんと痛む。この方の願いを叶えてあげたい。たとえ、兄上を裏切る事になっても。
すでに、日が沈み、あたりは、夕闇が漂う。入り江の奥から、人の声がした。
「さくら様?そこにおいでですか?」
さくら姫はあわてて水の中に飛び込む。小狼に自分の本当の身分を知られたくない。ただの娘として会いたい、という想いが咄嗟に起こさせた行動だった。
「さくらの乙女、お迎えが来たようですね。私もここから立ち去ります。次に会える時まで、お健やかに」
「また、お会いできますか?本当に?」
「ええ、きっと。会いたいと望みさえすれば、きっと、また、お会いできますとも」
そう小声で告げると、小狼は小船に乗り込み、櫂を漕ぎ出した。たちまち、船はさくら姫の視界から消えてしまった。
「姫さま、どなたかと一緒だったのですか?」
侍女の中でも、敏い奈緒子と苺鈴が迎えに来たようだ。さくら姫は、返事につまった。
「どこかの殿方のようでしたが・・・まさか、隣国の小狼王子ではないでしょうね。あの方は、石を探して、一人であちこち旅されるそうですよ」
「しゃ、小狼…王子?」
「ええ。ひめ様はご存知なかったですね?隣国の王子の名前を。桃矢さまが、姫さまの耳に入れたくないとおしゃっていたので」
苺鈴は、さくらが、愕然として尋ねたのを、名前を知らなかったせいだと思った。しかし、姫はもうどんな言葉も耳に入らなかった。あの人が王子・・・兄上と石を争っている・・・冷酷な魔法使い・・・。
砂浜に着いて、テントの中に入るまで、姫はなにも覚えていなかった。突然、知らされた真実が針のように彼女の身を苛む。あの優しい笑顔も、耳に心地よい声も、自分を騙していたのだろうか。騙して陰で笑っているのかもしれない・・・。でも、姫は自分の心を信じたかった。初めて出会った時の印象を忘れることが出来ない。そして、魔法の石を無くしてしまいたいと語った時の眼差し。あれが、嘘とは、どうしても思えなかった。
その夜、さくら姫は、様々な想いを胸に抱き、一睡も出来なかった。
翌朝、姫は入り江の入り口へ、出かけた。もしかしたら、もう一度、小狼に会えるかと思ったのだ。会って、本人の口から王子であることを聞きたかった。それまでは、どうしても信じたくなかったから・・・。
けれど、会える筈もなく、侍女たちがすぐさま駆けつけたので、さくら姫はあきらめて浜に戻った。
その4へつづく