『誕生日おめでとう』
受話器の向こうで、彼はそう言った。少し照れたような声で。さくらの心はふわっと暖かくなる。
「ありがとう、小狼くん。カードもちゃんと今日着いたよ」
『そ、そうか・・・』
相変わらず、素っ気ない声で返事をしている。なんとなく相手の表情が浮かんできて、さくらはくすっと微笑んでしまう。
『・・・・何かあったのか?電話を寄越すなんて珍しい・・・』
小狼はさくらの笑った声を聞いて、首を傾げているようだ。
「うん。今日は誕生日だから、長電話してもいいって、お兄ちゃんが。だから、小狼くんの声、いっぱい聞かせてもらおうと思って」
さくらの声は弾んでいる。無理もない。いつもは、月に1、2回、脇の時計を睨みながら時間を惜しむように話をするのだ。それだって、長くなるから15分と決めている。後は毎週手紙を送るのだが、やっぱり声を聞きたい日もあって、結構、電話するのを我慢している。
夕方からの家族での誕生会も終わり、兄と父は各自の部屋にいる。気を利かせてくれたらしい。だから、リビングでは、さくら一人が電話に向かっている。
「あ、でも、小狼くんは忙しかった?今、お話しても大丈夫?」
声をたくさん聞きたいと言われて、相手が向こうで照れているのも構わず、さくらは話を続けている。
『(////)・・・ああ、大丈夫だ。今日はもう何も予定がないから』
「わーい、よかったぁ」
さくらの声は本当に嬉しそうで、聞いていた小狼の顔も思わずほころぶ。こんなところをあの姉上たちに見られたら、大変だけれど。今日は全員出かけていてよかったと、安堵する。彼の年上の4人の姉たちは、さくらから電話があると、決まって後で小狼をからかうのだった。
そうして、さくらの話に耳を澄ます。やわらかく優しい声が、学校であったこと、春休み中の出来事、中学への不安などをとりとめもなく語り続ける。
小狼の短い返事を聞きながら、さくらはいつもこうだったらいいな、と、思った。いつも今日のように、たくさん小狼くんと話ができたら、どんなにいいだろう。でも、会えるようになるまでは、これが精一杯。
「小狼くん、あの、あのね?」
一時間なんてあっという間だった。父も兄も時間のことを何も言わなかったが、さくら自身はそのくらいと思っていた。時計の針は10時になろうとしている。
「あと少ししかお話できないの。それで、お願いがあるんだけど・・・」
『え?お願い?』
さくらは受話器を握りなおす。つかの間ためらい、そして、思い切って言い出すことにする。
「前にね?小狼くんの歌、いつか、聞かせてね、って言ったの覚えてる?」
『・・・・・・?』
小狼は急いでいろいろ思い巡らすが、脳裏に思い当たるふしがない。そんなことがあったかどうかも、よく覚えていない。さくらも返事がすぐに返ってこないので、ヒントを言ってみる。
「あの、学芸会の練習を木の上でしていたとき。香港でも同じようなものがあるって言ってたじゃない・・・」
『あ・・・・(あの時か)・・・・・・』
そう言えば人前で歌うのは苦手だと言ったのに、いつか聞かせてくれと、さくらに言われたような・・・。しかし、どうしてそんな昔のことを思い出すんだろう、女の子って。その記憶力に舌を巻く。
「思い出してもらってよかったよ」
そこで、さくらは言葉を切り、少し間をあけて切り出した。なんだか、急に恥ずかしくなってくる。
「それで、私、小狼くんの歌を聞かせて欲しいんだけど」
『・・・え?俺の歌?』
「うん、今歌って欲しいの。私の誕生日だから」
『い・・・いまぁ?』
咄嗟のことに小狼は返事ができない。思いがけない申し出に、少々動揺してしまった。さくらが、自分に何かをねだるなんてことは、滅多にないことだから・・・。しかし、電話で?歌?なんで、そんなことになるんだろう・・・。
しばらく沈黙が続いた。さくらが、やっぱり無理なお願いをしてしまったのかなぁ、謝ろうと思ったころ、コホンという咳払いが聞こえた。
『何を歌えばいいんだ?』
「え?歌ってくれるの?」
『だ、だって、誕生日だろう?さくらの』
さくらは殆ど我儘を言わない。日本と香港に離れているのに、手紙や電話ではいつも元気そうにしている。
苺鈴に言わせると『木之本さん、我慢しているのよ。あたしだって、小狼と離れていたとき、日本からなかなか帰ってこないから、寂しくなって。結局、傍に行ったじゃない』ということだ。
さくらと苺鈴じゃ比べようがないけれど、大道寺経由苺鈴からの情報では、時々寂しそうにしているときもあるらしい。
『さくらちゃんは、李くんには元気な姿を見せていたいようですわ。心配をかけたくないようです。それがわかるので、少しでも、李くんがお声を聞かせていただけるといいのですが』
大道寺がそう伝言を寄越したこともあった。
たまの我儘だから、叶えてあげたい・・・ただ、音楽は、本当に苦手なのだが・・・。それに、電話に向かって一人歌うのは、なんだか、気恥ずかしい。伴奏もないわけだし。
「曲まで考えていなかったよぅ・・・」
さくらは小狼に歌ってもらうことしか考えていなかった。電話で歌ってもらえたらいいなぁ、という軽い気持ちだったので、どんな曲か、というのは、すぐに思いつかない。
『急には歌えないぞ?』
「はうぅ。時間が遅くなっちゃうよ・・・」
『俺からかけ直そうか?』
「それはいいの。少しなら許してもらえるもの。そうだ、『夜の歌』は?」
『え・・・・?』
『夜の歌』は、『ソング』のカードを捕まえるときに、知世ちゃんが歌ってくれた歌だ。学校の音楽の時間に習って、笛のテストの曲だったりする。小狼にもなじみのある曲だ。香港の歌も聞いてみたいけれど、さくらには、どんな歌があるのか、全くわからない。
『それでいいのか?』
「歌ってくれる?」
『・・・・・・・・・・・ああ・・・』
小狼は苦笑しながら、電話の向こうでさぞ嬉しそうにしているであろうさくらの姿を思い浮かべる。訊ねた声が無邪気に弾んでいたし、なんだか、喜びが電話線を通して伝わってくるようだったから。
『大道寺のようには、うまく歌えないけど・・・』
「いいんだよ。私は小狼くんの歌が聞きたいの」
あまりに素直な発言に、さすがに小狼も自分の頬が紅くなるのを感じた。
さんざん咳払いをして、とにかく歌い始める。恥ずかしくて、照れくさいけれど、心を込めて。
『夜の空に瞬く 遠い金の星〜♪』
ゆっくりと、一音づつ確かめるように、小狼は歌った。受話器から小狼の歌声が聞こえてくると、さくらは一心に耳をすませる。学校で一緒だったとき、後ろの席の小狼くんの歌声って、あんまり聞かなかったような気がする。大きな声では歌わなかったのかな。音楽、苦手だったのかしら?笛のテスト、お互い苦労したものね。
歌声はさくらの耳にすんなりと馴染み、歌う姿もなんとなく目に浮かんでくる。受話器を片手に、真面目な顔で一生懸命歌っているだろう姿が。
小狼は、一番を歌い終わる。そして、続けて2番も歌い始めた。さくらは、すぐに終わってしまうと思っていたから、素直に喜んだ。そして、サビのところで小さくハモってみる。
さくらの歌声は小狼の耳にも聞こえた。遠く離れていたけれど、心が重なったようで、温かい気持ちが胸の中に広がった。
『明日は君と歌おう 夢の翼に乗って〜』
小狼が歌い終わると、さくらは名残を惜しむように、礼を言った。
「小狼くん、素敵な歌、有難う。とってもよかったよ?歌、上手だったんだね」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・(////)』
「今日の誕生日は一生忘れないね?小狼くんが初めて歌ってくれた日だもの」
さくらの言葉が小狼の胸に染み入る。逢いたいと、いつも口に出すわけではないが、それがかえってさくらの気持ちを代弁しているように思う。
『俺も忘れない。さくらの12歳の誕生日を』
「・・・・ありがとう、小狼くん。本当に有難う。それじゃ、遅いから・・・」
『さくら?』
「なぁに?」
さくらの声が消え入りそうだったので、思わず引き止めてしまった。が、言葉が浮かんでこない。
『いや、なんでも・・・』
ない、と言いそうになって、前にさくらに言われたことを思い出す。『なんでもないって、言われると、私のこと必要じゃないんだと思うから・・・』
言った側としては、そう深い意味はないのだが。殊更言わなくてはならないことじゃない、というだけで、さくらを必要じゃないと考えたことは一度もない。どちらかといえば、自分が彼女の足を引っ張らないよう、気をつけなくては、と、思うことばかりなのだが。
女の子というのは難しいと思うこの頃である。
『え〜と、こっちこそ電話嬉しかったよ、有難う。今度、俺からかけるから』
小狼くんが電話をかけてくれる♪さくらは急に元気が出てきて、お別れを寂しがった気持ちがどこかへ行ってしまった。
「うん!待ってるね!!おやすみなさい、小狼くん」
『おやすみ、さくら』
いきなり、元気な声になったさくらを不思議に思いながらも、小狼は受話器を置いた。
「えらい長電話やったなぁ」
「ケロちゃん・・・」
「なんで、歌なんて歌っていたんや?」
「え?えへへ・・・。お風呂入ってこようっと」
部屋に戻ってケロに訊かれた。さくらはにっこり笑って、また、部屋の外に出る。
「さくら、なんや幸せそうやな」
ケロは、自分のベッドの上で、今見たさくらの笑顔を思い出す。内側から光っているような感じがした。特別嬉しいことがあったのだろう。今夜の夢はいい夢かもしれない。
眠りに落ちながら、さくらの耳の中で小狼の歌声が流れる。心のこもった優しい声の歌。宝物をもらったようで、とても嬉しい。これから、声が聞きたくて、寂しい夜は思い出すことにしようと思った。
本当に素敵な誕生日だったな・・・今ごろ小狼くんも眠っているのかな?小狼くんの夢の中で私が歌っていたらいいな・・・
その夜の夢は、星空の中で、二人が一緒に歌っている夢・・・。
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