【最後の審判】
クロウカードの主に適さないと判断された場合
この世の災いが起こる
それは、一番好きという気持ちがなくなること
クロウカードに関わった人々の・・・
1
公園のブランコに腰をかけてから、どれくらいの時間が過ぎただろう。一人で座りながら、ただぼーっと
時を過ごしてしまった。何も考えたくないから、なんとなく椅子を揺らして。
それよりも。
あのことがあってから、本当に時間の感覚がない。一日が一時間が一秒が、過ぎ去るのがなんて長い
んだろう。全て終わってしまえば、また、普通の日々が戻ってくる。きっと、そうなる筈。そう思っても、胸の
つかえは一向に収まらない。
【今日は何曜日だったっけ?】
「あっ」
さくらは小さな声を上げ椅子から滑り降りた。今日はあの人の誕生日だった・・・。
3日前だった。さくらはクラスの女の子に放課後呼び出された。
彼女はクラス委員で、丹精な容姿の持ち主で、文武に秀で、しかし、気さくな性格なので男女の区別なく
尊敬されていた。勿論、さくらも素敵な人だな、と、思っていたのだ。その突然なお願いを聞くまでは。
「私、今度の誕生日の次の日に転校するの。父のいきなりな海外出張にね、ついていくのよ。
来年卒業したら、留学しようと思っていたから、そのことは構わないんだけど・・・」
彼女は躊躇いがちにさくらを見、きっぱりと言った。
「一度だけ、李くんとデートしたいの。この学校の思い出に。頼んでくれないかな?」
厭だと言えばよかったのだ。彼女の願いを聞かなければならない理由はない。
第一、中学のときにやっぱり小狼とデートしたいという後輩の頼みを断れず、小狼に二度とするな、と、
約束させられたのだ。
でも。
出来なかった。頬を染め、照れた顔で一生懸命自分の想いを伝えたいという彼女に、さくらは『厭』と
言うことは出来なかった。その言葉を辛くも飲み込んでさくらは答えた。
「・・・お、お誕生日の日がいいんだよね?」
彼女が喜んだのは言うまでもない。嬉しさの笑顔の彼女と反対に、さくら自身は重い石を胸に抱えたようで、
心が苦しくなるばかりだった。
その後、小狼にどう話したのか、覚えていない。適当に用事があると言った気もする。たぶん、知世の名前
を出して。自分でも嘘を言うのが下手なのは知っている。約束を破ったと知られたら、きっと怒られるだろう。
自分の心に嘘をついて、小狼くんにも嘘を言って・・・
そうまでして、私はいい子でいたいの?
違う、違うよ。
いい子でいたいわけじゃない。
でも、もし、私が彼女だったら・・・。
大好きな人と離れることになったら、きっと、気持ちを伝えたくなる。
どんな答えが返ってきても、悔いを残さないように・・・
だけど
小狼くんはどう思うのかな?
あんな素敵な人と一緒にいたら
気持ちが動いたりしないのかな・・・
山崎くんと千春ちゃんだって
あんなに仲が良くても喧嘩別れしてしまうのに
私は小狼くんと一緒にいてもいいの?
そろそろ日が沈んで夕闇が迫りそうだ。寒さと共に白いものが空から落ちてきている。
【もう、家に帰らなければ】
想いとは裏腹にさくらの身体は一向に動き出そうとしない。ブランコも、もう揺らせない。
心が沈んだままだから?
そうなのだろうと自分でも思った。もう、何度ため息をついたことだろう。
【後悔しても仕方ないのにね】
自嘲気味の笑顔が浮かんだ。
【昔の私は、もっと素直だったのに・・・。
今の私は、小狼くんにも嘘をついて、約束も破る悪い子だ。
きっと、知世ちゃんだって、もう、仲良くしてくれない・・・】
身体を両手で抱え、うずくまる。涙が溢れそうだった。
しんとした公園に、不意に女の人の笑い声が響いた。
「李くんって、そういうものが得意なの?知らなかったわ」
彼女の声だ。
慌ててさくらは立ち上がる。でも、今公園の出口に向かったら、二人と鉢合わせになってしまう・・・。
少しの間悩んだけれど、ブランコの裏側の植え込みの陰にしゃがみこんだ。葉っぱの隙間から覗くと、
立ち上がったときに揺れたままのブランコが目に入った。
【どうぞ気がつきませんように・・・】
程なく、こちらに近づく足音がした。やっぱり複数の足音だった。一つはさくらが知らない音で、もう一つは
よく聞きなれた音。
「送らなくていいのか?」
「有難う。でも、ここまででいいわ。走ればすぐだし」
そう言った後、彼女は連れの方を向き直り大きく息を吸い込んだ。
「李くん。あなたが木之本さんとお付き合いしているのは知っているわ。でも、私もあなたが好きなの」
どこかで、誰かがはっと息を呑むのを小狼は感じた。目の前で気持ちを打ち明けるのに夢中な彼女は気が
つかないだろう。
「私、少しは希望が持てないかしら?いつかあなたが振り向いてくれる可能性はない?」
ちょっとだけ、苺鈴に似ていると思った。顔立ちではなく、強い意志を現す眼差しで、自分を飾らず正直に
語るところが。確かに隣のクラスで人望が厚いのも頷ける。気さくで分け隔てがなくて、さっぱりとした性格
は男だったらよき友人となったことだろう。半日も一緒にいたわけではないが、彼女の気を感じてそう思った。
でも。
「すまないけど、そういうことは今の俺には考えられない」
思わず声が途切れる。
「・・・さくら・・・だけだから」
答えを聞いた人は、ほっと軽くため息をついた。こんなに優しい声で名前を呼ばれる彼女が羨ましくさえある。
「・・・そう。そうなのね、やっぱり。 あ〜あ、玉砕かぁ。こんなにいい女なのに」
言葉を切り、つかの間唇をかみ締める。しかし、顔を上げたときには笑顔を浮かべていた。
「それでも、今日は付き合ってもらえて嬉しかったわ。木之本さんにも無理なお願いきいてもらっちゃったわね」
小狼の頭の隅でブランコが揺れている。
「彼女に宜しく言ってね。どうもありがとう。じゃ」
精一杯の笑顔でそういうと彼女は、後ろを一度も見ずに立ち去っていった。
小狼は、そんな彼女の後姿を見送った。そして、ブランコのある場所を振り返る。後ろの植え込みに向かって
歩いていくと、案の定、そこに良く知る人が小さく縮こまって雪を被っていた。
「おまえ、どうしてこんなところに・・・」
小狼の声に、さくらはびくりと身体を震わす。そのまま顔も上げられず、返事もできない。
【いや、見ないで。こんな私を見ないで、小狼くん。嫌いにならないで・・・】
どう見ても、二人の話を盗み聞きしたように思われるだろう。そんなつもりでここにいたわけじゃないけれど、
今はそう告げる勇気もない。
【きっと、小狼くん、呆れてる。約束を破って、私が嘘をついたこと、見破ってるわ】
「さくら?」
小狼がさくらの肩に手を伸ばす。降り始めた雪がかなり積もっている。
―長い時間、ここにいたのか?用事があると言っていたのに・・・
かがみこんださくらが自分の身体をきつくつかむ。
【こんな私、厭だ。小狼くんが好きなのに困らせている私。
大好きで、私だけを見て欲しくて苦しいの。
こんなに好きにならなければよかったのかな?
そうしたら・・・】
不意に強烈な結界に小狼は弾き飛ばされた。一体何が起こったのか、さくらに一歩も近づくことができない。
「おい!何しているんだ!」
どんなに近づこうとしても、小狼の行く手は阻まれたまま。雪を舞い散らせ、風を起こして、さくらは何者も
寄せ付けない。それは、強力な気でできた結界だった。
「あいつが結界を?カードの力なのか」
小狼が見守る中、一陣の嵐が過ぎた。結界の気配が薄れ、ぼんやりとしたさくらの姿が目の間に現れる。
小狼は急いで傍に寄り、声をかける。
「一体何やっているんだ!?」
声のする方へ向けられた目は、驚いたように見開かれている。
「あ、あの、私。私、どうかしてましたか?ちょっと覚えていなくて・・・。
なんで、こんなところに座っているのかな?」
さくらは、不思議そうに自分の周りを見渡す。
小狼は虚をつかれ、すぐに返事が浮かばない。
「・・・覚えていないのか?」
「え・・ええ。もしかして、助けて戴いたんですか?どうも有難うございます」
さくらは、そういいながら立ち上がり、お辞儀をした。慌てた様子で制服の雪をパタパタと払う。
小狼は違和感に囚われていた。さくらに何が起こったのか、全く飲み込めない。否、飲み込みたくない。
「あの・・・。あの、私、あなたのこと、知ってます。隣のクラスの李くんですよね?
何か助けていただいたみたいなのに。覚えてなくてごめんなさい」
「何も?」
「・・・ええ。それじゃ、失礼します」
困惑しきった顔で頷いて、さくらは鞄を拾い、急いで歩きだした。
「・・・さくら!?」
「ほぇ?」
確かに振り向いた人はさくらだ。しかし。
「いい、送っていく。なんだか足元危なっかしいし、近くに用事があるから」
「李くん、私の家、知っているんですか?」
今のショックを隠すために、小狼は最大の精神力を要した。軽く頷いて先に歩き出したから、さくらに表情は
見られていないだろう。本当は足元すらおぼつかない頼りない存在になったというのに、どうして平然と歩いて
いられるのか。さくらの家まで小狼は夢うつつで歩いた。
さくらの中から、どういうわけか、自分のことに関する記憶が消えている。
自分への想いが全く消えてしまっているという事実を認めるには、あまりに突然だった。
2
「あ、ここでいいです。送ってくれて有難う」
玄関先でさくらはお辞儀をした。
―なんとなく二人で帰ってきたけれど、李くんと一緒だなんて、なんだか照れてしまって、早く家に入りたい。
折角送ってもらったのに、お茶も出さないのは悪いみたいだけど・・・。
「それじゃ。風邪ひかないように」
短く答えて小狼はきびすを返す。
さくらは、ほっと一息ついてドアを開けた。 「ただいま〜」
「よぅ、さくら!お帰り〜。遅かったやないか。なんや、髪の毛、えらい濡れてるで?」
さくらの帰りが遅いので、おやつを探していたケルベロスだった。まあ、最近は藤隆も桃矢も帰りが遅いので、
家の中でふらふらしても、見つかる心配はなかったから、近頃好き放題にうろついている。
「雪が降ってきたから。李くんに送ってもらったの」
さくらはパタパタと脱いだコートの雪を払い、スリッパを履くと、そのまま階段を上がっていく。
何か変だった。ケルベロスはさくらの言葉をもう一度反芻する。
「・・・・?李くん?小僧、来てたんか?」
「??李くんって、ケロちゃんのお友達だったの?じゃ、用事ってケロちゃんにだったのかな?」
さくらは不思議そうに答える。けれど、訳がわからないのはケルベロスの方だった。
どうしていつもどおり『小狼くん』と呼ばない?
さくらは小僧のことを忘れているんか?
一体何があったというのか。
まさか。
もしかしたら?
何もかも忘れた??
「さくら」
「なぁに?」
「カードと封印の鍵は持ってるか?」
「うん、ほら。ちゃんとさくらカードに全部なったんだよね?」
何当たり前なことを、という顔で、さくらは首に下げているペンダントとカードが入っているスカートのポケットを
叩いて見せた。
とりあえず、ケルベロスは安堵する。全て白紙というわけではないらしい。第一自分のことはわかっていたし。
だが、何か不自然だった。
「・・・・・・・。どうやって、捕まえたか、全部言えるか?」
「なぁに?ケロちゃん。からかってるの?覚えているに決まってるじゃない・・・っくしゅ」
一応その言葉を信じることにする。今は。
「わい、外へ出てくる。さくらはちゃんと着替えとき!」
「え?外、雪だよ?あーあ、行っちゃった。どうしたんだろ」
さくらはもう一度くしゃみをした。風邪でもひくのかもしれない。なんだか身体が冷えている。肩を抱きながら足
早に自分の部屋へ入った。着替えたら暖かいココアでも入れよう。 「小僧!!」
人通りが殆どない夕方だから、あっという間に小狼に追いついた。相手もあまり急いでいなかったようだ。
というよりも、ケルベロスが追いかけてくるのを見越していたようだ。
「ケルベロスか」
「あほ!ケルベロスかやない!!さくら、どないしたんや?オマエのこと、すっかり忘れとる・・・」
いきなり目の前に小狼の拳が突き出た。ケルベロスも、流石に言葉が出ない。
「!!」
「・・・まるで最後の審判が起こったみたいだ。さくらの中では俺は異邦人だ。あいつ、何も覚えていないんだ」
苦しそうな声が哀しみを思わせた。こいつの方がよほどショックだったに違いない。
しかし、最後の審判ということは?
「一体、なにがあったんや?ここんとこ塞ぎ込んでいたと思ったら・・・。心当たりないんか?」
つかの間ためらい、しかし、小狼は首を横に振った。今日の出来事が関係しているとしても、さくらがあんな風
に自分を拒むとは思えない。他にも原因があるのか?
「オマエじゃ、埒が明かんな。知世に聞いてみたらどうや」
「今からか?遅くなるぞ?」
「まあ、明日でもええけどな。もしかしたら、思ったよりも事態は深刻になるで」
意味深な言葉を吐いて、ケルベロスは家に戻った。 夜。さくらがカードをケルベロスに見せている。何か気になるというので、二人で一枚づつ眺めた。
「あ・・・」
「お・・・」
二人同時に声が出た。
『メイズ(迷)』のカード―中にハートが隠れて見える―
「どうしたのかな?そういえば『希望』さんが見当たらないし」
ケルベロスは、明日はユエも誘わな、と、思った。 小狼は自宅に着くと、電気もつけずにベッドへ倒れこんだ。
悪夢のような一日だった。
さくらを守れない自分が悔しい。
何か落ち着かない様子なのを感じていたのに。
聞き出さばよかったのか?
思いつめたさくらの表情が目に浮かぶ。
自分の大切な人なのに、彼女の目に映る自分は、見知らぬ人なのだ。
『そうですか。では、明日奈緒子ちゃんにクラスでの事、伺っておきますね』
大道寺にも思いつかないようだった。3年になりクラスが変わったせいもあるのかもしれない。
今、さくらと一緒なのは奈緒子だけだった。山崎は知世と一緒に小狼と同じクラス。利佳は千春と同じクラス、
と、3つに分かれていた。
「明日の朝、どうしたらいいんだ・・・」
何度も寝返りを打ち、まぶたに浮かぶさくらの表情が胸を締め付ける。
「さくら・・・。俺はおまえを失いたくない」
その日は結局眠れなかった。
「千春ちゃんが山崎くんと喧嘩したって聞いたらしいよ?」
朝早くから教室では奈緒子と知世がひそひそと話しこんでいた。
「千春ちゃんにさんざん喧嘩の話を聞かされて、『あんなに小さいときから仲がいいのに』って、すごくびっくり
して残念そうだった」
「そのお話は伺ってますわ。なんでも年上の女の方と街を歩いているところを見かけたそうですわね」
「そうそう。で、千春ちゃんが聞いても、全然誰だか教えてくれなくて・・・すっかり千春ちゃん、山崎くんに嫌わ
れたと思ってるんだよね」
奈緒子も利佳も、千春から話は聞いていても、事の真相となると、誰も知らないのだった。
「さくらちゃん、二人のこと、気にしてたみたい。仲直りできないかなって」
幼稚園からの長い付き合いの二人だから、すぐにでも元に戻ると思われていたのに、結構長引いていたの
だった。さくらからすれば、恋愛の先輩で相談役でもある山崎と千春が、このまま別れることになったら、どうし
よう、と、考え込むのも無理はなかった。
「あとはね」
「他にも何かありましたの?」
奈緒子の言葉に思わず知世は身を乗り出す。さくらは。まだ、登校してない。
「あれかな?うちのクラス委員がさくらちゃんを呼び出したの」
「まあ」
それは、知世にも初耳だった。
「千春ちゃんの話のすぐ後だったかな。なんか暗い顔で戻ってきたよ、さくらちゃん」
「お話の内容、わかります?」
「さくらちゃんは何も言わなかったけど、彼女の友達が噂してた。今度李くんとデートするって」
「・・・それじゃ、さくらちゃんは段取りを頼まれたのでしょうか」
「そうかもしれない。優しいから、さくらちゃん。でも、そんなこと頼まれることないのに・・・」
「きっと相手の方に事情があったのでしょう。さくらちゃんなら、断れないでしょうね」
「そうだね」
奈緒子は頷き、知世は立ち上がった。人が増えてきたから、話は終わりにしなければ。
千春たちとクラス委員のデート。
きっと理由はこのあたりだろう。
知世は、段取りを断れなかったさくらの気持ちが痛いと思った。自分の気持ちよりも相手の都合を優先させ
てしまう優しさが、さくららしくはあったけれど。 「・・・はぁ、そういうわけか。なんや、小僧が悪いんやないか、他人とデートやなんて」
話を一通り聞いて、ケルベロスが言った。
「俺だって、好きでしたわけじゃない・・・」
「まあまあ。李くんだけのせいじゃないでしょ?」
肉まんを山のように盛り上げて、雪兎が座敷に入ってきた。
さくらに内緒で集まるとなると、そうそういい場所があるわけではない。ケルベロスがユエの考えも聞く、というので、知世・小狼共々、雪兎の家に転がり込んだのだった。勿論、桃矢が来ないことを見越してである。
「さくらちゃんはどうしてるの?」
「ああ。やっぱり風邪ひいたみたいで、部屋で大人しく寝てるわ。丁度ええ、言うたらなんやけど」
さくらは今朝いつもの場所に来なかった。それは小狼をほっとさせた。風邪のことは心配だが、あんな他人を見る眼を見続けるのは、昨日の今日では辛かったから。
「さくらちゃんのクラスの委員さん、今日転校されたそうですわ」
「それじゃ、何か思い出に李くんと一緒にいたかったんだね、その子」
雪兎の言葉に全員がそうだと思った。そして、『思い出に』と言われたら、さくらが断れないだろうことも察しがついた。
「だからって、なんで小僧のこと、忘れてしまいたくなるかなぁ・・・あむ」
ケルベロスは話しながら肉まんに噛み付いた。なんだかやけくそな気分だ。その女のせいで、こっちはこれから大変だというのに。
「殿方にはお解かりになりにくいかもしれませんが・・・」
知世がお茶に手に取り、話を続けた。
「さくらちゃんは、李くんのことがとてもお好きなんですわ。だから、少しの隠し事もしたくないと思っていらっしゃる筈。今回のことは李くんに心ならずも嘘をついたようですし、嫌われてしまうと考えたのかもしれませんね」
「そんなことで、俺は嫌いになったりしない・・・」
「ええ、解っておりますわ。ただ、さくらちゃんはあの通りですから、許される嘘もあると思わなかったのでしょう」
小狼が真っ直ぐな性格なので、自ずとさくらも嘘や偽りは二人の仲には持ち込まなかった。なにかお祝い事
で隠しておかなければならないようなときを除いて。
「それから」
知世は小狼を見て、ほんの少し微笑んだ。
「少しやきもちも入っていたのかもしれませんわ、さくらちゃんの心に。なかなか素敵なクラス委員さんでしたから」
「さくらがやきもち?小僧がぞっこんなのに?」
小狼はケルベロスの言葉にむせてしまった。
「なんや、ほんまのことやろ?昨日は凄い顔やったでぇ。この世の終わりを見たような・・・」
「それはそうでしょ?自分のこと忘れてるなんて知ったら」
雪兎が小狼の背中をさする。
「君もつらいよね?大切な人から自分を好きな想いが消えてしまったんだから」
雪兎の声には深い共感が含まれていた。一度は消えかかった存在であればこその言葉である。
「ま、ええわ。本題はこれからや」
ケルベロスは、あらかた肉まんを食らい尽くし、がぶがぶとお茶を飲むと、一同の真ん中に座した。 「悪いけど、ユエに出てきてもらえるか?」
ケルベロスの一言に雪兎はユエに変わった。
「主が『好き』という気持ちをなくしたとしたら、それは、我々にも害が及ぶ」
知世があっと驚いて口元を押さえる。小狼は、表情を変えずテーブルの上の両手を握り締めた。
「さくらの気持ちを取り戻す方法はあるのか?」
小狼の問いに、ケルベロスは『ふぅむ』と唸り、昨夜のことを話した。
「さくらカードの中で、『迷』に『希望』が隠されておった。ちゅうことは、それがさくらの気持ちなんやと思う」
「同感だ。主はきっと見つけて欲しいと望んでいるのだろう。記憶がないから言葉ではなく、カードに託して」
間をおいて、知世が訊ねた。
「どなたがさくらちゃんの心を見つけるのでしょう?」
「小僧がさくらの心を見つけるしかない。それも、後3日のうちや。でないと、さくらは好きなものを忘れていって
しまう。いずれは・・・わいらのことも知世のことも覚えていられなくなる。・・・そうなったら、カードもばらばらに
なってしまうんや!」
ケルベロスは、そういうと、そのまま黙ってしまった。
「さくらちゃんの好きな人やものが、順番に消えていくということですのね?」
知世がゆっくりと確認するように言った。
「そうだ。主が我々を『好き』でいないことになれば、カードたちはそのことに耐えられなくなる。丁度、最後の
審判のように、その苦しみから逃れさせるため、また、カードは散らばり、新たな主を得ようとするだろう」
沈黙のまま、時間が流れた。全員が身じろぎもせず、己の考えの中に埋れている。
「それにしても、さくらちゃん、どうして誰にも何も話さなかったのでしょう」
ようやっと、呟くように知世が口を開いた。
しかし、なぜ、さくらが気持ちを閉じてしまったのか、それは誰にも答えられなかった。
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