サラブレットの右舷モビルスーツデッキのハッチが閉じられたのは、ルナ2入港の5分前だった。開けていれば、未帰還のグレア少尉が帰ってくるとでも信じていたかのようなハッチが閉じられたことによって、グレア少尉は、ハイライン少尉とともに12戦隊初のMIAに認定されたのだった。DIAと認定されなかったのは、単に戦死が確認できなかったというだけであり、この場合、生還の可能性は全くない。軍が、官僚的な組織であることの一端が示された格好だったが、フランク達には、それをどうこういうことはできなかった。
 ルナ2、コロニー建設のために小惑星地帯から運ばれてきた小惑星に付けられた名前であると同時に、宇宙に残された連邦軍最後の砦でもあった。
 宣戦布告と同時に4つのサイド、すなわち、サイド1、2、4、5に一斉に襲い掛かったジオン軍は、BC兵器と核兵器を有効に使い、僅か一日でサイド5を除く、3つのサイドの住民と駐留の連邦軍を殲滅した。
 唯一、サイド5のレビル部隊のみが、防戦に成功したが、損害もまた大きかった。
 さらに、開戦2日目から始まったルナ2へのミサイル攻撃の規模は、大戦を通じ最大規模のものだった。大量のミサイルによる飽和攻撃は、連邦軍の迎撃システムを容易に突破し、ルナ2の防御力を多いに減じた。
 しかし、それでもルナ2が生き残れたのは、サイド5が傷つきながらも戦力を残したこと、さらには、実施すべき大作戦がジオン軍には残っていたからだった。
 それこそが、大戦中を通しての最大の暴挙といわれる「ブリティッシュ作戦」だった。サイド2のコロニーの一つを、連邦軍の拠点である、ジャブローに直撃させようという作戦であった。目論見に気付いた連邦軍は必死の阻止作戦を講じたが、ザクを中心とするジオン軍の新しい戦術の前に、それは水泡に帰した。
 ほぼ、6日にわたる交戦もむなしく、コロニーは、大気圏への突入を開始してしまった。
 しかし、ジオン軍にとって、この作戦は2つの意味で失敗だった。
 一つは、コロニーが意図した地点に落下しなかったこと。ジャブローを狙ったコロニーは、大気圏突入中に分裂したことによってコースを変じ、本体はオーストラリア東岸に、分裂した部分は、北米大陸へと落下したのだ。しかし、失敗したとはいえ、人口密集地に落下したため数億人単位が、直撃で即死し、その後の2次災害(津波や気象変動)では死傷者は計測不能といわれるほどの大惨事を地球上にもたらした。その結果連邦軍の軍としての統制は潰乱したが、それでも、ジャブローの地球連邦軍本部が生き残ったという点で、作戦は失敗したといわざるをえなかった。
 二つ目は、本作戦において、防衛用に投入した戦力を大きく失ったからだ。本来、機動戦に投入すべきモビルスーツを防衛用に使ったつけは大きかった。撃墜されるザクは、後を断たず、それと同時に失われたベテランパイロットのことを考慮すれば、確かに連邦軍に大きな損害を与えたとは言っても、人的資源に劣るジオン軍にとって無視しうる損害ではなかった。
 さらに、ジオン軍は、二度目のコロニー落としを狙い、その前にサイド5に終結しつつあった連邦軍を一掃しようと試みた。しかし、その頃にはレビルは、ジオン艦隊に倍する戦力の集結に成功していた。1月15日に生起した、サイド5宙域の戦闘はサイド5の俗称「ルウム」にちなんで、後にルウム戦役と呼ばれることになるが、大戦を通して最大の戦いとなった。しかし、倍以上の戦力をもってしても連邦軍はサイド5から退かざるをえなかった。それほど、モビルスーツを用いたジオン軍の艦隊攻撃力は大きかったのだ。宇宙戦力と制宙権のほとんど全てを失い、あまつさえ指揮官のレビルを捕虜とされても、この戦いは連邦軍の戦略的勝利だった。何故なら、コロニー落としは頓挫し、二度と再興できなかったし、ここでもジオン軍は少なくないザクを、貴重なベテランパイロットともに大量に失ったからである。
 ジャブロー直撃に失敗し、地上侵攻作戦を主に政治的理由から実施せざるをえなくなったジオン軍は、制宙権をもちながら宇宙での大作戦を行えなくなっていたのである。
 
 そして、ルナ2は残ったのである。
 
 ルナ2に入港した12戦隊の兵士達は、さらに驚くべき事実を知らされた。艦長のライアン大佐でさえ、言葉を失ったほどだった。4つの戦隊が、同時に宇宙に出たことでジオンのパトロール戦隊は、混乱しティアンム艦隊を無事に宇宙に出すという、連邦軍の戦略は成功した。
 しかし、4つの戦隊のうち11戦隊は、宇宙に出るところをジオンパトロール艦隊の一隊に頭を抑えられ、戦うことなく全滅させられたのだ。
 大気圏を突破しようとする連邦軍がいちばん恐れる出来事が、11戦隊を現実に襲ったのだ。フランク達の同期のパイロット、8人は、モビルスーツに搭乗して出撃することもなく戦死したのだった。
 グレア、ハイラインを含めるならば、50人の同期のパイロットのうちすでに2割にあたる10名がたった半日にも満たない戦闘のうちに命を落としたという事実に、フランク達は慄然としたものを感じずにはいられなかった。
 
「信じたくないものだな、少佐」
 ジオン128パトロール隊司令、ボルドワル大佐は苦り切っていた。連邦軍もモビルスーツを繰り出してきたとはいえ、一時に4機ものザクを失うことは許されることではなかった。そして、帰艦してきたザクのうちセルジュ少佐のザクも二度と稼働できないほど損傷していた。
 すなわち、実質的には5機のザクを失ったに等しいのだった。
「連邦がモビルスーツを繰り出してくるとは想像できませんでした」
 セルジュは、絞りだすような声で答えた。
「そんなに、連邦軍のモビルスーツはすごいのかね?」
 ボルドワル大佐は、すごい、というところに力点を置いた。連邦のモビルスーツが、高性能であればあるほどこの損害の言い訳が成り立つ。
「敵は」セルジュは、多少ためらいながら答えた。「ビームライフルを標準装備していました。運動性もザクと同等かそれ以上です」
 少なくとも、セルジュの射撃したバズーカーの弾丸は、全て、躱された。全ての弾丸を、立て続けに躱されたことは、セルジュにとって、驚きであると同時に、屈辱でもあった。エースパイロットとしての自信が、崩れていくようだった。
「ビームライフル?」
 ボルドワルは、現在実用試験が完了し、ようやく前線に配備され始めたMS−14という新型モビルスーツがようやくビームライフルの実用化に成功したのを聞いていた。しかし、まだ故障も多く、ビームライフル自体の兵器としての信頼性は低いとも聞いていた。
「しかし、少佐」連邦のモビルスーツがビームライフルを標準装備しているということは免罪符になると考えながらも、ボルドワルは、厳しい口調で言った。「この責任は、とってもらわなければならんぞ」
「分かっています」
 セルジュは、唇を噛みしめていた。しかし、今は、ソロモンに帰還するしかなかった。9機あったザクのうち4機を撃墜され、1機を撃破された今、補給なくして再度、戦闘を行うことは不可能だった。
 
 連邦軍の1個艦隊が、モビルスーツ部隊を伴って宇宙に出てきたという情報は、翌、10月8日にはジオン軍の上層部にも伝わった。
 宇宙攻撃軍司令、ドズル中将は、ルナ2とジオン本国の位置関係からソロモンこそが、最初の連邦軍の攻撃目標になると信じた。未だ、戦闘艦艇を中心とするドズルの宇宙攻撃軍は、モビルスーツの絶対数が不足していた。そのため、ドズル中将は、ジオン本国に矢のようなモビルスーツの増派を催促していた。しかし、本国よりも近くモビルスーツ戦力に余裕のあったとされるキシリアの宇宙機動軍には救援を要請しなかったとされる。
 ジオン軍の新型モビルスーツは、最前戦よりも、本国中心に配備されるきらいがあった。特に、宇宙においてはそうだった。もともと、ドズルが、艦隊戦力を重視していたところから、その傾向は強く、また、地上でのモビルスーツの予想以上の損耗率がその傾向に拍車をかけていた。
 また、キシリア少将自身は、月に直接連邦軍が攻撃を掛けてくる可能性を捨てきれていなかった。この考え方自体は、本国政府にとっても同じで、ソロモンどころか、ア・バオア・クー、グラナダさえもスキップし、本国を強襲される恐れを常に抱いていた。
 本国政府はともかく、キシリアがそう考えるには、理由がないわけではなく、最も戦力的に充実した月のグラナダを叩くことによって、連邦軍の制宙権は確固たるものになるからだ。仮に、ドズル中将からの救援要請があったとしても、モビルスーツ部隊を送り込んだかどうかは疑わしかった。彼ら、姉弟の仲は決してよいものではないからだ。
 
 しかし、目前の脅威に対し、対応策を考える二人の身内とは別に、ギレンは、一段階上の立場から全体を見ていた。
「まあ、連邦が、ソロモンを攻撃するにせよ何にせよ、本国に来るまでには今少し時間がかかろう」
 ギレンは、連邦軍の一個艦隊がモビルスーツを伴って宇宙に出てきたという報告を、秘書のセシリアから受け取りながら言った。たくさんの報告電の中には、木馬の部隊のことにも触れたものもあったが、ギレンは、全く興味を示さなかった。
「あれが、完成するのですね?」
 セシリアの言葉に対し、ギレンは、笑って見せた。口元には、確かに笑顔らしい表情がでてはいたが、目は少しも笑っていない。
「技術顧問のアサクラ大佐からは、一か月以内に、稼働体制にはいると聞いている」
 セシリア以外のものが、同じ質問をしていたら、恐らく、その人間の明日はなかったろう。セシリアでさえ、一瞬、背筋に冷たいものが流れた。
 ここ、二、三日、ギレンの機嫌がいいのはこのせいなのだと、セシリアは、理解した。連邦軍の「オデッサ作戦」以降、ジオン軍全体の戦況が今一つなのに、おかしいと感じていたのだった。
 セシリアは、背筋を伸ばし次の言葉を待った。少し赤みのかかった長い金髪をアップにしているのは、ギレンの好みだった。セシリアのためだけにデザインされた軍服は、セシリアを引き立てていた。
 だが、ギレンは、ただ背を向けただけだった。ギレンが、無言で背を向けたときは出ていけという意味だった。
「失礼いたします」
 セシリアは、遠慮がちにいうと、ギレンを一人残し、ギレンの執務室を出た。旧世紀のヨーロッパ貴族が好んだという、大きな木製の扉をそっと開けると部屋を出た。
 一歩外に出ると、そこはあくまで軍の総司令部らしい作りになっていた。すれ違う将校や士官が敬礼を送ってくる。セシリアの身分は、一介の准尉に過ぎないが、ここに勤務するもので、セシリアがギレン直属の秘書であるということを知らないものがいないという証拠だった。最初は、自分の父親と同じくらいの歳の将校達が敬礼を送ってくるのに戸惑ったが、今はもうなれてしまった。
 さてと、と、セシリアは、考え始めた。ソーラー・レイが、一か月以内に稼働体勢にはいると聞いてもデギン閣下は、講和をあきらめないかしら?と。しかし、今は、それを伝えなくては、ならない。このジオンにあって、講和を進めようと考えている人物、少なくともそれを実行できるような立場にいるのは、デギンしかいないのだ。
 セシリアは、格別な平和主義者でもなかったが、もうこれ以上人が死んでいくのは良くないと強く考えていた。戦争という巨大な歯車を止めるためにセシリアができることがあるのなら何でもやる、そうセシリアは心に決めていた。たとえそれで自分の命を縮めてしまっても。
 ギレン閣下が、このことを知ったらどうなるかしら?とも考えながら、セシリアは伝達をやめることは考えなかった。あるいは、もうとっくに知られているかもしれない、とも考えていた。ギレン閣下の考えていることは誰にも分かりはしないのだ。
 
 ジオンの3人の兄弟達がそれぞれの思惑を考えているころ、フランク達の12戦隊は、生き残った14戦隊とともに、衛星軌道上付近の哨戒活動を行っていた。12戦隊は、新たにジム・モビルスーツを4機配備され、合計で10機のモビルスーツを持つことになった。新しく配備された4機のうち2機がサラブレットの所属となった。残りのうち1機は、搭載モビルスーツの無くなったハイデルベルクに、もう1機がブラジリアに配備された。
 この日、10月8日は、独立戦隊のほかにもルナ2直属の哨戒隊も3隊が哨戒に参加しており、連邦軍としては、久々の贅沢な部隊運用をしていた。しかも、全ての哨戒艦隊がモビルスーツを伴っており、各哨戒隊の戦意は高かった。
 しかし、この日は、サイド6空域を離脱しようとした13戦隊が、ジオンの一個戦隊と交戦しただけだった。この日も、13戦隊は、圧倒的な強さを見せ、先日に引き続いて全くの無傷で倍以上の戦力を持っていたジオン艦隊を殲滅した。
 しかも、この戦いは、サイド6の民間放送局によって完全中継された珍しい戦いでもあった。巻き添えを恐れて、かなりの遠方から撮影したものであったが、現実のモビルスーツ戦を民間の目から撮影した映像は後にも先にもこの一回限りだった。
 
 半日あまりの哨戒を終えて、ルナ2に戻った12戦隊の乗員達には、半舷上陸が許可された。前日は、ルナ2に入港しながらも所属艦からの下船が許されていなかったので、フランク達にとっては、2日ぶりの艦外生活だった。
 戦闘がなかったと言っても、フランク達パイロットは、コクピットの中でたった1人で待機を続けていたわけだから、精神的な疲労はかなりのものだった。いつ敵に遭遇し、緊急発進を命じられるかわからないという緊張にさらされ続けるのだからいかに若いフランク達といっても精神的に参るのは当然のことだ。
 第2戦闘配備が、解除されて、コクピットから開放されたのは、ルナ2入港の10分前だった。ルナ2を出撃してから、約8時間余りもコクピットに閉じ込められていた計算になる。
 フランクは、サラブレットを降りた瞬間、開放された気分になった。
 もっとも、純粋な軍事基地であるルナ2には、これといって娯楽施設もなければ、自由に歩き回れるものでもなかったのだけれど。
「フランク、ジムの生産ラインが見学できるらしいけど見に行かないか?」
 シュタインが、サラブレットを降りるなり、情報通なところを見せた。そんな説明はなかったはずなのに、と思いながら、フランクはしばらく考えてから、断った。
「いや、よしとくよ。みんな行くのかい?」
 シュタインの後ろには、チン少尉、新しく配属されたジムのパイロットのキリングス、アルベベ准尉がいた。
 チン少尉が、軽く肩をすくめて見せた。無理やり、連れていかれるらしい。2人の准尉は「はい」と返事をした。
「そうかい?」
 シュタインは、そっけない返事をすると、3人を従えて、勝手知ったるという感じでルナ2のモビルスーツ生産ラインの方へと歩いていった。数日前に、顔を青ざめさせていた人物と同じとは思えない颯爽ぶりに苦笑したフランクだったが、シュタインにはそっちの方が似合っているなと思った。フランクにしてもしょげているシュタインを見るよりずっといい。
「さて?どうするかな」
 フランクは、ずんずん歩いていく4人を見送りながら、独り言を言うと、とりあえず下船の時に説明された酒保に行くことに決めた。
 これといって買いたいものはなかったが、酒保が現実の生活に何となく一番近い気がしたからだ。その後には、ルナ2の士官食堂に行くことにしていた。サラブレットの中では酷い食べ物しか出てこなかったので、士官食堂での食事も楽しみにしていたのだった。ルナ2をいくらも離れないうちに敵性空域に突入する現在、戦闘航海中はほとんど第1戦闘配備に付かざるを得ない。そういった現状では戦闘食ぐらいしか食べることができないからだ。2交代できるほどパイロットとモビルスーツが充足することは当分ないといわれている現在、上陸しているときくらいは何か美味しいものを食べたいと思うのは至極当然のことだった。
 
 30分後、フランクは、ルナ2が想像以上に巨大な施設であることを思い知らされた。酒保には行き着けたが、士官食堂には、どうやっても行き着けなかった。誰かに聞こうにも、誰にも出会わなかった。1人だけ出会ったが、大佐の階級章を付けていては、道を尋ねるのに気が引けた。
 ようやく食堂を見つけたが、どうやらそこは士官用ではなく、一般兵士用のようだった。
 まあ士官が、一般兵士用の食堂で食事をしてはいけないという決まりがあるわけでもなかったので、フランクはこれ以上歩き回ることよりも、すぐに食事にありつくほうを取った。
 100人は、座れようか、といった食堂は、しかし、がらんとしていた。
 数えるほどしかいない。
 確かに、標準時は食事の時間には少し遅いようだったが、常時2万人近くの兵士が駐留する施設とは思えないほど空いていた。
 カウンターで、クラブサンドのセットをコーヒーで頼み、どこに座ろうかと考えながら見回すと、隅の方に知った顔があった。
 トレイを受け取ると、フランクは、その方向へまっすぐ歩いていった。
「ここ、いいですか?」
 言ってからしまったと、思った。少なくとも、上官が、階級の下のものに言う言葉ではなかったからだ。
 ぼんやりと、入り口の方を眺めていたステファニー伍長は驚いたような視線をフランクに向けた。一瞬考えてからフランクの顔に思い当たったようで、にっこりと微笑んだ。
「どうぞ、少尉さん」
 普段は、ヘッドセットを通じた声しか聞いていなかったので意外なほど優しい感じの声にフランクは少し感動した。
「すまん、伍長」
 微笑んだまま自分をまっすぐ見つめる伍長に緊張したせいかトレイを置くときに、大きな音を立ててしまい、さらにフランクは焦った。
 ステファニー伍長がくすくす笑うのでフランクは焦りはますますつのった。下心があるのかと思われたかもしれないと思うと、よけいにだった。まあ、全くないわけでもなかったのだけれど。
「どうかされました?士官食堂は別にあるんですよ?」
 見透かしたように、ステファニーが問い掛けてきた。
「い、いや、道に迷ってね、どうも不得手らしい、見知らぬとこを歩くのは」
 それを聞いて、ステファニー伍長は、またくすくすと笑った。宇宙空間を1人で飛び回るパイロットが方向音痴というのがおかしかったのだ。もっともその考えは、正しくはない。モビルスーツというものは緻密に設計されたシステムで自機の位置をパイロットに伝える術をもっているからだ。くすくす笑いながらもモビルスーツパイロットという人種が何か雲の上のような存在だと思っていたステファニーにとって、親近感が持てたのも事実だった。
 フランクは、憮然とした。もっともステファニーが、親近感を持ってくれたということを知ったらすぐに別な感情を持ったに違いないけれど、それに気が付くほどフランクは女性慣れしていなかった。
「あの、気分を害されました?少尉さん」
 フランクが、あまりにも憮然としているのでステファニーは、すまなさそうにいった。
「あ、いや、そういうわけじゃないんだ」
 フランクは、もうどうしていいのか分からなかった。せっかくのチャンス、もうそうそうこういうチャンスはないと思うのだけれど分からないものは分からない。仕方なく、コーヒーを口に運ぶ。味は全くわからなかった。サンドイッチを食べても一緒だろうと思う。
 こういうときは、何を話すといいんだろうと頭の中はぐるぐる回転していた。歳を聞いてみるか?それとも出身を聞くべきだろうか?両親のこと?いやいやこの時代だから戦火に巻き込まれて死んでしまっているかもしれない。
「少尉さんはすごいですね、うちの隊のエースですものね」
 伍長が、そういったとき、食堂内にアナウンスが流れた。
「第12独立戦隊所属の兵士、並びに士官は直ちに所属艦に帰艦せよ、繰り返す・・・」
 無情な、呼び出しだったが、フランクは、ほっとしたのも事実だった。ただ残念なのは、クラブサンドを一口も食べていないことだった。無理やり口に押し込もうかとも考えたが、伍長を前に、はしたないこともできないな、と考えて、やめることにした。
 フランクは、立ち上がると恥かきついでに、伍長に頼んだ。
「伍長、サラブレットまで案内してくれたまえ」
 ステファニー伍長は、驚いたような顔をして、にっこり笑うと
「ステファニー伍長、フランク少尉をサラブレットまで案内いたします」と、くすくす笑いながら言った。
「よろしく頼む」
 フランクは、あくまで少尉らしくいうと、クラブサンドに多少未練を残しながら席を立った。
 
 サラブレットに戻ると、フランクは、ブリーフィングルームに行くようにと副官のオドリック中佐から言われた。中佐は、フランクが、ステファニー伍長と一緒に戻ってきたことについて何かいいたそうだったが、他の兵士も次々に戻ってきていたので、口には出さなかった。
 サラブレットのブリーフィングルームには、他の艦の艦長や、パイロットも来ていた。
 フランクは、シュタイン達を見つけるとその方向に歩いていった。フランクに気が付いたシュタインの方も、手を上げた。シュタインが席を確保しておいてくれたらしくフランクは、空いていたシュタインの隣の席に座った。
「なんか、重要な作戦に投入されるらしいぜ」
 シュタインが、そっと耳打ちした。
 またしても、シュタインは、何か仕入れてきているらしかった。右の眉がひくひくと動いている。こういうときの信頼度は高かった。同時に、それをいいたくって仕方がない証拠だった。
「重要って?」
「危険度が高いってことさ」
 シュタインは、こともなげに言った。
 シュタインの言った危険度の高い作戦は、すなわちそれはモビルスーツパイロットが最も危険ということだった。それに追い撃ちをかけるようにシュタインは、フランクが思いもしないことをさらりと言ってのけた。まるで、今日の天気について話をしているかのように。
「キシリアをやりに行くらしいぜ」
 シュタインは、さも、全然大したことのないようにいったが、連邦軍の軍人であればそれがどれほど困難なことかは容易に想像がついた。
 小声だったが、フランクを始め、シュタインの周りの何人かには聞こえた。しかし、シュタインのいうことが余りにも突拍子もなかったので、信じるものはほとんどいなかった。ただし例外はいた、フランクとチンだ。彼らは、右眉をひくひくさせるときほどシュタインが自信を持っていることはないことを十分に知っていたからだ。
「本当ですか?」
 チンが、それでも小声で聞いた。うそであって欲しいという願望がその影に見えた。チンは、たった一回の戦闘で、もううんざりしていたのだ。それは、自分より優秀であったはずのグレア少尉が、戦死したことによって倍加していた。
「穏やかじゃないなあ」フランクも、チンとシュタイン以外には聞こえないように、声を潜めた。「グラナダってことか?」
「まあ、そういうことだ、見ていろ、ほら、ライアン大佐がやって来たぜ」
 シュタインが、顎をしゃくるほうを見るとライアン大佐が、副官のオドリック中佐とともにブリーフィングルームに入ってきた。
 改めて、ブリーフィングルームを見渡すと、12戦隊の各艦の艦長と副官、モビルスーツのパイロットの他にも、パイロットスーツを着た兵士が何人も来ていた。また、新たにジムが配属されたのかなとも思ったが、それにしては人数が多いようだった。少なく見積もっても、20人近くはいるようだった。12戦隊のモビルスーツの最大搭載機数が20機であることを考えても、明らかに多かった。
 フランクは、シュタインに尋ねてみようかとも思ったが、また自慢そうに眉を動かされるのも癪に障るのでやめにした。
 どのみち、ライアン大佐から説明があるだろうからだ。
 副官のオドリック中佐が、号令を掛け、全員が立ち上がって、敬礼をする。
 フランクも、つまらない儀礼だと思いながらも気のない敬礼をした。
「集まっているようだな、楽にしてくれていい」
 全員をまた席に着かせると、ライアン大佐は、オドリック中佐に指示してメインのモニター・スクリーンに次の作戦を示す宙域図を映し出させた。
 長方形のスクリーンには、地球が右寄りに示されており、ソロモン、月、ア・バオア・クーというジオンの重要拠点が、ジオンの本国を除き全て映し出されていた。宙域図を見るかぎりどこが作戦目標になるかは、判然とはしなかった。
「昨日、今日と連続の任務、御苦労。しかし、現状では、われわれが苦しいのと同様に、ジオンとて苦しいはずだ。知っての通り、我軍は、大きな作戦を控えている。そのためには、我独立戦隊が敵に対し、陽動をはからねばならない。中佐」
 ライアン大佐は、オドリック中佐にスクリーンの操作を促した。
 中佐が、コンソールを操作すると、ルナ2から延びた線が地球の衛星軌道上を半周ほど辿った後でさらに先へと延びていって、それがそのまま月の方へと延びっていった。
「これが、今回の作戦目標である」
 ライアン大佐が、月そのものをレーザーポインタで指し示した。
 ブリーフィングルームにどよめきが広がった。シュタインの言葉を聞いていた何人かは驚くような表情でシュタインを振り返った。まさにシュタインは正しかったのである。
 
「もう2日早く、こいつが来ていれば」
 セルジュ少佐は、損耗したザクのかわりに補充されてきた新型モビルスーツを見上げて、思わずうなった。
「リック・ドムです。少佐」搬入を指揮する大尉が感心しているセルジュに話し掛けてきた。「こいつは凄いですよ、ザクなんかの倍の装甲ですし、特に推進剤がザクの3倍あるんです。多少無駄にしても戦闘を続行できますよ」
 大尉は、自分の作品でもあるかのように、リック・ドムの長所をまくし立てた。
「しかし、機種転換の訓練も受けさせずにいきなり実戦配備とは、上手く行くのか?」
 本来、新機種に転換するためには、それ相応の慣熟訓練が必要とされている。セルジュが、同じザクタイプのMS−05から06に転換するときでさえ、慣熟訓練には3週間を要した。それが、ザクから全く重量も異なれば、使う武器も違うドムに上手く適応できるかどうか疑問だった。
 それに、連邦軍のモビルスーツの主武装のメガ粒子砲は、どんなに装甲が厚くても防げるものではなかった。まあ、あの頭のバルカン砲ごときなら防げるかもしれなかったが。
「基本的な操縦特性はザクと同じです、それに、少佐の隊はルウム戦役以前からのベテランパイロットばかりと聞いていますから大丈夫でしょう」
「気休めだな」セルジュは、肩をすくめた。「そのベテランパイロットも、4人が戦死した。新しく配属されるパイロットは彼らほどのベテランではあるまい?」
「人員の方は私は、関知してませんがね、まあ、少佐、実戦で慣れていただかなくてならないということです」
 大尉は、本音に近いことをいった。
 現実問題として、ジオンにはもう前線の部隊を引きあげて、悠長に機種転換訓練を行うほどの余裕はなかった。かといって、旧式になりつつあるザクを部隊配備しておくわけにもいかず、新型機を前線部隊に直接送り込むようになっていた。このことは、機体に不慣れなパイロットを実戦に出すことに繋がり、ジオン軍の総合戦力を、新型機が配備されたにもかかわらず弱体化させることにつながっていた。
「少佐の隊には、こいつが6機配備されます。上手くやってくださいよ」
 そういうと大尉は、搬入の現場の方へ歩いていった。
 それを見やりながらセルジュは、さてと、と考え始めた。6機の新型機の搭乗割をどうするか?新しい補充パイロットを乗せるか?それとも生き残ったベテランパイロットに新型機を割り振るべきかだった。どのみち、9機しか搭載できないのだから3機はザクを持っていかなくてはならないからだ。違う機種どうしで連携をとるというのもまた問題点だった。
 だが、余り考えている時間もなかった。2時間後には、またパトロールに出撃しなければならなかったからだ。
 だが、搭乗割には苦労しないですんだ。もともとのパイロットの全員がザクの搭乗を希望したからだった。それでも、一人は機種転換をさせる必要があったので、同じリパメルのパイロットのノイマン中尉に、命じてザクからの機種転換をさせた。
 ノイマン中尉は、かなり不満そうなそぶりを見せたが、同じ艦から出撃するほかの二人のパイロットが、セルジュを含めてドムに搭乗するのであれば、一人だけザクというわけには行かないことを納得した。
 
 12戦隊のために地球周回軌道上で陽動を行う6個戦隊とともにルナ2を出撃をした12戦隊は、直ちに最大戦速への巡航に移った。12戦隊は、グラナダに到達する前にまずジオンの哨戒網を突破せねばならなかった。
 その密度は、以前に比べると薄くなっているとはいえ、捕捉される可能性はゼロではなかった。フランク達パイロットは、またモビルスーツのコクピットに閉じ込められた。
 ガンキヤノンのコクピットの中で、いつものように最終点検をしながらフランクは、ライアン大佐がただの艦長でなかったんだということに、深い感銘を受けていた。まだ配属されて、3日目でしかなかったが、フランクは、ライアン大佐が、命令一点張りの機械のような艦長なんだと思っていたのだ。
 ところが、これもまたシュタインから聞かされたことなのだが、ライアン大佐は、今回の作戦に対し、かなり強行に反対したらしかった。無理もない話だった。最新鋭のペガサスタイプが編入されていると言ってもたかだか一個戦隊の戦力でグラナダを強襲しようという発想自体、自殺行為に等しいからだ。いったい誰がこんな馬鹿げた作戦を考えたのか?思いついた本人を連れて行きたい気分だった。
 当初、このグラナダ強襲作戦は、純粋に12戦隊だけで実施される予定だったらしい。それをライアン大佐が、強行に自分の意見を通し、ボール10機、パブリク突撃艇10機の増援を認めさせ、なおかつ6個戦隊が地球周回軌道上で陽動を行うことを認めさせたのだった。
 フランクが、多いと感じたパイロット達は、そのボールとパブリク突撃艇のパイロット達だったのだ。
 ボールは、ジム・モビルスーツの生産コストが余りに高いので、数の不足を補完するために実戦配備が進んでいる簡易モビルスーツだった。元来は作業ポッドであったものに、キヤノン砲と若干の装甲を付け足したボールは、熱核融合炉エンジンを搭載していないために冷却問題も発生せず、ありとあらゆる艦種に搭載が可能だった。
 今回も、10機全部が、サラミス級各艦の艦外に系止してあるだけだった。
 パブリク突撃艇は、モビルスーツ以前から連邦軍の宇宙戦力の中核をなす、突撃艇であり、全長20メートルの艇体に化学ロケットエンジンを搭載した機体である。モビルスーツ登場以前は、機体の下面に搭載する大威力のホーミングミサイルによって有力な戦力だったが、モビルスーツの登場とミノフスキー粒子の出現によって、現在ではその有効性はかなり低下している。それでも、今回同行させているのは、命中しさえすれば大威力のミサイルを搭載していることと、ビーム撹乱膜を散布できる新型ミサイルを搭載できるからだ。パブリクは、サラブレットの第3デッキと後部デッキに3機づつ搭載され、残りの4機が左舷と右舷デッキの上甲板に2機づつ係留されていた。
 大した、艦長だ。それが今のフランクのライアン大佐に対する評価だった。
 他人のことを斜に見るシュタインでさえ「大佐と一緒に戦えてよかったよ」と、いっているくらいなのだ。
 フランクは、メインモニターのスイッチを入れた。メインスクリーンに、サラブレットのモビルスーツデッキが映し出された。つい先刻まで、デッキ内に溢れていたメカニックマン達は、今はもう1人もみえなかった。がらんとしたモビルスーツデッキは、2機のモビルスーツにはもったいなかった。本来なら8機のモビルスーツが運用できるにもかかわらず、サラブレットには、まだ5機しか配備されていなかった。そのうち、左舷のデッキには、フランクのガンキヤノンとシュタインのジムが2機いるだけだった。
 そのおかげで、デッキはいやがおうにもがらんとしてみえるのだった。
 フランクは、軍から支給された時計にちらりと目をやった。
 グラナダ突入のゼロアワーにはまだ9時間余りあった。
 もし、今日も幸運に恵まれ、ジオンの哨戒網に捕まらずに済めば、フランクは後9時間余りも手持ちぶさたな時間を過ごせるわけだった。
 今日のフランクは、その手持ちぶさたな時間を歓迎していた。
 少なくとも、手持ちぶさたな時間、つまり退屈で戦死するパイロットはいないからだ。同じ理由で、チンやシュタイン、そして新任のアルベベ、キリングス准尉も戦死することはない。
 どうせ、今日はどのみち、9時間後には絶対に戦場にいるのだ、昨日、一昨日と同じように、敵と接触しなければ無事に帰れるのではなかった。今日は、戦場にたどり着くために、哨戒網を突破しなければならなかったのだ。
 そうであれば、無駄な戦闘はしたくない、というのがフランクの本音だった。
 
 月のグラナダ。ジオン公国、宇宙機動軍の本拠地であり、またキシリア少将が直轄する純軍事施設である。現在は、戦線の縮小を余儀なくされてはいるが、ジオン軍の地球侵攻軍をも統括するジオン最大の軍事拠点の一つである。
 ソロモンのドズル中将が、長らく艦艇主義だったのに対し、キシリア少将は、モビルスーツの黎明期から積極的にモビルスーツ主体の戦力構成を採ってきた。
 その結果、ジオン軍の3大拠点の中では最もモビルスーツ戦力が充実している。
 施設の大半は、半地下、あるいは完全に地下化され、地上に見えるものはこれといってないが、その地下化された設備は広大なもので、じつに3個師団の艦艇、モビルスーツを擁している。
 今日、キシリアは、グラナダの数少ない地上施設のうちの一つ、キシリア専用の展望ルームにいた。完全防弾ガラスに、有害宇宙線をカットする特殊コーティングを施したドーム状の展望ルームのイスに座りキシリアは満足そうに、宇宙を見上げていた。
 この時代に、どうやったら手に入るのか、完全な本皮のイスを、キシリアはとても気に入っていた。特に、用がないときには、この展望ルームに一人やって来て、このイスに座り、宇宙を眺めることがキシリアは好きだった。分厚い防弾ガラス越しとはいえ、ガラス一枚隔てた向こうが宇宙だと思うと、何か宇宙と一体化できるような気分に浸れるからだった。
 それにも増して、今日は、キシリアが半ば抜き打ちで行った軍事演習が上手くいったこともキシリアを上機嫌にしていた。
 その演習を観戦するため、今日は、高級将校が何人かこの展望ルームに入ることを許されていた。
 演習は、大隊規模の艦隊同士が艦隊戦を戦うというものだった。
 互いに、ほぼ同時に相手を発見したという設定の元に、ジオン側の白軍が連邦軍役の赤軍と交戦するというものだった。
 キシリアは、白軍の指揮官には、赤軍にモビルスーツ部隊があることを事前に知らせないように指示していた。
 白軍の指揮官は、従来のセオリー通りに赤軍部隊に対して、モビルスーツを展開させ、モビルスーツ主体の攻撃を行おうとした。
 しかし、赤軍が迎撃のモビルスーツ部隊を発進させ始めた瞬間、白軍の艦隊は、混乱を起こした。キシリアの指示によって、赤軍艦隊の持つモビルスーツは白軍に比べると3分の2ほどの数でしかなかったが、明らかに意表をついた赤軍モビルスーツ部隊の登場に、白軍の損害は、相次いだ。この3分の2という数は、連邦軍のモビルスーツがまだ大量に配備されていないという前提に立って、数の上ではジオン側が有利であろうはず、という観点からはじき出された数字だった。
 しかし、状況を把握した白軍指揮官が、対抗戦術をとることによって赤軍のモビルスーツは、もともと数が少ないこともあって、次々に撃墜され、赤軍の艦艇が残り3分の1となったところで勝負はついた。
 もちろん、白軍の損害も小さなものではなかったが、もし、事前にモビルスーツの存在を知らされていれば白軍はもっとましな戦闘が行えたはずだった。
「キシリア様、いかがでしょう?」
 演習が終了し、満足げなキシリアの機嫌を伺うように高級将校の一人が話し掛けた。
「まあ、あんなものでしょう」
 キシリアは、本当は、いたく満足していたのだがあえてそっけなくいった。表情は、顔の半分ほども覆っているマスクのおかげで、気取られずに済むはずだからだ。
 今しも、ドームのすぐ近くを新型のリック・ドムの編隊が通過していくところだった。
「あれの配備状況はどうなのです?」
 キシリアの問いに対してすぐさま将校の一人が答えた。
「はい、新型のリック・ドムはすでに第7師団においては充足率7割に達しております。他の師団も順次機種転換を行っておりますが、ここ1カ月ほどは、本国とア・バオア・クー中心に新型機の配備が進んでいるようですので進捗率の延びは若干鈍っております」
「ふむ、兄上だな」
 キシリアは、それだけいうと黙り込んだ。マスク越しに、右の人さし指を軽く口にくわえた。こうしたときキシリアは、何事かを深く考えている証拠だった。将校達は、立ったまま次にキシリアが何を言うのかをただ待った。邪魔することは、許されてはいないのだ。
 
「艦長、第2戦闘ライン上に艦艇です」
 ムサイ級巡洋艦、ルドメルのオペレーター・イェン曹長は、艦長のレイドック大佐の反応が分かってはいたが一応報告をした。開戦以来ずっと、グラナダの哨戒だけをやっているのだ。来る日も来る日も同じことの繰り返しをしていれば、艦長の反応など、決まってくる。
「どうせ、ソロモンから定期便だろうが?それより、少将殿の演習はもう終わるころだろう?」
 案の定、レイドック大佐は興味なさそうにいっただけだった。口では少将殿と言ってはいたが、そこには敬意のかけらも含まれていなかった。本来なら搭載モビルスーツの発艦準備の一つも命じるのが当たり前なのにと思いながらもオペレーターは、それ以上何も言わなかった。大体、優秀なオペレーターならば第3戦闘ラインに到達するまでに発見して然るべきなのだ。
 まあ、あの艦長にして、自分のようなのがいるんだとイェンは思った。
「はい、演習は今しがた終わったようです」
「どっちが勝った?」
 レイドック大佐は艦長席にどっかりと腰を据えたまま、もう第2戦闘ライン上に現れた艦艇のことを気にもしていないふうだった。
「白軍が勝ったようです」
 レーダー通信が若干有効なので、演習全体の流れはとぎれとぎれに、このルドメルでもおおまかに把握することができた。
「まあ、どうせ、もともと結果の分かっている演習さ。少将殿はさどかし御機嫌が良かろう?」
 レイドック大佐は、誰にいうともなくいった。
 艦長席の後ろで副官のデニス少佐が、やれやれといったふうに肩をすくめるのが目に入った。少佐だけは、この艦に転属になって日がまだ浅いのだ。それでも、もうこのかなりこの艦のだらけた雰囲気の毒されていたが、艦長のキシリア少将に対する批判的な態度にだけは、辟易としているらしかった。
 レイドック大佐は、キシリア少将のせいで、自分がこの面白くもない任務につかされていると信じているのだった。そのせいで、言葉の端々にキシリア少将に対する不満が溢れだしているのだった。
 そのときだった。軽い電子音とともに艦橋のメインスクリーンに、先程発見した艦艇が映し出された。哨戒モード時のムサイでは、特に何もしていなくても第1戦闘ラインを越えて接近してきた物体をメインスクリーンに映し出すようになっていた。
 艦橋にいた全員が、息を呑んで動きを止めた。
 モニターに映し出されていたのは、連邦軍の木馬型戦艦だった。後方には、サラミス級の巡洋艦を3隻従えている。連邦軍の艦隊は、モビルスーツを発進させている最中だった。今も、木馬型戦艦から、赤いモビルスーツが射出されるのが見て取れた。
 レイドック大佐は、あっけにとられたような顔をしていた。
 操舵手のサイモン中尉なんかは、固まったかのように動かない。
 そしてもっと最悪なことは、木馬型戦艦の主砲がこちらを向いているのがすっかり分かることだった。なんで連邦軍の艦隊がこんなところにいるんだ?それが艦橋にいる全員の共通した思いだった。
 エンジン出力も、臨海パワーを大きく下回り、ミサイルの発射準備も全く整っていないルドメルのできることはそう多くはなかった。
 グラナダに、警報を出す、それすら誰も気づいていなかった。
 ありえないことが起こったとき、人間は当たり前のことができなくなるのだ。
 イェン曹長が最後に見たのは、モニターの中の木馬型戦艦が主砲を発射した瞬間だった。
 イェン曹長の意識は、永遠に暗転した。
 
「ん?」
 キシリアは、視野の端で閃光をとらえた。注意をそちらに移すと白濁した爆発が広がりつつあった。明らかに、爆発である。宇宙では、音が伝わらないために、相当規模の爆発が起こっても、視点を別なほうに向けていると気付かないことも多い。
「なにごとか?」
 しかし、キシリアの問い掛けに答えられるものは誰もいなかった。
「連邦軍の奇襲でしょうか?」
 将校の一人の言葉に、キシリアは冷ややかな視線を向けた。数時間前に、ソロモンの哨戒部隊のいくつかが連邦軍の哨戒部隊と交戦をしたという報告を受けてはいたが、グラナダを攻撃できるほどの大部隊が出撃したとは聞いていない。
 それほどの大部隊が、行動を起こしたのならば何時間も前からそれなりの兆候があるのだ。
 かろうじて、キシリアは、その将校を罵倒するのは自制した。
(グッドウェン中将だな?)
 キシリアは、罵倒しない代わりにその名前を深く心に刻んだ。しかし、キシリアは、別の意味でこのグッドウェン中将の名前を刻むことになった。
 今や、全員が、爆発と思われる光が発生したほうを注視していた。
 しかし、地球の昼の部分が余りにも青く輝いていて、肉眼で見るかぎり特に何かが分かるというものではなかった。
 グラナダ全体に、警戒警報が流れ始めたのは、その直後だった。
 その警報が間違いでなければ、連邦軍が、開戦以来始めてグラナダの第三戦闘ラインを突破してきたという証だった。
 そう、まさに、連邦軍がやって来たのだった。