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旗艦
レッド・ジュエル
改ペガサス級

ビスマルク・シー
特設軽空母

ホルムズ
改マゼラン級

ロンドン
サラミス級

リスボン
サラミス級

 

RGM−79sr02

2機

ダーク・ホース搭載(レイチェル中尉)

RX−78−02

1機

ダーク・ホース搭載(クマゾウ准尉)

RX−77−02

2機

ダーク・ホース搭載(VC−2、VC−3)

RGM−79C

2機

ダーク・ホース搭載(タイヂ准尉・ブラック小隊)

RGM−79A

4機

ホルムズ搭載(ブルー小隊・コリンズ小隊長)

RBL−76

8機

ビスマルク・シー搭載(ホワイト小隊・マス小隊長)

パブリク突撃艇

4機

ビスマルク・シー搭載

セイバーフィッシュ

12機

ビスマルク・シー搭載


特設空母ビスマルク・シーについて・・・

 ビスマルク・シーは、戦時急造されたイオニア・シー型に属する改装空母である。本級は、いわゆる1週間戦争において大量に失われた連邦軍宇宙艦隊戦力を数字的に充足させるために計画されたビンソン計画付随2に属する既存艦からの改装艦である。本級の元となったのは、艦隊型高速輸送艦ワカサ級である。このクラスは、ほとんどサラミス級に匹敵するサイズをもった最新型の艦隊型輸送艦であり、防御力さえ無視してしまえばサラミス、マゼランと言った戦闘艦と共に行動することが可能であった。本級は、その貨物室を艦載機の格納庫とし、補給物資の作業甲板を飛行甲板とすることで極めて短期間でその改装を完了させることが可能だった。最大加速力や航続力を失わないことに注意を払って改装が完了した本級は、セイバー・フィッシュ戦闘機を12〜16機、ボールを8〜12機同時に運用でき、なおかつパブリク艇4隻を艦側に係留するという形で運用することができ、後方などで限定的な護衛任務などを行なうには充分な戦力を有する改装空母となった。

 非常に短期間で改装された本級だったが、空母としての必要最小限度の装備は完備しており、ロケットバーニアを利用した簡易カタパルトではあったが最大搭載機数16機のセイバー・フィッシュを搭載していた場合でも3分以内の全機発進が可能であった。また、格納庫内には機体のメンテナンスが十分に行えるだけの装備を持ち、任務によるが2ないし4ソーティーの再出撃が支援できるようになっていた。またパブリク突撃艇に関しても舷側に係留するだけではあったが2ソーティー分の予備武装を艦内に収容しており、セイバー・フィッシュほど迅速に再出撃が行えるわけではなかったが、パブリク艇母艦としても限定的ではあるが十分にその役割を発揮できた。

 3月には、最初の1艦が艦隊に配属されるとともに、改装された姉妹艦が順次戦列に加わリ、最終的には、比較的改装が容易だったことや母体となったワカサ級が大量建造されていたことと相まって17隻が10月までに就役、ルナ2艦隊を中心に配備された。徹底的に不足した空母戦力を補完するものとして期待された本級だったが、本級自体がモビルスーツを運用できなかったことや、用兵側〔特に艦隊司令部〕がいまだモビルスーツを過小評価した状況下、またジムが量産される以前からほとんどの場合個艦運用〔もちろん、護衛艦は付いてはいたが〕で戦場に投入されたことによって次々に戦没し、連邦軍首脳部が想定したほどの戦力とはなりえなかった。

 そういった不遇な姉妹艦が多かった中でビスマルク・シーはイオニア・シー型の6番艦として8月末に就役した。本艦にとって幸いだったことは、ちょうど同時期に改マゼラン級や改サラミス級の就役が始まったのに合わせ、先行量産型のモビルスーツの部隊配備が始まったことだった。ビスマルク・シーは、これらのモビルスーツ運用可能〔というよりは、運搬が可能〕な、改マゼラン級と改サラミス級からなる実験艦隊として編成された74戦隊に護衛用として編入された。本戦隊には、連邦軍屈指の艦隊司令官といわれるゴンザレス准将が任命されたことも相まって、編成初期より戦果を挙げ、ソロモン戦に於いても主に前哨戦で重要な役割を果たした。しかし、ソロモン戦においては、2番艦である改マゼラン級のホルムズが大破し、同時に随伴艦であるリスボンが航行不能になるなど大きな損害を受けたためにア・バオア・クー戦には参加しなかった。ア・バオア・クー攻略戦にこそ参加できなかったもののア・バオア・クー攻略戦の翌日にはリスボンを除いた状態で戦場復帰を果たした第74戦隊は、12月30日にグラナダ防衛線最外縁空域でこの戦争における最後のモビルスーツ同志の空間戦闘を行っている。この戦闘においてビスマルク・シーは被弾し小破こそしたものの第74戦隊は、既に士気の低下していたグラナダの哨戒部隊に手痛い打撃を与えることに成功し、無事帰還することに成功した。結果、4ヶ月という短い期間ではあったが、ビスマルク・シーは無事この戦争を生き抜くことができた。戦後も、第74戦隊は、いわゆる哨戒部隊として各地の哨戒を実施したが、大方の哨戒が終了した0082年の4月付けでビスマルク・シーは、他のイオニア・シー級と同様に退役することとなった。


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