Japan Jam '79 at 江ノ島
 


 
 
 
1979年
8月4日(土) 藤沢・江ノ島特設会場
8月5日(日) 藤沢・江ノ島特設会場
8月7日(火) 京都・伏見桃山城キャッスルランド


  
   Beach Boys
Heart (初来日)
Firefall
TKO
サザン・オールスターズ


 


 
【TKO 】
01 Rock'n Roll Again
02. Only Love
03. Ain't No Way To Be
04. Don't Say No

【Heart】
01. Magic Man
02. Magazine
03. Mistral Wind
04. Dog & Butterfly
05. Barracuda
06. Rock and Roll

【Firefall】
01. Mexico
02. Goodbye, I Love You
03. Strange Way
04. Livin' Ain't Livin'

【Beach Boys】
01. California Girls
02. Darlin'
03. Little Deuce Coupe
04. In My Room
05. Good Timin'
06. Sumahama
07. Lady Lynda - Al Jardine interview
08. Help Me, Rhonda
09. I Get Around
10. Surfin' U.S.A.
11. Good Vibrations
12. Barbara Ann
13. Fun Fun Fun

Bootleg収録分の曲目より。残念ながら、サザン・オール・スターズの分はいまだに見つかりません。どなたかお持ちでないでしょうか?




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私(高2)の初コンサートです。友達に裏切られ、一人参加でした。

音響についてです。ステージ両サイドにRAMSAのスピーカーが山積みに鳴っていました。
江ノ島の壁に音が反射していて最高でした。
ハートのギタリストが20mくらいのスピーカーの上に上り、観客を挑発していました。
ハートがレッドツェッペリンの「ロックンロール」を演奏していました。
私にとっては、初めて聞いた「ロックンロール」だったので感動しました。

ビーチボーイズの時に一人米兵の肩の上でたっていた米兵がパンツを何度も脱ごうとしていましたが、脱ごうとするたびにこけそうになるので脱げませんでした。

このライブが今だに人生最高の内容です。

(宮田)

1979年8月4日(土) ◆ 藤沢・江ノ島特設会場

客席は地面に縄を張って区切っただけ、といういい加減なもので高い席も安い席も関係なし。
当日、何とかいう空母(エンタープライズだったか?)が横須賀に寄港していたとかで、ステージ前はでっかい米兵のあんちゃんたちの占領状態。若くて怖い物知らずだった私は友達と2人でその中に突っ込んで行き、ビールを貰ったりしてましたが。

サザン・オールスターズ:おっ、桑田中々スライドうまいじゃん。でも米兵反応なしで気張って空回りぎみ。

TKO:LP出したばかりの新人バンドって扱い(?)ギターの音がやけに堅い。

Firefall:地味!曲はポップなんだけど残らない。

Heart (初来日):ここから記憶がワリと残っています。というか忘れられないことがありましたので。あまり気付いた人は多くなかったようだが、ステージ準備時にステージ 後方にハートマークの菱形の連凧が上がる。音楽以外でステージに演出があったのを初めて見て感動した。開演目指して米兵をかき分けステージ前に進む。エレキギターはヤマハ。んっ、タイアップ らしい。

1曲目Heartless、Firefallまでとは音量が違う。音がでかい、カッコイイ。何曲目かの曲間、ボーカルのAnn Wilsonが後ろを向いたとき、米兵がでかい木の枝をステージに投げつけた。Annの近くに当たりAnn、恐ろしい形相で睨む。ステージ上、メンバーが緊張、一瞬で空気が変わった。その時とっさに私は両手で作るハートマークを思いつき、目があったNancy Wilsonに向けた(最近アイドルとかがよくやっているヤツです)。Nancyもステージから同じポーズで応えてくれ、他のメンバーに一言二言。で「Beach Boys見に来たんだろーがオレらのステージに文句は言わせねーぞ」という感じで、前にも増して、さらに気合いの入った演奏が続く。最後にRock & Roll、Unchained Melody(Without Youだったかも)とカバーが続き米兵たちもようやく納得。

Beach Boys:で、米兵たちは次のBeach Boysでは可愛い笑顔で大喜び!「あっこいつら田舎もんで知っている曲しか反応しないんだ」と今までの米兵の反応に納得。ステージ、米兵、でちょっと空間があって日本人という配置がこの頃には確立されていて、米兵はさらに踊り出したり大騒ぎ。日本人でも女の子は何人か引っ張り込まれていたなぁ。彼女らこの後どうなるんだろ。演奏もシマリがないしBrian WilsonはPianoを弾くでもなし、ちょっと上をみてボーっとしてるし。

結局私たちはBeach Boys途中で帰ってきました。一緒に行った女の子は「怖くて近くに行けなかった」と言ってましたし、米兵達のバカ騒ぎにしらけた人は結構いっぱいいたようです。Beach Boys演奏中にも関わらず駅は帰る人でいっぱいでした。本当に最後まで見ていた人は半分もいたのかな?

(Cavalyn)


↑当時の様子については、読者のCavalyn様、宮田様に寄稿していただきました。ありがとうございます。当サイトはこのような皆様の情報と、暖かいお心で成り立っております。なんと!Cavalyn様は現在ではポピュラーになっているアイドルとのコミュニケーション作法を、初めて外国人アーチストに伝授されたそうです(笑)!


江の島ヨットハーバーにて開催された、ジャパンジャム第1弾。夏・海とくれば、やっぱBeach Boysでしょ。一時期薬づけでぼろぼろになっていたBrian Wilsonは、ファン待望の初来日を果たしたが、目は虚ろ、足取りはおぼつかなく、心ここにあらずという状態だったようだ。80年以降も健康状態が悪化、ステージに立つことはしばらくなかったという。Brianは名盤“Pet Sounds”収録の“ Sloop of John B.(ジョンB号の遭難)”を1曲歌ったのみ。

日本語をフィーチャーした“Sumahama”など新曲の発表もあったのだが、やはり“Surfin U.S.A.”、“Fun Fun Fun”といった60年代初期のヒット曲で盛り上がり、当時萩原健太と一緒に見ていたサザンの桑田啓祐は、「なんだ、ただの懐メロバンドじゃん」と思わずつぶやいたそうだ。まぁそれを言ったら、80年代後半から現在に来ているバンドのほとんどはそうなんだけどね。そういう桑田も、バラードがウケてからロクな曲書いてねぇだろ。創作意欲あんのか?

79年のジャパンジャム、夏、とくれば、藤沢・鎌倉の街とサーファールック。実は「湘南ガール」だった筆者は、流行りものばかりがショップに並び、画一化するファッションに反発を覚えつつも、フリルひらひらのキャミソールにウォッシュのデニム地のワイドパンツ、ピンヒールのサンダルをはいていたおねーさんたちを、心の底ではまぶしく見上げていたのだった(でも化粧はダサかったな。キャバスケみたいだった)。

ジャパンジャムは、次の年に行われる第2弾、Cheap Trickがトリを務めた回に参加。雨でずぶ濡れになりながら、大いに楽しんだのである。

エピソードの元ネタは「Live in Japan 60's〜70's」(シンコーミュージック刊)。

(issei、セットリストは11年2月8日追加)
 
 
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