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「ほえええぇ、遅刻しちゃうよぅ」
 さくらは、あわててベットから飛び起きると、急いで着替え始めた。
「今朝もお約束パターンかい」
 さくらの叫び声に机の引き出しから、ケルベロスが、眼をこすりながら顔を出す。
「だって、夏休みだからって、遅く起きる癖、ついちゃって」
 さくらは、上着から顔を出して言い訳した。
「はぁ〜。制服っちゅうことは、今日は、登校日か?」
 ケルベロスは、さくらの言い訳にあきれながらも、鏡の前に座り込むさくらに、訊ねた。
「うん、なでしこ祭の準備なの」
 さくらは、髪をとかし、なれた手つきでサイドの髪を束ね、髪飾りをつける。
「おー!!あの友枝町全体でやるお祭りか」
「うん。友枝小の代表で、6年2組が劇をやるんだけど、奈緒子ちゃんが台本書いたんだよ」
 話しながらも学校へいく用意をする。タマゴさんリュックに消しゴムや鉛筆を放り込む。
「で。さくらは何の役やるんや?」
 ケルベロスが訊いてきた。一瞬、間があき、動きが止まった。さくらはモジモジしながら、小さな声で答えた。
「お、お姫さま・・・」
「おおっ!お姫さまいうたら、主役やないか。こりゃ、なんとしても見に行かなあかんな」
 ケルベロスは、引き出しの縁にもたれ、うれしそうに言った。
「いやぁ、なんせ、前は小僧がお姫さまやっとったもんなぁ。うふふ、見られたもんやなかったなぁ」
 ケルベロスは、なにやら思い出して、笑っている。『小僧』と言われて、さくらは、ドキッとした。五年生の学芸会でやった劇のことをいっているのだ。が、さくらは小狼のことを思い出し、頬を染めた。そして、劇の話をしているケルベロスの声に耳も傾けず、一番上の引き出しからさくらカードに手を伸ばした。ケースのふたを開け、束のまま取り出す。そして、順にカードを見ながら、一枚のカードに目を留める。
 それは、ハートに翼のついた絵柄のカードで、名前がなかった。さくらが、初めて小狼への想いに気づいた日にうまれたカードだった。その時のことを思い出し、さくらが、たたずんでいると、ケルベロスがあきれたように言った。
「ところで、さくら。その格好で学校へいくんか?」
「ほえっ?」
 ふと、われに返り自分の姿をみると、上は、確かに制服を着ていた。しかし、下はまだパジャマのズボン・・・
「ほええええぇぇ・・・・っ!!」

 さくらがころんだのか、ものすごい物音が二階から響いてくる。下のキッチンにいて朝食の用意をしている藤隆も桃矢も思わず上を見上げる。
「怪獣・・」
 ぽつりと桃矢がつぶやく。
 やがて、バタバタとスリッパを鳴らして、さくらが部屋に飛び込んだ。
「おはよう」
「おはよう、さくらさん」
「おはよう」
 さくらは、飾ってある今は亡き、母の撫子の写真に向かって、挨拶する。
「おそよう」
 桃矢が、サンドウィッチの皿をさくらの前に置きながら、からかうように言う。
「お・は・よ・う」
 さくらは、はっきり聞こえるように、もう一度言った。
「おそよう。怪獣」
 桃矢は、さくらの向かいの席に座る。
「さくら、怪獣じゃないもん!」
 ほっぺたをプーッとふくらませて、言い返す。桃矢が『おはよう』といわず、『おそよう』というのも気に入らない。
 木之元家のいつもの朝の光景である。桃矢は、さくらかわいさのあまり、どうしてもからかうのをやめられない。相手が怒るとわかっていても、つい『怪獣』と言ってしまう。
 その理由を知るよしもないさくらは、本気でふくれている。
「まあまあ、二人とも」
 藤隆は、自分の分のサンドウィッチをのせた皿を持って、席に着く。彼は、この朝のにぎやかなやりとりを楽しんで聞いている。さくらと桃矢が、元気な証というわけだ。
「早くしないと遅れますよ。さ、いただきましょう」
「うん。いただきまーす」
 さくらは両手を合わせ、うれしそうに食べ始める。
 藤隆は、料理が得意で、家事一般なんでもこなす。もともと上手だったうえに、さくらたちの母撫子が亡くなってからまた、腕に磨きをかけたようだった。さくらや桃矢のためにお菓子づくりも上手である。そんな父をさくらは尊敬していた。そして、大好きだった。
「そういえば、いつも、お昼からなのに、今日は、早いんだね?」
「うん。あと一週間だもん。まだ、うまくできないところが、たくさんあるから、もっと、もっと、練習しないと」
「楽しみにしていますね」
 藤隆がにこにこして言う。
「うん!」
 さくらはうれしくて、張り切って返事をする。
「怪獣が主役の劇じゃ、なでしこ祭、滅茶苦茶になるんじゃねぇか?」
 また、桃矢がたこさんウィンナーを食べながら、憎まれ口をたたく。さくらは、歯噛みして悔しがっている。
「桃矢くんは?」
 藤隆が、話題を逸らそうと桃矢に訊ねた。
「大学でパーラーだすから、その手伝い」
「ゆ、雪兎さんは?」
 さくらは、立ち上がり、おもわず照れながら、一番ききたかったことを口にした。
「同じ大学なんだからな」
「わーい!行ってみようっと」
「おまえに出すのは、タバスコ入れといてやるよ」
 本当は来てくれればうれしいのに、そうは言えない桃矢だった。
 さくらの怒りも頂点に達していた。

 ローラーブレードで街の中を通りぬける。風が気持ちいい。商店街は祭りの準備で忙しそうだ。あちらこちらに、町の花で今回の主役撫子の花が飾られている。撫子をモチーフにしたタペストリーが街灯に貼られ、街は撫子の花であふれそうだ。
 広場には、さくらたちや他の人たちが発表する舞台が造られていた。板を打ち付ける音が響いている。
「ここで劇やるんだよね。う〜、緊張するよぉ」
 その造りかけの舞台の前に立ち、さくらはつぶやいた。そして、自分の言葉で思い出し、学校へ急ぐのだった。

 なでしこ祭。今年はミレニアムということで、友枝町が記念に開くお祭りである。この祭りでは商店街も住人も一体となって参加している。さくらたちも学校の代表として、劇を演じる。クラス全体が成功させようと、夏休み中もはりきっているのだった。

 廊下へ山崎くんが台詞を読む声が聞こえる。
「お、おはよう」
 さくらは、6年2組の教室へそっと入っていく。
「さくらちゃん!」
 気がついた知世が振り返る。
「ごめんなさい、遅れちゃって」
 クラスメイトに向かって照れ笑いを浮かべていると、奈緒子が歩み寄ってきた。奈緒子は、今回、脚本と監督を担当するのだ。
「さくらちゃん」
「はい」
 さくらは、思わず、手に持った帽子を握りしめる。
「新しく入れた台詞があるの。ちょっと、やってみてくれる?」
「うん」
 さくらは、返事をしながら、リュックを降ろす。
「ここ、ここの台詞が新しいの」
「うん。やってみるよ」
 奈緒子が台本を指差すのを見ながら、頭に台詞を入れていく。
「それじゃ、山崎くん。今のところからね」
「はーい」
「それじゃ、スタート!」
 奈緒子の声にクラスメイトたちが集まってくる。知世もビデオを用意し、さくらの演技を撮り始める。
 これから、さくら演じるお姫さまと学級委員の山崎が演じる王子さまとの悲しい恋の物語がはじまるのだ。


「わーん、むずかしいよぅ。お姫さま役なんて初めてだから、緊張するし」
「大丈夫。さくらちゃんの演技、日に日にお姫さまらしくなっていますわ」
「そうかな?」
 頭に手をあてて、さくらは自信なさそうに笑う。知世は絶大な自信を持って答える。
「毎日、練習風景を撮影させて頂いている、私が保証いたしますわ」
「だといいんだけど」
 さくらは、いつも自分を見守り励ましてくれる知世の言葉に、なんとなく元気づけられた。
「ほえ?」
ふと、気づいて二人は、掲示板に貼ってあるポスターに目を止めた。
「『ともえだ遊園地』?」
「そういえば、丘の上にできたんでしたわね」
「うん。エリオルくん家があったところ。エリオルくん、元気かな?」
「あした、帰りに行ってみましょうか?」
「うん!」
 知世の提案に、全く賛成のさくらだった。

 その夜。さくらは、ベットに腰掛け、台本を読んでいた。
『まるで、心が自分のものでは、ないかのようです。あの人を好きになってはいけないのに、私は、私の心を止めることはできない。あの人のやさしい笑顔が忘れられない。あの人に会いたい。会って、私の本当の想いを告げてしまいたい』
 台詞のひと言ひと言が、今の自分と重なるようで、さくらは切ない。
「わいは、まだ、食べられるでぇ〜」
 寝言を言いながら、ベットから落ちてしまったケルベロスに、つい、笑ってしまう。
 そして、台本を抱きしめて、さくらの想う人の名前を呟くのだった。