ぶつくさと〜く
【Vol.150】 国賊 (2014.7)
7/25の朝日新聞夕刊の「アート」のコーナーで、とある「蒔絵師」のことが書かれていました。
(ちなみに「蒔絵」とは・・・「漆器の表面に漆で文様を描き、
それが乾かないうちに金粉などを蒔いて器面に定着させる、漆工芸技法の一つ」とのこと)
ここに、その新聞記事の一部を引用させて頂くと(勝手にすんません〜)、
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富田幸七
「水貝蒔絵内朱七寸重箱(みずがいまきえうちしゅしちすんじゅうばこ)」(明治時代)
〜あらゆる技巧 盛り込んで〜
(〜略〜)
明治時代の名蒔絵師、富田幸七(1854〜1910)による重箱には、
当時、京都の漆芸が持っていたあらゆる技巧が盛り込まれている
(〜略〜)
「うるしの近代――京都、『工芸』前夜から」展は京都国立近代美術館で8月24日まで
――――――――――
以前なら、この新聞記事を見たとしても、そしてどこかでこの人の名前を聞いたとしても、
何の興味も示さなかったと思うのですが、今ではちょっと事情が違っています。
最近になって(丁度カナダのトロントに住んでいた5年ほど前かな)、
私の先祖に、美術や芸術に関係する人が多いのだと知りました。
(どこでどう血が薄まってしまったのか、残念ながらワタシには一切その才能が伝わってないんやけど・・・泣)
で、この富田幸七、明治時代の名蒔絵師と称される人が、
私の「おじいさんのおじいさん」であることを、最近知ったのでした。
(へぇ〜)
・・・まぁだからと言って、何のオチがある訳でもないのですが、
こういう芸術を扱う人たちって、もちろん画家も音楽家も、思想家だってそうだと思いますが、
そこに「作品」というものが残る限り、後世の人々に名前が語り継がれるんやなぁと、実感したのでした。
みなさんは、自分の先祖が何をされていた方かって、ご存じでしょうか?
先祖の名前が新聞に載っていたら、気付かれていますでしょうか?
最近では家系図を作るのがちょっとした流行りになっていると聞きます。
一度、作ってみられて、自分の先祖がどういう人だったのかを調べてみるのも面白いかもしれませんね。
で、その富田幸七は私の「おじいさんのおじいさん」だったのですが、
私の「おじいさんの叔父さん」に当たる、富田幸次郎(1890〜1976)という人がいます。
この富田幸次郎・・・なんと存命当時、世間に「国賊」とまで罵られた人なのです。
「国賊」ですよ、「国賊」。
自分の親族に「国賊」がいるって人、おられますかね・・・?(苦笑)
では何故、国賊とまで呼ばれるようになったのか―――――
富田幸次郎は、アメリカはマサチューセッツ州にあるボストンに、10代で留学しました。
あの有名な岡倉天心の弟子となり、その縁もあって、
ボストン美術館において「アジア部名誉部長」となるまで、
そのアジア部(当時は東洋部)の部長を、実に30年以上に渡って勤めてきた人なのでした。
世界に名高いボストン美術館にあって、30年以上もアジア美術を任されるほど信頼され、
当然日米の文化交流にも多大な貢献をしていたのでした。
(第二次大戦中も抑留されず東洋部長職をも奪われずと、異例の措置だったそうです)
第二次大戦中の爆撃で、(貴重な重要文化財の多い)京都と奈良があまり被害を受けなかったのは、
美術史家のラングドン・ウォーナー博士の進言によるもの、という説があるのですが(否定説もあるが)、
その進言には、ウォーナー博士と深い親交のあった幸次郎の尽力があったと考えられています。
まぁそんな幸次郎が1932年に来日した際に、
日本の絵巻物の代表作とも言える「吉備大臣入唐絵巻(きびだいじんにっとうえまき)」と出会います。
(12世紀後半の「院政期文化を代表する絵巻物の名品」とのことです)
幸次郎が来日した当時の日本は不況下にあり、その貴重な作品が、
売りに出されてから9年間も買い手が付かない、いわば放置同然の扱いだったのです。
それを見兼ねた幸次郎は、この絵巻を購入し、海を越えてボストン美術館へと渡ることになるのでした。
ボストン美術館で展示された「吉備大臣入唐絵巻」は、
満州事変前後で悪化している日米関係の中にあっても、
アメリカ人の心を打ち、これもまた日米交流の懸け橋となったのでした。
しかし・・・日本では、日本の貴重な美術品が敵国アメリカに流出した事実を知ることになります。
それに関係していた幸次郎は、当然のように「国賊」と罵られる羽目になるのでした・・・。
(さらにこの翌年には、「重要美術品ノ保存ニ関スル法律」が、
「貴重な我が国の美術品が多々海外に流出している状況に鑑み、その輸出・移出を防止する目的」で制定されている)
――――― 日本の秀逸な美術作品のためと思ってやったことなのに、
結果「国賊」とまで呼ばれ、相当悔しい思いをしたのではないでしょうか。
しかも戦前のことで、今我々が思っているよりよっぽど「お国のため」に国民が生きていた時代で、
それを否定されることは、それはそれは辛かったことでしょう。
結局その後も幸次郎は日本に住むことなく、ボストンで息を引き取っています。
(日本の富田家の菩提寺に、何度か親族ともども集まっている写真だけが残っています)
私は一度、ボストン美術館や、幸次郎が実際に亡くなった病院、住んでいた家、
彼の遺品などが置かれている「The Art Complex Museum」などを実際に訪れたことがあり、
少しだけですが、彼の過ごした世界を感じ取ることができました。
「国賊」と呼ばれた富田幸次郎、私は誇りに思いたいと思います。
※Wikipediaの「ボストン美術館」や「吉備大臣入唐絵巻」の項にも、少しだけ触れられていました。
さてさて、実は今回は、記念すべき150回目のぶつくさと〜くなのです。
1ヶ月に1回書いてきたので、150ヶ月・・・12年と6ヶ月。
え〜と、自分でこう言うのも何ですが、正直アホですよね・・・。
結構な時間をかけてしっかりと書いているわりには、読者恐らくわずか数名・・・(泣)
私もすでにヨソジになってしまい、平日は夜遅くに帰宅、週末は小さな息子の相手。
こんな好き勝手なことを自由に書いていられる暇も、減ってきてしまいました。
そして何よりも、時間が充分に取れず、少しずつ内容的に「薄く」なっていることが、
残念ながら自分のストレスとなり、フラストレーションを引き起こしてしまっています。
てことで・・・。
キリのいいこの150号を持ちまして、ぶつくさと〜くの更新を、一休みさせてもらおうと思っています。
「え、止めるんじゃなくて、一休みなん?もう要らんて〜」とツッコむ方もおられるかもしれませんが、
きっとしばらくしたら、また何か書きたくなるのだと思いますのでね・・・(苦笑)
なのでやっぱり「一休み」。
ここでみなさんとは、しばしのお別れとなります。
(その代わり、「旅の写真」と「どたばた旅行記」はちょくちょく更新したいと思ってます)
それでは、次にお会いするときまで・・・。
みなさん、変わることなく、お元気でっ!!
え〜〜〜ぃ、ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜っん!!!
(なんのこっちゃ)
(Vol.150 おしまい)