作並温泉(宮城県)


作並温泉 宮城県仙台市青葉区 仙台に近い歴史ある温泉 日帰りあり ★★★★★
低張性弱アルカリ性高温泉 含食塩芒硝泉 ナトリウム・カルシウム・硫酸塩、塩化物泉

はやて号にのり白い南東北へ。およそ1時間半で仙台に到着。乗り心地は決してよいとはいえないが、福島に行くよりも速い。しかし、今日の新聞は読み応えがないし、トランヴェールもささっていないし、席も通路側なので、退屈気味のはやて号。

4日ほど前に降ったという雪がまだ残っている仙台。さすがに風は冷たい。仙台には友人の故郷ということもあり、何回も訪れているのだが、中継点というか、ゆっくり滞在したことがなかった。だから、今回はベタに観光をしてみることとする。

まずお昼は定番の牛タンを食べる。今となってはどこででも食べられる牛タン焼きだが、発祥の地はもちろんこの仙台。歴史は意外に浅く戦後すぐの頃に専門店ができたことによるという。現在、使われる牛タンの大半がアメリカ産。アメリカからの牛肉輸入停止の影響でまもなく仙台名物牛タンはまもなく絶滅するかもしれないといわれている。さらに競合店も多く、競争は激しい。今回は、利久というお店で味わったのだが、厚めに切られた牛タンは賛否あるかもしれないが、とてもやわらかくついたそうそう仙台好きかもなんて思ってしまっていた。さらに接客も気持ちのよいお店だった。

仙台を観光するのに便利なのが、るーぷる仙台という循環バスである。最近流行の古い市電を模したレトロ調のバスで、市内の名所を一方通行、30分間隔でまわっている。新幹線で東京から来るとわかりにくいのだが(東北道を走るとよくわかる)、仙台は山が近い。名所といってもこれといったところは多くないのだが、このようなバスはほんとうにありがたい。わたしもさっそく600円の一日券を買いバスに乗り込む。ところが車内でこれを買おうとする客で出発早々混乱している。これは券売機が両替機とかねているため、うっかりすると両替だけされてしまうからなのだ。


まず訪れたのは、瑞鳳殿。ここは伊達政宗公をはじめとする伊達家の墓地である。バスを降りると急な坂道とそれに続く石段。ここまで標高が上がると雪がまだ積もっている。すべる足下を気にしつつ、この程度で息があがる自分がなさけなくなりつつ、参拝する。仙台市内に隣接しているとは思えないほど静かな山の中、厳かさだけはかわっていないのかもしれない。
ここも昭和20年7月のアメリカによる空襲により消失しており、現在あるものは再建されたものである。日光東照宮に見られるような非常にきらびやかな建物であり、繊細で明確な彫刻が印象的。屋根を見上げれば龍が天を仰いでいる。まわりは殉死した家来たちの墓が主を守るように囲んでいる。殉死、自分の命を死んだ主に捧げあの世までも随行していくこと。信じられない上に彼らの墓を見ることがはばかられるような気がして恐ろしかった。
また、他の代の墓地は、代々埋葬に対しての考え方が改められ、質素なものにかわっていくさまがよくわかる。

次に訪れたのは、仙台市博物館。このあたりから山を登りはじめ、仙台城址、東北大学へと続くいわば仙台の文教地区である。
やはり瑞鳳殿と同じく戦災をうけた仙台城の中で唯一復元された大手門脇櫓(通称、隅櫓)を坂の上にみつつ通りを曲がると左右に凍った堀をみる。この堀、実はフィギュアスケート発祥の地なんだそうである。その先にあるのが博物館。思った以上に大きく立派な施設は、伊達藩政を中心に展示され今の仙台をつくった歴史を知るにはよい場所である。個人的には、近現代の様子がほとんどないのが残念なのだが。また、特別展としてチベット展が開催されていた。
仙台を知りたければ博物館へ。仙台市民もおすすめしてます。

博物館の庭は、そのまま仙台城址へとつながっている。バスの時間も中途半端だし、すぐにつきそうだからといざのぼりだしたらこれがとんでもない雪道。引き返したって次のバスには間に合わないし、しかたなく前進。危うく遭難しそうになりつつ息も絶え絶え青葉のお山を登っていく。

仙台城の完成は1602年。現在、石垣の解体修復作業が進められており、石垣の大半が囲われている。城址にのぼってみたところで、城を彷彿とさせるものはなにもない。ただ有名な伊達政宗公の銅像があるのみ。中心には護国神社がでんとあり、今となっては明治以降の戦功をたたえる土地となっている。眼下に広がる仙台市街の海へと続く風景はすばらしい。
仙台城址は、国指定史跡となる予定なのだそうで、大手門などの復元が要望されているのだそうだ。仙台城までのぼってきて見所が伊達政宗公の銅像だけなんてかなりがっかりもいいところ。ちょっぴり期待します。

さて、いよいよメインの温泉へ。作並温泉は、30キロ近く移動するのに市内と同じく仙台市青葉区なのだから驚く。そしてとなりは山形県。いやはや仙台は広い。クルマを降りると雪が降り始めている。同じ区内なのに天気まで違う。
温泉街というものはなく、仙台から山形へぬける街道沿いに大きな旅館が点在するというちょっとかわったつくりが、この作並温泉の特徴。名物は、こけしです。
宿泊したのは、鷹泉閣元湯岩松旅館。とにかく立派な旅館なのだが、ちょっと芳香剤くさいのとどこをさわっても静電気ばちばち(一行全員ばちばち)なのはいただけない。なにがすごいって静電気よけをさわってばちってくるんだから。タオルの水分通してばちってくるんだから。それ以外は、非常に満足満足。
まぁ、それはさておき、部屋は広いうえに4.5畳の次の間つき。洗面台には別に流しがついているし、トイレも離れている。この一行、布団がひかれた後、次の間にこもり「なんか落合村(某友人が住んでいたすごいアパートの俗称)みたいで落ち着く」なんていいながら宮城の酒を楽しんでいた。


仲居さんは、山川恵里佳嬢似の若いかた(S嬢)。週末だけのバイトさんなのか、思い出し思い出ししゃべっているせいか、日本語使いが明らかにおかしく(「持ってきてみました」ってそんな挑戦されても困るんですが)非常に気にはなるものの、かわいいから許す寛大な一行。料理は、明らかに量が多いのは閉口ものだが、食前酒の梅酒から前菜が用意され、豆乳仕立てでつくる鍋あり、決して凝っているというものではないが、美味しく楽しめる。特に揚げたての山菜の天ぷらを途中で用意してくれるのはありがたい。旅館の揚げ物ってどうしても冷めているという場合が多いなかでこれはポイントが高い。S嬢にごはんまでよそっていただき、おなかいっぱいなんですが平らげる。はてさて、やれやれ、と思っていたらさらに五徳に鍋が。たぶん山形名物の芋煮風なのだろう(芋煮を食べたことがないのでなんともいえないのだが)、しかし食事が終わろうというときにこういうものがでんと用意されても、いやはや、降参です(でも美味しかった)。デザートには、仙台名物のずんだを使ったケーキも用意され、食宴はようやく終了した次第。

作並温泉開湯の由来を記した案内板。
作並温泉は、今から1300年前の奈良時代、行基が発見したといわれている。また、800年前、源頼朝が傷を癒したという伝説がある。開湯は、300年ほど前、伊達家が藩政をひいていた時代である。
温泉は、大浴場に露天風呂はついていないが、大きなお風呂に熱めのお湯がこんこんとあふれている。でも、この旅館のうりは川沿いにある露天風呂。地下2階までエレベーターでくだりさらに寒い木製の、そう昔ながらの木製の階段を川に向けて下っていく。温泉が開かれた当時と同じ行程をたどる木製の長い階段。これだけで温泉気分がどんどんたかまっていく。長い階段の向こうには必ずといっていいほどいい温泉がまっている。間違いない。しかも木だ。途中、レトロな鏡があったり、いろり端が用意されていたり(でも火が入っていなかったので寒いのだ)、演出抜群である。当然、脱衣場も木製。しかも川を望むのである。
お風呂は、川に向かって大小3つの岩風呂があずまやの下にある。一番手前は、50度以上とかかれており、ここからお湯がでているようだ。さらに、奥に岩をくりぬいた崖っぷちに一つ風呂があり、こちらはコンクリートの強固な屋根がかかっている。自噴の源泉は四つ。泉質は二つ。さらっとしたお湯加減。お湯の熱さはそれぞれ違っているので、お好みの温度のところからどうぞ。川を直接眺めることはできないが、渓流の音を聞きながら雪の積もる崖を愛でつつはいるお風呂は、いつも通り極楽以外の適当な表現が見あたらない。また、端のほうにはいっていると風にながれて雪がちらりほらりこちらに流れてきて、もうあたまがうに~って叫んでる。
ちなみにこの川沿いの岩風呂。基本的に混浴だが、女性専用時間もあり、また女性専用の渓流風呂も用意されている。


作並温泉小唄にも歌われる定義へ。ここの名物は揚げたての厚揚げ。旨い!

仙台って、近いところにいろいろよさげな温泉が点在しているうえに、肉も魚も旨い。新幹線も空港もある。転勤してきてそのまま住むヒトが多いという話しをきいたことがあるが、納得できる。ほんとうにこの環境、うらやましい限りなのだ。気になるのは、「仙台ブス」(数年前に乗った仙台の観光バスのガイドさん談)の現状か?

Posted: 土 - 1月 31, 2004 at 09:58 午後          


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