UK 1979


 
 
 
1979年

5月29日(火) 東京・中野サンプラザ
5月30日(水) 東京・中野サンプラザ
5月31日(木) 大阪・厚生年金会館
6月1日(金) 名古屋・勤労会館
6月4日(月) 東京・日本青年館


  
   Vocals, Bass John Wetton
Drums, Percussion Terry Bozzio
Organs, Synthesizer, Violin Eddie Jobson


 


 
1. Danger Money
2. The Only Thing She Needs
3. Nothing to Lose
4. John Wetton Solo
5. By the Light of Day
6. Presto Vivace
7. Terry Bozzio Drum Solo
8. In the Dead of Night
9. Rendezvous 6:02
10. As Long as You Want Me Here
11. Thirty Years
12. Carrying No Cross
13. Alaska
14. Time to Kill
15. Eddie Jobson Violin Solo
16. Night After Night


(1979年5月29日、中野サンプラザ)
 
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UKの母体は、1976年に活動を開始するものの途中で頓挫するWakeman, Wetton & Brufordなのだそうです。King Crimsonが解散して、Yesにも行き場がなくて...といった人たちが、「求人誌に頼るくらいなら、起業しよっか」的ノリ(違う!)で結成したバンドとしか思えないのですが。

その後このユニットはマネジメントの関係で継続困難になり、いったん解散。しかし1978年ごろBruford−WettonがEddie Jobson、さらにAlan Holdsworthを誘ってやっとファーストアルバムのリリースにこぎつけました。このときのメンツは、Soft Machine、Zappa率いるMothers、そしてKing Crimson出身者なわけで、音楽性は当然インプロ中心のジャズロックでした。Wettonのペンによる"Alaska"は、疾走感があってすこぶるかっこよく、後の産業ロックバンドAsia在籍時のていたらくぶりがウソのようです。

そして翌1979年に待望の来日となるのですが、なんとこの時期のUKはジャズロック志向のBruford−Holdsworth(のちにDave Stewart、Jeff Berlinを誘って、Brufordのソロプロジェクトに転身)と、Wetton-Jobsonとに分裂。Brufordの穴をTerry Bozzioが埋める形で来日公演が実現します。

Bruford−Holdsworth脱退後のUKはロック色を強め、よりわかりやすい音作りにシフトしていきます。この時期のライブをご覧になった諸兄、ご一報を。

それにしても、70年代の日本はBill Brufordに嫌われていたとしか思えません。1973年のYes来日、1978年のGenesis来日、そして1979年のUK来日のそれぞれ前年にBillさまはバンドを抜けており、やっと彼の勇姿が拝めるようになったのは、1981年のKing Crimson来日公演でした。

  
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