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それから
(もう一つの決意)

 

 あの夢だ。
 さくらは、夢の中で呟いた。今夜もまた、さくらは、同じ夢にうなされてしまった。
本当は、もう、終わったはずなのに、何故、この場面を夢に見てしまうのだろう。
 煌めく灯りの上を飛んでいく。降り立った遊園地の中で、さくらは、一人きりだ。
振り返ると観覧車の鉄骨が、不気味なほど大きく、くっきりと目に映る。切り取ら
れたレールの形も、あの時のまま。
 さくらの胸がギュッと痛む。その風景は、あの時の。

 ・・・・・自分の前から小狼くんが消えてしまったときの光景・・・・・

 そして、目の前には、時計塔が立っている。
 黒々とした影を落とし、不気味なほど大きく聳え立っている塔。
 さくらは、暗闇のその中に入っていく。内側に沿った階段を一段一段登っていく。
あの時、さくらのいる場所へ向っていった小狼と同じように。
 そして、また、夢は繰り返す。『無』のカードの力が小狼を包み込むところを。

「!!」
 さくらは、ガバッと跳ね起きた。汗はびっしょりかいているし、鼓動も早く、息も荒い。
本当に胸が痛くて、苦しい。
「さくら?だいじょうぶか?」
 ケルベロスが、枕もとで不安げな顔をしている。また、今夜も起こしてしまったらしい。
「ごめんね、ケロちゃん。起こしちゃって・・・」
「ええんや・・・」
 ケロは首を振り、相手の顔を覗き込んで尋ねる。
「それより、また、同じ夢見たんか?」
さくらは、こっくりと頷く。思い出せば、暖かいベットの中、手足が痺れるほど冷たく
なっていた。
 それに。
 夢の中と同じようにさくらの頬は、涙で濡れている。小狼くんも私も大丈夫だったのに、
今ごろどうして、こんなにも悲しいのだろう。胸が締め付けられて、押さえた手に涙が
滴り落ちた・・・。

 あの時―『無』のカードが引き起こした事件からもう4ヶ月が過ぎている。友枝の街の中
は、撫子の飾りではなく、今は、クリスマスの雰囲気に包まれている。あの時の傷跡は、
どこにも残っていないし、人々の中で覚えている人もいない。『無』が、『希望』に生まれ変
わったとき、消えたものは全て元通りになったし、人々の記憶もそれとともに、都合のいい
ところだけ、変えられていた。落雷が落ちて、劇は急に中止になったという新たな記憶が、
それぞれの中に収まっている。


 事件の真相を知っているのは、自分とカードたちとその守護者二人。それに、ビデオに
録画していた知世ちゃん、香港から遊びに来ていた苺鈴ちゃん・・・・・・と、小狼くん。
 名前を思い出す度に胸が疼くように痛い。自分でもどうしてかわからない。夢を見るまで
は、こんなに苦しい想いはしなかったのに。名前を口にするだけで、幸せだと思っていた
のに・・・どうして?
 事件の後、小狼くんに、自分の本当の想いを伝えられて。小狼くんも『俺もだ』って言って
くれて、本当に嬉しかった。
 あんなに嬉しかった気持ちが、自分の中でどこかにかくれんぼしているみたいだ。
 会えないから?
 声が聞けないから?
 傍にいないから・・・。

 

 

「さくらちゃん?」
 放課後。知世は、何度目かの声をかけた。机に頬杖をついたさくらは、いつかの時
のように、ぼんやりとしている。
「さくらちゃん、どうなさいましたの?」
「ほぇっ?」
 やっと、我に返ったさくらは、自分の傍で指を組んで心配そうに立っている知世を見上げた。
「あ、知世ちゃん。ごめんね、気がつかなくて」
「なにか、心配事でもおありですか?この頃、少し沈んでいらっしゃるように見えますが」
「え?そ、そうかな。なんでもないんだよ、なんでも」
 毎晩、同じ夢を見ていることは、知世にも言えないでいた。知っているのは、ケルベロスだけ。

  −知世ちゃんに、いままで秘密なんて持ったことがないから、打ち明けたいのだけれど、
何故か言えない。私、なんだか変。どうして、話せないんだろう?
 一度だけ、あったけ。
 雪兎さんに告白して『本当の一番』が自分じゃなかったと、知ったとき。
 あの時は、小狼くんが傍に居て、公園で肩を貸してくれたんだ・・・−
『だいじょうぶだ。きっと、見つかる』
 その優しい声が、ふと耳元で聞こえたような気がした。

 あの時、小狼にしか打ち明けられなかったわけが、今ならさくらには解った。同じ雪兎が好き
だった同士だから、小狼に話したのではない。自分の幸せな姿を望んでいる知世には、泣いて
いる姿は見せたくなかったのだ。きっと、他の誰よりも心配させてしまうに違いなかったから。
そして、知世は自分が心配しているそぶりも、さくらには見せないに違いない・・・。

 たくさん泣いた翌日に、元気になれたのは、本当に小狼くんのおかげで・・・だから、知世ちゃん
は、小狼くんに感謝していたみたいだった・・・今は、居ない、小狼くん・・・。

 帰り道も、わざとらしく元気に見せたから、知世が、かえって心配そうにさようならを言った。
さくらは、なんとか笑顔で手を振ったが、いつになく重苦しい気分になる。
 -知世ちゃんに言えないことが辛い。でも。何ていっていいのか、わからない。今回だけは、
どうしても言う事が出来ない・・・−
 自分の今の気持ちを言い表せないさくらだった。

 ・・・小狼くんから、手紙がきたのは、一週間前。もうすぐクリスマスだねって、私がカードを
送ったから、その返事。
 大きな字で『メリークリスマス!』って。
 小狼くんは、手紙も電話も長いのは苦手みたい。でも、私の手紙を読むのは嬉しいって。傍で
話しているみたいで・・・

 ふと、以前の手紙に書かれたことを思い出す。いつも、さくらの話を微笑んで黙って聞いていてく
れる小狼。その笑顔を思い出すのが、こんなに切ない日が来るのは信じられなかった。

 

 家に着くと、うつむいたままさくらは二階へ上がった。ケルベロスはゲームをしながら『おかえり』
と言う。それに返事もしないさくらに、ケルベロスが振り返ると・・・。
 鞄を手にぶら下げたまま、さくらはじっとくまの人形を見ている。小狼くんと名付けた手作りの
くまを。本当は涙が溢れそうだから、なのだが。
 ケルベロスは、ついと傍へ寄ってきた。
「さくら・・・・?」
 一気にさくらの涙腺が緩んだ。倒れこむようにその場に座り込むと、さくらは声を上げて泣き出した。
「どうしたんや?さくら。どこぞ、痛いとこでもあるんか?」
 主の激しい泣き方にケルベロスはうろたえてしまった。
「ち、違うよ、ケロちゃん。・・・・ただ、ちょっと・・・」
 そう答えて、また、ひとしきり泣きじゃくると、やっとさくらは手の甲で涙をぬぐい、顔を上げた。
「ケロちゃん、私、小狼くんに会いたいの。どうしても、会いたいの!」
「そやけど・・・香港までは、一人では行かれへんで?」
「うん。でも、私が会いたいのはあの時の小狼くんなの」
「あの時?」
「『戻』を使ってもいいかな?」
「リターンを?」
『戻』なら、あの夢の時の小狼くんに会えるから・・・。私、あの時の夢を見るようになってから、
どうしても小狼くんのこと、気になって」
「う〜〜ん・・・・」
 ケルベロスは腕組みをして、しばらく考え込む。
−ここまでさくらの気持ちが追い込まれているとは。やっぱり、それしか方法がないかもしれない
「けど、一人で行くからには・・・」
「月峰神社のご神木!!」
思わず二人で叫んでしまう。
「そやな・・・。知世には言うんか?」
 さくらは首を振った。何が起こるかは、誰にもわからない。それに、自分自身がどうなるか、不安
がある。
そんな姿を知世に見せるのは忍びがたかった。

 

 自室に入り着替えもそこそこに、知世はパソコンのスィッチを入れた。真っ先にメールをチェックし、
案の定[李 苺鈴]の名前に目を留める。
 「さくらちゃんが沈んでしまうのは、李くんのことをお考えになっているからに決まってますわ」
 ただ、どうして自分に何も言わないのかが、気にかかる。
 苺鈴からのメールに急いで目を走らせていた知世は、その一行に心を奪われた。

【小狼は相変わらず自分のことも木之本さんのことも言いません。でも、この頃少し沈んで見え
ます。無理やり問い詰めたら『ちょっと夢を見たんだ。それが気になるだけだから・・・』って、言っ
ていました。誰の、とは言ってないけど、たぶん、木之本さんのことじゃないかな?】

 さくらが今のようにぼんやりとし始めた日、知世がどうしたのか、と、問うた時、さくらも言っていた。
『ちょっと夢を見たの。それだけなの・・・』
 そう言って、あとはなんでもないと、手を振っていたのだった。
「李くんの見る夢とさくらちゃんの見た夢。何か関係があるのでしょうか?」
 画面を見ながら、知世は二人のことを想うのだった。