ぶつくさと〜く
【Vol.121】 誕生 (2012.2)
え〜、ワタクシゴトで恐縮ですが(っていつもそうやけど)、我が家に第一子が誕生しました!
いわゆる「計画分娩」というやつで、出産予定日に近い日の中で日程を決め、
その日から陣痛促進剤(誘発剤?)なるものを注射で投与し、
数日中に産まれるように出産日をコントロールする、というものでした。
(いやほんと、申し訳ないくらい全然知識が無かったんですが・・・)
私が単身インドでお仕事している関係で、しかも現地に代わりになる人間もいないため、
休日でも無い時に長期でお休みする訳にもいかず、
その計画分娩の開始日から、わずか3日間だけ帰国することに決めていました。
もちろん、出産の「立ち会い」をするために。
いや、きっと無理を言えばもっと長くお休みをもらえたのかも知れませんが、
予定日の数週間前に産まれることもあれば、数週間後まで出てこないことだってあるので、
立ち会えるかどうか、それはもう、運を天に任せるしかないと思っていました。
幸いにも、事前に産まれてしまうことは無かったので、
ヨメが入院する前夜、私はデリーを出発し日本へと向かったのでした。
3日間のうちに無事に産まれてくれることを願いながら・・・。
成田からまっすぐにヨメが待つ産院へと向かい、到着したのは昼の12時頃。
すでにベッドに横たわっているヨメの状況を見ると、陣痛はあるものの、間隔もそれほど短くはなく、
「あぁ、これはあと2日以内に産まれるのは難しそうやなぁ・・・」というのが正直な印象でした。
結局夕方になっても進行は見られず、促進剤の投入を中止し、また明日トライということになったのでした。
「明日あまり進行しないようなら、一旦おうちに帰ってもらいますので〜」と言われながら(泣)
翌朝、産院に行っても、徐々に進行はしているものの、すぐ出産という感じではありませんでした。
「う〜ん、こら、立ち会いは厳しそうやなぁ」と思いながらも、
帰国時にしかできないいろいろな手続きが待っていたので、私はヨメの父に車を出してもらい、
その日の午前中ずっと、横浜の自宅や区役所で用事をこなしていたのでした。
午後2時頃に産院に戻ってくると、ヨメはかなり苦しそうな状態になっていました。
それでも陣痛はまだまだ続くだろうということで、そのまますぐ、みんなで昼食へ行くことにしました。
産院から車で10分くらいのところで「讃岐うどん」を食べていたのですが、
私がトッピングのかき揚げにかぶりつこうとしたその時、いきなり携帯電話に着信がっ!
「え〜、そろそろという感じなので戻ってきて下さい〜」
私は慌ただしく食事を済ませ(済ませたんかい!)、急いで車で産院へと向かいます。
到着するや否や、ヨメの病室へと飛び込んだのですが・・・しかし、そこはもぬけの殻。
なんと、ヨメはすでに分娩室のベッドの上に横たわっている状態だったのでした・・・。
急いで白いマスクと白いカッポウ着(あれ、なんて言うの?)を着用し、私も分娩室へ。
部屋に入ったとたん、「じゃあお父さん来られたので始めましょうね〜」と言われ、早速開始。
(なんかちょっと気まずいやん・・・)
もういきなり過ぎる展開で、ラマーズ法も、墾田永年私財法も関係ありません。
何もすることもできないまま、とりあえずヨメのそばに一緒にいて、応援しているだけの私。
(あぁ、無力・・・)
あれよあれよと10分も経たないうちに・・・「はぃ、産まれました〜」。
(チ〜ン!)
正直、長時間へとへとになるまで、ヨメのそばで身体をさすったり励ましたりする覚悟をして来たのですが、
いやほんと・・・全然何もできずじまいで、ほんとに申し訳ない限り・・・(泣)
まぁ、とにもかくにも、こうして我が家に、一人目の子供である長男が無事誕生したのでした。
(そして現在、母子ともに、順調に育っておるようです)
しかし、いくら計画分娩とはいえ、こうして幸運にも、いや、なんなら奇跡的にも、
しっかりとすぐそばで立ち会うことができて、本当によかったと思います。
いやほんと、日頃の行いがよほど良かったんでしょうねぇ・・・もちろんヨメの。
※いや〜、かき揚げ、1つだけにしといて良かった・・・(汗)
さて、このご時世に名前をネットに公開するのもどうかと思うのですが、
まぁ金持ちセレブでも有名政治家でも無いので、そんなことは一切気にしないことにして。
いろいろ考えた挙句、「こさつ」という名前にしました。
漢字で書くと「古刹」、
とある辞書によると、「由緒のある歴史の古い寺」という意味だそうです。
決して仏教の故郷インドに来て、なんらかの宗教に洗脳されてしまった訳ではなく、
もしくは、ただ単に子供に向かって「水島〜!」と叫びたかった訳でもありません。
(なんのこっちゃ)
私たちは、次のような願いを込めて、この新しい命に名前を付けました:
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『世界を股にかけて活躍する国際的な人間になったとしても、
日本の大切な心・大切な文化は忘れないでいて欲しい』
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・・・まぁ親の付けた名前なんて、子供は気にせず勝手に育っていくんでしょうから、
こんな名前で例えばニューハーフパブのママになろうが一向に構わないのですが、
いずれにせよ、これからどう成長していくのか、楽しみに見守っていきたいと思います。
・・・とは言え、私はまだこれからもしばらくは、インドでの単身生活。
妊娠中の、体力的にも精神的にもつらい時期を一人で過ごし、
出産後も、子育てと家事を一人でこなすことになるであろうヨメに対して、
遠くから、ひっそりと、ごめん・・・そして、深く感謝。
(Vol.121 おしまい)