ぶつくさと〜く

【Vol.140】 借り (2013.9)

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段々と太陽の日差しも和らぎ、優しい秋の訪れが感じられる今日この頃ですが、
みなさま、如何お過ごしでしょうか?

さて、いつもの通りいきなり話は変わるのですが、
2020年の夏季オリンピック・パラリンピックの開催地が、東京に決まりましたね。
(パチパチパチ)

世界中から大勢の選手や観戦客がどっと押し寄せて来て、
治安が悪くなったり、テロの脅威にさらされたりと、不安を感じられる方も多いかもしれません。
(正直、私もあまり肯定派ではなかった)

それでも、この地球上でナンバーワンの座をかけて争おうという超一流のアスリート達が、
わざわざこの狭い日本に集まってきて、
まさに私たちの目の前で、本気と本気でぶつかり合うその姿を、
自分の子供の世代が生で感じられるかと思うと、それはそれで素直に嬉しいと感じてしまいます。
(文章長い上に分かりにくっ!)

・・・って言うか、2020年というとまだ7年も先のこと。
7年あったら・・・今から頑張って、何らかの種目で日本代表になられへんやろか・・・?
いっちょ、目指してみよかしらん?
(って、どれだけオリンピックをなめとるんじゃぃ)

ところで、まぁこんなこと言ったらめちゃめちゃ失礼なんですが、
オリンピックに出場されるような選手のみなさんって、
特に外国の方は、もう男の人か女の人か、見た目ではちょっと分からない時、正直ありますよねぇ?

医療技術も十二分に発展しまくったこの世の中で、
性別とか、正しく見分けられるんでしょうか・・・?
(ええけど、わしは一体何の心配をしとるんじゃぃ?)

それに、そもそもオリンピックって、どういう「決まり」になっているんでしょう。

例えば極端な話、人間以外は出てはいかんのでしょうか。
やはり、オリンピックの公式ルールブックに「人間のみ」って書いてあるんでしょうか。

流石にゴリラはバレてしまうとしても、
ちょっとシュッとした顔立ちのチンパンジーくらいやったら、
1,500m走とかで普通に他の選手に紛れてても、実はバレないんじゃないでしょうかね?
(何リンピックやねん)

一体全体、出場可/不可の境目はどこにあるのでしょうか。
どなたかご存じの方、このオリンピックを目指す私に(←しつこぃ)教えて下さい!

2020年夏季オリンピック候補地の決選。
大方の予想を裏切って(?)、最後まで東京と争ったのは、トルコのイスタンブールでした。

開催地が東京に決定した直後の、テレビでの映像で、
トルコの人々が「東京、おめでとう」と言ってくれている姿が、とても印象的でした。

ご存じの方もおられると思いますが、先日トルコを代表する観光地・カッパドキアで、
日本人の女子大学生が殺害されるという事件があったのですが、
その時も、トルコの人々が日本人の死をとても悲しんでいる映像が流れていました。

そう、実はトルコの人々は、とても日本贔屓(びいき)な方が多いのだそうです。
それを示す一つの出来事があります。
(ご存じの方も多いかもしれませんね)

今年の2月、一人のトルコ人男性が87歳で亡くなりました。
その人の名は、オルハン・スヨルジュ。
私は、ものすごい偶然なのですが、この方が亡くなるほんの2週間前に、
この方の話をネットで知り、涙していたところだったのでした。

今から30年近く前の1985年3月17日、イラン・イラク戦争真っただ中のこと。
すでにその5日ほど前から、イランの首都テヘランでは、イラク軍による空爆が開始されていました。
その時、イラクのサダム・フセイン大統領からとんでもない声明が発せられたのです。

「今から48時間後(3月19日20:30)以降、イラン上空を通るすべての航空機を無差別に攻撃する」

世界中がパニックになり、各国は、自国の国民を救いだそうと全力を尽くしました。

日本政府も例外ではなく、テヘランに取り残された200人以上の日本人を救出しようとしたのですが、
当時は自衛隊が海外で活動することができなかった(社会党が反対した)ことや、
日本航空のチャーター機が会社や労働組合の反対に遭って派遣できなかったことから、
結局日本政府は、日本人脱出用の飛行機を現地に向かわせることすらできなかったのでした。

テヘランでは、飛行機のチケットを持っていても、自国民でなければ搭乗を拒否される始末。
日本からの救出便が来ないことを知り、「見捨てられた」日本人たちは絶望し、死をも覚悟しました。

その時、2機の飛行機が、テヘランを目指して飛び立ちました。
空襲警報が鳴り続くテヘランの空港に到着したのは、なんとトルコ航空の飛行機。
そう、日本人を救出するための特別機が、何故かトルコ政府の手によって手配されたのです。

2機目の特別機がテヘランの空港を出発したのは3月19日の19:30、イスタンブール到着は20:20。
無差別攻撃開始の20:30まで1時間もないと言うまさに間一髪のところで、215人の日本人たちは、
この命を顧(かえり)みず助けに来てくれたパイロット達によって救われたのでした。
(そしてその飛行機の機長の一人が「オルハン・スヨルジュ」さんでした)

実はテヘランには、まだ600人ものトルコ人が取り残されていたのでした。
陸路で脱出が可能だったとは言え、この状況下で、日本人を優先して飛行機で救出してくれたのです。
そして、日本人を優先したことに対して、トルコ国内で何の非難も出なかったそうです。

また、日本人を救出するために決死の特別便を飛ばすとの決定を受けたトルコ航空、
その特別機のパイロット志願者を募った際、なんとその場にいた全員が手を挙げたのだそうです。

当時の日本政府は、何故トルコの飛行機が命を懸けてまで日本人を救出してくれたのか、
理由が分からなかったと言います。
日本の新聞は、見返りの金や何らかの要求が目的ではないかなどと、ひどい内容を書いていたようです。

しかし、本当の理由はそうではありませんでした。

後日、当時の駐日トルコ大使は、その理由を、短い言葉でこう発表しました。
「エルトゥールル号の借りを返しただけです」

そう、トルコ海軍のエルトゥールル号、それが和歌山県沖で座礁して爆発したのは、
この事件からさらに遡(さかのぼ)ること一世紀、1890年のことでした―――。

・・・と、これ以上深入りすると長くなるので、みなさんにはネットや書籍で見て頂きたいのですが、
とにかくトルコでは日本人はすごくいい人間だと、学校で教えられてきたのだそうです。
そして、それが100年後のトルコ航空による日本人救出劇や、
オリンピック開催決定での日本人への温かい祝福メッセージへと繋がったのだそうです。

我々が知らないところで、数多くの「昔の日本人の優しさ」が外国へと伝わり、
そしてそのおかげで、現在の我々がその恩恵を受けているのだと考えると、
何かすごいことだと感じてしまいませんか?

そして同時に、今のこの時代に生きる我々も、責任を持って、
後世に生きる子孫たちに胸を張れるような「日本人」であるべきだと感じます。

あれ、なんかオリンピックから話がずれてもぅてるやん・・・。
まぁでも、この話をご存じ無い方は、是非一度調べて頂ければと思います。

とか言ってる間に、もう私、歳が「大台」に乗ってしまいました・・・。
う〜ん、相変わらず成長の無い自分に・・・「まっ、ええか」。
(あかんがな)

そんなこんなで、みなさま風邪をお召しになられませんように。
ではまたっ!!

(Vol.140 おしまい)


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