どたばた旅行記

7.レオナルドを追って

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2005年6月、イタリア&フランスの旅の目的はもう一つありました。

旅行の直前、3月に立て続けに「レオナルド・ダ・ヴィンチの謎」に関するTV特番が放送され、
(まぁ、「推測」を「真実」と決め付ける日テレの内容には多少イラっときたんですけど)、
さらにそれに触発されて、ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」をしっかりと読んでしまったのです。

てことで、レオナルド・ダ・ヴィンチに纏(まつ)わる場所をいくつか訪ねようという趣旨でした。

*****

ミラノ中心部にある地下鉄カドルナ駅から歩くこと数分、
ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」がある、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へと到着しました。

 

教会の目の前には市電が走り、ほんまにここが世界的に有名な絵がある場所なん?と思うほど、
ゆったりとしていて、人影もまばらでした。
(写真右の白い建物が入口です)

*****

さて、最後の晩餐がある一室(修道院の食堂)への入場は、以前は長蛇の列が出来ていて、
かなりの時間待たされたそうなんでうが、
今はもう完全な予約制になっており、15分ずつで25名が交替で入場するようになっています。
(いきなり現地に行って入れることは稀だそうです)

日本でガイドブックを見ると、その予約窓口(ミラノ)の電話番号が書いてあり、
そこに直接国際電話をかけて予約しろ、と書いてありました。
おぃおぃ、いきなりイタリア人と電話で会話せなあかんのか〜ぃ!

多少緊張しながらも、ミラノを訪れる1ヶ月ほど前に現地に電話をしたのでした。
「あの〜、もしもしぃ?」(オール巨人師匠風に読もう)
・・・しかし、なんと1ヶ月以上先まですでに予約で全部埋まっていると言われ、あえなく玉砕〜(泣)

ダ・ヴィンチ病にかかっていた私は、この「最後の晩餐」をとても楽しみにしていたので、
ぽっこりと凹んでしまいました。
しかし何か別の方法があるんとちゃうん?と、諦め切れずにネットで探しました。

探しているうちに公式のHPらしきページを発見し、そのHPからも予約出来ることが分かりました。
(緊張して国際電話を掛けんでもよかったんやないか!)
しかし、やはり電話でも言われた通り、ミラノを訪れる頃は予約で埋まってました。

それでも諦めず、「イタリアの旅行会社なら安くチケットを押さえてるのでは?」と思って検索すると、
チケットを販売している代理店らしきHPを発見しました。
手数料が一人2.34ユーロ(300円ほど)掛かるようなのですが、
それでも国際電話でいろいろ申し込んだり、日本の旅行会社に頼むよりはよっぽど安いはずです。
ただ・・・ほんまにちゃんと入場出来るチケットなんやろか?という不安はありました。
ちょっと疑いながら申し込むと、一応行きたい日で予約を取ることが出来たのでした。

それでも当日までずっと、かんなり疑っており、
「ほんまか〜?ほんまか〜?ほんまか〜?」と、毎日お経を唱える小坊主状態でした。
(見た目も含め)

そして当日、受付で不安な顔で印刷したバウチャー(引換券)を見せると・・・ちゃんと予約が通っていました。
「は〜、よかった〜!!」と、涙がちょちょぎれそうなほど喜んでしまいました。

ということで、上記のサイトのURLを書いておきます。
個人で予約して行かれる方の参考になれば幸いです。

公式と思われるHP: http://www.cenacolovinciano.org/
予約した代理店HP: http://www.waf.it/bigphp/mus.php?skin=mi&mus=cenacolo

*****

さて、予約していた時間の10分ほど前に受付に到着したのですが、
さすが予約制のためか全く混雑してませんでした。
受付で日本語のオーディオガイドを受け取ると、
部屋に入る5分くらい前に音声をスタートすると最後まで全部聞けるから〜、
と言われ、その通りにしました。(う〜ん、おりこうさん)

   

緊張感が高まる中・・・学生さんの団体20名ほどと一緒に入場。
陽の当たる修道院の中庭を横目にしながら、
後ろの扉が閉まらないと次の扉が開かないようになっている扉を3つほど通り抜けます。

そしてついに、あの「最後の晩餐」がある食堂へ・・・。

残念ながら撮影禁止だったので写真はありませんが(なんじゃぃそら)、
修復を終えて本来の輝きを取り戻したその世界遺産は、まさに圧巻。

何でもないただの古い絵のようにも見えるのですが、
当時の常識であったフレスコ画ではなく、油絵で描かれたその繊細な絵は、
キリストを中心に広がるような空間、遠近法が用いられた背景、
細部にまでこだわった光と陰の描写が、確実に表現されていました。
そして女性風に描かれた聖ヨハネの謎・・・。

見学できる時間はほんの15分でしたが、あらゆる想像力を掻き立てられる瞬間でした。
(ちなみに、見学者交替の時間になっても、オーディオガイドが終わるまで待ってくれました〜)

*****

続いて、パリ・ルーブル美術館へ。

まさに「ダ・ヴィンチ・コード」の1シーンが脳裏に浮かびます。

 

ダ・ヴィンチが最後まで手放さなかったという世界的に有名な名画「モナ・リザ」は、
以前とは場所を替え、新たな装いを見せていました。
しかし、混み具合は一向に変わらず(以前より混んでた・・・)、人だかりが出来ていました。

今回は、謎めいた悲しい笑みをたたえる、ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」もじっくり見て来ました。
ロンドン・ナショナルギャラリーにある「岩窟の聖母」よりも、優しい表情をしています。
むうん、素晴らしい。

*****

最後は、フランソワ一世の招きでダ・ヴィンチが晩年移り住んだという、
フランスはロワール地方・アンボワーズの町にあるクロ・リュセへ。

 

クロ・リュセは、アンボワーズ城から7、8分ほど歩いたところにあります。
パリから離れているためか、それほど訪れる観光客も多くはありませんでした。

 

ダ・ヴィンチが過ごしたこじんまりした家からは、可愛らしい庭園が、
そしてその向こうにはアンボワーズ城が見えていました。
(アンボワーズ城の礼拝堂にダ・ヴィンチが埋葬されているそうです)

家の地下には、ダ・ヴィンチが考案した飛行機・戦車・動く橋など数多くの模型があり、
その天才ぶりを堪能することが出来ます。

この家は、何百メートルも離れたアンボワーズ城と地下道でつながっており、
ダ・ヴィンチを慕っていたフランソワ1世が、ここを通って度々訪れていたそうです。

しかし英語の解説もあまり無く、ダ・ヴィンチの残したせっかくのメッセージがよく分からん・・・(泣)

 

子供たちが楽しめそうな広いレオナルド・ダ・ヴィンチパークなるものが最近完成し、
ダ・ヴィンチの絵画をあしらった大きな布のスクリーンとともに、
実際にダ・ヴィンチが発明した品の数々が、巨大な模型となって公園に置かれていました。
(そして、はしゃぐ嫁・・・泣)

*****

フィレンツェ近郊にあるダ・ヴィンチ生誕の地「ヴィンチ村」や、
マグダラのマリアの謎を秘めた南フランスの小さな村「レンヌ・ル・シャトー」・・・。
行きたいところは多々あるのですが、それはまた次回の講釈で。

(おしまい)


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