ぶつくさと〜く

【Vol.33】 密室 (2004.10)

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先日、大学時代のサッカーサークルのOB/OG会が浜名湖(静岡県)でありました。
前日まで現地は大雨だったそうなのですが、いざ到着してみると、
この夏最後の底力を見せつけようとしたのか、太陽がぎらぎらとグラウンドを照りつけていました。

関西や関東から30代を中心とした若手(?)メンバーが20人弱集まって、
汗を流しながらサッカーをして盛り上がり(って人数足りてへんがな)、
そして夜は宴会で盛り上がり、と楽しい一時を過ごしました。

安宿に1泊した後の2日目のイベントは、流しそうめん大会(もちろん台から作る)・・・のはずでした。
まあ私が本当にやりたかったのは、浜名湖名産のヌルヌルのうなぎたちを、
これまたヌルヌルのローションを入れた丸い子供用ビニールプールに放し、
裸の男たちがヌルヌルになってうなぎを取り合うという、
「ヌルヌルうなぎつかみ取り・ヌルヌル編」(「さすらい刑事・旅情編」風に読もう)だったのですが、
予想通りあっさり却下されまして・・・。

ま、まあ、とにかく流しそうめんの予定だったのですが、
前日のサッカー&宴会その他もろもろの理由で、やる気満々の人、二日酔いの人、寝てる人など千差万別、
結局浜辺に行って、ふらふらごろごろするだけとなりました。(なんじゃそら〜)
しかしそこに突然1球のサッカーボールが登場したとたん、くつろいでいた何人かが砂地に集まりだし、
裸足になってビーチサッカー(周りに迷惑がかかるのでシュートは無し)が始まったのでした。

ええ歳のおっさんら(もちろん私も含む)が上半身裸で、
しかも砂浜なのに結構本気になってボールを追いかけ回す姿は、
はっきり言ってかなり痛々しいものがありました。
まあでもそこは「みんなほんまにサッカーが好きなんやなぁ」と、ちょっと微笑ましくもありましたがね。

さて、京都で飲み過ぎて記憶を失ったという話はVol.9で書いたのですが、
東京でもやってしまいました。
もう5年ほど前、まだ私が埼玉県の蕨(わらび)に住んでいたときのことです。

都内品川で会社の20人ほどの部署の宴会があり、私はその幹事をやっていました。
飲み放題だったためか、みなさん結構飲んで盛り上がっていたのですが、
会の中頃で注文した日本酒がなかなか来ず、なぜか最後の最後にど〜んと大量に運ばれてきました。
まあ別に手をつける必要は全くなかったのですが、
なんとな〜く幹事としての責任を感じたのか、はたまたただもったいない根性が出たのか(100%後者)、
すでに酔っぱらいであったにもかかわらず、私一人で日本酒たちを一気にたっぷりと飲んでしまいました。

その後、会は無事終了し、JR品川駅でみなさんと別れました。
私は蕨まで45分ほどJR京浜東北線に揺られ、さらに10分ほど歩いて自宅に到着・・・
しているはずでした。(品川駅以降の記憶は全くありましぇ〜ん)

・・・ふと気付くと、誰かが私を呼んでいました。
ん? 確か俺、寂しい独り暮らしのはずやったけど?と思いつつ(ほんまに思ったんか?)、
顔を上げると、なぜかそこは暗い密室の中。
うおっ、俺、誰かに拉致監禁されたんか?と思いつつ(ほんまに思ったんか?)、
よく見ると、目の前に白くて固くて大きな物体が。
なんじゃこれは? 一体全体、ここはどこなんじゃ〜ぃ!(これはほんまに思った)

するとまた声が聞こえました。今度ははっきりと、密室の外から。
「お客さん、大丈夫ですか?」

だんだん意識がはっきりするにつれて、目の前にあるものが見えてきました。
あ〜、これは世に言う便器というやつやね、なるほど便器、便器・・・えっ、ベンキっ!?
なんで便器ちゃんがわしの目の前におるんじゃ〜い!!
と言うことは・・・俺が枕にしていたんは洋式の便座やないか〜〜! ぎゃ〜〜!!
・・・う、う〜ん、TOTOさんもずいぶん固めの枕を売り出したのね。(なんのこっちゃ)

ここが駅のトイレであることははっきりしました。
私はふらふらのまま、トイレのロックを開けて外に出ました。
そしてそこに立っていた駅員に、険しい顔でもう一度「大丈夫ですか?」と聞かれ、
駅をもう閉めるので出てくれ、と言われました。

蕨駅を通り過ぎて、俺は一体どこまで乗って来たんや?と思いながらも、
取り敢えず改札の方へ連行されました。
そして切符を改札機に入れて出ようと・・・あれっ、切符がないぞ?
こっちのポケットかな? ん、じゃあこっち? うそ〜ん、切符ないや〜ん。
もぅ、何もかもがめちゃめちゃでした。

そうこうしているうちに、さらに険しい顔になった駅員の冷たい一言が。
「もぅいいから、出て下さい」
ひぇ〜〜〜っっ! お、お、おとうちゃ〜〜ん!!

そして、駅から追い出された私は、振り返って改札の上を見上げました。
するとそこには「JR田町駅」の文字が。
た・ま・ち? な、なんと、品川から一駅目、ほんの3分で着く田町ではないですか。
おぃおぃ、電車に乗って2分後にもぅアウトやったんかよ! 俺、しょぼっ、しょぼっ!!

結局、酔い醒ましがてら、品川までとぼとぼ歩いて戻り、会社で睡眠・・・。
朝方、包丁とまな板の音ではなく、おばちゃんの掃除機の音に起こされる羽目になるのでした。

最近、日本の国連常任理事国入りや、憲法九条の改正についての議論がされるようになってきました。
すぐお隣の国・韓国の男性には徴兵制があり、
20代前半という人生の中でも一番大切とも思える時期に軍隊に入隊し、
非常に厳しい訓練を丸2年以上も(!)受けなければならないそうです。
身近にそういう制度があるので、日本の若者よりは戦争に対する意識はよっぽど高いでしょうね。

個人的には、戦争の放棄を謳うという世界にも類を見ないこの憲法九条だけは、
例えそこに多くの問題や矛盾を秘めているとしても、無くして欲しくはないですね。

だって・・・今地球上で行われている戦争なんて、生きるために必要な戦争ではなくて、
ただの利権争いであったり、宗教間の争い(と言っても実際はメンツ)のためでしょ?
きっと当事者は真剣なんでしょうけど、はっきり言って、
「そんなこと」のために貴重な命を捨てたくはないですよね。
もちろん、守るべき大切なもののためなら、喜んで命は投げ出すでしょうけど。

日本も、ほんの60年前には大きな、そして苦い戦争を経験しています。
あの頃、戦争に行った人々は、何を思って戦地へと向かわれたのでしょうか。
お国のため・・・? 天皇のため・・・? それとも大切な人を守るため・・・?
そして、戦いに行く人の背中を見送ったのは、どんな気持ちで・・・?

改憲の議論がなされている今、もう一度あのときの戦争の意味を、
そしてこれから先に自分たちの国に起こるかもしれない戦争の意味を、
若者からお年寄りまで、一緒になって考える必要があるのかもしれませんね。

さてさて、ガラにもなくカタい話を書いてる間に、気付けばまた一つ歳を取っていました。
うっげぇ〜〜〜! どろ〜ん! なんじゃこりゃ〜〜!!(by 松田優作・・てなんのこっちゃ)

でも人間としてはまだまだなんで、さらにいろんな事を吸収して、もっと成長したいなぁ・・・
と何故か白目をむいて考えながら、今回はこの辺でお開きに致します〜。

(Vol.33 おしまい)


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